架空の車両形式・番台スレ 18次車at RAIL
架空の車両形式・番台スレ 18次車 - 暇つぶし2ch430:名無し野電車区
11/08/24 22:24:39.25 gSwa6xrf0
キハ59・キハ29
キハ58系の編成美用中間車。
キハ29は後に冷房用発電エンジン搭載工事により2000番台に改番された。
しかし使い勝手が悪く1989年に消滅。
一部は郵便・荷物車に改造されたという。

431:名無し野電車区
11/08/24 23:13:08.36 Q8ML8iaa0
南海クロシ2901
2001系(初代)の喫茶・二等合造車。
阪和に対抗して再び特別車と喫茶車を復活させた。
二等は個室とソファーの談話室としている。
ドア割はクハ2801と同じだが、運転席後が談話室、連結面がトイレとカウンターでドア間中央に仕切りがあり、運転室側が個室、連結面側が喫茶のテーブル席である。
主として特急に使用された。
戦時中は貴賓車とされ、海軍将官の基地視察に利用。
戦後は進駐軍列車・特急や臨時列車に再利用され、11001系増備後はクハ2801に改造編入された。

432:名無し野電車区
11/08/25 00:30:55.22 io3V/afS0
高山本線電化
岐阜-美濃太田北部,太多線…直流
美濃太田北部-富山…交流

使用列車
特急ひだ…481系,485系
急行のりくら/急行たかやま…475系

普通列車
岐阜~美濃太田~太多線…113系,165系
岐阜~美濃太田~富山…413系,417系
下呂~富山のみ…713系

417系,713系量産車
高山線電化にともない登場。
美濃太田以北が交流となるために北陸線と共有できる車両を製造した。
417系はMT61に変更されている


(美濃太田以北は西日本所属だったかもしれない)
(475系の急行は今でも運転していそう)


433:名無し野電車区
11/08/25 20:01:31.99 hp6SWJdp0
JR貨物 コキフ107
運転停車する貨物列車に無断で乗車する事例が多発するためそれを阻止するために車掌付きの車両を復活させる
コンテナの量が減るため、車体長を長くする

434:名無し野電車区(WiMAX)
11/08/28 16:11:51.46 lLPSWerS0
東急6050系
目黒線八両化と相鉄乗り入れ開始に伴い登場した新系列車両。
5080系をベースに改良を加え、大井町線急行用6000系ほどではないが前面が鋭いデザインに変更されている。
ドアチャイムやLCD案内は従来の5000シリーズと同じ。
制御装置は東芝製PMSM-IGBT-VVVFを搭載、3M5Tの8両編成を組む。
5080系は中間車新造、3000系は既存車のみで組み替えを実施し八両され、
6050系と共に相鉄に乗り入れる予定。

相鉄12000系
東急乗り入れ用として登場した新系列車両、
E233系2000番台とE235系をベースとし、
ドア位置は目黒線のホームドアに合わせてあるが、
車内設備等は11000系ベースである。
東急との乗り入れ協定の関係で相鉄初のT型ワンハンドルを採用。
制御装置は三菱製PMSM-IGBT-VVVFを搭載 、3M5Tの8両編成を組む。

435:名無し野電車区(大阪府)
11/08/30 18:07:19.45 MKDcBPzH0
JR西日本 207系4800番台
モハ+サハを先頭車化改造する(ワンマン化もする)
運転区間は、105系の走っている路線
前面形状は、113系3800番台のようなインパクトのある前面になる
ヨンパチという愛称が付けられる

436:名無し野電車区(大阪府)
11/08/30 20:07:17.32 MKDcBPzH0
JR西日本 207系4000番台
207系4800番台は、1000番台4連からモハ+サハを抜いたもので4000番台は、4800番台化で余ったクモハ+クハで誕生
改造内容は、ワンマン化
運転区間は 105系が走行している路線

437:名無し野電車区(大阪府)
11/09/01 10:07:59.68 O2Nbf5hU0
南海電気鉄道38000系電車
1985年、気動車きのくにの電車化・特急格上げに伴い誕生した振子式特急形電車。
車体構造は国鉄381系とほぼ同じで、アルミ製・低重心・床下空調なども381系と同様。
性能面でも381系と同様の台車・モーター・制御装置を搭載している。
ただ、南海線内では7000・7100系と、国鉄(JR)和歌山以南では381系との連結を考慮した
構造になっており、先頭は所謂高運転台ではなく、クモハ591系の低運転台車に貫通路を
付けたようなデザインである。
車内のインテリアも基本的にはこうや用30000系、サザン用10000系と共通のデザインになっていて、
便所・洗面所・車販準備室が設置されている。
1985年3月14日、難波-白浜間に「くろしお」として2往復が登場し、
それまでのキハ55に比べてサービス改善が行われたこともあって好評を博した。
1985年10月からは新たに登場した「サザン」に合わせて泉佐野に停車、
同時に南海線内は7000・7100系の自由席車と併結運転となる。
その後も堺・泉州地域からは乗り換えなしで南紀に行けるという利便性から
利用者も多かったが、民営化されたJR西日本が「くろしお」の阪和線内停車駅を
増やしたことや、阪和自動車道の開通、さらにバブル崩壊後の白浜温泉自体の凋落もあり、
直通利用者は年々減少するようになってきた。さらにJR側がダイヤ改正の都度に
南海車に不利なダイヤ設定をしたこともあって利用者はさらに遠のいていった。
そして「オーシャンアロー」登場後の1997年3月、南紀直通は廃止され、60年以上の歴史に
ピリオドが打たれた。
南紀直通廃止後は台車などを廃車となった7100系1次車のものに交換し、
381系との連結設備を撤去し、4両固定に改造した上で「サザン」に転用された。
その後、「サザン」で使用されたが、2011年に12000系の登場で廃車となった。

438:L-5編成(福島県)
11/09/01 19:03:23.15 woK2nenX0
JR東日本新潟支社新潟車両センターE541系羽越本線デッドセクション以北直通用・磐越西線喜多方~新津電化普通車。
実際に新潟車両センターには交直両用の普通車の配置がなく、村上~酒田間の普通列車が架線下にもかかわらず、
気動車により運行されているため、エンジンがうるさいためにE541系を配置する。
車両メーカーは東急車輛センター、新津車両製作所とする。
両数は、A編成は3両 I編成は2両 とする。

439:名無し野電車区(大阪府)
11/09/02 11:59:58.02 gqjQOd3R0
E233系4000番台
JR東日本が開発した「節電車」。
誘導電動機よりも効率の高い永久磁石同期電動機を採用し、省エネ化を実現。
特性上個別制御が必須であるため、コストダウンのため4M6Tという編成となっているが、高出力モーターを搭載しており3.0km/h/sを出すことは可能である。
また車内の照明にLEDを採用した。

440:名無し野電車区(catv?)
11/09/02 18:25:24.56 L2MJbjPn0
JR西日本103系体質改善50N車

40Nの改造メニューんに加え
消音スピーカー搭載・床材質変更を施すことにより
207系並みの乗り心地を実現。

441:名無し野電車区(大阪府)
11/09/02 19:13:06.14 gqjQOd3R0
321系900番台
JR西日本が>>439に対抗して開発した「節電車」。
永久磁石同期電動機を採用した。
また車内の照明がLED化されている。

442:名無し野電車区(東京都)
11/09/02 23:43:54.29 +NOvDiIG0
コレイル381000系
コレイルが>>439,>>441に対抗してロテムと開発した節電車。
永久磁石同期電動機に加え、カーボンボディ・アクリルウィンドウによる車体軽量化により加速度5.0km/hでありながらtあたり世界最小のエネルギー消費通勤電車となった。

443:anorak?(catv?)
11/09/03 15:25:49.25 HAzJovBf0
>>424に続く平行世界もの
◎国鉄HD40形ディーゼル/電気両用機関車
○1960年代に首都圏と北陸の短絡ルートとして塩尻と高山を結ぶ信飛線が着工。83年、地方交通線として開業。
経路は、塩尻~新島々~白骨温泉~安房峠~平湯温泉~奥飛騨温泉~上宝町長倉~高山。全線電化単線。
上宝町長倉にて延伸された神岡線と接続。
信飛線は長い連続急勾配の存在で動力車に高粘着性能を要求されるので且つ秘境での給電諸経費削減に交流20kV60Hz。
飛騨山脈(北アルプス)横断は他と同様に長大トンネルで貫く構想であったが、火山を貫くので難工事が予想され、
建設費と工期抑制の為に安房峠を地形に沿って越えるルートを採用したが故に、最急勾配80‰のラックレール区間となり、
それは、昔の碓氷峠のアプト式では無く、構造が単純なフォン・ロール(Lamella)式。
当路線用にED42以来のラックレール対応機関車となるHD40が新造された。
交流電化の利点を最大限活かす為に交直流両用電機とせず、交流電機にディーゼルエンジンと発電機も搭載した、
いわば電気式ディーゼル機関車とのハイブリッドとし、形式称号の動力種表記はHとなる。
直流電化区間と非電化、あるいは除雪や急勾配上の停電時には、ELではなくDLモードで走行。
固有仕様は次の通り。車体はEF64-1000に酷似、車長18m。軸配置は歯車をzとして1zA-B-Az1。
三つのボギー台車の内、両側は先従輪と動輪で構成され、ラックレールと噛み合う歯車が収納。
主電動機は動輪用に475KWのが四つ、歯車用のが二つ。サイリスタ位相制御。
常用ブレーキはELモードでは交流回生ブレーキ、DLモードは発電。急勾配の非常用には電磁吸着ブレーキなど。
ラッセルヘッドかロータリーヘッドを接合し除雪も行う。
電車牽引に備え双頭連結器。旅客車の冷暖房用電源装置搭載。
ラックレール区間を含む45‰以上の急勾配を通過する際、列車の前後共に当機を連結しプッシュプル運転。
当区間を通過する車両は連結器強化などの横軽対策と同様のを要する。
81年に試作車登場、量産され83年に就役し、客車などを牽引。
87年にJR東海に信飛線と共に承継。JR貨物塩尻機関区に常駐し、委託。
数年後、ラックレールから鉄輪式リニアモーターカーへの切り替えで引退予定。

444:名無し野電車区(大阪府)
11/09/03 17:49:35.94 C7qsrOhY0
松浦鉄道MR-150形
松浦鉄道が製造したMR-100形のステンレス仕様車。
基本的な仕様はJR西日本のキハ120-300番台とほぼ同一である。

445:名無し野電車区(長野県)
11/09/03 21:47:46.76 Xv1y+Tnd0
キロ282-5001

石勝線での列車火災事故により喪失したキロ282の予備車確保のためキハ283を改造したもの。
運転台から前位側の出入り台にかけて構体を撤去し、別に製作した客室ブロックを接合している。
接合された部分には車掌室、車内販売準備室が設けられている。
客室設備もグリーン車仕様に改造されたが、この種の改造車の例によって窓割りと座席のピッチが合っていない。


446:名無し野電車区(富山県)
11/09/04 23:08:03.32 ljje86zR0
EF810
この車両は交直流両々使えるため、電化した所だけ走れる。
また、塩害防止の設備を備えてている。
走る区間は、五稜郭~梅田貨物駅まで。

447:名無し野電車区(富山県)
11/09/04 23:08:31.08 ljje86zR0
EF810
この車両は交直流両々使えるため、電化した所だけ走れる。
また、塩害防止の設備を備えてている。
走る区間は、五稜郭~梅田貨物駅まで。

448: 忍法帖【Lv=24,xxxPT】 【東電 73.5 %】 (群馬県)
11/09/05 00:26:29.58 DzDImg2j0
東武11480F再改造車:
10030系のVVVF改造及び、10000系で行われ10030系では省略された部分の更新を行った為、性能が全く同じになった事と日立製PMSM-IGBT-VVVFのの長期試験を兼ねて改造。

京急650形PMSM改造車:
京急線での東洋電機製PMSM-IGBT-VVVF導入に伴う信号回路への影響を調査する為、試験的に改造。
試験終了後は元のGTO-VVVFに戻された。

449:名無し野電車区(東京都)
11/09/05 02:28:19.21 iUpDdwRb0
京成電鉄AE200形

節電の影響でシティーライナーは長期間運休を強いられてきたが、
電力事情が回復して、輸送体系を見直すに当たり、都心直通は極力スカイアクセスにシフトさせ、
本線はあくまで途中駅の輸送をメインとする方針が打ち出された。
そのため、特急のうち40分に1本を快特に変更し、
一般車6両+特別車2両という構成で運行することとなった。
当初はAE100型を2連に改造する予定だったが、
車体サイズが一般車とかなり違って扱いずらいことから、
同系の部品を一部流用して、新形式が製造された。
小田急MSE貫通車ををそのまま18m標準軌に変更したようなスタイルである。
通常運用では地下鉄には乗り入れないが、一応地下鉄直通を考慮して、
非常時に一般車と通り抜けができるよう、新3000形と一体の8連が組まれている。

450:名無し野電車区(大阪府)
11/09/06 20:09:07.44 hrLLPGmd0
サヤ205
JR東日本で余ったサハ205を建築限界測定車に改造。
帯の色はEast i-Eに合わせて赤色になっている。

451:名無し野電車区(大阪府)
11/09/08 16:03:35.76 BW+Ex+9w0
JR東日本 485系ボンネットあかべぇ色
ひたちで使われていた485系ボンネット編成を組み替えて、両端ボンネットにし、内部アコモ改造を行う
塗装は、中間車あかべぇ塗装の485系電気釜編成と同じ
先頭車は、ボンネット上部に一つ、側面部左右にそれぞれ1つのイラストが描かれる
ヘッドマークは、赤を基調としたあいづにキャラクターのイラストが描かれている


452:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/09/08 18:14:32.98 m6nLwRizO
国鉄 キハ56・27グレードアップ車
急行列車のサービス改善を目的として、1982年からキハ56・27に
壁紙、床材の交換、座席の回転クロスシート化(廃車となったキハ80系のものを流用)
等の更新改造を施したグループ。
車内の配色は当時最新型だったキハ183と合わせられている。
車齢が比較的若い200番台を中心に改造され、道内各地の急行、快速に使用された。
民営化後も「ミッドナイト」や「宗谷」「利尻」の増結用として活躍したが、1997年までに廃車された。


