11/07/13 10:00:36.69 bP+NVO6e0
321系900番台
JR西日本が製造した「超回生電車」。
主電動機を270KWモーター2個搭載から135KWモーター4個搭載に変更し、オールMとした。
これにより回生ブレーキ力の大幅な向上を実現。
309:名無し野電車区
11/07/13 12:40:36.43 H2osBiVDO
島原鉄道 キハ2800・5800形
1:国鉄乗り入れ用として1962年に登場した自社発注車。
国鉄のキハ58をベースとしているが、新製当初から両運転台で冷房装置と空気バネを搭載している。
このため国鉄の車両とは台車とクーラーの形状が異なっている。
晩年はセミクロスシートに改造されて活躍していたが、キハ2500・2550の増備により2003年に最後の1両が廃車となった。
2:キハ17形の置き換え用として1986~87年に国鉄、国鉄清算事業団からキハ58、28を購入。
当初は塗装が変更された以外は特に改造されずに導入された。
所属車両の冷房化に大きく貢献したが片運転台で使い勝手が悪く、キハ2500登場後の1996年に大半の車両が廃車となり、残った4両(2両編成2本)はワンマン化、セミクロスシート化などの改造を受けて朝夕のみの運用で活躍を続けた。
2000年に一本はイベント用としてトロッコ列車の動力車として整備され、
もう一本は国鉄色に復元されてファンからの注目を集めたものの、
2008年の部分廃止時に全車廃車となった。
310:名無し野電車区
11/07/13 17:33:24.86 XxK4WjEv0
>>308
発生する回生電力があまりにも莫大なため、変電所への回生電力吸収装置の設置が必須である。
311:名無し野電車区
11/07/13 20:55:13.03 BrVc9Vvm0
>>308
ある意味京阪スーパーカーの時代に戻るのか
312:名無し野電車区
11/07/13 23:16:50.98 dhSsKnrf0
JR北海道 キハ285系 「北の自然」号
北海道教育委員会が青少年、特に小学校高学年を対象にした野外学習を支援するために
JR北海道に製造から運用を委託して作られた「走る林間学校」用の編成
キハ283系をベースに、1泊2日程度の野外活動を行うための設備を施した車輛となっている。
資材車3両、引率教員及び支援スタッフ用のスタッフカー1両、児童用の宿泊設備兼学習室7両の
計11両編成を基本とし、必要に応じて一般座席車の増結や減車を行う運用となっている。
キニ285:運転台つき資材車で、側面はマニ50のような両開きドアが2か所ついている。
キニ284:運転台なしの資材車
キハネ284:児童用の宿泊施設兼学習室用車で、開放B寝台と同じつくりになっているが、大型机や
双方向通信可能なモニターやマイク、カメラがついている。
キハネ285:運転台つきスタッフカーで、開放B寝台区画とミーティングルームがついている。
学校近傍の駅から児童たちを乗車させ、閑散区間の駅間などで停車し飯盒炊爨などの夕食つくり体験から
夜は星空見学会などをして就寝、次の日は再び近傍駅に戻るというような運用をする。
2011年2月に落成し、5月のGW明けから実際の運用に入る予定であったが、3月11日に発生した大地震に
その設備を生かして被災者の避難所として急きょ東北へ支援に派遣され、宮城野貨物駅構内で避難所として
活用されていたのは、記憶に新しいところであるが、6月末に北海道に戻り、本来の用途として運用が開始されたのは
このスレの諸氏には周知のことであろう。
313:名無し野電車区
11/07/13 23:44:11.00 XxK4WjEv0
165系1000番台
国鉄が1972年に登場させた165系のATC仕様車。
0番台とは以下の相違点がある。
・塗装をスカ色に変更
・ATCを客室内に積んだためクハの定員が2名減少
・クハ165が2種類ある(偶数向きの1000番台、奇数向きの1100番台)
・側面方向幕を取り付け
・サロ165の仕様変更(サロ113-1000番台と同一車体、MGを110kVAに変更、回送運転台廃止)
ATCを取り付けた関係上クモハ165を製造できず、また東京トンネルの34‰の急勾配に対応させる関係上153系を彷彿とさせるTcTsMM'MM'MM'Tcの9両固定編成で登場した。
比較的車齢が若く且つATCを積んでいて横浜線にも入線できる事から0番台全廃後の現在でも6両編成2本が幕張車両センターに配置されている。
314:名無し野電車区
11/07/14 00:33:04.27 ImFYT9e40
ドイツ鉄道 ラインゴルト1973
観光用のラインゴルト編成が老朽化してきたので改めて同デザインの車両を新造した。
TEE時代の1973年頃の編成を再現。
機関車は101形をベースに車体を103形タイプにし、ドームカー・食堂車も含めて最高時速200km対応にするなど最新の技術を用いている。
トイレも真空吸引式となっている。
ドイツ鉄道 ラインゴルト1928
こちらは戦前登場した1928年の編成を再現。
機関車は18.3・18.4形を改めて新造。車内はエアコン・吸引式トイレを装備した他は初代車両のままである。
315:名無し野電車区
11/07/14 18:30:13.94 DeFyWrImO
島原鉄道キハ4000 4700形
キハ10系などの旧式車両の置き換えのために、昭和55~57年に投入されたキハ40系である。
私鉄がキハ40系を注文する自体が前代未聞で、島原以外だと関東鉄道や
当時臨海鉄道で旅客輸送していた水島臨海鉄道以外は考えられなかった。
先に発注していた水島の注文倒れ説もあったが、島原が発注したものである。
国鉄直通運転が廃止された後も諦めていなかったことがうかがえる。
暖地用キハ40形2000番台に準じていたが、外装は2000番台 窓は100番台と
同様の1枚窓(2重ではない)台車は1500番台同様の空気バネと40系の全ての形式を
いいとこ取りの欲張りな設計で5両製造された。
57年に追加配備された4700形はキハ47形1500番台を両運転台にしたものだったが、
ドアが両開き式がある程度評価されたものの乗降位置が異なる点で嫌われ
2両で製造は打ち切られた。
主に北線で使われ、1993年には冷房改造も行われたがそれも束の間1996年以降から
後継車両のキハ2500形投入により、4700形は茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)に
全て譲渡された。
4000形は後に北線に3両南線に2両とに分配され、トロッコ車の牽引にも
使われたが部分廃止時に4000形の運転も終了。
4000形1両は再びひたちなか海浜鉄道へ、残りはトロッコ列車用種車などで
会津鉄道に譲渡された。
先の東日本大震災での三陸鉄道救援のため、ひたちなか海浜鉄道のキハ4701が
南リアス線 会津鉄道のキハ4005が北リアス線の救援として無償貸与されている。
なお沿岸が津波で大きな被害を受けて近隣の港に運べず、ひたちなか海浜車は
茨城空港から花巻空港まで、会津鉄道車は福島空港から三沢基地まで
米空軍のC17型輸送機(自衛隊のC130型では運べないため)で空路輸送して、
陸送で久慈及び釜石線経由で釜石に搬入されている。
316:名無し野電車区
11/07/15 01:29:46.83 2rpZ7gGG0
>>314
ゴルト・・・。
フレに呼ばれたので移動しますね。
317:名無し野電車区
11/07/15 13:30:18.34 y2qUcQK10
北越急行HK-200形電車
北越急行が投入した普通列車用の第二世代車両。
基本設計はHK-100形を踏襲するものの、主電動機はE531系やE233系などに採用されたMT75(140kW)に変更され、またギア比も17:96=1:5.65に変更されたことにより最高運転速度は130km/hに向上している。
318:名無し野電車区
11/07/15 13:57:05.99 y2qUcQK10
東武鉄道500系特急型電車
東武鉄道が100系「スペーシア」の後継車として開発した車両。
この車両の開発の背景には100系の老朽化だけではなく、先の東日本大震災により東北新幹線が一時的に不通となり、首都圏-東北地区の鉄道輸送が麻痺したことの教訓から有事の際のバイパスルートを確保することが決定したため、
会津鉄道の電化・高規格化と会津若松-仙台を結ぶスーパー特急方式路線の建設が決定されたこともあり、浅草・新宿-仙台を3時間台で走破できる性能を有する車両が要求されたこともある。
また、同様の理由で東武東上線を当初の計画通りに長岡、そして新潟まで延長して上越新幹線の補完的役割を持たせるため、同様の高性能車両が必要となったという点も挙げられる。
このため、京成電鉄のAE形「スカイライナー」に続き民鉄車両では2例目となる160km/h運転に対応した車両となり、さらに民鉄では初の制御付き自然振子装置を搭載した車両となった。
車体は20m級のアルミニウム製。50000系列と同じく日立A-Train規格のアルミダブルスキン構造となっている。
編成は東上線用が10連、日光線用が6(将来8)連。
座席は普通車ユニットが1100mmピッチの回転式リクライニングシート(4列)、特別車の開放室ユニットが1340mmピッチの回転式リクライニングシート(3列)・同個室ユニットが4人用個室×6となっている。
空調装置は32000Kcal/hのものを一両2台搭載。
補助電源装置は180kVAのSIVを2台セットで装備し、合計360kVAとしてある。
電動空気圧縮機は振り子装置の採用で圧縮空気の消費量が増加するため、2000l/min級のスクリュ式圧縮機を各搭載車に2台搭載している。
制御装置は日立製作所製の3レベルIGBT-VVVFインバータによる1C2M4群制御。
主電動機は新開発の高出力三相かご型誘導電動機・TM-19(450kW)を搭載。駆動装置は高速運転に対応するため、東武鉄道では唯一WN継手を採用。
ギア比は1:2.17とされ、高速運転時の騒音低減を図っている。
台車は軸梁式の自己操舵式制御付き自然振子台車を使用。傾斜角は6度ではあるが、設計上では8度まで傾斜が可能。
起動加速度3.6km/h/s、最高運転速度160km/h(設計最高速度255km/h)。160km/h時の加速余力は2.6km/h/sと非常に高い値となっている。
319:名無し野電車区
11/07/15 16:13:08.39 w6EPIIrsO
東武370系
浅草~会津田島を結ぶ急行「南会津」が運転されるも、スペーシアよりも大きく劣る350系のサービス等を見直すべく1990年代半ばに新たに投入された車両。
種車として「りょうもう」の運用を離脱して保留車となっていた1800系(1811F、1812F、1814F、1815F)のうち、比較的新しい1979年に増備された中間車のMTユニットを8両捻出。
先頭車改造を施すと同時に4両×2本に組成し直した(350系の352Fの改造とほぼ同じ手法)。
車体は、側窓を連続窓風になるように、黒色で塗装しているのが大きな特徴。
内装では、座席をスペーシアと同一のものに交換。シートピッチを1100㍉とし、長時間の乗車に配慮する一方で、窓と座席が一致しないという改造車独特の問題点も発生する。
洋式の便所や洗面所も設置され、サニタリー面の強化も図られる。
この車両の投入に伴い、列車名を「南会津」→「おぜ」に変更。特急化されると同時にダイヤの見直しと停車駅を若干の削減が行われ、若干のスピードアップが図られる。
ちなみに、繁忙期には350系使用の臨時の「南会津」が復活運転されることもある。
特急「おぜ」登場時の停車駅…浅草、北千住、新栃木、新鹿沼、下今市、鬼怒川温泉、新藤原、川治温泉、湯西川温泉、上三依塩原、会津高原、会津田島
※現在では、春日部に停車し、新栃木→栃木に変更となっている。
320:名無し野電車区
11/07/15 18:10:42.31 gMnIG6WFO
会津鉄道8000系特急気動車
AIZUマウントエクスプレスで東武鉄道との直通を実現後も浅草から会津への
直通特急を諦めていなかった会津鉄道が東武鉄道の100系スペーシアや
特急南会津に使用する350系の老朽化に乗じて浅草直通の特急列車参入を
表明し、浅草~会津若松 喜多方間を運転する特急列車用として投入する車両である。
特急用気動車は既に元名鉄キハ8500系で経験済みであったことも決め手となった。
ベースはJR北海道のキハ261系とし、簡易振り子式を導入することで
東武鉄道内も100系と同一速度ににダイヤを組めるよう設計されている。
なお浅草方先頭はグリーン車とすることで、100系の個室コンバートメントとグリーン車
と違いはあるものの、編成は東武鉄道100系にほぼ揃えている。
編成は6両であるが、閑散期での4両での運転や会津田島での切り離しなど
運用の自由度向上のため4+2の組成。
製造する5編成中2編成は野岩鉄道の第三者保有車。気動車の整備が出来ない関係上
東武鉄道は保有しない。
そのため検査はJR東日本の郡山車両センターで委託する。
愛称は会津が生んだ世界的学者である野口英世から、特急野口英世エクスプレスで、
浅草~会津若松 喜多方で運転する。なお郡山や新津へ運転も可能な用意もされている。
なお運転開始直後から2chの東武鉄道スレや野岩 会津鉄道スレによると
CS-ATCが付いていたや東急の保安装置があったと言う情報も寄せられており、
浅草がダメなら特急気動車で東京メトロ半蔵門線直通どころか東急田園都市線の
乗り入れまで会津が本当に目論んでいる説が俄にささやかれている。
321:名無し野電車区
11/07/16 14:33:16.67 g1BzwejvO
サハ204-200
京浜東北線に6両のみ導入された205系6ドア車。6号車に連結された。
平成13年まで活躍したが、205系転用計画の絡みで埼京線へ転属している。(不足する6本は209系500番台の転属で補った。)この時にサハ204-200が初めて2両連結された。
因みにサハ208がベ-スである。
逆に連結されなかった3本は京葉線に転属し、103系を置換した。
322:名無し野電車区
11/07/16 15:18:38.23 O0VXQ+8k0
伊豆箱根鉄道8000系
伊豆箱根鉄道駿豆線の1300、3000、7000系置き換えを目的に導入される新型車両。
大雄山線には5000系置き換えのために同系50番台が導入される。
JR東海道線への乗り入れも視野に入れている。
車体はステンレス製20m、狭幅3ドア車。ドア位置は大体JRの313系と揃えられている。
車内は車端クロスシート(鉄ヲタ席も)で、ほかはロングシートになっている。
主電動機、制御装置その他もろもろは313系とほぼ同じ。運転席も313系とほぼ同仕様。
性能は加速度2,6km/h/s 最高速度120km/h
伊豆箱根鉄道おなじみの加速度切り替えスイッチを切り替えれば
加速度3,3km/h/sになるという(地方私鉄にしては)超高性能車両になっている。
前述の通り東海道線、そして伊豆箱根鉄道両線を直通運転できる仕様になっている。
8000系は駿豆線に3両編成15本、大雄山線に3両編成10本、計75両が導入され
導入完了した時点で大雄山~修善寺間の直通運転を行う予定。
ちなみにこの関係で東海道線の小田原~三島間は伊豆箱根車両による運転が半数以上を占める予定、
