架空の車両形式・番台スレ 18次車at RAIL
架空の車両形式・番台スレ 18次車 - 暇つぶし2ch1:名無し野電車区
11/04/28 22:42:36.14 dmqr2t/B0
前スレ
架空の車両形式・番台スレ 17次車
スレリンク(rail板)l50

03 スレリンク(rail板)
04 スレリンク(rail板)
05 スレリンク(rail板)
06 スレリンク(rail板)
07 スレリンク(rail板)
08 スレリンク(rail板)
09 スレリンク(rail板)
10 スレリンク(rail板)
11 スレリンク(rail板)
12 スレリンク(rail板)
13 スレリンク(rail板)
14 スレリンク(rail板)
15 スレリンク(rail板)
16 スレリンク(rail板)

2:名無し野電車区
11/04/28 22:43:19.48 dmqr2t/B0
キハ225系
JR西日本が開発した225系の気動車バージョン。
車体は電車の225系と同一。
エンジンはDMF18HZ(620PS)を搭載しており、1エンジンながら130km/h運転を可能としている(2エンジンにすると車体長が21.3mとなってしまい、乗車位置が狂ってしまうため1エンジンとなった)。
電車の225系とも連結可能。

3:名無し野電車区
11/04/28 23:17:40.02 dmqr2t/B0
モハ211-6000番台
211系5000番台の6両固定編成を投入する際、4M2Tではコスト高になるため1M方式のモハを製造。
主電動機はMT64を装備している。
McMTTMTcの6連を組む。

4:ムーンライト
11/04/28 23:32:54.75 ijbS8FAp0
459系

スレリンク(rail板:677番)
クハ459-600番台
459系500番台の偶数向きクハ。
スレリンク(rail板:36番)のクハ455-1000番台に準じた仕様にマイナーチェンジしている。

クハ459-500番台
459系500番台の奇数向きクハ。
スレリンク(rail板:36番)のクハ455-1100番台に準じた仕様にマイナーチェンジしている。


5:名無し野電車区
11/04/28 23:54:08.74 eciCZcKLO
115系3200番台

1986年に、岡山・広島地区のサービス向上を目的に若干数投入。3000番台や3100番台の改良型である。
同時期に製造されていた、117系100番台、200番台の技術を採用した。
すなわち、ボルスタレス台車や、下段下降式の側窓に変更し、乗務員室と客室との仕切り窓の大型化や、バケットタイプのロングシート&転換クロスシートを採用したのが大きな特徴である。
正面のデサインも若干だが変更され、特に、ヘッドライトも角ばったケーシングデザインのものになり、精悍な顔つきになった。
115系グループの最終増備車であり、かなりの珍車でもある。

6:名無し野電車区
11/04/29 08:56:46.87 8OA5WoTtO
東京地下鉄(東京メトロ)18000系
半蔵門線8000系の事実上の後継車両である。当初は08系を増産して充てる計画だったが、
有楽町 副都心線系列に10000系 東西線に15000系 千代田線に16000系が
入った関係で10000系列に準じたものに変更された。
東西線15000系をベースとし、ドア幅は東西線15000系より30cm小さい1.5m幅の
セミワイドドアとなっている。また編成を東急電鉄5000系と同じ序列に揃えた他、
東京メトロ初の6ドア車両が東急5000系と同じ号車に組み込まれた。
半蔵門線8000系の内の8101~8108Fの取り替えとなるが、配備予定は13本で
取り替える編成数とつじつまが合わないが、これは東急電鉄が2000系を大井町線に
転用させたいため、その取り替えを東京メトロの車両に肩代わりさせたため。
捻出される8000系の内の2本は8両編成化して副都心線に転用する。
また新木場CRに3両編成にされた8000系2本入っていて、千代田線の
緑帯になっていたのを見たとの2ch有楽町線スレの情報により、千代田線の
北綾瀬支線向けに回される公算が高い。
なおこの車両投入を受けて東急電鉄は田園都市線での特急運転の開始を宣言。
停車駅は渋谷より三軒茶屋・二子玉川・溝の口・あざみ野・長津田・中央林間の公算が高い。
(朝夕ラッシュ時の通勤特急で鷺沼が、土休日一部特急に南町田が加わる公算)
使用車両は東急は5000系 東京メトロは18000系及び08系限定とし、
当面東武の車両は特急に充当しない。