453: 忍法帖【Lv=13,xxxPT】 (関東・甲信越)
11/09/08 19:01:45.94 Knd88torO
>>452
車内のグレードアップはされてもクーラーだけは準備工事のままなんだな

454:名無し野電車区(大阪府)
11/09/09 09:40:31.75 tc4mQrt/0
>>452-453
クーラーはJR化後の1987~1988年に設置されたが、
コスト削減のためAU13と4VKによる改造ではなく、
エンジン直結型の床下集中式が採用された。

455:名無し野電車区(大阪府)
11/09/09 23:18:11.98 6Wsmxmgw0
E903系
JR東日本が開発した「超節電車」。
主電動機に永久磁石同期電動機を採用したのみならず、カーボンモノコックボディとポリカーボネート窓の採用により大幅な軽量化を実現。
10両固定編成であるが、大幅な軽量化により3M7Tという超経済編成を実現した。

456:名無し野電車区(東京都)
11/09/10 01:53:18.09 i2CtKR760
117系1000番台

ご存知、関西地区新快速専用形式の嚆矢117系--
平成3年ダイヤ改正で、新快速から原則的に撤退し、
福知山線・奈良線などアーバンネットワーク周辺線区に
転属となった。
しかしながら、それら線区ではラッシュ時の混雑には
2ドアオールクロスでは対応し切れなかった。
そこで、ドアの増設(3ドア化)が計画されたが、
機器の関係もあって、車体強度が低下することが懸念された。
そのため、2ドアのまま拡幅(ドア幅1.5m)と3ドア化が1編成ずつ試行された。
その結果、中間車では、3ドア改造に困難をきたしたことから、
先頭車は3ドア化、中間車はワイドドア化で行われることとなった。
中間車の旧ドア部分を先頭車増設部に回すことで、資材の有効利用が図られている。
増設ORワイド化部分の戸袋窓は廃止されたため、
先頭車はその部分だけロングシート、中間車は中央の片側4列分を残してロングシート化されている。
また、実開放幅を拡大するため、半自動機能は廃止し、代わりにドアカット機能を設置している
(3ドア車は真ん中のドアだけ開放、ワイドドア車は半分程度開放)。
ただし、決定版改造車も221系の増備に伴い、6両5編成で打ち切りとなった。
試作改造車は、先頭車と中間車を入れ替え、1編成は決定版改造車と同様となったが、もう1編成は
予備者として通常運用には入らず、223系2000番台増備の進捗した平成13年に廃車となった。
残った6編成は、ラッシュ時でも使えることから重宝されたものの、整列乗車の面で難があるため、
広島地区に転属している。

457:名無し野電車区(大阪府)
11/09/10 12:05:42.34 N3VCyREe0
E231系2800番台
JR東日本が開発したE231系800番台のワイドドア車。
ドア幅を1800mmに拡大することによりラッシュ時の輸送力増強を実現した。
当初は6ドア車の導入を検討していたが乗車位置が狂ってしまう事から却下された。

458:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/09/10 12:12:44.78 PseNah0GO
EF680-901

試作機のみ製造された機関車。
EF680単独でEF200 17両ぶんの牽引力をもっている。


459:名無し野電車区(大阪府)
11/09/10 19:34:07.52 ebrzrhAy0
JR西日本 321系5000番台
JR京都・神戸・宝塚線系統のラッシュ時に、乗り降りをスムーズにするためにワイドドアになる
編成は7連
先行量産車2編成で試験を行い量産に入る

460:名無し野電車区(チベット自治区)
11/09/11 14:44:08.73 BQ7JhsxC0
国鉄 北海道総局 キハ82系500番台・1000番台 キハ83

昭和36年に北海道初の特急おおぞらが投入されて以来、道内各地の地方自治体からは
急行列車の特急化の要望が数多く出されるようになっていた。
一方、国鉄本社も特急列車の増発には意欲的ではあったが、いかんせん全国規模でのことであり
北海道内の増発までは手がまわりかねる状況であった。

そこで、北海道総局は既存のキハ56・27を大改造して特急車輛にしてしまう、という大英断を下し
技術力で定評のある、苗穂工場にてキハ82系のボディーなどを製作し、キハ82系を作り出すことにした。

その結果、足回りは56・27で、車体はキハ82系という世にも奇妙な車輛が登場することとなった。
しかし、もともとキハ82の走行性能は56・27と大差なく、ブレーキ関係を手なおしをすることにより走行性能は
ほぼ同一となった。

基本運用としては、各車ばらしてオリジナルの編成と混用するという、水増し方式が取られた。
ただし運用制限としてキハ27から改造された1000番台は1エンジン車であるため、編成中に占める割合は1~2両とされ
主として平坦地区を走行する北斗系統に投入されることが多かったが、多客期などは7連に1000番台を2両も入れた
臨時「北海」なども登場し、上目名付近でC62重連ニセコを狙うファンたちから、そのあまりにも勇壮(?)な排気煙の噴き上げに対して
「がんばれー!」という声援を送られていたという、心温まるエピソードも伝えられている。

また、実運用上の経験から今回中間電源車としてキハ83という新たな形式も登場し、中間運転台による定員減少対策として営業サイドから
好評をもって迎えられ。

なお、この改造は短期集中的に行われたため、気動車急行4本がその間旧型客車の運行に置き換えられるという事態も発生したが、それらの
急行は、同車の完成後に特急格上げとなることを周知していたため、利用者からは不満の声はあまりあがっていなかった。
また、同改造で余剰になった急行型ボディは両運転台改造の上、一部のキハ22と車体と交換され、キハ22-1000としてローカル線の急行列車の
体質改善に寄与するという功績も同時に得ることとなった。

461:名無し野電車区(大阪府)
11/09/11 17:06:31.67 PLiQvwUx0
209系簡易お座敷車
JR東日本で209系を簡易お座敷仕様に改造。
車内に畳を敷いた。
第2・第3ドアを締め切る事が可能である。
畳を外して通常運用も可能。

462:名無し野電車区(大阪府)
11/09/12 14:38:45.92 OjIgoExv0
E235系
JR東日本が開発したアルミ通勤車。
消費電力の更なる低減を図るべくアルミ車体を採用した。
但しその特殊性から新津車両製作所では製造できず、やむなくボディのみ日立製作所で製造して艤装を新津で行うという変わった製造方法を採っている。

463:名無し野電車区(チベット自治区)
11/09/12 19:32:45.38 xQedTnPZ0
EF61-100番台
言わずと知れたEF61-0番台改造の瀬野八用補機である。デッキの付いた長い車体は人気だったが性能が(ry
1991年に廃車され区分消滅した。

EF61-500番台
カニパンスイッチと20系客車用連絡電話を装備し、ブルトレ塗装を纏った特急仕様のEF61。0番台の反省から駆動方式が釣り掛け式に変更されている。
1963年12月から九州特急15両化用として東京機関区に配置され、前照灯が2灯化された1964年以降の増備機は一部が宮原機関区に配置された。
1968年には20系110km/h運転開始に備えAEBEブレーキ増設改造を受け、同時に7両が0番台から編入改造された。
特急だけでなく準急・急行運用にも幅広く活躍し、EF58を荷物仕業や上野口に追いやったが
EF65-1000番台の増備により東京口では1978年、大阪口では1979年に特急牽引の役目を終え、
大半は浜松・米原・竜華・広島の各機関区に転属して老朽EF58の老朽取替に充当された。
定期旅客仕業は1986年11月改正までの紀勢本線12系普通列車が最後であった。
JR化後徐々に数を減らし2009年限りで定期運用が消滅、現在は東日本の501(元11)と貨物の535が保存されている。

464:名無し野電車区(チベット自治区)
11/09/12 19:34:37.10 xQedTnPZ0
間違えた
誤:東日本の501(元11)と貨物の535
正:東日本の501と貨物の535(元11)
だった

465:名無し野電車区(大阪府)
11/09/15 23:15:07.01 iNbqAivn0
西武50000系
西武鉄道が開発した地下鉄副都心線乗り入れ用の新型車。
30000系をベースとしているが車体幅が2800mmに縮小されており、貫通扉がある。
10両編成であるが中間車を2両抜いて8両編成でも運転可能な構造としている。

466:名無し野電車区(東京都)
11/09/18 10:24:33.86 R/l5K6OZ0
西武21000系
E851を有効活用するため20000系タイプのプッシュプル客車を製造して運用することにしたもの。
車体は20000系と同じだが、全車両モーター無しで後部運転席で推進運転できるように作られている。
8両編成。

467:名無し野電車区(チベット自治区)
11/09/18 19:59:30.59 9+Ap5/Y90
国鉄 キハ00系

昭和21年、終戦の混乱から極度の石炭不足に陥った国鉄は、占領軍第3鉄道輸送司令部から
列車本数の削減と占領軍専用列車の維持を厳命され、一般向け旅客列車の大量運休という事態に
直面していた。残った列車は屋根まで乗客であふれ、乗りきれなかった乗客による暴動も各地で発生していた。

そこで国鉄は、比較的近距離の蒸機列車を中・長距離及び連合軍占領列車に転用し、治安維持のためにも一般向け
旅客列車の増発を意見具申し、了承されることとなった。

非電化区間の近距離列車用に、戦災車輛などを整備し、更に終戦により余剰となっていた戦闘機のエンジンを取りつけ
そのエンジンで発電し各車に取りつけたモーターにより走行する、固定編成の電気式ディーゼルカーを急きょ生産する
こととなった。それが、この00系である。

キニ00、キハ01×3、キハ00 の5両固定編成で運用され、一部列車は2編成連結した10連で運用された。

キニ00:運転台つき発電荷物車で、車体の2/3のスペースに戦闘機用エンジンと燃料タンク、大型モーターを組み合わせた
     発電機を持ち、各車に電力を供給する。残りのスペースは荷物室とした。
キハ01:戦前製のオハ35やのちに鋼体化改造で誕生したオハ60にモーターをつけた車輛で、特高母線の引き通しがなされている。
キハ00:キハ01の運転台つき車輛

第3鉄道輸送司令部による、ガソリンの大量支援により、昭和21年春ごろからこれらの列車が地方近郊区間で運転されるようになり
旅客輸送が好転し、危機は去ったが、戦闘機のエンジンを使用していることから部品の入手や整備に問題があり燃料事情が好転してきた
昭和23年春頃からは徐々にモーターを取りはらわれ客車に戻す改造が行われ、国鉄からは昭和28年までに完全に姿を消すことになった。

その後、一部が地方私鉄に渡り使用されていたが、昭和51年に最後の1編成が南大夕張鉄道で廃車となった。

車体はともかく、実物でしかも動く旧日本軍の戦闘機のエンジンということで運輸省航空技術研究所がひきとり、保存されている。 

468:名無し野電車区(大阪府)
11/09/20 15:36:02.39 6Lo7OhrT0
225系1000番台
JR西日本が製造した225系のオールロングシート車。
新快速の混雑激化に伴い止む無くオールロングシート車の投入を決断。

469:名無し野電車区(チベット自治区)
11/09/20 16:36:54.59 rlD+oLU20
80系970番台…80系を153系の車体に載せ替えたアコモ車。後年165系3000番台に改造。
101系970番台…101系を201系の車体に載せ替え。パンタグラフはモハユニットの内側にある。
103系970番台…103系を205系の車体に載せ替え。
103系1970番台…103系1000番台を203系の車体に載せ替えたが、やはりパンタはユニット内側に搭載。
         相変わらず床が熱く非難のマトである。
111系970番台…111系を211系0番台の車体に載せ替え。
115系970番台…115系0番台を211系1000番台の車体に載せ替え。

470:名無し野電車区(dion軍)
11/09/20 20:00:02.92 Mbr5zayM0
相鉄13000系・14000系

>>462の車両をベースに相鉄用にカスタムメイド化された車両。
前者はJR乗り入れ用の2950mm幅車体で、後者は東急(メトロ・東武・西武)乗り入れ用の
ストレート車体である。
8000系以来の日立製車両で、自動窓も復活。



471:名無し野電車区(dion軍)
11/09/20 21:45:49.22 b8r1rWks0
>>424
ロシア国鉄Р26系客車
宗谷海峡トンネル開通に際してロシア国鉄が日本のJR在来線規格で作った客車。JR東日本E26系がベース。

E26系との相違点
1:スイート・ロイヤルのJR式車両表記は「ロネ」ではなくて「イネ」
2:E26系には無かったツインDX・シングルDX・ツイン・シングルツインもある
3:ロシアの車両ということでサモワールが各車に装備

カハフР26:カハフE26と同じラウンジカー
マシР26:マシE26と同じ食堂車だが、本格的なロシア料理専門店である
オハネР26-100:シングルツイン(サンライズと同じタイプのシングル)
オハネР26-500:ツイン(サンライズと同じタイプのツイン)
スロネР26:シングルDX(あけぼのと同じエクストラベッド付のシングルDX)
スロネР26-500:ツインDX(JR北海道編成の北斗星と同じ並行ベッドタイプのツインDX)
マイネР26:ロイヤル(但し、既存のロイヤルよりも広い)
マイネフР27:スイート(車端部の部屋はマロネ49の特別室と同じタイプ)

6編成製造され、宗谷海峡トンネル開業までは尾久(JR東)と宮原(JR西)に貸し出され、「カシオペア」「北斗星」
「トワイライトエクスプレス」に運用。

宗谷トンネル開業後は、上野-ユジノサハリンスク「サハリン」、大阪-ユジノサハリンスク「チェーホフ」に運用される。

472:名無し野電車区(神奈川県)
11/09/20 23:35:16.50 Jj7Ouz0/I
シカゴ架空世界、ノース・ショアー線、オーロラ・エルジン線、サウス・ショアー線
がシカゴ電鉄に統合。
シカゴ電鉄……サミュエル・インスルが上記系列下3路線のインターアーバンを
統合した電鉄。

シカゴ電鉄1010(ノースショア線)、1020(オーロラエルジン線)、1030(サウスショア線)
インスルの手により統合し1500V電化に改良したシカゴ電鉄だが第二次世界大戦後の
モータリゼーションの発達に対抗、更にシカゴの通勤輸送、周辺都市の都市間輸送
に対抗するために、WNドライブカルダン駆動に、イコライザ台車から脱却した
パイオニア式の新型台車
を採用、車体は25m級でバッド車の全ステンレスとし戦後アメリカの電車の意欲作品