置き換えられる車両の中でステンレス車両は他私鉄へ譲渡される予定になっている。
今更だが、大雄山線は緑町の路線改良をしてからの導入になる。
323:名無し野電車区
11/07/16 15:48:13.05 +XaV7k2x0
国鉄 北海道総局 100系新幹線電車
昭和47年、札幌冬季オリンピック開催に合わせて開通した北海道新幹線用に製造された車輛
青函トンネルはまだ開通していなかったので、札幌~函館間のみの先行開業で、同区間を1時間半で結んだ。
車体は、のちに登場する東北新幹線用の200系の元となっている。
12両編成でグリーン車2両、ビュッフェ1両という編成になっている。
朝4時に、夜間航行してきた青函連絡船から、函館駅に並んで停車している新幹線を見て、北海道にいよいよ上陸するのだという
感慨にふけった世代も多いはずである。
324:名無し野電車区
11/07/17 12:19:11.56 QN7Q0N13O
>>323のその後
国鉄 100系1000 1500番台
1982年に札幌~旭川への延伸に伴い、1983年に製造開始した改良型。
旭川延伸区間には岩見沢 滝川 深川が途中駅。
東北新幹線200系の北海道型となり、1988年には先頭形状を変更した1500番台も作られた。
昭和47年からJR北海道に移行後の1989年まで作られた新幹線車両は前代未聞。
なお最高運転速度は開業時は210Km/hだが、1000番台導入時に240Km/hに引き上げられた。
またJR東日本からの工事技術提供により、1994年に旭川~帯広が、
旭川~北見が1998年にミニ新幹線で完成し、連結機能も備えた。
なおその際編成は8両に短縮された。
JR北海道600系
青函トンネルが開業し、いよいよ本州への連絡運用を担うために2002年から導入された。
JR東日本E2系のOEMとし、札幌方には連結機能が取り付けられた。
編成は8両に短縮。札幌方に帯広及び北見行きミニ新幹線車両を連結する。
また新五稜郭駅を設置し、函館行きと新青森行きを分岐させる方式をとった。
325:名無し野電車区
11/07/17 12:45:32.17 QN7Q0N13O
>>324続き
JR北海道450系
1992年よりJR東日本の工事技術提供により、旭川~帯広間のミニ新幹線化工事に着手した。
滝川の根室本線案 岩見沢から追分の室蘭線と石勝線 根室本線案
富良野線と富良野からの根室本線案があったが比較的勾配の緩くてトンネルが
少ない富良野線案が採用された。
途中駅は美瑛と新得のみで設定。新幹線車両であるため、落合~新得は
新狩勝トンネルではなく、一部新線で作って旧狩勝トンネル旧線の元実験線を
改良して使うことにした。
工事は1994年に完成。
1993年より石北本線の標準軌化により北見までの新幹線化に着手する。
石北峠を上川~留辺藁までを新線で短絡化して新石北トンネルで常紋共々
迂回で越えてしまう形でぶち抜いて丸瀬布と遠軽を無視する方式で1996年に完成。
その2路線で使う共通のミニ新幹線車両がこの車両で、編成は6両の
山形新幹線400系の北海道型である。
326:名無し野電車区
11/07/19 02:08:13.28 YqU1Vm+80
JR東日本E129系1000番台
待望の新潟地区115系置き換え車として、E129系が新製投入された。
一方で、今後首都圏向けの車両を地方左遷するにあたって、
サハばかり大量に余剰が発生するため、そのサハを活用すべく、
サハ3-4両を新製クモハで挟み込む方法がとられることとなった。
その目的で作られたのが、E129系1000番台である。
通常のE129系との違いは、他系列として作られたサハの制御読み替え装置の搭載と、
回送運転台の設置、両方向対応の渡り栓などである。
(偶数向き奇数向き両対応で、適宜方向転換して使う)
当面は、サハ211を挟み込んでラッシュ時メインで活躍するが、
走行距離の均等化のため、純粋なE129系編成のクモハとしばしば差し替えて
使うことがある。
なお、この形式の派生版として、211系2階建てサロ牽引用のクモハE219、
クモヤ143・145置き換えようの新世代牽引車クモヤE241が登場している。
327:名無し野電車区
11/07/19 10:39:40.78 iCcHn0ZcO
南海11501系
南海本線の特急四国号の増発用と11001系の増結用として1970年に登場した。
車体は先に登場した22001系を基本としているが、車体長は20m級となっている。
車内は11001系のレイアウトに準じて扉間が転換クロスシート、車端部はロングシートとなっている。
当初は2両編成のみが製造されたが昇圧後の1975年に6200系と同型の冷房装置を搭載した中間車が増備され、
4両編成が登場した。
同時に先頭車の冷房化も行われたが、クーラーの形状は1001系に準じた集中型とされ、また昇圧に伴う改番もされなかった。
1986年に10001系が登場し、1001系の廃車が進むなか、
車齢が比較的新しかったこの車両はサザンの自由席車として活躍の場を移していく。そのまま新塗装化、車体更新を経て現在も活躍中だが、
12000系の登場で今後の動向が注目される
328:名無し野電車区
11/07/21 15:15:46.82 oNZvKT8V0
JR西日本 24系25形950番台
JR東日本で成功した夢空間にならって作られる
内装・外観は、和をモチーフにした塗装となる
編成は、5両で定員は夢空間より多い12名
329:名無し野電車区
11/07/21 15:19:44.03 oNZvKT8V0
>>328の続き
編成内容は
オロネ25-951 定員6名 展望できる部屋が1室と側面窓(日本海側)の大きい部屋が2室 編成の端に連結される
オハフ25-951 ラウンジカーとなっており、側面窓は、両方とも大型
オシ25-951 食堂車 側面窓は、調理室を除き大型
オハ25-951 シャワー室付きのロビーカー
オロネ25-952 オロネフ25-951と同じで側面窓は、日本海側が大きい
330:名無し野電車区
11/07/21 15:21:48.92 oNZvKT8V0
>>328-329の続き
この列車の愛称は、一般募集で和空間(パクリだが他あればコメントよろしく) と名付けられる
運用は、宮原の24系ブルートレインと併結されて和空間日本海として走ることもあれば
単体+カニ24(トワイライト色)で山陰地方を走ったりする
運用次第で、EF58-150やDD51、EF81(トワイライト色)やEF65等がけん引する
331:名無し野電車区
11/07/21 17:47:36.85 A2+sXdG70
南海32000系
老朽化した30000系を置き換えるために投入。
外見や足回りは12000系とほぼ同じで帯色が赤になる程度である。
ただし、山岳区間にも乗り入れるため車体長は17mとなる。
車内も12000系に準拠し、コンセントやプラズマクラスターを搭載。
ただし、コンセントは山岳区間では使えない。
ちなみにサザンプレミアムをパクって、こうやプレミアムという愛称がある。
332:名無し野電車区
11/07/21 23:54:33.07 rPH5hw1C0
113系1700番台
国鉄が1982年から製造した113系1500番台のオールロングシート仕様車。
横須賀・総武快速線の混雑激化に伴い、止む無くオールロングシート車の投入を決断。
1985年に211系が登場したためごく僅かのみ製造された。
333:名無し野電車区
11/07/22 00:08:03.52 8B1OkoHo0
大日本帝国陸軍 鉄道空母
陸軍が鉄道の機動性を活用して電撃戦を行おうと1936年より製造した貨車タイプの航空運用列車。
格納庫車と滑走路車、兵士輸送用の客車からなり、滑走路車は折りたたみ式の滑走路が搭載、格納庫車には折りたたみ式の飛行機が搭載されている。
当初は車両サイズの大きい満鉄・鮮鉄のある満州・朝鮮に配備されたが、本土決戦を意図し、1943年からは本土の基地にも配備された。
中国戦線で活躍。
のちの国共内戦・朝鮮戦争でも使用された。
なお戦後の児童誌ではゼロ戦が発着するイラストがよく掲載されたが、本列車は陸軍所属であり、実際には隼をベースにした特別機が使用された。
334:名無し野電車区
11/07/22 18:45:17.06 vWAtgQ980
国鉄 24系25型930番台
カーブの多い区間を走る寝台列車の振子化の試験車として1976年に登場
3両登場
編成は
オヤ25-931+マヤ25-931+カヤ25-931
主に中央西線や紀勢本線(現きのくに線区間)で試験された
1987年の国鉄分割民営化とともに姿を消した
335:名無し野電車区
11/07/22 18:50:05.19 vWAtgQ980
国鉄 EF91
カーブの多い区間を走る貨物や、客車列車の牽引する振子機関車として1976年に登場
3両製造された
外観は、EF66がベースとなっている
主に>>334の客車試験に使用されたり、紀勢本線の貨物類の牽引にあたったり、単機での試験を行った
1988年に廃車解体された
336:名無し野電車区
11/07/22 19:21:02.84 nVXcVI0X0
国鉄200系5000番台 新幹線電車
旧国鉄が常磐新幹線(上野-仙台)専用車両として開発した、200系のマイナーチェンジバージョン。
常磐新幹線は元々通勤新幹線計画の路線であったものの、走行地域に起伏が少ないことから東北新幹線よりも高速化を容易に行えることが判明。
これにより、常磐新幹線は「東北新幹線の高速新線」という役割を持たせるためにフル規格新幹線に格上げされた。
上野駅の地下で分岐し、三郷市・つくば市を経由する、現在のつくばエクスプレスのルートにほぼ近いルートを辿った後、水戸を経由し太平洋沿岸を通るというルートとなった。
(尚、つくばエクスプレスは埼玉のニューシャトルとほぼ同様の経緯で「新幹線により地域が分断されることの補償」と、そして八潮などの鉄道空白地帯を埋めるために、常磐新幹線の軌道に併設される形で開業した)
最小曲線半径は15000m・最急勾配は5パーミルとされ、設計最高速度は360km/hという新幹線の中でも高規格なものとなっている。
200系5000番台は、この常磐新幹線に適合する車両として開発された車両である。
編成は16連。高速運転を行うため、全電動車となっている。また、同様の理由で二階建て車両は連結されていない。前頭部は2000番台同様のシャークノーズ。
普通車・グリーン車共に仕様は2000番台を踏襲する。
風切音を低減するため、パンタグラフカバーは0番台よりも大型化されている。また、編成あたりのパンタグラフは4台(うち、実際使用するのは2台のみ)とされた。
制御方式は不等6分割サイリスタ位相制御、主電動機はMT201H(275kW)。高速運転を行うために定格出力は275kW(MT201は230kW)に向上している。WN駆動方式。
ギア比は1:2.17とされ、高速向けになっている。
起動加速度は主電動機の高出力化により、1.8km/h/sと僅かに向上している。定格速度は232km/h、最高運転速度は275km/h。主電動機出力に余裕があるため、平坦線でも車両性能のみで275km/hに到達が可能。
337:名無し野電車区
11/07/22 22:45:30.91 LkBCYh+z0
113系1700番台
国鉄が1982年から製造した113系1500番台のオールロングシートバージョン。
415系500番台と同等の車内レイアウトに変更された。
総武快速線の混雑が激化したため止む無く投入。
338:名無し野電車区
11/07/23 10:40:22.60 aFB7M9u1O
JR東日本 C12-164号機復元計画。
C61-20号機の復元から間もないJR東日本は、再び蒸気機関車の復元を
計画されることになり、今回はタンク機を復元させることになった。
背景にはD51型やC61型が入線出来ない只見線などの蒸機運転に真岡鐵道のC11型を
リースする運用を自社蒸機に賄ってリースの解消を図りたいためと思われる。
長野県内のC12型やC10型及びC11型が調査されたが、今回は復元費用の抑制や
比較的短期間で復元出来る機関車を選択することになった。
そこでJR東日本が目をつけたのが(財)日本ナショナルトラスト所有で、
大井川鐵道にいるC12-164号機だった。
この車両はATSが搭載されていないために運用出来ないだけで、走行可能な
状態は維持していた。
そして大鐵よりC12型を購入し、大宮工場にて初のタンク機の復元にとりかかった。
ボイラーは一度大阪府のボイラー会社に持ち込んだが状態は良好で、
煙菅を全て交換した以外は一部を補修したのみでそのまま使うことにした。
つい最近まで走行していたことや大鐵の整備も行き届いていたこともあり、
復元作業はわずか8カ月で完成。
なお今回の復元にあたっては、営業用タンク機の整備も行っている
真岡鐵道からも技術スタッフを派遣。
ATSがない問題も長野県にあるC12型のATS発電機を譲り受けて取り付けることで解決し、
ATS-PとATS-PSが搭載された。
所有する(財)日本ナショナルトラストに対しては所有がJR東日本になった
後も財団が第三者所有の継続や運用する際の募金活動なども認める取り決めもさされている。
同財団が保有するスハフ43形2両もJR東日本が購入して尾久に配置した。
これらも秋田車両センターで整備されて往年のはつかり塗装も美しく復元されている。
なお財団が保有するもう1両のオハニ36形は東日本にも同形式があるために
購入せず財団所有から外れて正式に大鐵所有となった。
また購入したスハフ43形の補償としてスハフ42形とオハ47形各1両が大鐵に譲渡された。
(当初大鐵はスハフ32形を要求したが、同じ43系客車2両のトレードで同意)
D51型 C61型と同じく高崎に配備され、D51型 C61型らが入れない線での
運転で使われた。
339:名無し野電車区
11/07/23 12:05:11.98 Kmj1cxNM0
JR東日本 583系青函トンネル乗り入れ改造車
ATC-L搭載化改造と乗り心地の改善のためのアコモデーション改造が実施
改造両数は、9両編成×3本のみ(ただしモハユニット1組は増結用)
主に上野~函館間の夜行特急列車に使用される
老朽化により2014年には廃車になることが決まっている
340:名無し野電車区
11/07/23 12:19:25.70 ljY6Pid8O
西武40000系電車
既存の4000系電車の置き換えを目的とした新形式で、
内部が多機能トイレとL/Cデュアルシートになっている以外は4000系と同一である。
341:名無し野電車区
11/07/23 14:08:58.91 tgLiIGQUO
国鉄 モハシ150形100番台
「つばめ」「はと」電車化の際にサロンカーを新たに設ける案が採用された。
既存のモハシ150形の普通車部分を改造して登場したグループと完全な新造車で登場したグループが存在する。
車内レイアウトは回転式のソファーを向かい合わせに配置。
車端部にはジュークボックスが設置された。
また、デッキの仕切りには自動ドアが採用されている。
当初は「つばめ」「はと」編成のみに組み込まれたが、後に「こだま」編成にも組み込まれた。
東海道新幹線開業後は山陽本線に転出。当初はそのまま活躍していたが、
後に2両を残して普通車に改造され、山陽特急全廃の1975年まで活躍した。
342:anorak?
