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>>406に続く平行世界
◎JR樺太
WW2末期の1945年8月、ソ連がヤルタ協定に基づき日ソ中立条約を破棄し、日本の南樺太及び千島列島を侵略開始、
15日過ぎても戦争は続き、多くの日本人が犠牲になり、ついに占領され、ソ連に併合された。
ソ連は連邦制なので以下連邦構成国に分割。
樺太島の北緯50~48度地帯及び千島列島の得撫島以北がソ連邦盟主のロシアに編入され同国のサハリン州になる。
ソ連の新構成国としてアイヌ日本ソビエト社会主義共和国を建国し、残りの北緯48度以南の樺太及び
千島の択捉島以南の四島を併せて統治下とした。
国名が日本赤化併合の野望が見え見えの同国を呼ぶ際、日本では専ら通称樺太で押し通す。
戦後日本社会に失望し共産主義に憧れた多くの日本人やアイヌが樺太に移民。
現在の民族構成比は日本人等のアジア系:ロシア人等のヨーロッパ系=6:4。
1991年末のソ連崩壊により樺太は92年に独立、民主化し国名が南樺太民主共和国に、
但し独立国家共同体加盟国なので国内にソ連軍継承のロシア軍が駐留。
北緯48度付近の樺太島最狭部がロシアとの国境。
樺太の公用語はロシア語と日本語、地名は二言語直列表記が主、首都はユジノサハリンスク豊原。
独立直後の混乱を収拾すべく、93年欧州連合を範に樺太と日本は経済統合を締結。
経済統合レベルは単一市場で、両国の通貨は固定相場制。
両国間移動にて両国民は査証相互免除、パスポートの代替として運転免許証等の他の身分証明書の携行で十分。
樺太の鉄道は、経済統合後、国営から、樺太と日本両政府が株式を所有する特殊会社“南樺太鉄道”へと
民営化され、JRとの連携によりJRグループの一員として略称がJR樺太となる。
JR樺太は旅客と貨物を統合運営。
JR樺太の路線は、戦前の日本統治下の路線網をソ連が継承した経緯から軌間は原則狭軌1067mm。
ホームは欧州並みに低い。
軽便は、国後択捉に殖民軌道、首都に子供鉄道。
ロシアとの国際直通列車が走行する一部の路線は、同国サハリン州内でのロシア標準の広軌1520mmへの改軌に伴い
狭軌と広軌とのデュアルゲージ化。
宗谷海峡トンネルと日樺連絡鉄道の開業で樺太と日本の直通列車が運行。
JR樺太の車両、ソ連形脱却、日本と西欧の影響強まる。