473:名無し野電車区(大阪府)
11/09/21 19:18:46.51 otUPStUA0
キロ81
キハ80系のパーラーカー

474:名無し野電車区(dion軍)
11/09/22 00:28:00.95 iEpT19FP0
東北地方の震災の復興の為に各地から来た車両たち


1:会津鉄道AT7100「尾瀬の森」
JR九州がキハ72系「ゆふいんの森2世」の2編成目新造によって余剰となったキハ72系を震災復興支援ということで会津鉄道に譲渡した。
基本的にJR九州時代と同じではあるが、耐寒冷地仕様にしたこと、東武線とJR東日本のATSを搭載という改造を行った。

新宿(時期によっては横浜)-喜多方(湘南新宿ライン・東武・野岩・会津鉄道経由)のリゾート特急「尾瀬の森」に使われている。



2:三陸鉄道 36-185
JR四国より三陸鉄道に震災復興支援の為、譲渡されたキハ185系。
「キハ185-キロハ186-キハ185」の編成で仙台-八戸(気仙沼線・三陸鉄道・八戸線経由)の快速「陸中」に使われる。

475:名無し野電車区(catv?)
11/09/22 22:31:01.99 vD9oBcaO0
221系3800番台(説明省略)

476:名無し野電車区(大阪府)
11/09/23 10:27:54.16 bdmCHSeK0
国鉄 485系近郊型化改造車 (583系に続く近郊型改造車)
国鉄末期に少し余剰の出てきた485系を地方線区に投入するため、近郊型化改造を行う
改造種車は、485系ボンネットとモハユニットとサハ
編成は、3連と4連が登場
2ドア化改造を行う
3連は、サハ・モハの先頭車改造編成と、ボンネット先頭車とモハの先頭車化改造編成の2種類が登場するが、ボンネット先頭車が使われた3連は、少数派(6両のみ)
4連は、両端サハの先頭車化改造車とボンネット先頭車のままの2種類登場する(ボンネット先頭車は4両のみの少数派)


477:名無し野電車区(大阪府)
11/09/23 17:51:07.87 RHI94JrO0
>>468
JR西日本サロ225形
225系1000番台オールロング車の登場に合わせて誕生した2階建てグリーン車。
ラッシュ時は米原-網干で新快速運用に充当され、基本編成9両(1000番台8両とサロ225形1両)に
付属編成として一般の223系もしくは225系0番台4両を併結して使用される。
なお、日中時間帯は快速として基本編成のみで使用される。

478:名無し野電車区(関西地方)
11/09/23 19:55:13.82 j7J6bebU0
>>475
ワロタ

479:名無し野電車区(大阪府)
11/09/23 23:55:39.95 XpXaPHI50
キハ61
国鉄が山岳路線用に開発したキハ40のエンジン2基バージョン。
当初はDML30系エンジンを積むことも検討されたが、2軸駆動にしなければならず台車構造が複雑になることと冗長性確保の観点からDT21・DT44を流用できるDMF15HSAの2基搭載となった。
製造コストが嵩むことからわずかしか製造されなかったが、全車がJR各社に承継された。

480:名無し野電車区(大阪府)
11/09/24 04:03:22.33 yJi/EGdk0
近鉄21020系リニューアル車・増備車
近鉄は看板特急である名阪特急を全車DXシートと同等の3列シート化する事に決定した。
また、甲特急を全てアーバンライナーNextの8両編成にすることになった。
8両編成となるアーバンライナーNextは座席が左右で2タイプとなる。
1人掛け席は従来の独立型シート。2人掛け席は中肘掛けが可動式でモケットが青色の物となった。
喫煙ルームはガラス張りとなり、3号車と8号車の2ヶ所に設けられる。
窓框は水平となり、飲み物が置けるようになっている。既存の2編成も同様の改造を施される。
これに伴い、21000系は名阪乙特急及び、阪伊、名伊などの各系統でも運用される。

481:名無し野電車区(大阪府)
11/09/24 13:08:09.00 pweP2LER0
JR西日本 487系
急行きたぐにの廃止後、同区間を走る臨時列車を計画した(旅客需要のある時期に運転)
その臨時列車用の車両は、当初583系を使用する予定だったが、老朽化で長い間は使えないと判断したため新型車の製造を行った

287系や225系と同じ0.5M方式で製造される
編成は
クモハネ+モハネ+モハネ+モロネ+モハネ+モハ+モハ+クモハの8連
前面デザインは、287系とほぼ同じ


旅客需要のあるシーズンが終わると、団体列車ように使用される

482:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/09/24 14:19:58.27 DBp8UZ0OO
国鉄・JRキハ62形

国鉄末期の1986年に老朽化、陳腐化の激しいキハ40以前の気動車の置き換えと、
荷物輸送廃止により効率が悪化した客車列車の置き換え用として登場した12客車からの改造気動車。
全て先頭車で改造はスハフ12、オハフ13では車掌室を、オハ12では化粧室部分を切断し、
211系準拠の運転台ユニットを接合して行われた。
ちなみに種車がスハフ12、オハフ13のものは0番台(トイレ付き)、
種車がオハ12のものは1000番台(トイレなし)と付番されている。
下回りはエンジン以外ほぼ廃車発生品を使い回しており、コストの低減を図っている。
室内は地区によってボックス席だったりリクライニングシートだったりと様々。
窓サッシも2段窓の車両から固定窓に改造された車両も存在する。

国鉄時代に四国地区と山陰地区で登場したのを皮切りに、1990年までに北海道を除く全国各地で登場するに至った。

しかし最近は種車の老朽化が問題となり、一部の車両は廃車が進んでいる。

483:anorak?(神奈川県)
11/09/24 15:24:46.65 KXpcyPCW0
>>415 >>443に続く平行世界もの
◎日本国有鉄道大連総局 JR大連
○中ソ対立の影響で中国共産党支配下の中国(中共)は日米との国交正常化を模索、1972年日本との共同声明に署名。
翌年、中共の独裁者毛沢東は「日本軍が蒋介石の国民党軍を徹底的に潰したお陰で我々共産党は天下を取れた!」と、
日本に再び関東州(遼東半島の旅順・大連一帯)の99年期限の租借権を与えた。
これは、毛沢東は文化大革命で無数の自国民―特に実業家や技術者等の知識人―を虐殺し過ぎて中国の国力が大きく
低下した上に、中ソ戦争でソ連に惨敗し、現実的な富国強兵を急いで迫られ、
蒋介石と同様に日中戦争の賠償を放棄した手前、復興資金欲しさに、日本から金を得るには、日本に再び関東州を貸して、
日本に開発してもらい、日本から賃貸料収入を得て、「我々中共が収穫すればよい!」というものであった。
これにより、1979年、中共の領土だが日本が準排他的に統治する大連租借地が誕生。
租借地の範囲は戦前の日本の外地としての関東州に該当し、日本は再び満州の玄関口大連に戻ってきた。
だが、日本の対中外交の手枷足枷となる。
租借地内の人口で圧倒的多数を占める先住民は中国籍のままで日本への参政権は無い。
大連租借地内の鉄道は、日本国有鉄道が承継し、鉄道管理局として大連総局が発足。
大連と長崎に鉄道連絡船就航。
北の香港になるとの予測により、中国国鉄が直通する既存の標準軌の路線とは別に、域内に閉じた通勤用の路線網を
日本本土と同様の狭軌等の在来線規格で以て整備。
中国大陸に東京圏と同様のDC1500Vの国電ネットワークが誕生。
大連の国電の大半の列車にはグリーン車を連結、日本人と中国人の所得格差により実質日本人専用車。
87年、国鉄分割民営化によりJR大連が発足。
日本と中国の経済発展により大連は香港並に大いに発展し、JR大連も潤う。
が、しかし、90年代から、東欧諸国の共産党一党独裁政権の崩壊やソ連崩壊の影響で中国共産党独裁の正当化目的に
反日政策を実施され、香港返還もあって、大連の早期返還要求運動が起き、
JR大連は投資をJR西並に控えるようになり、現在も旧国鉄の車両が活躍中。

484:名無し野電車区(東京都)
11/09/24 15:27:15.57 IxXfXbss0
台湾高速鉄道N700形
202X年、中台戦争が勃発、勝利したものの甚大な被害が出た台湾高速鉄道への支援物資として廃車寸前のJR東海・西日本のN700系を譲渡した。
8両編成・モノクラスにされているが、車両不足によりグリーン車をそのまま使用したり、先頭車改造したりしたものがある。

485:anorak?(神奈川県)
11/09/24 17:12:57.49 KXpcyPCW0
>>483に続く平行世界もの
◎国鉄103系10000番台電車
○20世紀前半日本は日露戦争勝利後から遼東半島の旅順大連一帯の関東州を統治したが、WW2惨敗で失う。
>>483の経緯により、文革で国力疲弊した中国共産党独裁体制下の中国(中共)から再び租借権を付与され、
1979年に日本国大連租借地が誕生。
当地内の鉄道は、日本国有鉄道大連総局が管轄。
中国から直通する既存の標準軌の路線とは別に、租借地内限定の通勤用の路線網を内地と同様の狭軌、直流1.5KVなどの
在来線国電規格で以て整備され、80年代半ばに第一期線が開業。
この大連国電用に新造投入されたのが、103系10000番台である。
既に内地では201/203系が量産されていたが、外地大連では現場の職員の大半が中国人であって、しかも文革の影響で
教育水準が低いこともあり、彼らが扱いやすいであろう枯れた技術を導入せざるを得なかった。
地下鉄に準拠した区間の存在により103系1500番台を基礎とし、大連の気候に合わせ半自動ドア等の耐寒装備を追加。
本派生番台には車種として従来通りのクハやモハなどに加えてサロ103形10000番台がある。
このサロの固有仕様は次の通り:サハ165に酷似した車体の裾絞りのないデッキ付きの二扉車、台車はコイルバネ、
冷房は集中式、座席は転換クロスシート、車端に車掌室、業務用室、洋式便所、洗面所、など。
かくして103系が従来の標準軌路線への貼り付け線増区間にて中国直通の重厚長大列車と併走する光景が出現。
グリーン車は、80年代当時の日本人と中国人の大きな所得格差により実質日本人専用車であった。
87年にJR大連に承継され、内地では205系が登場しても枯れた技術の安定性は簡単に手放すことが出来ず暫く量産された。
その後、中国の改革開放により大連は日本の生産拠点のみならず中国東北の玄関口としても急速に発展し、
JR大連も香港のMTRとよく比較される程利用客が増加した。
が、しかし、90年代後半以後、中国人による大連の早期返還要求運動が大きくなった影響で、JR大連は鉄道への投資を
JR西並に抑制した結果、JR東の同期の201/203系が淘汰される一方で、103系10000番台は主力車として現在も活躍中。

486:名無し野電車区(大阪府)
11/09/24 18:06:21.26 pweP2LER0
JR西日本 223系・225系トイレ設置改造車
新快速で活躍している223系・225系のトイレが、8両中1ヶ所だけだと不便だという苦情が少し出た
そのため、先頭車(パンタ付き)にトイレを設置する改造を行った
改造は、近畿車輛で行われる

トイレ設置されたところの外観は、213系5000番台トイレ設置改造車と同じように、窓ふちが分かるようになっている

この改造のために不足する223系・225系は、225系(元からトイレ2ヶ所)8両編成を増備して対応する

487:名無し野電車区(大阪府)
11/09/24 20:13:30.24 WCGEswuj0
459系・479系
国鉄が開発した碓氷峠対応交直流急行形電車。
459系が457系ベースの新製車で、479系が475系からの改造。
どちらもEF63との協調運転に対応する。
急行「能登」のほか「信州」「妙高」にも使用された。

488:名無し野電車区(dion軍)
11/09/25 03:03:56.94 3mN00ZJP0
JR185系更新車

車体に40N更新を施し、IGBT-VVVF化した車両。
新車導入期待していたファンからは批判の嵐だということは言うまでもない。

489:名無し野電車区(大阪府)
11/09/25 13:54:11.30 AJ1Bk0A/0
>>488
束で使うのでなくて北近畿(こうのとり)、くろしお置き換え用だなwww


490:anorak?(神奈川県)
11/09/25 18:08:25.37 S40crmxT0
>>485に続く平行世界もの
◎JR東日本511系交直流近郊形電車
登場年 1991 車種 クモハ511(Mc) モハ510(M') サハ511(T) クハ510(Tc')
○北関東にて成田線、常磐線、東北本線、高崎線、八高線を串刺し連絡する改正鉄道敷設法別表の土飯線などを基に
圏央道に類似する変更経路で以て着工された坂東(ばんどう)線が国鉄末期の80年代に地方交通線として全線開業。
1992年の春のダイヤ改正での坂東線の全線電化(地磁気観測所影響圏内交流)、並びに常磐線と山手貨物線の連絡線
(三河島~田端~中里分岐点)完成で以て常磐線に池袋発着の列車追加に伴う必要車両数増加に対し、
415系1500番台の増備ではなく、511系が新造投入された。
走行システムに関しては、界磁添加励磁制御の211系を土台に変圧器や整流器等の交流電化区間走行用機器を追加し、
651系と同様に交流区間でも回生ブレーキ使用可能として省エネ効果が得られるものとして設計。性能は211系に準拠。
M'にパンタグラフを搭載し主変圧器や主整流器などのAC20KV50Hz区間走行用機器を集約、Mcに主制御器等を。
台車はボルスタレス。
車体は、運転台後部以外の全ての戸袋窓を省略した719系に準拠し、半自動ドア準備、ドアステップはない。
接客設備は、719系のクロスシートの配置が集団見合い形のセミクロスシートを踏襲するが、
混雑緩和の為、通路両側をクロスシートとせず、通路を挟んで一方が扉間セミクロスともう片方が扉間オールロングの、
中央ドアを点対称とする千鳥式配置。
Tc'に和式便所。
車体帯は415-1500に準じるが区別の為に先頭車貫通扉と乗務員扉が赤一色。
McM'TTTc'→上野/池袋、の五両編成を単位とする。415系とは混結せず。91年度落成後常磐線中電に10~15両編成で就役。
2007年に常磐線中電の主役がE531系への交代に伴い、415-1500と共に常磐線中電上野池袋口から撤退し、
坂東線、水戸線、常磐線茨城県以北の運用に就き、冬期には半自動ドアを発揮。