11/07/23 19:51:47.91 wH5E4b1/0
>>281に続く平行世界もの
◎国鉄キハ13形
○1950年代、国鉄はローカル線の輸送改善を目的にレールバス:キハ01系を設計投入したが、徒花に終わった。
一旦レールバスは退場したが、モータリゼーションが一層進み、国鉄が巨額の赤字で経営破綻寸前に陥った80年代、
富士重工業が私鉄のローカル線向けにLE-Carシリーズと称するレールバスを試作し販売に乗り出したのに刺激され、
国鉄も独自のレールバス類を設計し製造する事になり、それが85年にキハ13形として登場した。
本形式の外観は、端的には、83年登場のキハ37形を両運転台にして車体を半分、若しくは後のキハ32を6m分縮小で、
車体長10m強となり、10足回りはボギー台車ではなく、ワム80000形等の二軸貨車やかつてのキハ01系と同様に
車体に対する回転機能が無い単台車になっている。
これは、同じ二軸車であるLE-CarIIはバス用部品を可能な限り多用したのに対し、本形式との大きな違いとして、
車体をバスと同等の構造とはせず従来の鉄道車両並に耐久性上げ寿命を延ばし、その車体強度コスト増のしわ寄せで
LE-CarIIで採用した車体との回転許容可の一軸台車と空気バネを採用せず、84年のダイヤ改正での貨物列車大削減で
余剰廃車となったヨ6000等の車掌車の二段リンク式の板バネ懸架式の単台車を流用で以て、全体の製造コストを
かなり抑制した事による。
よって営業最高速度は85km/hと低めで、乗り心地は、マニアの車掌車乗車願望を
非日常的な旅行での当車両の乗車体験で満たす以外は、期待出来ない。
エンジンは出力200psのバス用を流用し、二軸の内一つに推進軸が通され、動輪は一つ。
キハ01系とは異なりキハ40系等の既存のDCと連結しての総括制御運転は可能。
貫通型運転台両端の鋼製車体、二段ユニット窓、ワンマン運転前提で運転台隣接にバス用の二枚折戸を流用。
接客設備は、冷暖房装置もバス用、ロングシートとトイレ無し。
10両製造され中国地方のローカル線に投入された。
輸送能力と乗り心地に問題あって国鉄最後の1986年度では生産されず、代ってキハ31/32に。
87年JR西日本に承継され、21世紀以後赤字ローカル線の保線簡素化でキハ13の乗り心地がさらに悪化し、
ついに2010年までに全廃。
343:名無し野電車区
11/07/24 01:39:13.58 xXWLlhV30
JR西日本113系ロングシート改造車
広島地区には、老朽化した103系の置き換え用として、
近畿地区から113系が多数転入したが、昨今の少子高齢時代といえども、
ラッシュ時には、時折混雑が激しく遅延が発生する事態となった。
そこで、一部の113系をロングシートに改造して、これを最ピークに充当することとなった。
シートは、廃車の103系から発生したものを流用している。
改造内容は、かつてJR東日本に存在した同系改造車に準じており、座席関係以外の改造はなされていないが、
車端部だけロング化未施工なのが旧東日本と異なる。
しかしながら、JR東日本から205系を購入する方針に変更されたため、
わずか5編成で打ち切りとなった。
344:名無し野電車区
11/07/24 02:56:02.13 Sy6fOIpS0
阪和電鉄 或る電車(モタ10000)
初代九州鉄道の例を見た阪和が将来国有化の際に価格吊り上げ交渉を目論んで1936年ドイツAEG社から輸入した電車。
ドイツ国鉄ET11形を小型化したような車両で2両編成である。
ただし、技術陣はただのネタ車両とは受け取らず、高速試験車として扱ったという。
試験走行では当時の狭軌最高時速160kmを記録した。
もっともメンテが面倒なので試験走行以外では車庫で寝ていた。
日中戦争後の経営好転で量産発注も検討されたが第二次大戦勃発で輸入どころではなくなり頓挫した。
目論見通り国有化の際に南海への支払金額は若干上がったが肝心の車両は戦時中に爆撃で消失。
上がった金額も戦後インフレで消し飛んでしまい、南海・鉄道省とも得をしたとは言いがたい。
345:名無し野電車区
11/07/25 19:55:39.25 ysxFulne0
埼玉高速鉄道 2010系
埼玉高速鉄道線内の新井宿付近及び東京メトロ南北線内の東大前~後楽園間の曲線S字カーブでの
速度向上を目的として、2010年に登場した振り子式通勤電車
もくろみ通り、同区間での通過速度が向上し従来車輛より10分の短縮に成功したが、ラッシュ時満員状態での
運用では乗客のほうが持たず、車内及びホーム清掃のコスト(?)が高くつき、おまけにクレームが多発したため
わずか3日で振り子機能をカットし、従来車輛と同じダイヤに戻されたのは、埼玉テレビのニュースでもご存じの方は多いはずだ。
346:名無し野電車区
11/07/27 20:35:30.65 RGylvhHIO
JR東日本E131系
甲信越地区の115系の一部置き換えを目的に投入。
簡単に言えば、廃車となった253系の足回り+E721系をベースとした車体を組み合わせたシロモノ。
内装はセミクロス。3両編成と6両編成が存在する。
JR東日本E431系
羽越本線のディーゼル車の運用を解消すべく投入された車両。
廃車(予定)の651系の足回り+E721系にベースとした車体を組み合わせたシロモノ。内装はセミクロス。4両編成×3本のみ投入。
347:名無し野電車区
11/07/30 15:47:58.01 GkfqecP80
ラッセル・クロウ車
雪かき用にラッセル・クロウ氏が開発した強力除雪車。
メカアームで雪をどける。
氷結している場合はパンチで破壊する。
扱いが大変なのでラッセル苦労車とも。
348:名無し野電車区
11/07/30 16:38:51.96 948/2flJO
東武鉄道6000系 6123~6136
本線ではなく東上線に配備された6000系で、本線より後の昭和44年に本線からの
続番で2両編成16本32両が作られた。主に東上線旧式車の5310系らの置き換えを
目的であり、特急及び行楽向けの急行用として使われ、6~8両編成で
使われるのが一般的であった。
基本的に本線仕様と大差ない構造だが、垂れ流し式で使われたトイレは、
当初は和光市以北から使用可能で使われたが、森林公園検修区にトイレの
汚水処理施設を設けなかった関係上、昭和48年以降は全区間使用禁止にしていた。
本線同様1987年より6050系への更新が行われたが、一部中間車化した車両が
あり、サハ6350型とモハ6450型と言う新形式があるのが本線仕様との相違点。
6126~6130Fが中間車化された。なお改造の際に8000系のサハ8700 モハ8800形
と同一編成にする関係上方転を行った。
更新後4両編成は次の編成となった
6173F(旧6123F) モハ6173-サハ6351-モハ6451-クハ6173(中間車は旧6127F)
6174F(旧6124F) モハ6174-サハ6352-モハ6452-クハ6174(中間車は旧6128F)
6175F(旧6131F) モハ6175-サハ6353-モハ6453-クハ6175(中間車は旧6130F)
6176F(旧6133F) モハ6176-サハ6354-モハ6454-クハ6174(中間車は旧6129F)
6177F(旧6135F) モハ6177-サハ6355-モハ6455-クハ6177(中間車は旧6126F)
なお6125F 6134F 6136Fは2両編成で6178~6180Fに更新。同時にトイレ復元の
上で本線へ転属された。
4両編成に更新された車両は引き続き臨時特急に使われたが、2ドアである点から
朝ラッシュ時に使えないなどを露呈した事から、特急廃止後は行楽向け快速急行
向けと2008年から運転開始されたTJライナー専用となっている。
編成は8両で50090系と共通で使われている。
なお2010年に50090系に一部置き換えられる形で6177Fが本線へ転属された。
349:anorak?
11/07/30 23:01:25.27 xskMOEm60
>>342に続く平行世界もの
◎国鉄417系300番台交直流近郊形電車 JR四国417系1300番台
○1970年代、本四架橋の神戸・鳴門ルートとして本四淡路線が着工。
経路は駅名で山陽本線鷹取~名谷~塩屋~淡路夢舞台~淡路大磯~洲本~福良~鳴門線鳴門。
明石海峡は技術的・政治的理由で道路・鉄道併用橋から鉄道は海底トンネルへと計画が変更され、
明石海峡の深い海底渓谷を避ける為明石海峡大橋との近傍並行ではなく大阪湾側須磨浦に敷設、
大鳴門橋と共に青函トンネルの様に四国新幹線との共用。
だが新在共用にも拘わらず地理的事情や費用対効果上の建設費抑制により30‰台の急勾配が連続。
明石海峡須磨浦と鳴門海峡の渡海区間が新在共用となる計画上、鷹取以外は鳴門線と高徳線徳島・池谷間も含め全線
交流電化20kV60Hz、共用区間以外は原則単線。
85年の夏に本四淡路線が鳴門~淡路大磯間で暫定開業、88年夏に明石海峡トンネルも含め全線開業、
87年春の国鉄分割民営化以後本四淡路線全区間は417系300番台と共にJR四国に継承。
本四淡路線のローカル用に85-86年に製造投入されたのが、417系300番台である。
明石海峡トンネルの連続急勾配の存在により415系ではなく、勾配抑速ブレーキ搭載の417系を選定。
本番台の固有仕様は、渡海区間の塩害対策として車体外板のみをステンレスとしたスキンステンレス(セミステンレス)
車体で裾絞りが無い狭小幅断面、119系類似の先頭形状、雪切室等の耐寒耐雪装備省略、ボルスタレス台車。
当時の国鉄財政破綻寸前及び地域格差の影響で同時期の211系や415系1500番台と同様のオールステンレス車体は不採用。
セミステンレスの欠点である異種金属接触による電触対策は当時の最良の技術で十分に施され、
一段下降窓不採用、二段サッシ窓採用も対電触の慎重策。
設計当初ステンレスはJR東の253系の様に屋根と床のみでの使用が検討されたが耐久性重視で外板全部に。
McM'Tc'の三両を基本編成とし、85年本四淡路線暫定開業で徳島~淡路大磯間で就役開始。
88年の全線開業向け増備車がJR四国により1300番台として投入される。
主な変更点は、オールステンレス製広幅断面車体、転換クロスシート。
300番台と共に東灘信号所へ直通開始。
近年更新施工。
350:名無し野電車区
11/07/31 00:41:12.17 nmCahgRt0
東急2500系
老朽化した同社8500系を置き換えるため登場。
同社5000系は番号が全て埋まってしまったため、
一番両数が少ない2000系列を使うことにした。
編成はTcMMTTMMTMTcの10両編成で、将来の大井町、東横線使用も考慮し、
5M5T(MT比率1:1)で組成された。
このうちの4号車と5号車、8号車は6扉車である。
走行機器系はJRE233系のもの(三菱製IGBT 140Kw)を使用し、
コストダウンを図った。
ただし、車体は5000系のものと同一である。
加速度は3.3、減速度(常用最大)は4.0と、5000系と同一である。
351:anorak?