7:名無し野電車区
11/04/29 10:58:21.91 TmbHUZE60
国鉄 北海道総局 キハ40-300

昭和55年、日高本線にキハ40を投入する際に、過去の塩害の経験からオールステンレスの
車輛の必要性を痛感した総局が導入した。

通常のキハ40の車体をオールステンレスの無塗装にし、側面に飾りのコルゲート板を張り付けた。
キハ40系の特徴であった絞り裾は、加工が難しいため採用されず、ゆえに車体幅はキハ22と同じサイズとなった。

日高本線の普通列車を中心に充当されたが、一部は富内線でも運用され、更に検査の都合や自身の苗穂工場入出場時
には、急行えりもに運用されることがあった。

JR化後は、ワンマン装置を取り付け、更に車内の座席配置の見直しなどを施した7300番台に改造され、現在でも全車
現役で運用されている。

8:名無し野電車区
11/04/29 11:09:01.33 uXic4FFB0
JR東日本 キハ48 あかべぇリニューアル車
     キハ48 うみねこを大規模に改造
     列車前面はリゾートしらかみと同じ
     塗装は、485系あかべぇと似た塗装になっている
     只見線の観光列車として運転される

9:名無し野電車区
11/04/29 12:12:46.83 TmbHUZE60
札幌市交通局 地下鉄南北線 1000系100番台

昭和47年に登場した1000系は2両固定編成で登場し、その後乗客の増加に伴い4連・6連と
増強されていったが、中間車を入れずに登場時の2連固定のまま2編成・3編成をつないで運用
されているものもあった。
その編成では、中間に不要な運転台が入るため車内容量が狭くなり、特にラッシュ時には乗客から
不評をかっていた。
しかしながら、中間運転台を撤去するには費用がかかりすぎるうえに、先頭予備車としても必要であるので
乗客からの苦情をどうするか考えあぐねていた。

そこで、ラッシュ時には座席を全て折りたたみ「椅子なし」にすることにより、車内容積の確保をするという全国でも
戦後混乱期を除けば初めての試みを行うことになった。

座席は折りたたみ可能なように、2人掛けのセパレートタイプの軽量型に換装され、早朝に車輛基地を出発しラッシュ運用で
往復したあと昼間に車輛基地に収容し、座席をすべて手で降ろしてから夕方ラッシュ時に投入するという方法が取られることになった。

南北線は、比較的乗車時間が短いこともあり、乗客からは着席よりもゆとりのある車内が好評をもって迎えられた。
また、年末年始などの宴会シーズンには、朝のラッシュ時以上に混雑するすすきの駅からの酔客輸送時には座席を収納したままの状態で
運用され、混雑緩和のほかに「座らないので寝過ごさない」として、さらなる好評を博すことにもなった。

1000系の後継車たちは、座席の収納・展開を自動化されているが、その祖先はこの1000系100番台なのである。

10:名無し野電車区
11/04/29 17:53:48.09 8OA5WoTtO
JR北海道キハ150-300番台
キハ40-300(>>7)の後継車両。キハ150型をステンレス車体にしたものである。
車両開発にはJR東日本よりキハE130型の技術協力を受けている。
日高本線向けに作られたものであるが、室蘭線や函館山線で使われることもある。
なお富良野線などに配備されたキハ150型とは違って函館線型と同一で、
無論函館線型同様冷房はない。

11:ムーンライト
11/04/29 19:47:58.68 QbypAKMI0
457系1000番台および459系500番台

スレリンク(rail板:36番)
スレリンク(rail板:670番)
スレリンク(rail板:677番)
スレリンク(rail板:688番)
>>4
前照灯のシールドビーム化
シートモケットの色の茶系への変更(1978年製造分より)
CPのC-1000型への変更(1978年製造分より、459系を除く)
Hゴムの廃止(1980年製造分より)
内装化粧板の色の薄茶色4号から白色チェック柄+木目調(117系および185系に準ずる)への変更(1983年製造分より)
モハ456・458の平天井化(1983年製造分より)


12:名無し野電車区
11/04/30 15:36:47.46 K8QysTVgO
秩父鉄道8000系

老朽化の進む1000系や5000系の置き換えを目的に、JR東日本より205系を格安で購入。
2M1Tの3両編成に改造。両先頭車も仙石線等と同じタイプのものになる。内装も、東武10030系のリニューアル車をベースとした改良が施される。
色々と金をかけた分、幹部曰く、「最低でも20年程度は使う」方針。