491:名無し野電車区(大阪府)
11/09/25 18:10:17.26 pr2dgzM30
キハ183系1200番台
JR北海道でスラントノーズの初期型キハ183系を高速化改造したもの。
エンジンを高出力のものに交換し、キハ183NN系相当の性能とした。
キハ183NN系との混結も可能である。

492:名無し野電車区(大阪府)
11/09/25 19:22:10.10 pr2dgzM30
ST10形コンテナ
JR貨物が製作したライブステージコンテナ。
30フィートコンテナをベースに改造。
コンテナ内に音響機材やステージがセットされていて、コンテナを開けることにより簡単に野外音楽ライブを開催できるようにした。
杮落としはAKB48の被災地支援ライブで使われた。

493:名無し野電車区(チベット自治区)
11/09/25 20:03:20.09 iXhHowcQ0
国鉄 北海道総局 キレ80系

昭和41年に登場した、鮮魚列車「とびうお」号が好評を持って迎えられたため、各地でも導入の動きが取りざたされ
北海道地区では、釧路~東京市場間に枝肉輸送用にレサ1000を使った特急貨物(12両編成・31時間)が計画されたが
貨物特性などから、キハ80系をベースにした気動車冷蔵貨車として運行することになった。

キレ82:運転台・発電機つき冷蔵車
キレ80:中間冷蔵車

レサ1000の反省から、冷蔵方式はドライアイスではなく機械冷蔵方式とし、各車で冷媒装置をモーターで回す方式とされた。
運用形態としては、キレ82+キレ80+キレ82の3両1ユニットで組成され、根室からはさんまやかに、厚岸からはかき、根室標津
からは枝肉を積載し、釧路に集結後、釧路のさんまや鮭を積載した2ユニットと併結、12連になって一路東京市場に向けて特急速度で
南下していった。
所要時間は、釧路~東京市場間で25時間という当時としては驚異的な速度(一般貨車では72時間)での輸送に貢献した。

また、乗務員運用は特急「おおぞら」「北斗」と同様に旅客担当が乗務し、車掌も「おおぞら」で釧路に着いたものが折り返し乗務するという
特殊な形態がとられたのは、貨物区所にはキハ80系の乗務員がいなかったためでもあった。

列車名は「ほくよう」とされ、荷主から圧倒的な支持を得て、北海道の味覚を首都圏に送りつづけることになり、首都圏住民に「塩辛くない鮭」
の味を広める結果になったのは、周知のところであろう。

昭和50年代に入ると、車輛そのものの老朽化などから後継として昭和55年に登場したキハ183系ベースの車輛に置き換える計画もあったが
国鉄の営業不振、北洋漁業の衰退及び道内酪農の衰退などから見送られ、昭和61年のダイヤ改正で列車廃止、同時に全車廃車となった。

現在、キレ82-1が大宮の鉄道博物館内にてレサフ1000の隣に展示されているのはご覧になった方も多いと思う。

494:名無し野電車区(大阪府)
11/09/25 20:31:51.58 pr2dgzM30
クモユニ445
国鉄が開発した交直流郵便荷物電車。
クモユニ143と同一車体だが、塗装が赤13号とクリーム4号である。
交流機器の一部が床下に納まりきらず床上の荷物室にはみ出しているため荷物室が若干狭い。
485系との連結を想定してか歯車比が3.5に設定されており、実際に特急「雷鳥」などで併結運転が見られた。
現在は牽引車代用でJR東日本と西日本、九州に在籍している。

495:名無し野電車区(大阪府)
11/09/25 23:39:59.81 pr2dgzM30
サロ780
781系のグリーン車。
781系はMTユニットを構成する関係上サロでありながらパンタグラフを搭載している。

496:名無し野電車区(大阪府)
11/09/26 10:25:29.31 cE3dxj1F0
>>488-489
酉だったら130km/h対応改造も併せてやってるだろう。

497:名無し野電車区(大阪府)
11/09/29 22:55:54.73 7e0z/HDu0
国鉄キハネ58901-905

国鉄が気動車優等への寝台車導入を目論み試作したキハ58形ベースの
B寝台車。車体はオハネ12形がベースとなった。当初は非冷房で落成し
た。

ヨンサントオの大改正により、当時新婚旅行のメッカの一つであっ
た紀勢線系統急行きのくにや急行紀州に投入され、旅行客から好評
だった。

しかし、問題点も多く、その最たる物は車体重量からくる非力さだ
った。このため、紀勢東線側からは早々に撤退し、増強されること
はなく異端車となった。また、気動車故の騒音問題もあった。

結局、急行きのくにと運命をともにすることとなり、昭和60年3月改
正で全車廃車となった。

498:名無し野電車区(東京都)
11/09/30 01:59:37.12 pIbpQJVE0
常総筑波鉄道・関東鉄道850形・950形
昭和40年代、国鉄の労使紛争により気動車技術の停滞を危惧した通産省や三菱・小松製作所などの発動機メーカーが常総筑波鉄道→関東鉄道と協力して試験的に製造した車両。
850形が優等車・950形が通勤車である。
6次にわたり増備され、エンジンや車体がそれぞれ増備時期により異なっている。
例えば850形は1次車ではボックスシート・DML30エンジンであるが、最終車では転換クロス・直噴エンジンとなっている。
また950形は4次車でオールステンレスとアルミ車体を、5次車では両開き4ドアを採用している。
試験終了後はメンテンスフリー化のためDMF13に換装され、850形は転換クロスに統一の上、朝夕の有料通勤ライナーに使用された。
2002年廃車され、エンジンなど部品はキハ2300形に流用された。

499:名無し野電車区(大阪府)
11/09/30 17:27:54.11 b+mMbCme0
DF51
国鉄が製造したF級液体式ディーゼル機関車で、新幹線911形の在来線バージョンともいえる。
エンジンはDD51と同じDML61Zを搭載しているが、変速比の変更により110km/h運転対応となった。

500:名無し野電車区(チベット自治区)
11/10/02 14:36:27.18 nOGUl1XF0
JR北海道 キハ101

留萌本線で起きた、通学客積み残し事件以降、地方における通学事情の改善を図るため、道教委を通じ
各地方の高校などと協議した結果作られた通学対策用の気動車

地方における通学事情の特性や要望により、短距離であるため座席は収納式とし、そのかわり収容能力を
高め、同時にドア付近に固まる傾向があるためデッキはなく3ドアにされた。

また、家~駅、駅~学校間を夏場は自転車で移動するという所要から車内に自転車を積み込めるようにした。
これにより、駅前の放置自転車が軽減される効果も期待された。
自転車積込を有料で許可することにしたため、収容能力が問題となるため、朝ラッシュ時は4連運用が基本となった。

昼間閑散時間には、収納されていた座席を下ろし、夕方ラッシュ時には4連のうち2連のみ座席収納自転車積載車輛として運用される。

留萌本線、宗谷本線、石北本線、釧網本線及び根室本線に投入され、現在運用中である。

501:名無し野電車区(神奈川県)
11/10/02 21:51:58.64 7gd6cHi30
国鉄103系5000番代(史実とは異なる)

国鉄が導入した103系のワイドボディー版。

年々ひどくなる国電の混雑対策として導入
車体は小田急5000形を手本としているが機器面はオリジナルの103系と同じである







502:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/03 16:40:24.53 u/ah+5MqO
JR東海 キハ35系5000・5900番台

武豊線の増発とサービス改善のため、1988、91年にかけてキハ35系に更新工事をして誕生した。
主な内容は
インバータクーラーによる冷房化
カミンズ製エンジンへの換装
室内の更新(103系更新車に準拠)
扉のステンレス化(一部)
半自動扉の設置(一部)
改番(原番号+5000)
塗装変更(東海色)

また、自社所有のキハ35系では不足するためJR東日本から相模線の電化で余剰となった車両も引き取り、同様の改造が施された。その中には900番台も含まれていた。

全車名古屋車両区に配置され、武豊線の通勤通学輸送に活躍したが1999年にキハ75系に置き換えられて廃車となった。

その後、キハ35 5906が美濃太田車両区に保管されていたが、2010年にはリニア鉄道館に移送された。
現在は廃車時の姿のまま保管中だが、登場時の姿に復元される予定。

503:名無し野電車区(大阪府)
11/10/03 19:14:32.35 RwhjpUT70
キハ68
国鉄が製造したキハ47の大出力エンジン仕様。
キハ66と同じDML30HSH(440PS)エンジンを搭載した。
山岳路線や高い加速度が要求される都市部の路線(武豊線など)に投入された。
コストが高くついたことから少数しか製造されなかったが、JR北海道を除く各社に承継された。
JR東海では大出力エンジンを活かしブレーキ強化による100km/h対応化改造が全車に施工された。

504:名無し野電車区(大阪府)
11/10/04 08:48:05.38 Jda83TGO0
・西鉄9000形電車
2011年の九州新幹線開業によってJR鹿児島本線の特急が朝夕を除き廃止された事によって、大牟田駅では列車も大幅減となった。
また、保守費用の低減に伴い、最高速度も下げられ、快速電車の所要時間も増える事となった。
大牟田市中心部から博多・福岡への利便性低下を受け、西鉄は初の有料定員制特急電車の運行を決定した。
また、8000系の老朽置き換えも兼ね、自由席車両3000形2両または4両と9000形3両との併結で運行する事にした。
ステンレスレーザ溶接車体で車内は1000mmピッチのリクライニングシートが1-2列で並ぶ。
有料特急だが、デッキレス構造で1000mmの両開きドアとなっている。大牟田方の運転席直後は2-2列の展望席が8人分設置される。
車内には液晶ディスプレイによる案内やSHARP製のプラズマクラスター空気清浄機、LED照明が設置される。
外観はバス車両のループ塗装に似た、縦帯を纏ったデザインになる。
福岡方に3000形2両を連結した、5両固定編成で6編成製造される。

505:名無し野電車区(チベット自治区)
11/10/05 17:07:10.18 kTDqqvt30
クモハ164
モハ164-500番台の簡易運転台を本格化した改造車。前面は手を加えられていない。
この改造により最小2両での走行が可能となった。試験走行で碓氷峠の自力登坂に成功したのは語り草。
113系や115系の先頭車化改造に際してこの車両の運転台ブロックが流用されたらしい。

506:名無し野電車区(東京都)
11/10/05 23:59:52.44 adQn2e0e0
JR九州885系「電車でGO」号仕様
A列車で行こう号の成功に続いて登場した「電車でGO」号(博多~長崎)用に885系を改装。
普通車は1両に1箇所運転席モチーフの休憩所を設け、グリーン車は全室個室で運転席を再現した部屋にしている。
試験運転中に脱線しかかるも複線ドリフトで難を逃れたという逸話がある。

507: 忍法帖【Lv=6,xxxP】 【東電 61.6 %】 (群馬県)
11/10/06 02:07:35.31 Y8NcGUK40
東武70000系:
東武野田線への変電所改修と10030系転属・50000系投入に伴う本線系新型車。
10000系ではなく10030系としたのは、野田線の柏~船橋でホームゲートによるワンマン運転を行う為、ドア位置の関係。

6連と4連と2連があり、また、自動幌装置と前面プラグドアを備え、相互に連結可能。
車内設備はLED間接照明にドーム天井など、A-Trainで西武鉄道や阪急電鉄向け車両で培った技術を凝縮している。
また、パナソニック製ナノイー空気清浄機を搭載。
鴨居上にはパナソニック製IPS液晶を採用し、視認性の向上を図る。

ちなみにパナソニック製ナノイー空気清浄機は快速用600系や特急用車両でも採用(試作段階ではシャープ製プラズマクラスター空気清浄機との比較試験を100系及び200系各1編成で行った)

ナノイー採用の背景には、阪急電鉄で9300系改造車にナノイー空気清浄機を採用決定に伴い、日立製作所及びアルナ車両での大量納入に伴うコスト削減の相乗効果も関係している。

508:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/06 19:54:29.95 R4j6hLly0
>>432
1972年には457系1000番台が登場し、交直流電車は大垣と金沢配置に、直流電車は神領配置になっていた。


509:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/06 20:24:04.12 ET2Fd+/6O
JR西 20系(Ⅱ)客車、JR東E20系客車

201X年の北海道新幹線新函館開通に伴い、本州~北海道間の寝台特急は統合され、北海道内ダイヤを一本化し、北斗星・トワイライト・エクスプレスカシオペアを交互に隔日運行することとした。運転枠は週7往復中、北斗星・カシオペアが4往復、トワイライトが3往復。

同時に北斗星とトワイライトは車両を新製車に代替し、E26系をベースとしたオールダブルデッカー編成とした。

新型客車は元祖ブルートレインへのオマージュで20系を名乗り、東日本車はE20系。
トワイライト~車は初代のコンセプトを継ぎ、北斗星車はシングルDXやゴロンとシートを新設した。

なお、JR北海道は北斗星客車の保有がなくなった。

510:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/06 20:42:31.60 R4j6hLly0
>>389
JR北海道・東日本・東海・西日本・九州に承継
JR北海道承継車: 2011年3月廃車
JR東日本承継車: 4両編成x4本(波動用・リクライニングシート車)
JR東海承継車: 4両編成と8両編成
JR西日本承継車: 6両編成
JR九州承継車: 2011年3月廃車
グリーン車とビュッフェ車は、ともにJR東海とJR西日本に承継されたが、2010年までに廃車


511:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/06 21:11:53.39 R4j6hLly0
>>495
クモユニ444とペアにしよう。


512:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/07 19:25:42.94 4U4Ta4gA0
>>511
×>>495
>>494


513:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/07 19:36:28.42 LD2H4040O
清野大地さんと結婚したい

514:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/07 19:54:21.04 4U4Ta4gA0
>>389,>>510

サハ455-1500番台
1986年にサロ455-1000番台を普通車化改造。
2連固定窓とリクライニングシートはそのままに、普通車指定席として使用された。
JR北海道とJR東日本が承継したが2011年3月までに廃車された。

サハ455-1600番台、サハ455-1700番台
2008年から2010年にかけてJR東海がモハ456-1000およびモハ457-1000を電装解除した車両。
1600番台がモハ456-1000から、1700番台がモハ457-1000からの改造で、1600番台は1700番台より1両少ない。