11/07/31 01:29:24.94 FLsMDAaq0
>>349に続く平行世界もの
◎国鉄713系300番台交流近郊形電車
○1986年夏、国鉄沖縄本線が開業。規格は軌間1067mm、交流電化20KV60Hz、高規格の在来線。
経路は、海洋博公園~運天港~名護~許田~沖縄自動車道沿い~石川~具志川田場~コザ~沖縄県総合運動公園~
沖縄自動車道沿い~琉球大~宜野湾嘉数~浦添牧港~国道58号沿い~那覇旭橋~那覇空港。
運天港と鹿児島駅桟橋を結ぶ国鉄の鉄道連絡船を介して内地とレールが繋がる。
なおモノレールとは旭橋と空港で連絡。
米軍基地の存在とそれによる民間建造物の密集で鉄道用地が確保困難な故に国鉄としては異例の道路直上高架と地下線の
比率が高く、起伏の富んだ地形と相まって急勾配が多い厳しい線形となり、動力車に高い粘着性能を要求されるので
当時の技術水準から交流電化を採用。
沖縄本線に713系300番台が新造投入された。
仕様にて84年に製造された900番台からの主な変更は次の通り。
軽量オールステンレス製車体、回生ブレーキの勾配抑速機能強化、台風銀座なので架線障害対策として予備パンタを搭載、
自動解結の為の電気連結器、ボルスタレス台車、転換クロスシート、冷房強化、外人対応の大きな洋式トイレなど。
外観と内装は翌87年登場の213系に類似する。
McT'cの二両が基本編成で、需要に応じて二両単位で増結。
86年始め先行量産車が落成し、九州にて試運転実施。
本車両は、沖縄本線の開業で就役開始。
青春18切符シーズンでは鉄道連絡船接続列車は最大六両で運行される。
87年4月の国鉄分割民営化により沖縄本線と連絡船と共に713系300番台はJR沖縄に承継され、現役である。
JR沖縄のシンボルカラーは寒緋桜に因みピンク。
近年、車両増備で余剰気味の一編成が大容量の単相/三相変換装置(マトリックスコンバータ)の試験車となった。
交流電気車で三相交流モーターを使用するには、従来では架線からの単相交流を一旦直流に変換してからVVVFインバータで
三相交流に変換しなければいけなかったが、単相交流を三相交流に直接変換出来る鉄道車両向けの大容量の
マトリックスコンバータが実用化されれば、電力変換ロスの減少、制御装置の縮小による低価格化など、
さらなるトータルコスト削減が期待される。
352:名無し野電車区
11/07/31 21:13:18.43 /CxikMv+0
横浜市電1700形
横浜市電最後の新造車両。
単車の入れ替え用に1600形と同型の車体に都電7000形同様の間接制御車として10両竣工した。
全線廃止時まで稼動し、モーターなど部品は函館市電に売却された。
1両が保存館奥に残る。
353:名無し野電車区
11/08/01 02:04:01.64 IZlMx/9Q0
JR西日本113系3500・3700番台
JR西日本では、もともと経年の古い415系800番台や475系を置き換えようと、
JR東日本で廃車となった415系500番台・700番台を購入した。
しかし、北陸地区の低床ホームや耐寒対策をクリアするにはあまりにもコストがかかるため、
加えて、北陸の輸送実態に対しては先頭車改造が必要なのもネックとなり、断念することとなった。
そこで、183系800番台同様、これらの車両から交流機器を撤去(ただし、末期の一部は交流機器停止のみ)し、
113系に編入したのが113系3500・3700である。
番台の数字は、車体の基本構造がちょうど同期の115系3000番台に近く、それに415系時代の番台を加味して定められた。
性能こそ本来の113系に近いものの、183系の関係同様、種車の415系とは協調運転できるが、オリジナルの113系とはできないため、
別運用が組まれている。
なお、経年を考慮して内装の改造は行われておらず、103系初期型を置き換えるべく広島地区に配置されて
同地区のラッシュ輸送に種車譲りのロングシートが遺憾なく発揮されている。
354:名無し野電車区
11/08/01 02:23:33.86 IZlMx/9Q0
JR西日本クハ205・204-1500番台
周知のとおり、東日本大震災は日本の経済社会に様々な影響をもたらした。
国土交通省および経済産業省は、鉄道事業者にも少しでも電力消費の少ない車両を有効活用するよう、
指導を始めた。
90年代製のステンレス車をおしげなく廃車する会社がある一方で、いまだに70年代製の電力消費の多い鋼製車を使っている会社が
ある事実を目にした。
そこで、その譲渡などの費用を一部補助する条件で、JR東日本の205系をJR西日本に譲渡することとなった。
しかし、まだ中間車しか廃車が出ていないため、先頭車をどう確保するか問題が生じた。
一時期は先頭車改造も検討されたが、E233系同様の鋼体を新調し、それ以外は極力廃車部品を活用して
いわば「セミ新造」で先頭車が用意された。
ちょうど都営新宿線と似たようなものである。
355:名無し野電車区
11/08/02 16:30:29.02 F6dDMsZBO
営団地下鉄(現東京地下鉄)07系 07-007~011F
営団地下鉄が1997年に追加で配備された07系で、東西線05系05-025以降車が
ベースとなったために車体及び全面形状が異なる。
こちらは純然たる7000系初期型の置き換え目的で、ドア位置が7000系と同じで
あったため、2008年に副都心線開業時に東西線への転籍を間一髪で免れた。
ワンマン運転及びホームドアの対応工事を後日装備の形で有楽町線で使われ、
8両編成化して副都心線内運転用にする計画もあったが、東京地下鉄は07系の転籍計画を発表する。
ファンの間や2ch内では転用先の専用スレ内では大方千代田線だろうとみられたが、
なんと東京地下鉄が決めた転籍先は半蔵門線。
8000系初期型を取り替える計画と見られたが、東武の保安装置が東上線から
伊勢崎線 日光線の本線に変わるだけでソフトウェアを変えるだけで済む点と
西武の保安装置の箱を東急のにしてしまえば安上がりだからと見られる。
2010年より16000系をフィードバックした10000系改良型を副都心線に入れる
玉突きに和光検車区から鷺沼検車区へ転籍された。
356:名無し野電車区
11/08/03 10:02:56.65 br4DFHnc0
JRE207系
JR東日本は老朽化した東海道本線211系を置き換えるため、321系の増備で過剰となった
JR西日本の207系を購入し、東海道本線に10両車9編成、5両車10編成を投入した。
編成はMcTTTsTsMTMTTcの3M7Tとした。この際、ギア比はE231系と同じ7.07とした。
グリーン車はE233系3000番台で使用されているものを新しく製造し、3両目と
4両目に編入した。
ついでに、塗装も湘南色となった。
加速度は2.0、減速度(常用最大)は、4.2である。
357:名無し野電車区
11/08/03 11:13:16.22 dn+dsRMj0
国鉄 517系
老朽化している 北陸地区の475系列や419系を置き換えるために登場
編成は3両編成
外観は117系の475系急行色バージョンみたいなデザインとなる
ドアは2ドアで両開き(413系と同じ)
358:名無し野電車区
11/08/03 11:18:31.78 dn+dsRMj0
JR西日本 223系8000番台
基本的なデザインは225系と同じ
モーター類も225系と同じ
編成は、8両編成と4両編成がある(それぞれ2編成登場)
225系の登場に伴い形式が変更される(225系1000番台化)
225系と見分ける方法は、前面では、ヘッドライトの下に帯があるかないかで
側面は、223系2000番台と同じかそうではないかの違い
主に新快速・快速
359:名無し野電車区
11/08/03 11:21:38.31 dn+dsRMj0
JR西日本 223系8500番台
225系が出る前に登場した試作車
基本的なデザインは225系5000番台と同じ
編成は4両のみ
225系との見分け方は、前面がヘッドライトの違い
側面は、パンタグラフ
主に関空・紀州路快速に使用
360:名無し野電車区
11/08/03 11:27:58.53 dn+dsRMj0
>>359
補足225系5000番台の登場で225系6000番台に改番
JR西日本 225系2000番台
初期製造分は大和路線の221系大和路快速をすべて8両貫通編成にするために登場
2次製造分は、みやこ路快速を置き換えるために4両編成が登場
編成は8両貫通編成(初期製造分)と4両編成(2次製造分)
塗装は、ステンレスに、221系の帯と同じ帯となる
361:名無し野電車区
11/08/03 21:51:15.40 vlKWyW430
>>350
なんで三菱になるんだ?
田都向けなら日立製になるはずなのに。
軌道線の世田谷線300系は例外的に採用しているが、
東急は鉄道線では三菱VVVF採用は考えられないな。
362:名無し野電車区
11/08/03 22:07:50.23 lsWuZQEF0
>>361
日立かあっても最近東洋の代わりに入っている東芝か・・・
東急えらい東芝使ったのが出てきてるけど。
阪神電鉄9900系
直通特急や団体・催事用として投入した車両。
1000系の車体・走行機器に9300系の座席配置を組み合わせたようなものだが
VVVFが東芝製(1M2C×2群)になっている。
近鉄乗り入れ対応だが近鉄線への乗り入れは当面団体・催事のみ。
←梅田・難波
9900(Tc)-9700(M1)-9800(M2)-9600(T)-9750(M1')-9950(T'c)
363:名無し野電車区
11/08/03 23:20:37.71 7XGFmIBE0
クモハ153
国鉄で余剰となった153系を「するがシャトル」に転用するべくモハ153を先頭車化改造。
全て高運転台である。
車内は特に手を加えられなかったため詰め込みが効かなかったのが難点だったが110km/h対応であるため119系撤退後も残っていた。
時々急行「東海」や大垣夜行に充当される事もあった。
JR東海に承継されたが1992年に廃車となった。
364:名無し野電車区
11/08/03 23:46:06.15 vlKWyW430
>>362
今は
東横・田都=日立
目黒・大井町・池多摩=東芝
でしょ?
最近登場した4000系(5000系4000番台?)は三菱製と勘違いする人も多いかもしれないが、
あれも日立製だ。
365:名無し野電車区
11/08/04 00:04:30.59 WV67tlzpO
東急2000系地方転用計画
東武線の直通運用が出来ないなど、厄介者扱いである2000系の処遇に困っていた
東急は大井町線転用や東横線転用を諦め、ついに地方転用を決断することになった。
10両編成3本30両を2連等にばらして譲渡するもので、7200系や1000系など
東急の18m車を使う上田電鉄や豊橋鉄道らも名乗りをあげたが、最終的には
秩父鉄道と長野電鉄に譲渡されることになった。
秩父鉄道は2代目2000系として2両編成4本が配備され、これらで元東京都
6000系を取り替える。
残りは3500系を取り替える長野電鉄に2両編成7本が譲渡された。
形式は2000系となったために特急用が形式消滅して間も無く2代目形式となった。
なお先頭車を電動車化したものやサハを先頭車化したものもある。
なお長電にはこれとは別に未改造のデハやサハも譲渡されている。
長電テクニカルサービスの工場に搬入されており、先に譲渡されたJR東日本253系を
VVVF化するためのパーツ取り目的である可能性が高い。
366:名無し野電車区
11/08/04 00:26:31.89 mftfXXf60
>>361、364
ご指摘有難う御座います。
てっきり、4000系は三菱製かと思っていました。(泣)
367:名無し野電車区
11/08/04 09:34:40.57 qHrAgt7x0
JR西日本 サロ481-2500
スーパー雷鳥の廃止によって余剰となった元だんらんのサロを雷鳥に転用する
塗装は、国鉄色
車内は、スーパー雷鳥と同じまま
グリーン車の隣(大阪寄り)に組み込まれる
しらさぎの廃止で、しらさぎのパノラマ車が雷鳥に転用されるときには、大阪寄り2両目に組み替えをする
3月11日の雷鳥引退で、さらに転用されて今は、こうのとり系統に改造中だとか
368:名無し野電車区
11/08/04 11:41:21.60 kWHKe5WXO
国鉄:113系2500番台
昭和56年に製造された車両。東海道線東京口向けとして登場した。
これは当時、混雑が悪化していた事もあった為である。
しかし長距離通勤客からの苦情が来た為に導入を取り止めて、2700番台の増備に移行。
因みに導入されたのは84両のみに留まった。この車両は共通運用という事もあり、東京~浜松の普通列車にも導入された事もあった。
現在は千マリに4両1本が残っている。以前は東チタ(その後、東コツへ)、東(横)コツ、静シスにも配置されていた。
国鉄:113系2700番台
(史実の2700番台は3000番台に)
昭和58年に製造された車両。東海道線向けとして登場。
2500番台と違い、2000番台ベースとして導入されたが、車端部がロングシートに変更されている。これは混雑緩和用とされている。
しかし、あまり好評で無かった事から導入されたのは62両のみに留まった。
また、民営化後に西日本へ継承された車両は車端部をクロスシートに改造し、2000番台に編入されている。
現在、東日本所属車両は千マリに4両1本が残っている。以前は東チタ(その後、東コツへ)、(東)横コツ、静シス、海カキ(その後は静シスと海シンへ)、海シン等に配置されていた。
369:名無し野電車区
11/08/04 16:12:47.93 qHrAgt7x0
JR西日本 クロハ183-850
雷鳥用に使われたパノラマグリーン車をこうのとり系統に転用する
改造内容は、半室グリーン車化
座席定員をクロハ183と同じにする
370:名無し野電車区
11/08/04 17:40:17.83 WV67tlzpO
113系3000番台
新快速用として計画された113系で昭和55年に製造され、これらの構造は後に
117系への原型となった。
ドアは真ん中がない2ドアとし、座席は車端部のロングシートである以外は
転換クロスシートとし、また走行装置系はDT32/TR69とほぼ165系と同等である。
大垣に配備された湘南色の塗り分けも165系のような塗装であったために
ニセ急行型と言う名前まで拝領してしまい、それを決定つげたのは
3001~3003の新造当初は冷房準備車でその冷房装置がAU13E/AU71搭載で
あったため、その冷房装置を搭載した(3004以降からAU75C準備車になる)
関係でさらに拍車をかけた。
但し3007以降は新造時からAU75Cの冷房装置が搭載された。
大垣に最初の冷房準備車グループ含めて4両編成8本網干に新快速塗装の
グレーに青帯仕様で6両編成8本が配備された。
しかし所詮後に配備された117系へのつなぎに過ぎず、この製造のみで
製造は打ち切られた。
東海 西日本に継承されたが、東海車は後に快速や区間快速に細々と使われたものの、
運用の制約がありすぎる厄介者扱いされ、313系に追われて平成20年に廃車された。
西日本は新快速を追われた以降は阪和線の快速や紀勢線に場を広げたが
223系に追われて現在は奈良線みやこ路快速用として最後の活躍を見せている。
なお急行型にしか見えない点を利して大垣車は所属を静岡に移した後も
臨時大垣夜行に何度も使われ、また末期の急行東海に165系共々混ぜて
運用するなど、不遇な扱いされながらも最後の華を見せた武勇伝が多い。
実際こんな急行東海の編成まであったと言う。
クハ111-3000-モハ112-3000-モハ113-3000-サロ165-108-サロ165-132-モハ112-3000-モハ113-3000-クハ111-3000
サロ165には113系を連結出来るようにされていたという。
廃止直前の編成はこんな編成だった
クハ111-3000-モハ112-3000-モハ113-3000-サロ165-サロ165-クモハ165-モハ164-800-クハ165
371:名無し野電車区
11/08/04 22:25:51.53 Ew8fT+ca0
クヤ451
サハシ451の教習車化改造車。
外観や車内設備はクヤ153と概ね同様であるものの、塗色はロースピンクになっている。
仙センと金サワに1両ずつ配置されたがいずれもJR化直前に廃車された。
仙台所属だったクヤ451-1は現在新幹線総合車両センターに保存されている。
372:名無し野電車区
11/08/04 23:13:50.55 VzeZKDx+0
JR西日本225系6000番台
JR西日本は新規の通勤形電車開発を行わない方針を発表。
その代わりに、225系5000番台を4扉化&ロングシート化した車両を
投入することとなった。
373:名無し野電車区
11/08/05 00:28:20.86 MaXnIRbX0
阪神70形(2代目)
金魚鉢を現代に蘇らせた車両。
ただし、本線走行のため、床は高めになっている。
また冷房もそれとなく設置されている。
近鉄・山陽への入線も可能。
普段は武庫川線で運転されえいる。
374:名無し野電車区
11/08/06 10:17:21.76 Yf9ZFt7L0
JR西日本 287系1000番台
スーパーくろしおの381系を置き換えるために登場
編成は6両編成 増結する3両はくろしお用287系0番台になる
白浜方が半室パノラマグリーン車となる予定
振子機能がない代わりに、阪和線内でスピードを上げる
2013年に登場
375:名無し野電車区
11/08/06 10:22:51.02 Yf9ZFt7L0
JR西日本 487系
287系の交直両用番
基本的な編成仕様はサンダーバードと同じ
編成は6両編成と3両編成が登場
この車両で初期の681系を転属させる
683系や681系との併結も可能
376:名無し野電車区
11/08/06 11:54:33.28 ld020nTQ0
国鉄103系1200番台片町線・福知山線仕様
国鉄は東海道本線(尼崎大阪間)大阪環状線(大阪京橋間)の混雑解消のために、昭和50年、
片福連絡線(現:JR東西線)の建設を決定、連絡線区となる片町線東部・福知山線の電化も同時に行うことにした。
そこで地下線対応車輌も投入されることになり、コストの面から東西線(営団地下鉄)乗り入れ実績のあった
103系1200番台が昭和51年より新製投入された。
もっともこの時点で投入されたのは片町線101系の置き換えのためであり、
福知山線用は宝塚電化が完成した昭和56年に投入された。
首都圏の1200番台の続番であるが、以下の相違がある。
・首都圏はATCであるが、片福用はATSを積む。
・機器配置は301系を基本とせず、103系基本番台と同じである。
・塗装は片町線用が橙色、福知山線用は黄色である。
・片町線用は4M+2M1T、福知山線用は6Mである。
もっとも、国鉄の経営危機により、片福連絡線は昭和57年に工事中断、完成したのは民営化後の平成9年であったので、
103系1200番台はJR東西線に乗り入れることはなかった。
片町線・福知山線へJR東西線乗り入れ用の207系が配備されるにつれ、電装解除と8連化により大阪環状線に転出したものや、
短編成化により播但線、加古川線、桜井線、和歌山線に転出したものもある。
環状線への201系投入に伴い、環状線運用車輌は阪和線、関西線に転属した。
377:anorak?
