架空の車両形式・番台スレ 18次車at RAIL
架空の車両形式・番台スレ 18次車 - 暇つぶし2ch554:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/15 21:00:18.80 s7+B1mjeO
国鉄 オハシ17形

亜幹線急行列車に運用されていたスハシ29・38・オハシ30形の増備として1956年2-3月に高砂・長野工場で8両が改造された。

台枠は鋼体化改造の資材を用い、台車は種車のTR11とオハ35・スハ32母体戦災復旧車のTR23を交換し、かつ改造したTR23Dを履いたが、車体は本格的軽量構造で、車体幅はナハネ10並の2900㍉に拡幅した。
車内配置は0番台に準じ、座席室はナハ10形並の設備だが、車体幅が広がった分通路が広くなり、便・洗面所もナハ10同様、乗降デッキの外側に配置した。

食堂は車体幅拡張に伴ってテーブルは全て4人がけになったため、定員は24名。
。側窓は二重一段上昇式。
また、三菱CAE81+ダイハツ3PKディーゼル機関直結空調装置を試用したが、いずれも新規開発間もなかったため、故障時に備えて扇風機も併設した。
これは、当時東海道線特急用として設計が進んでいた全室食堂車(オシ17形)のテストケースも兼ねていた。

新潟に配属され、上越線急行『佐渡』『越路』と信越・北陸急行『白山』で運用を始めたが、北陸線にEF70形が投入されるに伴い、1962年に5~7が金沢に転属。松任工場で電気暖房を取り付けたが、総重量がス級になったため、スハシ16形2005-2007になった。

残る4両は165系電車の投入により1963年に食堂車としての運用を失い、翌年長野工場で工事用宿泊車オヤ17形に改造され、1986年まで在籍した。

『白山』運用に留まったスハシ16形は、食堂利用率の高さと横軽対応交直流電車の開発の遅れで、僅か3両の小所帯ながら盆暮れの混雑のみナハ10・11に差し替えられる事以外は1972年3月に電車特急化されるまで安定した運用が続いた。

『白山』から撤退した後、2006は車体をぶどう色2号に戻し、1972年春~秋に『ふるさと列車おくのと号』に組み込まれて運用されたが、同年11月の北陸トンネル火災事故の余波で翌年の運用はなくなり、他の2両ともども1972年12月に廃車された。


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