515:名無し野電車区(大阪府)
11/10/07 20:14:46.64 fzVP/2xQ0
モハ456-500番台
モハ456の回送運転台付き仕様

516:名無し野電車区(チベット自治区)
11/10/07 22:29:29.36 aLuHbY6G0
JR北海道 函館支社 455系5000番台

平成2年、トンネル効果と湾岸戦争の影響による空前の北海道観光ブームと、バブルによる貨物輸送の
劇的増加に伴い、現行の50系改造の快速「海峡」の牽引機関車が不足し、増発が困難になってきていた。

そのため、JR東日本で余剰となっていた455系急行電車を譲渡してもらい、青函ATCを装着したのがこの形式である。

フリクエンシー性を考慮し、3連1ユニットを3ユニットまたは4ユニット連結し、最大12連で運用され、かつての東北急行を
ほうふつとさせ、撮り鉄を魅了した。

運行面でも、トンネル内では最高時速140kmでの走行、客車とは比べ物にならない高加減速性能により、函館~青森間を
1時間40分で結び、時間短縮効果も大きく向上した。

その後、バブル崩壊と北海道ブームの沈静化により快速「海峡」の減便、短編成化が進んだが、50系客車のほうから順次
休車または廃車となり、平成15年頃には1ユニット3連での運行が常態化していた。

その後、快速「海峡」の廃止により、木古内~函館間の普通列車用に転用され、現在でも元気に地域の足として活躍している。

517:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/08 04:06:55.79 i8Xjh3pI0
キハ185系気動車 高山本線仕様
JR東海がJR四国からキハ185系気動車を購入し、スノープラウとセラジェットの取り付け、およびエンジンの換装を施工している。
急行のりくら、および美濃太田以北の普通列車に使用。


518:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/08 04:28:23.56 i8Xjh3pI0
JR北海道723系電車
JR北海道721系の2ドアバージョン。
出入り口はステップ付きで、6両編成と3両編成とがある。15両編成まで対応可能。
片開き式のデッキ仕切り扉と蛍光灯カバーを備える。シートモケットの色は茶系で窓際にも肘掛を備え、ロングシートや吊革はない。窓には横引きカーテンを備える。


519:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/08 04:40:13.64 i8Xjh3pI0
JR東海471系電車
JR東海が製造した界磁添加励磁制御の長距離用交直両用電車。
1両あたりの長さは21.3m、出入り口は片開き2扉、ステップ付き(ステップ高さはレール面上950mm)、デッキ付きで座席は回転リクライニングシート、床面高さはレール面上1140mmである。
運転台機器及び主な電気部品は211系などから流用している。ギアユニットは歯数比1:4.21のものを新規に製作した。全車大垣車両区所属。


520:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/08 07:12:11.90 R2mO8nuhO
もう遅いけど、廃車になった209系のパーツを移植した
中小私鉄向けの新車って作れなかったのかね。

521:名無し野電車区(大阪府)
11/10/08 10:13:42.15 OtFhn2qg0
JR東日本 375系0番台
臨時ムーンライトながらや、団体輸送・臨時列車などに使用されている183系・189系を置き換えるために登場
編成は、6両基本編成と3両付属編成の2種類
ムーンライトながら、9連で運転
それ以外の運用は、6連や9連(3連×3のときもある)で使用される

基本的な仕様は、E259系やE657等と同じ
間合いとして普通列車としても使用されることを考えて2ドア両開きとなる

522:名無し野電車区(大阪府)
11/10/08 10:16:11.96 OtFhn2qg0
JR東日本 375系1000番台
特急踊り子号や特急あかぎ等に残存している185系を置き換えるために登場
編成は、10両貫通編成と5両付属編成と7両編成が登場
基本的な仕様は、E259系やE657系等と同じ


523:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/08 12:05:00.45 Ez5Xgjm+O
国鉄 スニ10形

10系客車の全室荷物車
戦災復旧車の代替と牽引定数がシビアな信越本線横軽間での運用を目的に製造された。

1957~58年に43両が製造され、隅田川・長野・名古屋・宮原に配置されて信越・中央本線筋の列車に投入されたが、碓氷峠の輸送改善や中央本線にEF64・DD51が投入されて輸送力がある程度強化された事により運用が広域化し、日本海縦貫線~北海道や九州への運用にも就いた。
この間、1959年以降に大半が電気暖房取り付けや酷寒地、連絡船搭載対策工事を施工された。

マニ50形の投入や小荷物輸送の斜陽化で1977年から廃車が始まり、1984年2月のダイヤ改正で残存全車が運用離脱。1985年3月に全廃された。

524:名無し野電車区(チベット自治区)
11/10/08 12:26:58.15 hAXrgTU90
国鉄 オハニ50 オハニ50-1000

昭和52年、地方都市圏で使用されている旧型客車の輸送改善のために投入された50系であったが
同時に地方ローカル線に依然として残っていた旧型合造荷物車の改善のために製造された形式である。

荷物室の広さにより、4t積みの0番台と6t積みの1000番台が製造された。

しかしながら、その後の急速な地方ローカル線の廃線や気動車化、更に昭和57年の荷物列車廃止に伴い
本来の用途として使われた時期は短く、そのほとんどは全客室化改造され、一部荷物室と客室を活用した
代用救援車として残ったものがあるくらいであった。

特筆すべき車輛としては、四国で運用されていた3両のみが荷物室部分をビュッフェに改造され、オハシ50として
50系使用の夜行普通列車に連結され讃岐うどんコーナーのサービスをしたことであろう。

525:523(関東・甲信越)
11/10/08 20:02:38.02 Ez5Xgjm+O
国鉄 キハ58・28形850番台

修学旅行用気動車の改良増備車。1967年春にキハ58が8両、キハ28が5両、富士重工と新潟鉄工で製造され、九州(直方)と東北(山形)に追加配属された。

基本構造や設備、カラーリングは先発の800番台と変わらないが、運転室周りは同時期に製造開始した近郊形気動車に準じたパノラミックウィンドゥ形に改められた。

これは『とびうめ』『おもいで』で京都、東京に行った九州・東北の中学生から、
「僕らの列車は野暮ったい。ひので号やわかくさ号みたいな列車が良かった」
という声に応えて急遽設計を変更したもので、修学旅行運用の場合は可能な限り850番台を先頭・最後尾に連結するようにしたが、運転士からも好評だったため、翌年以降製造の急行形気動車に全面採用された。

1973年に修学旅行運用が終了してからは一般の定期・臨時列車に使用され、1978~80年には普通急行色に塗り替えられたのに加え、九州組は1973~75年に冷房化されたため、キハ28形は車番を2850番台に改めた。

国鉄と運命を共にした800番台とは異なり、全車がJR東日本・九州に継承された。
JR九州車は1988年に長崎に移り、1999年に全廃。
JR東日本車は新津に移った後、1990-92年に機関換装と車体更新、バス用クーラーによる冷房化を施工され、羽越本線・磐越西線・米坂線等で晩年を過ごし、2008年までに全廃された。

526:名無し総合車両所(愛知県)
11/10/08 21:01:25.06 mm2SmTZv0
オロ・オロフ25形-500番台(お座敷)
12系「やすらぎ」のような内装に改造、ラウンジカーは「みやび」風
オロ・オロフ-1500番台(欧風)
イメージとしてはオリエントサルーンがしっくりくるような内装
オロ-1000番台(半室座敷、半室欧風)
半分が「やすらぎ」残り半分が、「オリエントサルーン」のような感じのもの

必要に応じて、これらを組み合わせて運行し、時には寝台列車にも連結される。

527:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/08 22:46:28.90 i8Xjh3pI0
JR東海671系電車
特急「しらさぎ」用にJR東海が開発した交直両用電車。
383系の非振り子・交直両用版。
出入り口はステップ付き(ステップ高さはレール面上950mm)。
基本編成はTscMM'TTMM'Tc'の8両編成。
付属編成はTcMM'Tc'の4両編成。
Tscはパノラマグリーン車。
TcとTc'はともに貫通型構造。
配置は静岡車両区と大垣車両区。


528:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/08 22:47:32.50 i8Xjh3pI0
JR東海673系電車
JR東海が波動用に開発した交直両用電車。
373系の交直両用版である。
出入り口はステップ付き(ステップ高さはレール面上950mm)。
McM'TTc'の4両編成とMcM'Tc'の3両編成がある。
配置は静岡車両区と大垣車両区。


529:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/09 02:28:57.62 JY4c1C380
JR東海キハ87系気動車
JR東海がキハ85系の後継車両として開発した気動車。


530:名無し野電車区(内モンゴル自治区)
11/10/09 07:44:41.39 yV5H+8fXO
何気に覗いてみたけど、皆さんよく考えつくな。『なるほど』と頷けるものもあるけど、中には笑いネタにしかならんものまであるのには、文字どおりワロタよ。

531:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/09 12:29:34.19 nk1yZZY9O
国鉄ED20形(二代目)

ED60形が、想定していた投入線区では意外に過剰性能だった反省から、より減格した機関車を開発することにした…と言えば聞こえはいいが、実態は日立製作所の私鉄向けデッキ付き50㌧電機をベースに若干の強化を加えたもの。

主電動機は吊掛式263KWのMT56形で、1時間定格出力は1050KW。定格速度34km/h・最高速度75km/h
制御装置は電動カム軸式。

1963年に日立で1~3号機を製造して立川機関区に配置し、青梅線と五日市線で試用。

1964年から68年にかけて26両が日立と東芝で製造され、身延・飯田・大糸線で運用。輸入・買収電機を淘汰したが、貨物輸送の斜陽化で1984年から廃車が始まり、JR貨物に継承されたのは飯田線用として篠ノ井区に配属された7両に過ぎなかった。
但し、廃車グループのうち3両が三岐鉄道に譲渡されている。

篠ノ井の7両も1997年に廃車され、形式消滅した。

デビュー当時はいくら何でも小型に過ぎるとの批判もあったが、それでもDE10-1000ディーゼル機関車並の性能で、結果としては支線区向け電機としては十分だった。

532:名無し野電車区(チベット自治区)
11/10/09 13:37:36.78 p/AunZyE0
国鉄 BD10型入替用ディーゼル機関車

>>531に触発されて

入替用機関車としてDE10を生産した国鉄であったが、入替用としては過剰な能力で
あることの反省から、構造を簡略化して登場したのが、本形式である。

大きさはDD16と同じ程度であるが、粘着力を向上させるための死重を搭載している。

また、死重を搭載しないで軽量化した1000番台も製造され、集配列車に併結され各駅での貨車の
入替に使用し、人力作業の廃止とアント以上の能力から非常に重宝されることとなった。

ヤード廃止に伴い、一部がコンテナターミナルや運転区、工場などでの入替に使用されるほかは
JR化時に全車清算事業団に譲渡され、廃車となった。

現在、5号機が大宮の鉄道博物館に、1001号機が大阪の交通科学館に展示されている。

533:名無し野電車区(dion軍)
11/10/09 19:55:31.41 moG60uzK0
510 あぼ~ん
あぼ~ん

511 あぼ~ん
あぼ~ん

512 あぼ~ん
あぼ~ん

517 あぼ~ん
あぼ~ん

518 あぼ~ん
あぼ~ん

519 あぼ~ん
あぼ~ん

534:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/10 02:03:04.53 gZQOiiWc0
>>533
あぼ~んはこちら。

515 あぼ~ん
あぼ~ん

516 あぼ~ん
あぼ~ん


535:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/10 04:30:37.82 gZQOiiWc0
91 あぼ~ん
あぼ~ん

536:名無し野電車区(東京都)
11/10/10 17:38:53.26 PFY3Pycz0
カルダン駆動車の導入からして
京急 まずは特急用の700形で実績作り。今も琴電で活躍。
京成 いきなり通勤用の700形・750形をつくる。互換性がなくて早期廃車。
の違いがw

537:名無し野電車区(長野県)
11/10/10 20:24:49.23 0Bpom4Gy0
E2系2000番台

北陸新幹線金沢開業に向けJR東日本が投入したE2系。12両編成。
1000番台車の最終形をベースとしつつ、双周波数に対応している。
また、E5系からフィードバックされた中央締結ブレーキディスクを装備するなど
新技術も投入されており、高い安定性とコストパフォーマンスを誇る。

また、しなの鉄道と北越急行が経営安定化のためそれぞれ1編成ずつ所有している。
これらの車両は会社のロゴが異なるだけでJR所属車と共通運用されている。

538: 忍法帖【Lv=9,xxxP】 【東電 83.0 %】 (群馬県)
11/10/11 14:59:08.32 5reKaQwd0
東京臨海高速鉄道71-000系:
仙石線津波被災により205系4両編成2本の廃車代替に埼京線に70-000系を譲渡して、玉突きで南武線1200番台を仙石線3100番台に改造。その関係で臨海車の不足補充にE233系ベースでの新製投入。

JR東日本209系5000番台:
仙石線津波被害での205系玉突きに伴い、臨海車を譲り受けたもの。

539:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/11 15:36:54.47 Q4W2VRPt0
>>533
あぼ~んはこちらのほうだろ。

91 あぼ~ん
あぼ~ん

363 あぼ~ん
あぼ~ん

515 あぼ~ん
あぼ~ん

516 あぼ~ん
あぼ~ん


540:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/11 15:39:30.63 Q4W2VRPt0
>>432,>>510
485系、457系: 金沢と大垣配置
413系、713系: 金沢配置
417系: 大垣配置
113系、165系: 神領配置


541:名無し野電車区(大阪府)
11/10/11 17:00:28.65 wf8ps5fb0
京福電気鉄道福井支社モハ3050形・クハ3150形
1985年の南海特急「四国号」の7100系+10000系化(同時に「サザン」に改称)に伴い、
廃車になった旧1000系(11001系の冷房改造更新車)の先頭車を京福福井に譲渡したもの。
京福には南海昇圧時に11001系が8両譲渡されていたが、それに続いて1985年に6両が譲渡された。
ただ、先に譲渡された3001形(元11001系)とはモーターや制御器、台車(Mc車のみ)などが異なり、
集中式クーラーが搭載されていたため形式は3050番台とされ、モハ3051形とクハ3151形のコンビとなった。
3001形と同じ色に塗装されて福井-芦原湯町・永平寺間で運用され、同時に休日限定で急行も設定された。
車内は基本的に南海時代のままだが、1992年に3001形同様ワンマン化されて運転台側の扉が移設されている。
冷房改造が困難なこともあって1990年代後半に廃車された3001形とは異なり、3051形は南海時代から冷房車で
あったこともあって、えちぜん鉄道に引き継がれた後も活躍し続けてきたが、老朽化のため2007年廃車となった。
なお、晩年の2006年には1編成が南海時代の塗装に復元され、話題を呼んだ。