11/08/06 14:42:43.39 R6tmrG4w0
>>351に続く平行世界もの
◎JR東日本E219系一般形電車
特記 碓氷峠自走
○国鉄が破産寸前の1980年代に東北上越新幹線が開業したが、それらの利益が高金利の建設債務と並行在来線の赤字で
相殺されて経営改善には貢献しなかった、という教訓から、整備新幹線の建設には、一に財源には公的無償資金援助、
二に並行在来線の経営分離の自由が認められた。
北陸新幹線高崎・長野区間着工の際、JR東日本は並行在来線の横川・篠ノ井区間を経営分離する事を表明。
JR東が発足当時とは想定外の黒字であった事から『税金等の公的資金の援助で新幹線という金の卵を手に入れて、
赤字の在来線を納税者に押し付けるとは、そこまで一民間企業を厚遇して良いものだろうか』云々の批判を受け、
結局、インフラを第三セクターの第三種鉄道事業者の保有とした上でJRが第二種鉄道事業者として運営を継続する事で、
97年秋の長野新幹線開業時に横川・篠ノ井間が新しいJRの地方交通線として信越本線から分離する事になった。
これは他にも波及し、並行在来線の上下分離区間は路線名が変わるが、全区間は外観上JRが一体運営。
当並行在来線の合理化目的で軽井沢・横川間の最急勾配66.7‰の碓氷峠を自走可能な電車E219系が97年上半期に登場。
本系列の特有な仕様は以下の通り。
意匠は、701/E127をE217並の裾絞りの有る広幅断面車体にした両開き三扉車。
車種と基本編成は、クモハ128(M'c)クモハ129(Mc)→横川、Mに走行機器、M'に横軽対策装置を集約、運転台側台車では
後輪に主電動機一基だけとなる0.75M車、電気連結器、需要に応じて最大六両。
走行システムは、1C1M方式のIGBT素子VVVFインバータ制御、主電動機定格120KW。
ブレーキは回生に加え下り勾配抑速最重視で発電も、M'cとMcの屋根にブレーキ用抵抗。
横軽対策として特に停電時に急勾配で停車状態を維持する為の各種ブレーキへの非常電源となる大容量の蓄電池。
接客設備は、セミクロスシート、M'cの後位に車椅子対応の洋式トイレ、半自動ドア。
横軽対策としての空気バネパンクは無い。
97年10月の長野新幹線開業に伴い信越本線の横川・篠ノ井間がJRの地方交通線“浅間千曲線”への変更と共に、
本系列が高崎・軽井沢・小諸間のローカル運用に就役開始。
378:anorak?
11/08/06 14:48:02.03 R6tmrG4w0
>>377での重大なミスの訂正
>クモハ128(M'c)クモハ129(Mc)→横川 ×
↓
> クモハE218(M'c)クモハE219(Mc)→横川 ○
379:名無し野電車区
11/08/06 23:42:18.83 GW5vx13w0
16系客車
国鉄が製造した昼夜兼用客車。
583系と同様に座席と寝台の切り替えが可能であり、昼夜問わず運用が可能となった。
昼間は座席車として、夜は3段式寝台車として使用可能。
380:名無し野電車区
11/08/07 01:22:54.28 W9J8eMg20
JR東海サロ213・クロ212
ご存知、東海道新幹線という金のなる巨木をもつ優良企業・JR東海。
最近は、リニア館の開設やリバイバル塗装など、草の根のビジネスにも
力を入れ始めた同社が、静岡地区の在来線でも濡れ手に粟をもくろんで
有料快速「するがライナー」を設定することとなった。
ただし、中央線のセントラルライナーと違って、全区間ロングシートの自由席車併結で
運転されており、内容的にJR北海道のユーシートに近いものとなっている。
その車両にはもともと運用のだぶつき気味であった373系を充当する予定であったが、
旧型車置き換え用の313系の投入が抑制され、その穴埋めに充当することとなった。
そのため、ちょうどJR東日本で余剰が発生した211系サロを譲り受け、
編成端に充当すべく、東日本時代のペアのまま偶数向きサロ212に運転台を取り付け、
クロ212に改番された。JR東海では同社オリジナルの211系5000番台と組んでいるが、
無論、同番台と組成するため回路の改造を行っている。
381:名無し野電車区
11/08/07 10:46:46.04 oZR2HDU6O
>>377-378に便乗
JR貨物EH300型電気機関車
97年10月の長野新幹線開業に伴い信越本線の横川・篠ノ井間がJRの
地方交通線への変更と共に普通列車に関してはE219系(>>377-378)が投入された。
しかし貨物列車に関してはEF63型がJR東日本所有だった上、本務機たるEF62型の
老朽化や比較的平坦な安中貨物はEF81型等で賄えるために専用機関車の
開発は見送られていた。
しかし平成16年に起きた新潟・福島豪雨により転機が訪れる。この豪雨では
上越線などが長期間運休になった他に豪雪などによる運休も増えたことから
そのバイパス線の機能として碓氷峠越えのルートが見直され、JR貨物は1両で66.7‰の碓氷峠を
800~1000トン貨物列車で越せる電気機関車として満を期して投入されたのがEH300型である。
EH200型をベースにする計画だったが、緊急時の吸着ブレーキ系の装備などの
関係でEH500型ベースに変更され、前後で1.3mストレッチした3連結式である。
前後で牽引用として、真ん中の車両はブレーキ系の装備などを持ち
制御系はIGBT素子VVVFインバータ制御とした。
ブレーキ系は回生及び発電両方持ち、緊急時に急勾配で停車状態を維持する
緊急用電磁吸着ブレーキなどEF63並みの各種ブレーキと緊急非常電源となる
大容量の蓄電池を中間車に装備する。
また緊急時は電車の牽引も行えるよう連結器は双頭式である。
平成18年に試作機901号機が完成し、翌年から量産を開始して17両が高崎に配備された。
牽引は倉賀野操車場から西上田までで原則単機で牽引する。
最大出力6800KWはJR電気機関車では最大。
なお、当初EH300型は横軽補機用で本務用機関車と区分けした運用を計画しており、
本務用として山岳用急勾配用機関車を数多く手掛けるスイスからの
技術提供を受けてGe4/4Ⅲ型を直流用にした本務用電気機関車ED300型も計画されていた。
原型のGe4/4Ⅲ型はレーディッシュ鉄道が保有しており、ベルニナ鉄道が
箱根登山鉄道と姉妹鉄道であることから仮に量産されていた場合、
JR貨物所有ながら第三者所有が箱根登山鉄道と言う機関車も出ていた可能性がある。
平成23年新潟・福島豪雨では上越線が不通になり、寝台特急あけぼのの迂回と
快速ムーライトえちごの横軽援護や新津発送の新車配給列車の援護に活躍した。
382:名無し野電車区
11/08/07 10:58:47.71 8kCK65af0
>>379
のちに2段改造されてロネに・・・
383:名無し野電車区
11/08/07 15:00:23.64 ool1Hzj30
TDNカルダン駆動方式
東洋電機製造が開発した新形の駆動方式。
耐久性を向上させたTDN継手を用いる。
何故か2chなどでは採用車両・鉄道会社のスレに無関係なレスがつく。
384:名無し野電車区
11/08/07 16:02:29.86 pJgedLrf0
109系
国鉄が開発した103系の碓氷峠対応バージョン。
EF63と協調運転できるようになっている。
385:名無し野電車区
11/08/08 10:50:08.40 1NUzGFiG0
国鉄 209系 1983年に登場
201系の碓氷峠対応バージョンだが、編成は4両編成と7両編成となっている
>>384の109系が不具合多発するために早急に別の車両で置き換えようということで登場した車両である(109系は、103系化される)
長野地区で使わている115系の置き換えとしても誕生(使用されるのは4両編成車)
他4両編成は、7両編成とともに高崎線等で活躍する
塗装は湘南色 前面は201系と同じ もちろん4ドア車
4両編成は クモハ+モハ+サハクハ
7両編成は クハ+モハ+モハ+サハ+モハ+モハ+クハ
386:名無し野電車区
11/08/08 11:49:45.10 1NUzGFiG0
>>385の碓氷峠廃止後
4両編成は、サハを抜き3連化される
7両編成は、4連で抜いたサハを加えるが、中間2両あるサハは、運転台取り付け改造を行う
前面は205系と同じようなデザインとなる
房総地区に転属し113系を置き換える
387:名無し野電車区
11/08/08 15:21:33.11 sL/Lu1/y0
阪急7200系
昭和55年、阪急電鉄が試験的に導入した、ステンレス車体車両。
7200-7201の2両1編成が試作され、神戸線の増結運用に用いられた。
アルナ工機としてはステンレス車体の製作は初で、技術的には当時においても一世代前の、コルゲートの多い車体となっている。
運転台は普通鋼で作られたものをボルト接合してあり、7000系普通鋼車とあまり変わらない。
車体側面の窓周りのみマルーンの塗装が施され、近鉄3000系に酷似した。
制御機器は7000系と同じ界磁チョッパで、台車は阪急初のボルスタレス台車を履いた。
乗客の評判は決して悪いものではなかったものの、阪急首脳の一部保守派の抵抗に遭い、量産されることはなかった。
もっとも、この時の技術は東武9000系の製作に生かされることになった。
現在でも平日朝ラッシュ時の、神戸線増結運用に用いられている。
388:名無し野電車区
11/08/08 19:47:38.58 1NUzGFiG0
JR貨物 EF530
JR貨物が所有する九州内の貨物機(ED76やEF81)を置き換えるために登場
愛称が付いている(浦島太郎)
デザインは、EF210+EF510÷2のようなデザインになる
関門トンネルも通過可能
389:名無し野電車区
11/08/09 14:36:59.66 Papv8BTx0
457系1000番台
国鉄が1971年から製造した457系のマイナーチェンジ版。
以下の相違点がある。
・側面方向幕を取り付け
・編成美を整えるためモハ457が登場
・サハ455が大量に製造された
・クハ455が2種類ある(偶数向きの1000番台と奇数向きの1100番台、1100番台は30両程度しか製造されなかった)
中間車が多いため153系を彷彿とさせる長大固定編成が実現したが、国鉄末期に先頭車化改造車が大量発生する要因となった。
JR東日本・西日本・九州に承継されたが、一部は波動輸送用にリクライニングシート化改造されたものもある。
現在はJR東日本で波動用のリクライニングシート車の4両編成4本が、JR西日本で3両編成と6両編成が残るのみである。
390:名無し野電車区
11/08/09 16:51:31.91 dA/0a9TUO
秩父鉄道ヲキ250 950形
鉱石(石灰石)運搬車であるヲキ100形の初期車両の老朽化が進んだことや
昭和63年から車掌添乗が廃止になってヲキフが必要なくなったことから
秩父鉄道は新たな鉱石運搬貨車を求めた。
折しも近隣の青梅線で長年運転されていた川崎への石灰石輸送列車がトラック化
により廃止になった。
そこで秩父鉄道は使っていた貨車を廃車にするなら当社で輸送用に
使おうと言うことになり、JR東日本及びJR貨物と交渉の上ホキ2500形及び私有型の9500形の購入に合意する。
秩父鉄道側の編成の慣例上購入は20両でホキ2500形と奥多摩工業及び
日本石油輸送所有のホキ9500形各10両が譲渡された。
ホキ9500形にはホキ2500形からの私有化改造車も含まれており、初期車両の
ガンガン叩きの板が付いた車両も含まれている。
ホキ2500形はヲキ250形にホキ9500形はヲキ950形となったが、平成19年に
ヲキ250形に全て統一された。
所有は太平洋セメントとなったが、所有者板を外した以外は原型の赤塗装の
ままで使われている。
降ろし方が異なるためにヲキ100形と混結はせずに単独形式で20両編成で組成する。
平成23年にホキ2500形グループ取り替えとして、河合石灰工業及び
矢橋工業所有のホキ9500形5両が仲間入りし、名古屋形の飛散防止カバー
付きで異彩を放っている。
391:名無し野電車区
11/08/11 00:28:21.02 1o0JsJkY0
キ二E30
同人誌輸送用に導入された荷物ディーゼルカー。
マニ30を現代式にハイブリッドディーゼルカーにして製造したもの。
パンタグラフが付いており、地下鉄乗り入れ時には電車として走行する。
輸送されるものが札束以上の価値なので警備も厳重である。
機関銃など各種武装が内蔵されていると言われる。
また、正面の扉を無断で開けると催涙ガスが出るとの話も。
392:名無し野電車区
11/08/11 08:33:35.29 MjydLCKu0
キハ143系5000番台
非冷房で残るキハ141・142の置き換え用として、快速「海峡」で使われていた
50系5000番台を種車に2003年に登場。
改造行程はキハ143とほぼ同様だが、前照灯にはキハ160タイプのHIDが採用されている。
また50系が種車のため、外観はキハ141・143と比べて窓が大きいのも特徴。
室内はセミクロスシートで、クロスシート部は種車の転換クロスシートがそのまま活用されている。
冷房装置も改造費の抑制から、種車のものがそのまま活用されている。
全車苗穂運転所に在籍し札沼線で使用されているが、電化後の動向はまだ明らかになっていない。
393:名無し野電車区
11/08/11 11:22:45.68 aaAvAig5O
東武東上線TJライナー用車両改造計画
※事実と異なります。
東武鉄道は予めスカイツリーの試算などを計算した上で、新車は一時見送ることにした。
一方で、東上線は副都心線の問題を抱えており、更なるサービス向上にも頭を悩ませていた。
「どうせ、9101Fは有楽町線にも使わなくなるだろうし、有効活用していこうか?」
「そしたら、今ある50000系・50070系以外の10コテをL/Cに改造すれば昼間でも使える」
ということで、9101F、11003~11006F、11031~11032Fをダイヤ改正や副都心線の対策でサービス向上するための「TJライナー」に折り込むことで合意した。
車内は9000系列で改造された白系をベースに、通路側にもLED案内を設置した。
座席はL/Cタイプで、昼間でも使いやすくしゆったり座れるように工夫。
仕事にも、ドリンクにも使えるテーブルも用意された。
外装はこれまでのエンジからロイヤルブルーに変更し、「TOJO LINE」が帯の中心に配置。
また、9101F・11031F・11032Fには11480Fと同じ制御機に更新。
50番台とは違う乗り心地を実現させた。
一部の方からは苦情はあったものの、今日も走り続けていることは周知の通りだろう。
ちなみに、この改造で50000系は51014Fまで作る羽目になったという
394:名無し野電車区
11/08/12 01:48:00.40 2pXvN1c70
小田急9000系(2代目)
製造から20年たった1000形を置き換えるために製造された車両。
余りある番号がほとんど埋まってしまったために、廃車になった9000番台を使用することにした。
制御方式は4000形でも使われている三菱製IGBT-VVVFインバーター方式を全密閉式を採用した。
モーター音は室内からはほとんど聞こえない。
編成は小田原寄りからTcMMTTMMMMTcの順とした。
なお、この車両はあくまで4000形の増備車扱いのため、2編成しか増備していない。
ただし、5000形、5200形による6+4の10両編成車を置き換える可能性があるため、
まだその先は不明である。
395:名無し野電車区
11/08/12 02:01:23.08 2pXvN1c70
>>394に続く平行世界的なもの
伊豆急行1000形
老朽化が激しくなってきた同社8000系を置き換えるために登場。
4両車は伊東寄りにトイレを設置するだけで済んだが、3両車では過負荷になってしまため、
この際ギア比を従来の6.31から209系同様の7.07に変更した。
この関係で加速度は従来の3.3から2.5にまで落ちた。
編成は4両車がTcMMTc、3両車がTcMTcとした。