13:名無し野電車区
11/04/30 16:01:36.42 RwUr69/g0
国鉄 北海道総局 オロ62

昭和58年、道内夜行急行列車の体質改善のために、本州から余剰となった14系座席車及び寝台車が
導入されることとなった。
しかしながら、14系座席車にはグリーン車が存在しないため、夜行座席車としての需要がある同クラスに
ついて、当局内で検討がなされた。当初は、オハ14を改造する方向で話が進んでいたが、道内で運用できる
希少な14系座席車を臨時列車等で運用する場合に、普通車はできるだけ温存しておくほうが得策であるとの
結論に達し、現行の夜行急行に連結されている旧型客車のグリーン車を改造の上連結することになった。

同時に編成の見直しもなされ、グリーン車の利用率が悪い「利尻」「大雪」からは外し、「まりも」と「ニセコ」にのみ
残すことにし、更に鋼体化改造から誕生したため、比較的車齢の若いスロ62を残すことにした。

改造は主に併結に必要な装置、特に分散電源方式であるためサービス用電源の引き通しと、自動ドア用の空気管
の引きとおしが行われ、同時に同車のディーゼル発電機を下ろし、サービス電源を使用するようにしたことと、ドアを
引き戸に改造し、同時に自動ドア化したことである。

塗装も青20号から、明るい青15号に変更され、側面に2本の白線を入れて、編成美を崩さないようにした。

昭和58年夏には改造が完了し、座席車と同時に投入され、好評を博した。
その後、14系化された「宗谷」「天北」にも併結されるなど活躍したが、JR化以降は夜行急行の気動車化が進み、平成5年
には全車定期運用からはずされた。
波動輸送用になった時点で、2両がスロフ62-500として、14系と同じ発電用エンジンを取りつけて緩急車化され、中間車
5両とともにオールグリーン車の波動編成となり、なんと臨時「おおぞら」や「北斗」といった特急運用につくことまであり、
地元では「ぼったくり特急」と呼ばれたが、全国的にはほぼ絶滅していた旧型客車の編成として鉄道ファンには好評であった。

しかし、よる年波には勝てず、平成11年に廃車となった。
現在、スロフ62-501が小樽の鉄道博物館に展示されているのは、周知のことであろう。

14:名無し野電車区
11/04/30 16:20:32.78 RwUr69/g0
国鉄 北海道総局 ナロネ10-500

>>13と同時期に、同じコンセプトでオロネ10から改造されたA寝台車
「まりも」と「大雪」用に5両改造されたが、利用率が悪くJR化直後の平成元年に定期運用から外れた。

しかしながら、青函トンネル景気に沸く急行「はまなす」は、連日11連の増結編成で走ってもまだ足りない
くらいの状態であり、JR北海道は「はまなす」の続行便として急行「すずらん」を設定することとなったが
寝台車が不足するため、休車になっていた同車輛を急きょあてることとなり、再び運用されることとなった。

急行「すずらん」は、「はまなす」の10分続行で運行され、14系座席車5両とナロネ10-500を2両の
計7両で運行されたが、A寝台の需要がことのほか旺盛で、「はまなす」への連結を要望する声が大きく
のちに「はまなす」のB寝台車1両と「すずらん」のA寝台車1両を交換し、両列車ともに各等寝台を連結する
ことで落ち着いていった。

青函フィーバーが落ち着いてきても、A寝台の需要は旺盛であり、季節によっては牽引定数の関係で
座席指定席車を1両減車してA寝台車を2両連結することもあった。

平成10年には、車体の腐食が激しくなり存続が危ぶまれ、オロネ14の余剰車の導入も検討されたがこれも
状態が悪く、側窓の固定化による雨水侵入防止や、車体の大修理を行い、延命措置の上現在でも元気に運用されている。

また、時たま「北斗星」に増結車として連結され首都圏まで顔をだすことがあるが、その際には某巨大掲示板の
北斗星スレで北海道側からその様子が実況され、次の日の朝には首都圏有名撮影地には人が溢れるという現象も起きているのは
このスレの住民にとっては、周知のことであろう。