542: 忍法帖【Lv=9,xxxP】 【東電 83.3 %】 (群馬県)
11/10/11 17:30:32.62 5reKaQwd0
南海13000系・32000系・33000系:
南海ではサザンに新型を導入したものの、りんかん・こうやについては未だ増備が無かったため、12000系や2300系ベースでの新型投入となる。
13000系は12000系ベース、32000系は前面展望席で2300系ベース、33000系は13000系と32000系の折衷。
車体は7000系以来の近畿車輌製でシリーズ21やACEや伊勢志摩・アーバンを参考にしたアルミ車体。

543:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/11 20:30:22.76 Q4W2VRPt0
>>389,>>510,>>514
457系1000番台JR東海承継車
東海地区の457系は、1978年より大垣車両区に順次投入された。当時は153系の老朽化が深刻化していたため、これを交直両用電車に置き換えるべく投入された。
国鉄末期の1986年には、一部が静岡車両区に転属。そして大垣と静岡の車両はJR東海に承継された。

1989年、311系の登場に伴い大垣車両区所属の一部の車両が165系とともに静岡車両区に転属したが、165系とは異なり大部分が大垣車両区に残留した。そして大垣に残った編成は117系とともに東海色に塗色変更された(静岡車両区所属編成は交直流急行色のまま)。

静岡車両区では、1996年に165系が引退した後も本系列は活躍を続けるが、1999年に313系の大垣車両区への大量投入時に113系と入れ替わる形で全車両が大垣車両区に転属。そして東海色の車両も全車両が交直流急行色に戻された。
2008年からはもはユニットの一部電装解除を実施して、2010年12月までに普通車のみの8両編成と4両編成に組み替え、グリーン車とビュッフェ車は2010年12月までに全車両が廃車になった。
現在は大垣車両区に4両編成と8両編成(いずれも普通車のみ)が在籍している。


544:名無し野電車区(神奈川県)
11/10/11 21:18:02.16 AZQL7p/50
夜行列車の名称がコテになっている例の方は、
NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組に
KYが酷い上に特定の事象に病的に拘る高機能自閉症等の発達障害者か、
あるいは統合失調症等の精神障害者として
モザイク出演してもおかしくないので、
皆様方の内で、同様の障害者さんを除いて、
普通の健常者は、彼を荒らしとして認識して、相手せず、放置して下さい。

545:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/12 14:24:40.33 f/fepyeo0
JR東海313系3・4次車(史実とは異なる)
2006年から2007年にかけて、大垣車両区に313-5000が、神領車両区には313-1100・1600・1700・1300がそれぞれ大量投入され、静岡にも313-3100が投入されたものの、
静岡には大垣から311と117とY46編成(313-300のうちの1本)が、神領からは213-5000と113-2000が、それぞれ転属してきた。
その後、静岡地区では117系が入線する度に積み残しが出るようになったので、2010年度に4次車として313-2000が神領車両区に投入され(4連の2000番台20本と3連の2500番台3本、2500番台は史実の2600番台に相当)、
玉突きで211-5000のトイレ付き4両編成20本が神領から静岡に転属して静岡の117系を置き換えている。


546:ムーンライトながら(チベット自治区)
11/10/12 14:34:37.50 f/fepyeo0
544 あぼ~ん
あぼ~ん


547:名無し野電車区(dion軍)
11/10/13 00:37:14.73 r9SHasZI0
>>544
 専ブラ使いなら、既にローカルあぼーん済かと。

548:名無し野電車区(dion軍)
11/10/13 13:18:41.42 7xeh32nd0
JR西日本305系電車

広島地区の未更新老朽化電車置き換え用に導入された西初のアルミ新型車両。
だが、新型車両とは名ばかりで実態は相鉄新旧7000系を全車中古購入して
40N更新とIGBT-VVVF化改造を施したなんちゃって新型車両である。
しかし、前面は原型を留めなくなる程デザインが変わったため
一般の乗客は完全な新型だと思い込んでる。

549:名無し野電車区(長野県)
11/10/13 21:34:51.17 gdz5Gf2l0
DD54形1000番台

国鉄が投入したDD54形ディーゼル機関車の改良型。
0番台ではライセンス生産されていたエンジン、変速機について、
国内で開発できるめどがついたことから車体や機器構成を再設計したもの。

後にDE50でも採用されるDMP81Z(2,000ps/1500rpm)に、
DD51で実績のあるフォイト式液体変速機の高出力対応形を採用し、高い信頼性を持つ。
また、DD51からフィードバックした中間台車の軸重可変機構を持ち、
高出力機関の採用と相まって牽引能力向上を果たした。

550:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/14 20:25:04.48 tedlJNAAO
JR北海道 キハ170形

道内各地に残るキハ40形の置き換え用として開発された単行気動車。
21m級3扉のステンレス車であり、ベースとなった車両はJR四国の1500形。
しかし固定窓、エアカーテン装備、731系と同タイプの前照灯、
強化型スカート装備と随所に酷寒冷地対策が施されており、外見は全く異なる。
車内は転換クロスシートを装備しており、寒気対策として扉回りには大型の袖仕切りが設置されている。
また全車両がワンマン設備を製造時から装備している。

このほど第一陣として新潟トランシスから10両が函館、釧路に向けて回送された。
今後も年間10数両ペースでキハ40形の置き換えが進められると思われる。

ちなみに更新車の1700番台は置き換え対象から除外されている。

551:名無し野電車区(チベット自治区)
11/10/15 11:29:44.71 NcAmIn1X0
国鉄 485系冷蔵貨車

昭和43年、好評だった鮮魚特急「とびうお」号用に投入された、485系ベースの冷蔵貨車

当時、山陽本線は線路容量がひっ迫し、更にセノハチ越えのために高速貨であっても補機が必要であった。
そのため、ダイヤに無駄が生じるうえに、旅客列車との速度差のために線路容量に無駄が生じていた。

クレ481:運転台つき付随冷蔵車
モレ484:パンタつき電動冷蔵車
モレ485:パンタなし電動冷蔵車
クレ481-100:運転台・ディーゼル発電機つき付随冷蔵車

6連1編成で運用され、全車電動冷却装置をつけた、走る冷蔵庫として重宝されていた。
また、末期には485系特急に併結される運用もあったが、昭和61年までに全車廃車となった。

552:名無し野電車区(宮城県)
11/10/15 16:35:08.76 9bTADkxE0
E653系3次車
フレッシュひたちの増発に伴って増備された
外観・内装共に大きな変更点は無いが、一部仕様の変更がなされている

変更点
・フルカラーLED行先表示器・車内案内表示器の採用
・コンセントの設置
・空気清浄器の設置
・デッキに防犯カメラの設置
・ドアと連動する予告ランプの設置(2次車にある音声案内も設置)
・ラッシュ対策として、デッキにジャンプシートの設置

基本編成2本(青・緑)・付属編成1本が投入された

553:炬燵熊猫(埼玉県)
11/10/15 18:14:11.69 xDIjjget0
JR東日本 キハE140

烏山線などのキハ40置き換え用に製作された車両。ベース車体はキハE130
キハE130との違いは、乗降扉が1000mm幅の片引き引き戸になっている。
座席配置はロングシートであり、トイレ設備は装備していない。

なお、キハE120、キハE130と連結運転が可能である。

554:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/15 21:00:18.80 s7+B1mjeO
国鉄 オハシ17形

亜幹線急行列車に運用されていたスハシ29・38・オハシ30形の増備として1956年2-3月に高砂・長野工場で8両が改造された。

台枠は鋼体化改造の資材を用い、台車は種車のTR11とオハ35・スハ32母体戦災復旧車のTR23を交換し、かつ改造したTR23Dを履いたが、車体は本格的軽量構造で、車体幅はナハネ10並の2900㍉に拡幅した。
車内配置は0番台に準じ、座席室はナハ10形並の設備だが、車体幅が広がった分通路が広くなり、便・洗面所もナハ10同様、乗降デッキの外側に配置した。

食堂は車体幅拡張に伴ってテーブルは全て4人がけになったため、定員は24名。
。側窓は二重一段上昇式。
また、三菱CAE81+ダイハツ3PKディーゼル機関直結空調装置を試用したが、いずれも新規開発間もなかったため、故障時に備えて扇風機も併設した。
これは、当時東海道線特急用として設計が進んでいた全室食堂車(オシ17形)のテストケースも兼ねていた。

新潟に配属され、上越線急行『佐渡』『越路』と信越・北陸急行『白山』で運用を始めたが、北陸線にEF70形が投入されるに伴い、1962年に5~7が金沢に転属。松任工場で電気暖房を取り付けたが、総重量がス級になったため、スハシ16形2005-2007になった。

残る4両は165系電車の投入により1963年に食堂車としての運用を失い、翌年長野工場で工事用宿泊車オヤ17形に改造され、1986年まで在籍した。

『白山』運用に留まったスハシ16形は、食堂利用率の高さと横軽対応交直流電車の開発の遅れで、僅か3両の小所帯ながら盆暮れの混雑のみナハ10・11に差し替えられる事以外は1972年3月に電車特急化されるまで安定した運用が続いた。

『白山』から撤退した後、2006は車体をぶどう色2号に戻し、1972年春~秋に『ふるさと列車おくのと号』に組み込まれて運用されたが、同年11月の北陸トンネル火災事故の余波で翌年の運用はなくなり、他の2両ともども1972年12月に廃車された。

555:名無し野電車区(長野県)
11/10/16 12:00:57.29 X0m1V0Se0
301系1000番台

地下鉄東西線乗り入れ用の301系を10連化する際に製造された増結車。
…であるが、製造コスト削減のため車体は普通鋼製、コイルばね台車を装備し、事実上の103系である。

556: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 (チベット自治区)
11/10/16 15:21:36.39 ruqsAWqa0
てs

557:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/10/16 21:34:40.74 zQMQhdfPO
国鉄 キハ43形
1982年、混雑の激しい地方都市圏の非電化区間用として開発された3扉の一般型気動車
車体寸法はキハ47に準じており、側面窓配置は113系2000番台と似ている。
室内は近郊型電車と同じレイアウトのセミクロスシート。ただし製造当時から茶色のシートモケットが採用された。
下回りはキハ47に準じており、エンジンも同型。
結局国鉄の財政難を理由に広島と北九州に少数が導入されたに留まり、そのまま民営化を迎えている。
JR西日本車は芸備線、JR九州車は香椎線でキハ40系列と混用して活躍している。

558:名無し野電車区(東京都)
11/10/17 01:35:20.40 ppaDZLw50
近鉄モ12050形
新幹線に対抗するため、豪華な設備で対抗しようと導入された。
形式通りスナックカーの1員で、全室個室(2・4・6人)で運転席後部に出入り自由の展望席が設けられている。
12000系・12200系などに増結されて運用。
皮肉にも伊勢・志摩観光があたったため、途中からは伊勢志摩方面の特急に連結されるようになった。
現在は団体列車や臨時特急に連結されている。

559:名無し野電車区(埼玉県)
11/10/17 21:55:18.34 ZT0uSyaH0
>>554
深いなぁ。鉄ピクの特集号の一部みたい。他の客車ネタもリクエスト!!

560:名無し野電車区(神奈川県)
11/10/18 01:17:55.99 oZZMOENH0
京阪ネットカー

京阪特急にテレビカーに代わり、近年のスマホやミニPCの普及やそれによるインターネット環境の充実のため導入。
8000系の5号車(元テレビカー)が改造され、
無線LAN関連機器の設置や各座席の足元へのコンセント設置などが行われた。

また各キャリアの携帯電話の電波が受信できるようになっている。

特別料金なしで乗れる車両としては日本初のモバイル用コンセント設置車となった。



561:名無し野電車区(東京都)
11/10/18 01:29:49.84 v1PVEF3o0
>>560
京成3700形ネット対応バージョン
テレビカーで先行した京成が>>560の情報を聞きつけ急遽導入した。
背もたれのところにコンセントが設置され、また上野・成田の地下線内でも無線LAN対応としている。
しかし、新車ゆえラッシュ時に集中的に導入されたため車内ではなかなかコンセントを差す暇もない状況になってしまった。

562:名無し野電車区
11/10/18 19:22:43.38 O2ltSqxu0
203系1000番台
JR九州が1988年に製造した筑肥線用の203系。
台車がDT50Q/TR235Qに変更された。
2編成しか製造されなかった。
また加速度が3.3km/h/sと103系よりも良いため2000年にATO対応化工事が施工され、このときブレーキ方式を電気指令式に改造した(但し機関車牽引で小倉工場へ回送することを考慮し自動空気ブレーキは残された)。

563:名無し野電車区
11/10/19 00:33:34.84 Cb3DlTp40
西鉄5050形
福岡市営地下鉄の開業で福岡市内線の廃止の代償として西鉄車両が地下鉄・国鉄筑肥線を運転することとなり、導入された。
6両編成でデザインは5000形類似だが、車体寸法やドア割は福岡市1000系とあわせている。
後にトイレ設置が行われた。
現在は筑肥線西唐津まで乗り入れている。
なお、西鉄の車両だが国鉄/JR九州・福岡市への貸出扱いで西鉄運賃では乗車できない。

564:名無し野電車区
11/10/20 15:13:10.16 C+mdJlLq0
>>17に触発されて
国鉄585系電車
381系をベースに交直両用にし、さらに雪切室を設置した。


565:名無し野電車区
11/10/20 17:56:20.79 utA0XWlY0
JR西日本 N700A系7000番台 JR東日本 N700A系8000番台
北陸新幹線金沢開業によって、JR西日本管内の北陸新幹線区間が登場するのにちなんで誕生
基本的な仕様は、N700A系と同じだが、編成は、8両となる