ついでにこの車両の海寄りはクロスシートに変更している。
396:名無し野電車区
11/08/13 00:10:02.44 MOBHYegd0
610形(610~619)
本線用車両。550形の後継で初の冷房搭載。
既存の880形を両運転台にしたものでワンマン運転対応になっている
620形(620-621~628-629)
高富線むけの車両。
基本構造は880形と同様であるが冷房付,ワンマン対応。
専用軌道区間での高速運転の実施にともない弱界磁が追加されている。
397:名無し野電車区
11/08/13 00:21:25.04 xnkEEawy0
>>395
「しまため」じゃなくて「しまったため」ですwww
訂正します。
398:名無し野電車区
11/08/13 02:36:33.92 n1xtFsNB0
相鉄2000系
事業用として使用されていたモニ2000系3両と保存されていた2008号車を
イベント用としてフルレストアして旅客用に再改造した車両。
車体は大規模な更新が施され、制御系は18m級なので
京急新1000形の物が採用されている。
台車・モーターはE233系ベースの11000系の物を流用。
冷房は、極力原型を保つため、10000系の冷房装置を
屋根に埋め込む形となった。
内装は、11000系と同じ感じに改造されており、ドア上には17インチワイド液晶が
2台設置されている。
鉄道ファンの間では、旧型電車で東洋IGBTの音が聞ける車両として人気が高い。
399:名無し野電車区
11/08/13 07:08:31.20 DC0uhILs0
JR東日本 E28系
平成23年に復活したC61用として新造された、20系客車風の客車
カヤE28:カニ21風の電源車で、荷物室部分はイベント用の資材などを積むスペースとなっている。
オハE28:ナハ20風の普通座席車で、モデルとなったナハ20から売店設備を撤去し、座席は回転リクライニングシートとなっている。
オハフE28:ナハフ20風の普通座席緩急車
カヤE28×1、オハE28×5、オハフE28×1の計7連1編成で登場し、東京駅をPトップで出発し、品川から山手貨物線経由で水上まで行く
「EL・SLみなかみ号」でお披露目運転したときには、沿線に約10万人の撮り鉄が集まる事態となったのは、このスレの諸氏には周知のことであろう。
400:名無し野電車区
11/08/13 08:34:38.09 tt7I4TZn0
1号首相公用車(1927年)
政党政治が行われた昭和初期に首相移動用に製造された客車。マイネ37がベース。
首相夫妻用個室寝台と警備警官・兵士用プルマン寝台に閣議用会議室、防弾ガラスの窓が装備されている。
戦後GHQの接収・冷房の装備・返還を経て新1号首相公用車登場まで使用され、現在は鉄道博物館に保存。
田中義一~岸信介までの各総理が乗車。
新1号首相公用車(1958年)
上記の新型で、オロネ10ベースとなったが個室寝台や会議室などの設備は同様である。
当初より冷房装備。またテレビも用意されている。御料車同様、出発時に顔を出せるような大型の開閉可能窓があるほかは密閉窓。
クロネ651登場まで使用され、現在は鉄道博物館に保存。
岸信介~竹下登までの各総理が乗車。
クロネ651(1989年)
バブル時の内需拡大策により登場。
651系ベースで制御車となっているのは緊急時に先頭車として運転可能にしているためで普段は中間に連結され、運転台は211系のそれに類似したものとなっている。
他のJRやJRと乗り入れている私鉄各線でも走行可能なように設計されているので幅が2744mmとやや狭目である。
各種ATS/ATC設備を搭載していて地下鉄乗り入れもできる。
海部俊樹総理以来現在まで使用されている。
401:筆頭与力
11/08/13 19:31:56.15 5xQHosQ+0
JR西:モハ207-2100(M1)
現在207のHに拉致されているモハ1500をパンタ復元の上、原番号へ復帰
Sに編入、ここへサハ2000×2と上記車両を組込
MC-T-T-M1-T-M-TCとしてF編成とする。
解体されたHは同編成同士固定化し奈良・日根野へ転属の上103を廃車。
☆207-1000はT1~14のみ編成に付随車に2基CP搭載で後は2000を含み
全て1基搭載の為同車を製造。
402:筆頭与力
11/08/13 19:37:20.94 5xQHosQ+0
追加&訂正
☆207-1000はT1~14のみ編成に2基CP搭載で後は2000を含み
全て1基搭載の為同車を製造
205を再度6と8に組換の上8は森ノ宮、6は奈良へ。
この置き換え含みで不足分はモハ2000(M)も製造し賄う。
403:ムーンライト
11/08/13 21:56:12.64 3qytrvQL0
>>292は211系1500番台
>>313
直流急行形でもしスカ色が登場していれば、直流急行形のスカ色は交直流急行色と同じ塗り分けでの色違いとなっていた。
404:名無し野電車区
11/08/13 22:21:48.54 6tSWIxU50
>>396
630形(630-631~638-639)
510形の老朽化にともない登場。
構造は620形と同様だが鉄道線区間用のステップがついている
405:名無し野電車区
11/08/13 22:24:43.17 IOjLVSrj0
185系1000番台
国鉄が製造した185系のATC仕様車。
客室内にATCを積んだため定員が4名減少した。
急行「鹿島」「水郷」の置き換え用のためモノクラスの6両編成である。
現在は波動輸送用として使われている。
406:anorak?
11/08/13 22:41:52.32 lJKfNIdR0
>>377-378に続く平行世界もの
◎JR01系客車
○2009年政府は景気刺激策として高速道路の休日特別割引―ETCで上限千円―を実施したが、
自家用車を家計上所有不可能な人々にはその恩恵を直接享受出来ない。
そこで低所得者層に対し格安鉄道旅行をJRの各主要幹線での急行「きぼう+走行路線名/沿線地名+番号」号グループの
運行で以て提供する政策が期間限定で実行された。
きぼう号の急行券と乗車券の一括購入時に役所が審査発行する低所得者証明書を提出すると総額料金が破格の安さになる。
運行はJR旅客各社に任され、運行や車両準備等の諸経費は税金等の公的資金で賄われ、専用車両の資産税免除。
接客水準は既存のJRの優等列車や高速バス等に悪影響を与えないものとなる。
充当車両には、253系等の余剰車の他に、施行期限と予算限定の政策が故に費用対効果上客車が新造された。
それが01系客車―ナハ/オハフ/スハフ/マヤ01形―である。
基本仕様は、製造費低減の為、E233系を車端に1m幅片開き二扉のステップとデッキ付き客車にした様なものであり、
冷房装置は集約分散型、集団離反型の固定クロスシート―頭もたせ付き、熱線吸収ガラスでカーテン省略、
洋式トイレと小便用と洗面所。
各車種の主固有仕様について、オハフはナハに車掌室、救護や警察の防犯業務等に対応の多目的業務室、障碍者用トイレを
追加、スハフはナハに架線集電の電源装置―三電源対応で自車を含む八両分に給電、集電装置管理室、売店、
マヤは非電化区間用電源専用車―15両分給電、車長16m、コイルバネ台車。
本系列は2010年に大量生産され、JR各社に分配された。
きぼう号シリーズは東海道線等の各主要幹線で毎日運行され、自由席と指定席、夜行便もあり、繁忙期には増発。
01系客車牽引にはJR貨物にも委託し、牽引機の大半はJR貨物になり、JR貨物も補助金を得る。
2010年夏某日土曜日朝、品川駅にて博多行きの急行“きぼう東海道山陽北九州”号の出発式が開催され、
フラッシュの嵐の中、JR貨物のEF66形100番台が牽引する01系客車15両編成の当列車が出発。
繁忙期の夜行の自由席は、昭和の座席夜行列車を彷彿とさせる程の混雑。
財政悪化で高速道路の特割が中止になっても、きぼう号の運行は継続中。
407:名無し野電車区
11/08/13 23:38:32.97 IOjLVSrj0
E333系
JR東日本が開発した「巨大車体電車」。
角を切り落とした面取り車体(真上から見ると車体が八角形に見える)を採用する事で台車間の車体幅を車両限界いっぱいの3000mmに拡大する事に成功。
408:名無し野電車区
11/08/14 23:30:05.02 aKzU2zdh0
キハ39
JR西日本で50系客車を改造して作った気動車で、キハ33の片運転台バージョン。
トイレ付きでオハフ50が種車の0番台とトイレなしでオハ50が種車の1000番台がある。
0番台は乗務員室扉付きで、1000番台はキハ33と同様に側扉を移設している。
409:名無し野電車区
11/08/15 02:25:37.29 t/pdmHMK0
東海道・山陽新幹線 新自由席車両
東海道新幹線は年々利用者が増え、特にラッシュ時や繁忙期の自由席の混雑が深刻なものとなっていた。
一方でひかりやこだまの利用者はおらず、輸送が偏る傾向があった。
そこで、全体的な輸送力増強のため、ついに自由席車両を抜本的に作り直す事となった。
シートピッチはそのままだが、313系と同じ2列&2列(中肘掛なし)の初代0系以来の転換クロスシートである。
壁際のコンセントと無線LANが使えるように、窓側に横に折り畳めるテーブルを新たに設置。
デッキは開口部を広げ、ドアを無くした仕様になり、新たに乗降扉用の半自動ボタンが設置された。
通路幅を広げたため、1両につき3・4ヶ所にセンターポールを設置した。
N700系0/1000/3000番台で採用され、1号車~3号車が改造される。これにより自由席特急料金も大幅に安くされる。
また、EX会員限定で座席を指定することも可能である。
410:名無し野電車区
11/08/15 10:12:03.70 6Vf+NfqqO
JR貨物 EH210型電気機関車
山陽線瀬野~八本松間別名セノハチの補助機関車としてEF67型が使われているが、
元々0番台はEF60後期型で100番台もEF65初期型であり、EF65PFを改造して
EF67型200番台を作る計画が平成10年に計画されたが実現せず、特に0番台の
老朽化が進んでいた。
そこでJR貨物はEF67型後継補助機関車を開発される事になった。
EF210とEH200ベースの2種類が計画されたが、EH200型ベースとなったために
重連であったEF59以来の2連結式が投入される事になった。
基本的にはEH200型を50cmずつ延長した車体をブレーキを強化したもの。
なお走行解放は既にないため、EF67型0番台の小デッキや100番台にある
出っ張りははじめからない。
最高定格出力4200KWであるが、フル出力ではEF61型200番台の失敗になるため
EF67型と同出力とEH500型本務用 在来機(EF66など)用との切り替え式である。
塗装はEF67型同様の赤塗装とした。
平成15年に試作901号機が製造され、翌年から量産化されて1~9号機まで
計10両が作られている。
愛称は当初ECO POWER Little boyと計画されたが、広島を走る関係上
投下された原爆の名前を機関車の愛称には被爆団体から猛抗議されて変更求めて
裁判かけるまで発展。
そこでJR貨物は鯉を意味するカープを名付けた事により、ECO POWER RED CARP
と名付けられた。
411:名無し野電車区
11/08/15 10:28:47.61 6Vf+NfqqO
>>410続き
配備された広島機関区はECO POWER RED CARPの愛称に1~9号機にプロ野球
広島東洋カープの選手ラッピングを施している。ラッピングは次の通り。
1号機 前田知徳
2号機 東出輝裕
3号機 赤松真人
4号機 天谷宗一郎
5号機 栗原健太
6号機 梵 英心
7号機 嶋 重宣
8号機 石原慶幸
9号機 前田健太
なお901号機はぶどう色に前面ゼブラマークのEF59時代の塗装をリバイバルして
異彩を放っている。
412:名無し野電車区
11/08/15 13:06:15.59 3c4GxVz90
国鉄 北海道総局 キハ65-500
札幌と倶知安を結ぶ急行「らいでん」はキハ56・27の3連で運用されていたが、冬季稲穂峠などを越える際に
雪を押しきれずに後退を余儀なくされる事態が頻発していた。
そこで、短編成急行の編成出力向上のために、大出力エンジンを積んだキハ65の酷寒地向け車輛の投入となった。
ドアは引き戸に改造され、窓も小型2重窓になったほかは外見上の違いはない。
10両が投入され、急行「らいでん」のほかに、急行「えりも」や「ちとせ」など、札幌近辺の短編成急行に投入された。
列車遅延もなくなり、更に転換クロスシートと夏場の冷房が好評であった。
昭和55年、千歳線電化に伴い、電車列車との速度差が問題となり始めた急行「ちとせ」「えりも」に集中投入され
平成2年に急行「ちとせ」廃止後は、リクライニングシートに改造のうえ、キハ400系とともに急行「宗谷」などで運用された。
道内急行全廃後は、全車釧路車輛所に配属され、ワンマン化改造のうえで主として快速列車に充当され現役で走っている。
413:名無し野電車区
11/08/15 16:02:56.29 6Vf+NfqqO
国鉄 北海道総局 キハ66-67 500番台
昭和56年に北海道に配備されたキハ66-67である。背景としては札幌及び
旭川近郊の通勤用及び普通や快速だけでなく、急行列車にも使用できる
汎用車両としてであった。
九州に配備されたものとは異なり、窓は2重の1枚窓でドアも両開きではなく
引き戸片開きで位置はキハ48型と同じであるためラジエーターと冷房以外
一見するとキハ48型と見分けがつかない。2両編成15本30両が札幌に集中的に配備された。
主に札幌近郊の函館線と旭川近郊の石北線の普通列車用として使われていた。
急行列車にも使われており、急行「さちかぜ」「かむい」にも使われた際には
711系が非冷房車に対してこちらは冷房車のために電車よりも利用者があると言う
逆転現象まで起こしている。
後に全編成が札沼線向けに集結。客車改造車よりも好評で大いに喜ばれた。
なお民営化後に機関をキハ183系の機関更新車と同じものに交換された。
キハ201系投入により石北線特別快速きたみをキハ54型から置き換えるために
512~515を旭川に転出している。
札沼線電化完成後は一部は留萌本線向けに行く以外は釧網線と根室線に投入される
予定で、有名な滝川~釧路の日本一長い普通列車までもこれに置き換えられる
説もあり、過給機付きの大馬力車では情緒かなくなるとねらーが警戒を強めている。
なお基本は首都圏色から後にJR北海道色であるが、501と504は国鉄急行色
507と513~514は旧国鉄ツートーン 何を血迷ったか515は国鉄気動車修学旅行色を纏い
特別快速きたみに使われて周囲度肝を抜いている。
また快速ミッドナイトに使われた武勇伝もある。
414:名無し野電車区
11/08/15 23:58:21.42 AfgxnCeC0
JR各社 41系一般型客車
21世紀も中盤にさしかかり、各社ともイベント列車用の客車の老
朽化に悩まされていた。しかし、もはや客車はイベント用車両に
近い存在のため、そんなにコストもかけられないと言うことで意
見の一致を見たJR各社(東除く)は共通設計でレトロ風客車を
新造することで合意した。
車種は以下の通り
スロテ49 1-3.501.502
展望車。一等の「イ」とはせず「ロ」車となった。軽量構造では
あるものの、床下にディーゼル発電機を搭載して電源車も兼ねる
ため、自重が重くなった。見た目はまんまマイテ49。
スハフ42 1-3.501.502
展望車と対をなす緩急車。見た目はスハフ42の近代化改装車。
こちらも電源車である。茶色と青色が存在する。
オハ35 1-16.501-508
中間客車。言うまでもないが、明らかにオハ35である。色違い
とともに、近代化改装車も混じっている。
流石に全車冷房搭載であるが、夏でも冷房を入れずに窓全開の
ことが多い。大井川も導入を検討中という噂がある。500番台は
北海道対応型である。
415:anorak?