15:名無し野電車区
11/04/30 16:44:34.59 RwUr69/g0
国鉄 北海道総局 キロ56・キロ55

昭和60年3月のダイヤ改正により、長距離急行からディーゼルグリーン車が撤退し、キロ26は余剰車となった。
これらの車輛は車齢も古く、廃車にする予定であったが、国鉄財政赤字の折りなんとか増収につなげる道はないかと
模索していた総局営業部では、これら老朽車輛でも活用する手立てはないかと模索していた。

その中で、キロ26でも比較的車齢が若い100番台を連結し、グリーン車だけの編成を作って団臨や波動輸送で使えないか
という発想が出て、7連オールグリーン車の波動用車輛を製造することとなった。

キロ26は中間車のみであり、かつ1エンジンでありこのままだと運用に制限が出ることと、4KG発電機を全車に搭載しているのは
不経済であることから、先頭車はキハ56-200のグリーン車化と冷房化で確保し、中間のキロ26のうち発電機が必要な2両を除き
2エンジン化したキロ55に改造し、編成出力を確保した。

これが折からのバブル景気に乗り、大口団体客の団臨や「オールグリーン車で行く~」系ツアーで大当たりし、増収に一役買うことに
なった。更に有名私立高校の修学旅行列車として使用され、ニュースネタになったりもした。

また、繁忙期には特急「北斗」にも投入され、80系北斗で設定されていた「北斗82・83号」がこのオールグリーン車編成になることもあった。

バブル崩壊後は、そういった大口団体客が激減し、振り子特急導入によりキハ183系が余剰となってきたため繁忙期の出番も少なくなり
更にいくらグリーン車とはいえアコモの陳腐化はいかんともしがたく、ついに平成15年に廃車となった。

最後は「さよなら急行用気動車」ツアーとして、道内全線に乗り入れる、3泊4日のツアーで幕を閉じたのは、このスレの住民にとっては
周知のことであろう。

16:名無し野電車区
11/04/30 17:01:56.13 Ds8QGfNP0
このスレ毎回のように512kオーバーを起こす。
前スレは容量超過で書き込み不能になったし。

17:名無し野電車区
11/04/30 17:06:53.60 RwUr69/g0
国鉄 北海道総局 881系交流専用振り子式特急車

昭和61年、国鉄分割民営化の駆け込み工事により、小樽~函館間の交流電化が完成し、函館本線全線電化が完了した。
当初は、室蘭本線方向からの電化を要望したが「金がない」という本社からのつれない返事により「だったら函館本線として
全線電化するのが筋だろうっ!」と総局側が結集し、政治的な圧力も含めて無理やり山線電化を完成させた。

そこで、ローカル列車は711系の増備でなんとかなるとしたが、特急用車輛は現行の781系の増備では急カーブが連続する
山線では大幅な時間短縮は望めないとの結論に、381系をベースにした交流専用車の導入を決定した。

基本的には、381系の車体に電装機器のみ交流用のものを載せて、更に雪切室の設置などの酷寒地向け装備を追加したものになった。
ただし、サロ880は北海道の伝統(?)としてキロ182タイプの大型車販準備室を設置することになった。

この電化により、札幌~函館間は3時間を切り2時間50分で結ぶことになり大幅な時間短縮が図れ、室蘭周りの北斗系統は激減することになった。
881系使用のL特急「北海」は、函館~旭川間を1時間ヘッドで結び、再び函館本線を大動脈に押し上げることになった。

しかしながら、この881系は自然振り子方式であり乗り心地はいいとは言えず、道新には「特急おっかい(注:北海道弁でおっかない、恐ろしいの意)」と
揶揄され、さらなる改善を要求されることになるが、これはJR化後の後継車輛まで待たねばならないことであった。

その後、後継車輛の登場や、本形式への強制振り子装置取り付けにより、現在でも「早くて快適な」特急列車として元気に走り続けている。

18:名無し野電車区
11/04/30 17:35:46.44 Ds8QGfNP0
AH300-901
JR貨物が試作した原子力機関車。
全長30m、総重量180トンというとてつもなく巨大な機関車である。
新造費用があまりにもかかりすぎて結局1両しか製造されなかった。