566:名無し野電車区
11/10/20 22:24:38.84 +jlCZz5P0
JR東海/西日本 1000系新幹線用電車

2020年、東海道新幹線の高速化に伴い登場した、営業最高速度350kmの車輛

2011年、JR東海は中央リニア開通後の東海道新幹線の在り方検討をしていたが、出る意見の
ほとんどは、東京駅での東北等新幹線との乗り入れや、首都圏通勤輸送などの比較的控え目な
構想ばかりであったが、その中で「名古屋以遠の速達化」と「名古屋乗り換えの不便性」を問題視する声があがった。

検討の結果、東京~博多間とほぼ同距離を走る北海道新幹線が3時間台を目指し、十分航空機と対抗できることがわかり
既存の東海道新幹線でも線形改良などをすれば直通運転で十分まかなえそうであることがわかった。
また、中央リニアの名古屋乗り換え効果と、将来の新大阪延伸を考慮して、鈴鹿経由で新幹線とリニア用のトンネルを同時に
整備することにより、工期短縮と工費節減になることから、抜本的な線形改良を行うことになり、2012年から工事を開始した。

その改良線形区間を走るために製造されたのが、この1000系である。

中央リニア開通後は、名古屋駅で同一ホーム乗り換えにより東京~新大阪間を1時間台で結ぶ計画である。

567:名無し野電車区
11/10/21 00:25:33.70 FbNoZWg40
イタリア国鉄(FS)ETR1000
度重なる旧フィアット(アルストム)の不具合を見かねて、かつての同盟国日本の日立から高速鉄道車両を導入。
N700系をベースに車体サイズをイタリア向きにスリム化し、交直流化したものである。
12両編成で1等車4両に2等車7両(2両が先頭車)、食堂車1両。
国際列車用に交流方式を複数化したETR1010もある。
最高時速は300km。

568:名無し野電車区
11/10/21 19:13:06.85 4L8KCUFA0
73系冷房改造車
国鉄で73系に冷房改造を施工。
AU75を屋根上に搭載し、MGはクハ79に搭載した。
冷房化に際しスタンションポールは撤去された。
2両編成を組めるためごくわずかがJR西日本に承継され、和歌山線で活躍したが1995年に廃車となった。

569:名無し野電車区
11/10/21 21:54:28.59 CqFbmPBbO
国鉄103系 クハ103-851~854 641~644 モハ103-794~801 モハ102-2051~2059 サハ103-504~511
昭和57年に作られた103系最終型である。既に201系の量産体制が整っていたため、
車体は201系で走行系は103系と言う車となったために103系とは大きく異なる。
1 MGは190KVAを搭載
2 冷房装置はAU75Bだがラインファン式を採用
3 通風器は押込式
4 台車はDT46/TR231
5 抵抗器がブロア式でなく自然冷却式
6 主電動機はMT61系を試験的に採用
7 モハ103のパンタグラフ位置が逆
8 偶数方先頭車形式の500番台形式を復活させた
などである。
40両が製造されて最初は赤羽線に投入され、その後京浜東北→総武中央各駅停車と渡り歩き、
晩年は京葉線で103系 201系の分割不可能編成と共用で使われた。
2006年に全編成がJR西日本に譲渡されることになった。
譲渡にあたってはまず中間モハを抜いた8両に組み換えられた、廃車発生品の
201系のチョッパ制御装置等を組み込み、捻出されたモハもチョッパ化の上、
豊田のクハ201/200サハ201を組み込まれて全て正真正銘の201系に編入され、
全て大阪環状線用として森ノ宮電車区に転属された。なお西日本では201系5000番台となる。

570:名無し野電車区
11/10/22 00:59:20.08 Q/t82o5H0
西武4000系(初代)
西武ライオンズの予想外の強豪化に球場輸送も急増し、臨時特急が企画されたが、5000系増備はもったいないとの判断で国鉄181系を購入した。
ライオンズカラーになり、グリーン車を抜いた8両編成で新宿・池袋~西武球場前を運転。
2代目4000系登場まで活躍した。

571:名無し野電車区
11/10/22 10:11:29.66 tBfRTGKl0
小湊鉄道 キハ209系

JR東日本から譲渡された、通勤用気動車

形式から想像できるように、2連化された209系にハイブリッドエンジンを搭載したものである。
なぜか、アルプスの牧場のオルゴールが搭載されている。

572:名無し野電車区
11/10/22 11:05:27.19 grIUoqMIO
JR東日本 大井川鐵道 旧客トレード計画
東日本大震災復興支援企画としてC57-180のばんえつ物語号用客車と
JR西日本のSLやまぐち号用客車の交換トレード運用企画を成功に終わらせたJR東日本は、
同じくSL及び旧型客車を使う大井川鐵道に旧型客車のトレードを持ちかけた。
JR東日本が狙ったのは現在財団法人日本ナショナルトラスト所有のスハフ43型2両である。
なぜスハフ43かと言うと、JR東日本は先にC61-20を復元させた。これは元々
東北本線盛岡以北の主力機で、大鐵のスハフ43は東北本線栄光の特急「はつかり」の塗装を纏っていたのが
決め手となったからである。
そこでJR東日本は自社の旧型客車と引き換えに大井川鐵道のスハフ43を
トレードすると言う前代未聞の交渉に入った。
しかし大鐵は交換車両に東日本が保有する現存する唯一の32系である
スハフ32-2331とスハフ42型又はオハ47型を示し、難航した。
当初はオハニ36型も挙がったがこれは大鐵も所有しており拒否され、
スエ78型は唯一の戦災復旧車70系の血を引いてるが救援車で客が乗れず論外。
粘り強い交渉の結果東日本はスハフ42型2両を、大鐵はスハフ43型2両に
小倉工場製ジル ヘッダーなしの珍車オハ35-149も加えた2対3のトレードに同意する。


573:名無し野電車区
11/10/22 11:20:40.29 grIUoqMIO
>>572続き
2011年7月にトレード契約が交されてスハフ43型2両 オハ35型1両が修繕先の
秋田車両センターへ向けて出発した。
スハフ43型は外板や屋根の布張りが破れるなど悪い状態だったが、
秋田車両センターの復元工事により、往年の「はつかり」塗装も美しく復元された。
なお座席は東北新幹線200系廃車発生品の2人掛けリクライニングに交換された。
また35系が加わったことでJR東日本は32系から35系と43系も揃えたことになる。
2012年3月12日の東日本大震災発生から1年の日に前後はスハフ43とした編成で
東日本大震災復興支援特別臨時列車「はつかり」号として上野~青森で使用を開始。
ヘッドマークも往年のものを再現する。
牽引は上野~盛岡はEF510-500 盛岡~青森はC61-20で途中八戸までD51-498の前補機がつく。
大鐵はさらに休館する船の科学館の係留されている羊蹄丸の中からスハフ44型を
もらい受けて使用する予定。

574:名無し野電車区
11/10/22 11:59:47.87 tBfRTGKl0
国鉄 オロネロ14 

昭和47年ダイヤ改正で関西ブルトレとして最大勢力を誇っていた「あかつき」に14系寝台車が投入され、
好評をもって迎えられたが、ハネムーン客を中心に、A寝台需要が多く指定券が取れないとの苦情が殺到し
当初オロネ14の予備車を増結して対応していた。

しかしながら、通年通してA寝台の需要が高いが2両では余剰であること、そして近距離飛び込み客の需要も
多いことから、半室A寝台、半室座席車の同形式が製造され連結されることとなった。

車体の真ん中に折り戸がつき、寝台区画と座席区画が分けられ、座席室側にグリーンマークがつけられた。
また、半室構造のため便所洗面所は省略され、座席区画側のドア横に車掌室のみが設けられた。

全部で3両が製造され、全車早岐客貨車区に配置され、乗客からは好評をもって迎えられた。

その後、昭和50年代に入り関西ブルトレが衰退してくると同車の連結も中止されるようになり、余剰車輛扱い
されていたが、北海道総局が夜行急行の14系化に際して、A寝台とグリーン車の需要が比較的高い急行狩勝用に
ひきとりたいとの要望を受け、耐寒耐雪改造を受け全車500番台化され、北海道に渡った。

JR化後も引き継がれ、急行狩勝からまりも、そしてまりもの気動車化のときに廃車となった。

575:名無し野電車区
11/10/22 13:22:48.58 iNnw5qOY0
国鉄119系電車(史実とは異なる)
70系300番台車を181系特急形電車の廃車に伴って余剰となった電気品を流用して1979年に新性能化したもの。
当時、181系は車体の老朽化が問題になっていたが、電気品は交換されていて比較的新しいので流用することになった。
モーターの歯数比は3.50から4.82に変更し、クハの台車は従来のものをそのまま使用、
モハの台車はDT21を新製し、CPはC-1000に、MGは103系・113系の冷房改造で捻出された20kVAのものに交換した。
福塩線・赤穂線・宇野線で使用されJR西日本に引き継がれたが、老朽化の進行に加えて、
非冷房のままであったことが災いし、JR化後の早い時期に淘汰の対象となり、1992年に全廃された。

576:名無し野電車区
11/10/22 14:11:33.25 wa3Y4KKfO
JR北海道 14系5000番台
老朽化が進んだ14系座席車の置き換え用として保留車となっていたキハ182、キサロハ182を客車化した車両。
改造は全て苗穂工場が行っている。

スハフ14-5000
キハ182から改造
便所、洗面所部分に車掌室が設けられた。そのため妻面に窓と尾灯が設置されている。
種車のエンジンはそのまま発電用エンジンとして流用された。

オハ14-5000
キハ182から改造
エンジンが撤去された以外、種車と特に変化はない。

オハ14-5500
キサロハ182から改造
二階部分は種車の座席が流用されてドリームカーとなり、一階部分の個室はカーペット車となった。

ちなみに寝台車は引き続き使用される予定。

577:名無し野電車区
11/10/22 21:00:00.31 tBfRTGKl0
国鉄 オロネ11

昭和35年、地方線区の夜行急行用に製造された二等寝台車
車体はオロネ10に近いが、ドアが車体中央部につき、寝台区画を半分に仕切っている。

これは、地方線区において閑散期には半室の二等寝台を座席車として使用できるようにしたためである。
両車端部にトイレと洗面所が設けられ、2エンド側のドア脇に給仕室と手荷物室がある。

東北及び九州地区の夜行急行などに投入されたが、時代が下がるにつれ二等車にも特ロが入るようになり
プルマン型寝台の座席仕様では三等車とあまり変わりがないこと、季節により編成が変わるのは運用上面倒で
あったため、全室A寝台で運用される機会が増え当初の運用構想と異なる結果になった。

そのため、都落ちしてくるオロネ10のほうが使い勝手が良いとのことで、昭和53年までに全車廃車となった。

578:名無し野電車区
11/10/22 23:46:15.41 Q/t82o5H0
ナハテ10
展望車はつばめ・はとの電車化で役目を終えたかに見えたが、60年安保で敗北した社会党・共産党が腹いせに
「労働者を永久に展望車に乗せないつもりか」と全国の客車列車に展望車を連結する運動を起こし、国労・動労や総評も同調したため、
国鉄当局は苦肉の策としてナハフ10をベースに展望車を製造した。
デザインはマイテ49似の開放展望室がついたナハフ10である。北海道向けは冬季ガラス張りにできるようになっている。
スハテ42・オハテ61
ナハテ10だけでは到底展望車が足りなかったため、スハ42・スハフ42とオハ61・オハフ61を改造した。北海道向けがガラス張りに出来るのはナハテ10同様である。

こうして和田岬線に至るまで全国の客車列車に展望車がついたのだが、昭和50年代になると電車・ディーゼルカーへの置き換えが進み、ナハテ10は昭和60年のはやたま運用を最後に廃車、
スハテ42・オハテ61は国鉄民営化で廃車され、現在は大井川鉄道にスハテ42のラストナンバーが在籍してSL列車に使われている。

579:名無し野電車区
11/10/23 00:29:27.75 X9lbDesa0
153系中京新快速用
国鉄が中京地区の新快速用に投入した153系。
4両編成と6両編成があり、最大10両編成で運転された。
塗装は京阪神地区の新快速と同じブルーライナー塗装である。
特別保全工事が施工されたためJR東海に承継されたが、311系投入により1991年に新快速運用から撤退、その後は大垣夜行などの臨時列車で使われていたが1996年に廃車となった。
一部愛知環状鉄道100形にモーターを供出するためMT54に取り替えられた車両があったという。

580:名無し野電車区
11/10/23 10:01:55.22 2JCQmQiX0
国鉄/大蔵省 キニ30

昭和57年、国鉄の荷物輸送廃止に伴い全国から荷物列車が消え、それに伴い荷物輸送のために
残っていた客車急行を淘汰するため、国鉄は唯一残ってしまう現金輸送対策として大蔵省と運輸省間の
担当者レベルでの話し合い(赤坂の焼鳥屋で約2時間の会合だったとのことであるが)の結果、気動車化
することで合意に至り、国鉄に指示して作らせた現金輸送用荷物気動車

車体構造はマニ30と同様であるが、両端に運転台を設けたので若干荷物室や警備室が狭くなっている。
ベースは当時最新鋭のキハ183系となっている。

気動車化するにあたり、万が一の強奪予防のため、エンジン始動キーは特別製のものに換えられ、日銀で
厳重に保管されるとともに、運転中であった場合には、運転士が防犯ボタンを押すと特殊な解除手順を踏まないと
再始動できない構造となっている。

これにより、小樽周りの急行ニセコの廃止と急行八甲田の特急格上げ(ゆうづる化)が行われ、現金輸送指定列車は
「北斗」と「ゆうづる」になった。

JR化後も、旅客鉄道に引き継がれ、2000年の鉄道輸送廃止までその任務をまっとうした。

現在、キニ30-1 が小樽の総合博物館でマニ30の隣で保存されているのをご覧になった方も多いと思う。

581:名無し野電車区
11/10/23 13:05:53.60 AjGNgV2A0
>>576
スハフ14-5000は、キハ183(貫通先頭車)からの改造(運転台部分を車掌室に改造)のほうがリアル。
発電用エンジンだけは交換して。


582:名無し野電車区
11/10/23 17:36:06.55 9iTmjL1T0
JR西日本サハ117
新快速列車の8連化のため、平成元年に増備された車両。
既に221系が登場していたため、使用部品を共通化すべく、221系との共通点が見られる。
窓は下降式であり、車体の一部にステンレスを用いることにより防蝕を図った。
台車はボルスタレスのTR235系列である。
シートは221系と共通である。車端部の配電盤などは221系同様に移設されたが、座席定員は117系と同じである。
冷房機はWAU701を2基搭載している。室内天井にはスイープファンが設置された。