11/08/16 21:07:36.98 UAZ2TckT0
>>406に続く平行世界
◎JR樺太
WW2末期の1945年8月、ソ連がヤルタ協定に基づき日ソ中立条約を破棄し、日本の南樺太及び千島列島を侵略開始、
15日過ぎても戦争は続き、多くの日本人が犠牲になり、ついに占領され、ソ連に併合された。
ソ連は連邦制なので以下連邦構成国に分割。
樺太島の北緯50~48度地帯及び千島列島の得撫島以北がソ連邦盟主のロシアに編入され同国のサハリン州になる。
ソ連の新構成国としてアイヌ日本ソビエト社会主義共和国を建国し、残りの北緯48度以南の樺太及び
千島の択捉島以南の四島を併せて統治下とした。
国名が日本赤化併合の野望が見え見えの同国を呼ぶ際、日本では専ら通称樺太で押し通す。
戦後日本社会に失望し共産主義に憧れた多くの日本人やアイヌが樺太に移民。
現在の民族構成比は日本人等のアジア系:ロシア人等のヨーロッパ系=6:4。
1991年末のソ連崩壊により樺太は92年に独立、民主化し国名が南樺太民主共和国に、
但し独立国家共同体加盟国なので国内にソ連軍継承のロシア軍が駐留。
北緯48度付近の樺太島最狭部がロシアとの国境。
樺太の公用語はロシア語と日本語、地名は二言語直列表記が主、首都はユジノサハリンスク豊原。
独立直後の混乱を収拾すべく、93年欧州連合を範に樺太と日本は経済統合を締結。
経済統合レベルは単一市場で、両国の通貨は固定相場制。
両国間移動にて両国民は査証相互免除、パスポートの代替として運転免許証等の他の身分証明書の携行で十分。
樺太の鉄道は、経済統合後、国営から、樺太と日本両政府が株式を所有する特殊会社“南樺太鉄道”へと
民営化され、JRとの連携によりJRグループの一員として略称がJR樺太となる。
JR樺太は旅客と貨物を統合運営。
JR樺太の路線は、戦前の日本統治下の路線網をソ連が継承した経緯から軌間は原則狭軌1067mm。
ホームは欧州並みに低い。
軽便は、国後択捉に殖民軌道、首都に子供鉄道。
ロシアとの国際直通列車が走行する一部の路線は、同国サハリン州内でのロシア標準の広軌1520mmへの改軌に伴い
狭軌と広軌とのデュアルゲージ化。
宗谷海峡トンネルと日樺連絡鉄道の開業で樺太と日本の直通列車が運行。
JR樺太の車両、ソ連形脱却、日本と西欧の影響強まる。
416:名無し野電車区
11/08/17 09:27:38.35 UIEeMhJf0
JR西日本 クロ481-2101 クロ481-2000 前面愛称表示LED設置改造車
スーパー雷鳥からしらさぎに転用される際に前面にLEDの愛称表示機を設置
設置場所は、前面ライトの上 運転台窓の下に設置される
417:名無し野電車区
11/08/17 12:43:49.48 UIEeMhJf0
JR西日本 129系
山陰本線等に残っている115系・113系を置き換えるために登場
前面デザインは、225系と同じようなデザインになるが、ライトは、125系と同じような形になる
編成は、1両編成と2両編成が登場
モーター方式は、0.5Mとなる
パンタグラフは、シングルアームパンタで、2パンタとなる(内1つは霜取り兼予備パンタ)
第1編成と第2編成以降とでは、パンタグラフの向きがが違う
125系と併結もできるようになっている
ドアは125系と同じように、2ドア(3ドア化準備工事)となっている
418:名無し野電車区
11/08/17 13:59:09.82 PK0AL0wZ0
JR東日本 E683系5000番台
683系のJR東日本バージョン50Hz60Hz対応パンタはシングルアーム
新潟車両センター所属
内装に若干の変化が加えられており、木目が強調された室内になっている
シートピッチや座席数は変わらないが
座席はスライド機構を備えた座席など微妙な変更点が加えられている
419:名無し野電車区
11/08/17 14:03:04.71 o7thtk310
>>417
225系の番台違いでいいと思うが。
420:名無し野電車区
11/08/17 20:57:13.71 UIEeMhJf0
JR西日本 キハ123 キハ129
225系の気動車バージョン
基本的なデザインや仕様はキハ122・127と225系と同じ
主にキハ40・47が走っている区間に投入しスピードUPを図る
421:名無し野電車区
11/08/17 21:00:49.32 MhJSMFvr0
>>415
面白い
422:名無し野電車区
11/08/17 22:42:26.48 DcFHpN0e0
静岡鉄道1000系G仕様
1000系をリニューアルするに際し、長沼工場横のバンダイと提携し、ガンダムテイストの電車とした。
1001編成から順に各TVシリーズのメインガンダムを意匠としたカラーリング(車体はラッピング塗装)やパーツとしている。
同時に駅の発車音や屋根・柵などもガンダム色を取り入れ、長沼車庫はホワイトベースチックになっている。
423:名無し野電車区
11/08/18 16:41:56.60 0PAdcQ1g0
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
JR西日本 287系800番台
北陸新幹線の開通で余剰になる681系を改造
主な改造内容は
交流機器の停止(後撤去)
6連を4連対応化
3連はそのまま
主にこうのとり系統に投入され、国鉄形を置き換える
形式の理由は、183系800番台と同じような意味です
424:anorak?
11/08/20 19:04:14.44 CR6QBllU0
>>351に続く平行世界もの
◎JR樺太ЗЛд/ELd01形電気機関車
○>>415の歴史により、ソ連崩壊で誕生した南樺太民主共和国と日本との経済統合を締結に伴い、
樺太の鉄道は日本のJRと連携しJRグループの一員となるJR樺太になった。
両国の経済統合を強固すべく樺太と北海道間交通の改善を目的に宗谷海峡トンネル・日樺連絡鉄道プロジェクトを実行。
宗谷海峡トンネルを介して稚内市内とユジノサハリンスク豊原市内を結ぶ電化鉄道を整備。
既存線の改良と共に次の経路の新線を建設:
南稚内~旧天北線~稚内空港~宗谷海峡トンネル~シェブニノ南名好(ネベリスク北斗方面の樺太西岸の路線に接続)、
ネベリスク北斗(樺太西岸路線に)~アニワ留多加(豊原方面の樺太東岸の路線に)。
規格は、狭軌、AC20KV50Hz、宗谷海峡等の新規長大トンネルは複線、他は単線、建築限界は新幹線とロシア国鉄標準の
規格に準備済み、デュアルゲージ化対応。95年に着工し、2005年に開業。
同路線用に新造投入されたELが、ЗЛд/ELd01。
JR樺太の車両の形式称号は独自の体系で、旧ソ連でロシア人も多い故にロシア語のキリル文字の表記も使用。
基本仕様について、旅客貨物両用交流機、軸配置B-2-B、重連総括制御、VVVFインバータ制御、一時間定格出力2400KW、
最高120km/h、ブレーキは勾配抑速回生と共に渦電流式レールブレーキも、EF200と同様のリンク式駆動方式、
シングルアーム型集電装置二基、貫通扉付き先頭形状、ステンレス製車体、旅客車へのサービス電源、プッシュプル方式の
制御客車による推進運転対応、運転台や各機器での表記は日本語とキリル文字とアルファベット併記、など。
2003年に試作車が登場し開業まで青函トンネル・津軽海峡線等日本で試験運転実施。04年から量産車登場。
05年の日樺連絡鉄道開業時に稚内市内~ユジノサハリンスク豊原市内区間で就役開始。
かつての津軽海峡線のED79全盛期と同様、両都市間シャトル型旅客列車を単機牽引から、JR貨物の貨車で編成された
貨物までを重連で牽引、貨物の割合がかなり大きい。
花形列車は、定期では札幌とユジノサハリンスク豊原を結ぶ夜行特急。
425:名無し野電車区
11/08/21 10:39:48.61 ocysYDVL0
>>400 歴代総理のコメント
田中義「いつかは海をまたいで九州朝鮮まで乗りたいですな」
浜口「財政再建の折、勿体無い汽車だ」
若槻「不本意ですが乗ることになってしまったね」
犬養「景気回復に向かって走らせます」
斉藤「海軍の出としてここでは死ねませんよ」
岡田「総理夫妻室とあるがわしは1人ですな、ははは」
広田「わしのような成り上がったものでも乗れるのですな」
林「選挙の後も乗りたい」
近衛「もっと品のある車両はないのかね」
平沼「こんな政党政治の産物など乗りたくないわい」
阿部「ちゃんと目的地まで着けるのかな」
米内「陸軍を載せずに済む方法はないのかね」
東條「扉に隙間があったぞ。ちゃんと整備されておるのか?」
小磯「勝利に向かう列車と信じたいな」
鈴木貫「爆撃され手もわしとこの車両は壊れんぞ」
東久邇宮「敗軍の将として乗ってしまい申し訳ないです」
幣原「民主主義を象徴する車両としてまずは返していただきたい」
426:名無し野電車区
11/08/21 10:56:17.30 ocysYDVL0
>>400 歴代総理のコメント2
吉田「復興したらもっといい車両に乗りたいねえ」
片山「私のような社会主義者が乗れるようになった、新たな時代の一歩として乗車したいです」
芦田「早く独立を回復して自由に乗れるようになりたい」
鳩山一「ようやく乗れた。もっと早く乗るつもりだった。戦争のために20年遅れた。」
石橋「できた頃は景気回復に必要、もっとつくれと持ち上げたものだが、自分が乗るとは。」
岸「ようやく新しい車両になった。僕にふさわしくなったねえ。」
池田「これに乗って所得倍増、五輪開催といきますよ」
佐藤「乗る度に感想を聞かないでくれ、乗りすぎてもうネタがないよ」
田中角「よっしゃぁ、遂に総理として乗ったぞ!」
三木「私同様クリーンな列車として総理公用列車を走らせる所存です」
福田赳「この車両、わしより若いんじゃよ」
大平「あーうー、専用列車は税金の無駄なんで極力走らせたくない」
鈴木善「大平さんの遺志を継いで乗ることにします」
中曽根「戦争になっても大丈夫なように武装すべきではないか」
竹下「私が乗るのは非常に光栄であると思いたいのですが、国民の皆様の目もありますので運転には慎重に検討したい所存です」
海部「電車になったんで私のふるさとまで走っていけますね」
427:名無し野電車区
11/08/21 11:06:28.18 ocysYDVL0
>>400 歴代総理のコメント3
細川「政権交代し、新しい時代の超特急として乗り込みます」
羽田「予想外に早く乗ることになっちゃいました。」
村山「片山さんの時より立派な列車になってるんじゃなあ。」
橋本「行政改革の一環としてこの電車もあまり使わないように致します」
小渕「思ったより静かな電車ですね。凡人の私でも分かります。」
森「なんで運転席に座れねえんだ。俺が日本の運転手なのに」
小泉「国民と共に日本の未来へ走る電車であってほしい」
安倍「父の夢であったこの電車に乗れるのはほんとうに嬉しいです」
福田康「初の親子乗車ということで感無量です」
麻生「俺と違って顔が曲がってないな」
鳩山由「政権交代の公約通り、この電車の乗客も交代致しました」
菅「私は作ったときに税金の無駄遣いと言いましたが、まあ作ったものは使うしかないでしょう」
428:名無し野電車区
11/08/22 21:53:01.15 Lu5Y9QIX0
113系900番台
JR東日本が開発した「IGBTチョッパ制御試験車」。
主制御器を従来の抵抗制御からIGBTチョッパ制御に変更する事で回生ブレーキが可能となり、大幅な省エネ化を実現。
しかも元々の直流電動機を流用できるため改造コスト低減や未改造車との混結も可能とした。
201系910番台
JR東日本で201系を試験的にIGBTチョッパ制御に改造。
これにより不快な「ブーン」というチョッパ音の低減に成功した。
429:名無し野電車区
11/08/24 11:54:45.78 lKPkwlXy0
JR西日本 223系1500番台
京都・神戸線系統で走っている223系1000番台4連を阪和線にすべて転属させ、223系0番台の一部を置き換えるために改造
改造内容は、室内シートの配置を225系5000番台と同様にする
塗装は、223系0番台と同じ
前面ライトは、223系2500番台と同じようにする
8連の1000番台は、221系大和路快速を置き換える予定
430:名無し野電車区
11/08/24 22:24:39.25 gSwa6xrf0
キハ59・キハ29
キハ58系の編成美用中間車。
キハ29は後に冷房用発電エンジン搭載工事により2000番台に改番された。
しかし使い勝手が悪く1989年に消滅。
一部は郵便・荷物車に改造されたという。
431:名無し野電車区
11/08/24 23:13:08.36 Q8ML8iaa0
南海クロシ2901
2001系(初代)の喫茶・二等合造車。
阪和に対抗して再び特別車と喫茶車を復活させた。
二等は個室とソファーの談話室としている。
ドア割はクハ2801と同じだが、運転席後が談話室、連結面がトイレとカウンターでドア間中央に仕切りがあり、運転室側が個室、連結面側が喫茶のテーブル席である。
主として特急に使用された。
戦時中は貴賓車とされ、海軍将官の基地視察に利用。
戦後は進駐軍列車・特急や臨時列車に再利用され、11001系増備後はクハ2801に改造編入された。
432:名無し野電車区
11/08/25 00:30:55.22 io3V/afS0
高山本線電化
岐阜-美濃太田北部,太多線…直流
美濃太田北部-富山…交流
使用列車