19:ムーンライト
11/04/30 23:31:45.98 3a9LT3WR0
583系1000番台

国鉄が1974年から製造した583系のマイナーチェンジ版。
変圧器がPCB対策でTM20に変更されている。


20:ムーンライト
11/04/30 23:42:54.51 3a9LT3WR0
>>15
キロ55: キハ27-200をグリーン車化と冷房化と2エンジン化した形式
グリーン車の2エンジンは先頭車となる


21:名無し野電車区
11/04/30 23:48:31.46 anpG6Toy0
国鉄583系2000番台
北陸トンネル事故を受け、耐燃性強化までは電車寝台を量産して乗り切ることとし登場した。
夜行専用で昼間利用を一切考えていないので寝台は14系同様のレイアウトでA寝台も初期はプルマン式・後に個室で製造された。
同社を電化区間に回し、玉突き式に非電化区間に20系・14系を送り込むという運用を行なっている。
JR化後の各種個室寝台・ロビー車への改造や夜行削減での廃車が進んだが、現在も日本海・きたぐにで活躍中。

22:ムーンライト
11/04/30 23:53:03.96 3a9LT3WR0
>>21は583系5000番台


23:ムーンライト
11/05/01 00:00:43.11 6RsQiCHT0
485系2000番台
国鉄が1980年から製造した485系の最終形態。
Hゴムが廃止され、シートモケットの色が茶系に変更された。
1983年製造分からは化粧板の色が薄茶色4号から白色チェック柄と木目調に変更された。


24:ムーンライト
11/05/01 00:13:28.10 6RsQiCHT0
クハ210-4000番台
JR西日本がサハ211-1000番台を先頭車化+トイレ設置改造した車両。


25:名無し野電車区
11/05/01 12:43:01.02 F29slMtc0
東京モノレール 1000形

昭和50年、羽田空港は航空貨物の取扱量が増加の一途をたどっていた。
それに伴い、トラックの流入が増え空港周辺の渋滞が激しくなるとともに、オイルショックも重なり輸送費の高騰が問題となっていた。
そこで羽田空港ターミナル(株)は、鉄道による一括輸送を模索し、京急、国鉄にそれぞれ打診していたが、京急は軌間の関係で輸送範囲が
限られていること、国鉄は新線延長の余力がないことで断られた。
そこで、東京モノレールに頼み込み貨物輸送をしてもらうことになった。

空港側は整備場駅を大改修し、中線を設置したうえで本線をくぐるように貨物地区地下まで単線を伸ばし、地下貨物駅を設置した。
浜松側は、貨物の受け渡し場所として国鉄の東京貨物ターミナル内に駅を設置することとなり、天王洲の倉庫街に「天王洲信号所」を設置して
貨物線を分岐することとなった。(これはのちに天王洲アイル駅として開業することになる)

そこで登場したのが標記の1000形で、航空コンテナを輸送するために上部がフラット構造となっている。

運行開始後、当初の予定どおり航空貨物の済々円滑な輸送に寄与し荷主にも好評を得ていたが、昭和52年の成田空港開港以降海外貨物の取扱が
成田に移行し、更にバブル期になると本業の旅客輸送が多くなり、貨物を走らせる余裕がなくなってきたため、平成元年に貨物輸送廃止とともに
廃車となった。

しかしながら、近年の羽田空港再国際化と旅客輸送量の減少により、遊休施設と化していた東京貨物ターミナル駅とともにその有効活用促進のために
貨物列車の復活を検討しているとのうわさがある。

26:名無し野電車区
11/05/01 13:05:28.12 F29slMtc0
JR貨物 コキ200系

平成3年、バブル期の貨物輸送が好調な中、特に海外向け航空貨物の取扱量が増大しているのに目をつけ、成田経由で地方と結ぶ貨物を取り扱いを目的に製造された、航空コンテナ輸送用コンテナ車

比較的小さい航空コンテナを効率的に輸送するため、車体を航送コンテナ用なみに下げて、2段積みが可能なようにした。

また、航空輸送という特性上大量一括よりも少量逐次の傾向があり、そのままではトラック輸送のほうが有利であるため、いろいろな付加価値を
つけることにより、顧客獲得することも考慮した。

そのひとつが「地方通関手続き制度」である。
これは、出発地の貨物ターミナル駅内に税関事務所を誘致して出発時に通関手続きをすることにより、成田での待ち時間を少なくするというものである。
トラックなどでは、途中経路上での信ぴょう性に欠けるため実施できないことであるが、貨物輸送の場合は管理が適切であるということで許可
され、札幌・福岡・梅田・仙台の各貨物ターミナル駅で実施されることとなり、成田空港の混雑緩和に一役買うことになった。