もっとも平成7年以降の223系投入により117系が岡山、福知山などに転属するにあたり、不要となった。
一部は先頭車化されたが、その形状は117系オリジナルのものではなく、213系類似のものとなった。
廃車されたものには製造後わずか8年のものもある。台車、冷房機などは207系に、シートは113系リニューアルに
転用された模様である。



583:名無し野電車区
11/10/23 19:09:53.89 gtYBKataO
【異端食堂車スシ28151のIF】

国鉄スシ48形30番台(スシ4831)

スハ4831(←スシ3776←スシ37818←スシ37728)は僚車が次々と食堂車に復元される中、料理室付き3等車のまま運用されていたが、1953年に長野工場で更新修繕と食堂復旧工事を施工され、スシ48形に改番された。
施工内容は同形の0・10番台に準じ、食堂は蛍光灯照明にビニールクロス内装だが、魚腹台枠で空調装置取付が困難であるため、冷房準備工事は未施工。

車両番号を30番台としたのは、0・10番台とは形態が大きく異なることと、20番台は北海道向け二重窓車(スハシ38・マロネロ38)という区分があり、これを回避したためである。

当初は東海道線、1958年以降は東北・常磐線急行で運用され、1962年に郡山工場で電気暖房装置を追加したため、スシ482031に改番された。

しかし、非冷房のためマシ35・オシ17の予備として青森客貨車区で昼寝している事が多く、1968年10月ダイヤ改正で全運用から退き、同年末に廃車された。

584:名無し野電車区
11/10/23 21:05:06.41 X9lbDesa0
113系1800番台
国鉄が1982年から製造した113系1500番台のオールロングシート仕様車。
内装は415系500番台とほぼ同一。
1985年に211系が登場したためわずかしか製造されなかった。

585:名無し野電車区
11/10/23 21:09:32.64 Ng5QHl/O0
新京阪鉄道・名古屋急行電鉄P7
新京阪の名古屋開業に伴い導入された。
21m版のP-6と言った趣で制御車にトイレが設置されている。
大軌・参急同様、2社で分担して所有している。
新京阪鉄道・名古屋急行電鉄P8
東京延伸と紀元2600年記念に伴い登場。
P-7をノーシル・ノーヘッダー・張り上げ屋根にした形で性能は同一である。
また、超特急用に片側の前面を200形同様の流線型前面にした車両も数両導入された。
なお超特急用の編成のみ転換クロスで後はセミクロスである。
戦後の特急・超特急再開時には本形式が再整備され、天神橋~京阪東京を走行した。

586:名無し野電車区
11/10/23 23:59:03.80 POxU2mDWO
東武鉄道1890系

JR東日本で不要となった189系「彩野」を格安で購入したもの。
車内や外観はJR時代と変わらず。
主に1819Fと同様に団臨や「りょうもう」の予備車として使われる。

587:名無し野電車区
11/10/24 07:32:57.19 E6oeEzXL0
京急ステンレス1000形セミクロス車

京急では2007年からステンレス1000形を製造してきたが
その最終増備車8両4編成32両はアコモ向上の観点からドア間のシートは転換クロスを設置することになった。
ドア間910ミリピッチで4列。(ドア横のシートは固定式)乗務員室からの一斉転換も可能なほか、
シートピッチが拡がったので2100形と違って乗客任意の転換も可能。
運用開始後は他の1000形と共通運用される予定。

588:名無し野電車区
11/10/24 14:37:12.99 dqEp9FQl0
JR東海561系電車
JR東海371系電車の交直両用版の車両。出入り口にステップが付く。大垣車両区所属。


589:名無し野電車区
11/10/24 14:53:48.93 dqEp9FQl0
>>585に触発されて
戦後になって名古屋急行電鉄の大津―京阪東京間は交流化され、P7とP8は特急車整備とともに交直流化改造を受けていた。
その後は、近鉄の標準軌特急車の交直両用版の車両が開発された。


590:名無し野電車区
11/10/24 15:19:32.36 dqEp9FQl0
国鉄465系電車
国鉄が1980年から製造した457系のフルモデルチェンジ版。
車体長が21.3mに伸ばされ、普通車のシートピッチを12系客車・キハ65系気動車並みの1580mに拡大。出入り口はステップ付き。
もちろん従来の交直流急行型電車との連結も可能。
形式は、クモハ465、モハ465、モハ464、クハ465、クハ464、サハ465


591:名無し野電車区
11/10/24 15:21:31.27 dqEp9FQl0
>>590
×1580m
○1580mm


592:名無し野電車区
11/10/24 17:37:25.78 vbcaGYZe0
ムーンライトをコテにつかっていたmuraseさんは
統合失調症等の精神障害によりwikipediaに妄想を沢山書き込んで
wikipediaから書き込み禁止をくらった前科があります。
鉄道路線・車両版でも精神病固有の酷い妄想等の非現実的・支離滅裂な書き込みをし過ぎて
常連から荒らしと認定され、追い出されました。
が、しかし、彼は名無しで戻ってきました。彼固有の拘りのある書き込み内容とIDでバレバレです。
相手せずにスルーしましょう。

593:名無し野電車区
11/10/24 19:51:03.19 dqEp9FQl0
592 あぼ~ん
あぼ~ん


594:名無し野電車区
11/10/24 23:28:58.82 U9ZXpO03I
>>585

鉄道省「君達はよくやってくれた、後は鉄道省が路線を買収して
東海道弾丸列車の列車線として使用する、ついでに阪和電鉄も買収だ。」

のオチになる悪寒

595:名無し野電車区
11/10/24 23:46:05.18 U9ZXpO03I
>>594
これでは夢が無いので>>585>>589の対抗手段として
鉄道省が東海道本線全線電化を戦前に決定し、新京阪鉄道
名古屋急行電鉄、関西急行(後々近鉄)に対抗
流線型高性能電気機関車とAMUブレーキとゲルリッツ台車の新型客車で最高時速
110km/h~120km/h
更に電車列車もAMUブレーキで150kWモーター、ゲルリッツ台車の流線型電車列車を
やはり最高時速110km/h~120km/h
試運転列車の時速95km/hの壁越えて時速110km/h
~120km/hの高速試験は阪和電鉄の路線で行う事になった。

596:名無し野電車区
11/10/25 00:32:56.89 v9Jp6K0H0
>>595
ED58
電化に伴い、高速運転を行うためドイツ鉄道E18形の狭軌版をAEG社より購入。
軸重を考慮し、2-4-2と先輪を増やしている。最高時速150km。

597:名無し野電車区
11/10/25 14:42:56.32 z4ItyxXh0
>>590>>591

国鉄469系電車
465系の横軽対応版で465系と同じく1980年に登場。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。
形式は、クモハ469、モハ469、モハ468、クハ469、クハ468、サハ469

サロ465
サロ455-1000の車体長を21.3mに伸ばした形式で、1982年から製造された。出入り口はステップ付き。

サハシ465
465系のビュッフェ車。1982年から製造された。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。

サロ469
サロ465の横軽対応版で1982年から製造された。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。

サハシ469
サハシ465の横軽対応版で1982年から製造された。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。

国鉄477系電車
国鉄が1985年から製造した465系の転換クロスシート版。車体長は21.3mで出入り口はステップ付き。
転換クロスシートのピッチは910mmで側窓は2連窓になっている。
もちろん451・471-465・469系と連結可能。
形式は、モハ477、モハ476、クハ477、クハ476、サハ477


598:名無し野電車区
11/10/25 19:09:54.77 cJYXKv64O
国鉄オハ42形

1964-67年にスロハ31・32形とこの格下げ車であるスハ50形をオールロングシートに改造した通勤用客車。

ロングシート化に際しては便所・洗面所と水タンク等給水配管を撤去し、旧スロハ32形の電気暖房付車は電気ヒーターの位置を変えただけで存置した。

0番台はスロハ31形とスハ50形0番台(二重屋根車は対象外)、100/2100番台はスロハ32形とスハ50形100番台、200番台は旧スロハ32形100番台で札幌地区用。
北海道、東北、近畿、中国、九州地区で通勤通学輸送に使用され、1974-85年にかけて廃車された。

599:名無し野電車区
11/10/25 20:14:02.27 gKFNXu1/0
313系900番台
JR東海が製造した313系のアルミ車体試験車。
車体がアルミになっている。
側面は無塗装にオレンジの帯を貼り付けているのみ。
735系のように先頭部のみ鋼製になっているのが特徴。

600:名無し野電車区
11/10/26 06:05:18.99 xLz5stML0
457系
1969年から投入され国鉄の交直流急行形電車の最終形となった。
50/60Hz双方に対応。車内設備は普通車が転換クロスシートとなり
従来の急行形よりもグレードが上げられている。
投入線区が東北本線・北陸本線の為に長編成を想定し
電動車と制御車が分離されクモハは製造されなかった。
ビュッフェは製造されなかったが、代わりに半室ラウンジとなったサロ456型が製造された。
ギア比は3.50と特急と同等であり120k運転にも対応している。
その為従来の455系・475系との連結運転は出来ず独立運用となった。
東北本線急行まつしま、北陸本線急行ゆのくにを中心に運用され、
東北新幹線開業後、まつしまが廃止されるとその編成は急行ときわに転用された。
北陸本線では特急格上げに伴い区間快速に転用され短編成改造が行われた。
前者は後継車であるE653系の登場、後者は521系の登場と共に淘汰されていき、
大宮に展示されている1編成を除き廃車された。

急行まつしま・ゆのくに
上野・大阪←クハ456-モハ456-モハ457-サロ457-サロ456-モハ456-モハ457-モハ456-モハ457-モハ456-モハ457-クハ457→仙台・富山

601:名無し野電車区
11/10/26 14:50:21.56 lSy0pDhd0
国鉄589系電車
583系の横軽対応版の車両で1974年から製造された。

>>600
>>600は間違い
>>590-591と>>597が正しい。


602:名無し野電車区
11/10/26 19:11:05.83 +KDOfcN20
157系200番台
1960年に信州方面への運行も想定し横軽対応で増備された157系。
初期型の教訓を踏まえ、空調設備が装備され、腐食対策として即窓は固定式となった。
基本的に波動運用であり協調運転は必要なしとして、8両編成が4本のみ製作された。
皇族方の軽井沢への避暑の為に度々運行された。
協調運転機能を持った169系・189系が投入されると活躍の場を追われ、
伊豆方面への臨時急行や、日光方面への直通急行へ活躍の場が移ったが、
後継車の185系の登場と共に本車は役割を終え、大井の検車区に1編成を残して廃車となった。

603:名無し野電車区
11/10/26 19:53:45.13 vWnR36KS0
国鉄455系・475系800番台
修学旅行用に福島県・宮城県・福岡県・熊本県が鉄道債を引き受け製造された。
167系の交直流版で設備も同等である。
とびうめやおもいでなどに用いられた。
1975年一般車両に改造された。

604:名無し野電車区
11/10/27 00:17:30.16 XRyxs5GK0
>>597>>601の横軽対応とは、協調運転機能付きの意味。


605:名無し野電車区
11/10/27 02:00:46.10 qfofdpfIO
>597
それらの形式の1500番台が62年から製造。211系や415-1500と同じステンレス製になる。

606:名無し野電車区
11/10/27 09:15:14.74 6Znt/34LO
国鉄 113系3000番台
新快速、東海ライナーの増結、増発用として1984年に登場した国鉄初にして唯一の3扉転換クロスシート車。
下回りと冷房装置は前年までに廃車となった153系のものが流用されている。
車体は前面こそ東海型だが、側面はdD6D6D2という独特の窓配置となり、車内は転換クロスシートとなっている。
そのため先頭車の車長が少し長いのが特徴。
車体塗色は117系に準じたクリーム色にマルーンの帯を採用した。
室内のカラーパターンも117系に準じているが、コスト削減のためドア化粧板と蛍光灯カバーは省略されている。

民営化後は全車がJR東海、西日本に引き継がれたが、東海車は2007年に全車廃車となっている。
西日本車は京阪神地区からは撤退したものの、30N更新を受けて広島地区で活躍中。
現在でも153系のモーター音が楽しめる。


607:名無し野電車区
11/10/27 14:13:01.24 XRyxs5GK0
>>590-591>>597>>605補足
465・469系: 歯数比4.21とMT54系主電動機は踏襲したが、主制御器は117系と同じCS40系を採用。車体長が21.3mに伸びたため。1983年製造分からは内装化粧板の色が薄茶色4号から117系と同じ白色チェック柄+木目調に変更された。
477系: CS40系主制御器と歯数比4.21は踏襲したが、主電動機が211系と同じMT61系に変更された。
465・469・477系共通: 冷房装置は先頭車とグリーン車・ビュッフェ車はAU13型6基、パンタグラフつき中間電動車がAU75型、パンタグラフのない中間普通車がAU13型8基、これらの形式の1500番台はAU75型。


608:名無し野電車区
11/10/27 14:35:39.99 XRyxs5GK0
>>607続き
465・469・477系いずれも、シートモケットの色は117系と同様の茶系シートでHゴムはない。


609:名無し野電車区
11/10/27 15:32:45.88 XRyxs5GK0
>>605
急行型のステンレス車は、正面がJR北海道721系電車と同じ顔つきになっていたはずである。
(415系1500番台や213系などの近郊型のステンレス車が211系の顔つきになったのとは対照的)


610:名無し野電車区
11/10/27 20:00:09.96 XRyxs5GK0
>>605>>609
JR東海261系電車
JR東海が1989年から製作した直流急行型電車。
主要幹線では交直両用の477系1500番台の増備で何とかなるとしていたが、中央線は中津川以北に狭小トンネルがあるので、
211系の性能をベースにした直流専用の新形式を開発する必要があった。
車体の長さは20mで、477系1500番台の21.3mより短いが,正面の顔つきは477系1500番台やJR北海道の721系と同様の顔つきになっている。
本形式は直流専用のため出入り口にステップがなく、窓割りは185系に合わせてあり、パンタグラフは211系や311系と同様Mc車に設けられている。
本形式は基本番台がJR東海車、3000番台がJR西日本車、5000番台がJR東日本車である。



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