特急ひだ…481系,485系
急行のりくら/急行たかやま…475系
普通列車
岐阜~美濃太田~太多線…113系,165系
岐阜~美濃太田~富山…413系,417系
下呂~富山のみ…713系
417系,713系量産車
高山線電化にともない登場。
美濃太田以北が交流となるために北陸線と共有できる車両を製造した。
417系はMT61に変更されている
(美濃太田以北は西日本所属だったかもしれない)
(475系の急行は今でも運転していそう)
433:名無し野電車区
11/08/25 20:01:31.99 hp6SWJdp0
JR貨物 コキフ107
運転停車する貨物列車に無断で乗車する事例が多発するためそれを阻止するために車掌付きの車両を復活させる
コンテナの量が減るため、車体長を長くする
434:名無し野電車区(WiMAX)
11/08/28 16:11:51.46 lLPSWerS0
東急6050系
目黒線八両化と相鉄乗り入れ開始に伴い登場した新系列車両。
5080系をベースに改良を加え、大井町線急行用6000系ほどではないが前面が鋭いデザインに変更されている。
ドアチャイムやLCD案内は従来の5000シリーズと同じ。
制御装置は東芝製PMSM-IGBT-VVVFを搭載、3M5Tの8両編成を組む。
5080系は中間車新造、3000系は既存車のみで組み替えを実施し八両され、
6050系と共に相鉄に乗り入れる予定。
相鉄12000系
東急乗り入れ用として登場した新系列車両、
E233系2000番台とE235系をベースとし、
ドア位置は目黒線のホームドアに合わせてあるが、
車内設備等は11000系ベースである。
東急との乗り入れ協定の関係で相鉄初のT型ワンハンドルを採用。
制御装置は三菱製PMSM-IGBT-VVVFを搭載 、3M5Tの8両編成を組む。
435:名無し野電車区(大阪府)
11/08/30 18:07:19.45 MKDcBPzH0
JR西日本 207系4800番台
モハ+サハを先頭車化改造する(ワンマン化もする)
運転区間は、105系の走っている路線
前面形状は、113系3800番台のようなインパクトのある前面になる
ヨンパチという愛称が付けられる
436:名無し野電車区(大阪府)
11/08/30 20:07:17.32 MKDcBPzH0
JR西日本 207系4000番台
207系4800番台は、1000番台4連からモハ+サハを抜いたもので4000番台は、4800番台化で余ったクモハ+クハで誕生
改造内容は、ワンマン化
運転区間は 105系が走行している路線
437:名無し野電車区(大阪府)
11/09/01 10:07:59.68 O2Nbf5hU0
南海電気鉄道38000系電車
1985年、気動車きのくにの電車化・特急格上げに伴い誕生した振子式特急形電車。
車体構造は国鉄381系とほぼ同じで、アルミ製・低重心・床下空調なども381系と同様。
性能面でも381系と同様の台車・モーター・制御装置を搭載している。
ただ、南海線内では7000・7100系と、国鉄(JR)和歌山以南では381系との連結を考慮した
構造になっており、先頭は所謂高運転台ではなく、クモハ591系の低運転台車に貫通路を
付けたようなデザインである。
車内のインテリアも基本的にはこうや用30000系、サザン用10000系と共通のデザインになっていて、
便所・洗面所・車販準備室が設置されている。
1985年3月14日、難波-白浜間に「くろしお」として2往復が登場し、
それまでのキハ55に比べてサービス改善が行われたこともあって好評を博した。
1985年10月からは新たに登場した「サザン」に合わせて泉佐野に停車、
同時に南海線内は7000・7100系の自由席車と併結運転となる。
その後も堺・泉州地域からは乗り換えなしで南紀に行けるという利便性から
利用者も多かったが、民営化されたJR西日本が「くろしお」の阪和線内停車駅を
増やしたことや、阪和自動車道の開通、さらにバブル崩壊後の白浜温泉自体の凋落もあり、
直通利用者は年々減少するようになってきた。さらにJR側がダイヤ改正の都度に
南海車に不利なダイヤ設定をしたこともあって利用者はさらに遠のいていった。
そして「オーシャンアロー」登場後の1997年3月、南紀直通は廃止され、60年以上の歴史に
ピリオドが打たれた。
南紀直通廃止後は台車などを廃車となった7100系1次車のものに交換し、
381系との連結設備を撤去し、4両固定に改造した上で「サザン」に転用された。
その後、「サザン」で使用されたが、2011年に12000系の登場で廃車となった。
438:L-5編成(福島県)
11/09/01 19:03:23.15 woK2nenX0
JR東日本新潟支社新潟車両センターE541系羽越本線デッドセクション以北直通用・磐越西線喜多方~新津電化普通車。
実際に新潟車両センターには交直両用の普通車の配置がなく、村上~酒田間の普通列車が架線下にもかかわらず、
気動車により運行されているため、エンジンがうるさいためにE541系を配置する。
車両メーカーは東急車輛センター、新津車両製作所とする。
両数は、A編成は3両 I編成は2両 とする。
439:名無し野電車区(大阪府)
11/09/02 11:59:58.02 gqjQOd3R0
E233系4000番台
JR東日本が開発した「節電車」。
誘導電動機よりも効率の高い永久磁石同期電動機を採用し、省エネ化を実現。
特性上個別制御が必須であるため、コストダウンのため4M6Tという編成となっているが、高出力モーターを搭載しており3.0km/h/sを出すことは可能である。
また車内の照明にLEDを採用した。
440:名無し野電車区(catv?)
11/09/02 18:25:24.56 L2MJbjPn0
JR西日本103系体質改善50N車
40Nの改造メニューんに加え
消音スピーカー搭載・床材質変更を施すことにより
207系並みの乗り心地を実現。
441:名無し野電車区(大阪府)
11/09/02 19:13:06.14 gqjQOd3R0
321系900番台
JR西日本が>>439に対抗して開発した「節電車」。
永久磁石同期電動機を採用した。
また車内の照明がLED化されている。
442:名無し野電車区(東京都)
11/09/02 23:43:54.29 +NOvDiIG0
コレイル381000系
コレイルが>>439,>>441に対抗してロテムと開発した節電車。
永久磁石同期電動機に加え、カーボンボディ・アクリルウィンドウによる車体軽量化により加速度5.0km/hでありながらtあたり世界最小のエネルギー消費通勤電車となった。
443:anorak?(catv?)
11/09/03 15:25:49.25 HAzJovBf0
>>424に続く平行世界もの
◎国鉄HD40形ディーゼル/電気両用機関車
○1960年代に首都圏と北陸の短絡ルートとして塩尻と高山を結ぶ信飛線が着工。83年、地方交通線として開業。
経路は、塩尻~新島々~白骨温泉~安房峠~平湯温泉~奥飛騨温泉~上宝町長倉~高山。全線電化単線。
上宝町長倉にて延伸された神岡線と接続。
信飛線は長い連続急勾配の存在で動力車に高粘着性能を要求されるので且つ秘境での給電諸経費削減に交流20kV60Hz。
飛騨山脈(北アルプス)横断は他と同様に長大トンネルで貫く構想であったが、火山を貫くので難工事が予想され、
建設費と工期抑制の為に安房峠を地形に沿って越えるルートを採用したが故に、最急勾配80‰のラックレール区間となり、
それは、昔の碓氷峠のアプト式では無く、構造が単純なフォン・ロール(Lamella)式。
当路線用にED42以来のラックレール対応機関車となるHD40が新造された。
交流電化の利点を最大限活かす為に交直流両用電機とせず、交流電機にディーゼルエンジンと発電機も搭載した、
いわば電気式ディーゼル機関車とのハイブリッドとし、形式称号の動力種表記はHとなる。
直流電化区間と非電化、あるいは除雪や急勾配上の停電時には、ELではなくDLモードで走行。
固有仕様は次の通り。車体はEF64-1000に酷似、車長18m。軸配置は歯車をzとして1zA-B-Az1。
三つのボギー台車の内、両側は先従輪と動輪で構成され、ラックレールと噛み合う歯車が収納。
主電動機は動輪用に475KWのが四つ、歯車用のが二つ。サイリスタ位相制御。
常用ブレーキはELモードでは交流回生ブレーキ、DLモードは発電。急勾配の非常用には電磁吸着ブレーキなど。
ラッセルヘッドかロータリーヘッドを接合し除雪も行う。
電車牽引に備え双頭連結器。旅客車の冷暖房用電源装置搭載。
ラックレール区間を含む45‰以上の急勾配を通過する際、列車の前後共に当機を連結しプッシュプル運転。
当区間を通過する車両は連結器強化などの横軽対策と同様のを要する。
81年に試作車登場、量産され83年に就役し、客車などを牽引。
87年にJR東海に信飛線と共に承継。JR貨物塩尻機関区に常駐し、委託。
数年後、ラックレールから鉄輪式リニアモーターカーへの切り替えで引退予定。
444:名無し野電車区(大阪府)
11/09/03 17:49:35.94 C7qsrOhY0
松浦鉄道MR-150形
松浦鉄道が製造したMR-100形のステンレス仕様車。
基本的な仕様はJR西日本のキハ120-300番台とほぼ同一である。
445:名無し野電車区(長野県)
11/09/03 21:47:46.76 Xv1y+Tnd0
キロ282-5001
石勝線での列車火災事故により喪失したキロ282の予備車確保のためキハ283を改造したもの。
運転台から前位側の出入り台にかけて構体を撤去し、別に製作した客室ブロックを接合している。
接合された部分には車掌室、車内販売準備室が設けられている。
客室設備もグリーン車仕様に改造されたが、この種の改造車の例によって窓割りと座席のピッチが合っていない。
446:名無し野電車区(富山県)
11/09/04 23:08:03.32 ljje86zR0
EF810
この車両は交直流両々使えるため、電化した所だけ走れる。
また、塩害防止の設備を備えてている。
走る区間は、五稜郭~梅田貨物駅まで。
447:名無し野電車区(富山県)
11/09/04 23:08:31.08 ljje86zR0
EF810
この車両は交直流両々使えるため、電化した所だけ走れる。
また、塩害防止の設備を備えてている。
走る区間は、五稜郭~梅田貨物駅まで。
448: 忍法帖【Lv=24,xxxPT】 【東電 73.5 %】 (群馬県)
11/09/05 00:26:29.58 DzDImg2j0
東武11480F再改造車:
10030系のVVVF改造及び、10000系で行われ10030系では省略された部分の更新を行った為、性能が全く同じになった事と日立製PMSM-IGBT-VVVFのの長期試験を兼ねて改造。
京急650形PMSM改造車:
京急線での東洋電機製PMSM-IGBT-VVVF導入に伴う信号回路への影響を調査する為、試験的に改造。
試験終了後は元のGTO-VVVFに戻された。
449:名無し野電車区(東京都)
11/09/05 02:28:19.21 iUpDdwRb0
京成電鉄AE200形
節電の影響でシティーライナーは長期間運休を強いられてきたが、
電力事情が回復して、輸送体系を見直すに当たり、都心直通は極力スカイアクセスにシフトさせ、
本線はあくまで途中駅の輸送をメインとする方針が打ち出された。
そのため、特急のうち40分に1本を快特に変更し、
一般車6両+特別車2両という構成で運行することとなった。
当初はAE100型を2連に改造する予定だったが、
車体サイズが一般車とかなり違って扱いずらいことから、
同系の部品を一部流用して、新形式が製造された。
小田急MSE貫通車ををそのまま18m標準軌に変更したようなスタイルである。
通常運用では地下鉄には乗り入れないが、一応地下鉄直通を考慮して、
非常時に一般車と通り抜けができるよう、新3000形と一体の8連が組まれている。
450:名無し野電車区(大阪府)
11/09/06 20:09:07.44 hrLLPGmd0
サヤ205
JR東日本で余ったサハ205を建築限界測定車に改造。
帯の色はEast i-Eに合わせて赤色になっている。
451:名無し野電車区(大阪府)
11/09/08 16:03:35.76 BW+Ex+9w0
JR東日本 485系ボンネットあかべぇ色
ひたちで使われていた485系ボンネット編成を組み替えて、両端ボンネットにし、内部アコモ改造を行う
塗装は、中間車あかべぇ塗装の485系電気釜編成と同じ
先頭車は、ボンネット上部に一つ、側面部左右にそれぞれ1つのイラストが描かれる
ヘッドマークは、赤を基調としたあいづにキャラクターのイラストが描かれている
452:名無し野電車区(関東・甲信越)
11/09/08 18:14:32.98 m6nLwRizO
国鉄 キハ56・27グレードアップ車
急行列車のサービス改善を目的として、1982年からキハ56・27に
壁紙、床材の交換、座席の回転クロスシート化(廃車となったキハ80系のものを流用)
等の更新改造を施したグループ。
車内の配色は当時最新型だったキハ183と合わせられている。
車齢が比較的若い200番台を中心に改造され、道内各地の急行、快速に使用された。
民営化後も「ミッドナイト」や「宗谷」「利尻」の増結用として活躍したが、1997年までに廃車された。