また、都内でも東京貨物ターミナル、新座貨物ターミナルにて同様のサービスを開始し、「貨物版TCAT」として荷主から好評を博した。

バブル崩壊と、地方への国際線乗り入れ促進により取扱量は減ったが、近年のエコブームによりJALカーゴを皮切りに、外国のFedEXの
日本国内向け輸送などの大口取引が増え、再び取扱量が増える傾向にある。

27:名無し野電車区
11/05/01 18:10:47.34 wKwOHR4Q0
385系
JR東海が開発した新型振り子車両。
383系をベースとしているが、3両固定編成で、パンタグラフがE351系や883系のように台車枠直結の支持台に取り付けられている。
身延線の特急「スーパーワイドビューふじかわ」と飯田線の特急「スーパーワイドビュー伊那路」に使われる。

28:名無し野電車区
11/05/01 19:18:17.75 4m4Vhed40
柿岡地磁気観測所不在仮定 スレリンク(rail板) に便乗
サロ153形100番台
153系準急「ときわ」用の1等車。編成全体のCP容量を確保するためCPを搭載した。
「ときわ」の急行格上げ時にサロ152形100番台が投入されたことに伴い
CP撤去の上サロ110形0番台に編入改造され、東海道線で1992年まで使用された。

サロ163形100番台
サロ152形100番台の投入により1等車がリクライニング化された153系急行「ときわ」であったが、
その後列車の増発や水戸線経由「つくばね」の電車化に伴い、さらなるグリーン車増備の必要が生じた。
増備車は新製冷房のサロ163とされ、CPの搭載以外は「東海用」の0番台とほぼ同じであった。
1985年「ときわ」「つくばね」の185系新特急化で運用を外れたが、
一部がサロ112形50番台に改造されてJR化後まで残存していた。

29:名無し野電車区
11/05/01 20:17:36.31 dMdbBI1AO
>>28
CP付きサロ153は、サロ153-200番代として
実在したんだが

そのうちサロ153-201を名乗った車は
サロ153-13→サロ153-201→サロ110-201→サロ110-13→サロ110-1002と
改番が多かった事で、知る人ぞ知る存在だった

30:名無し野電車区
11/05/01 21:55:15.92 4m4Vhed40
>>29
200番台はCPだけでなくMGも付いていたけど
俺が想定した100番台は「CPはあるがMGはなし」という仕様

31:名無し野電車区
11/05/01 21:57:30.47 ErWb3eaZ0
>>29
サロ153-201ってサロ95から始まっていなかったっけ?

国鉄80系500番台 70系500番台
競争の激しい関西で大鉄局が東海道・山陽本線と阪和線に導入した全金属仕様のロマンスカー。
ドア間転換クロス、サロ85は通路との仕切りを備えた簡易個室の仕様となっている。
それぞれ飯田線・新潟地区で終焉を迎えた。

32:ムーンライト
11/05/01 22:39:50.58 6RsQiCHT0
JR北海道 アメリカ型ディーゼル機関車・アメリカ型客車

JR北海道の在来線が1435mm(標準軌)に改軌されていれば、アメリカ型のディーゼル機関車とアメリカ型の客車が投入されていた。


33:名無し野電車区
11/05/02 02:32:10.11 3m/yzeeZ0
JR西日本117系500番台

平成3年、221系の増備に伴い117系は原則的に新快速運用からはずれ、
奈良線や福知山線などのアーバン周辺線区に転用されたが、
いかんせん2ドアでは非常に使いづらく、
かといってまだ廃車にするには早すぎであった。
そこで、3ドアに改造する大改造が行われることとなった。
改造内容は、中央の2連窓のうち真ん中の半個ずつを窓なしの戸袋窓に
変更し、両端の半個ずつを独立した窓に改造するものである。
既設ドアは変更されなかったため、ドア位置がキハ30系のように偏ったものとなった。
車内は、増設ドアの戸袋化された部分は眺望の関係からロングシート化されたが、
その他の部分は、一部固定化されたもののクロスシートのままである。
また、車体中央部分はクーラーのほかベンチレーターが両端に設置されていたが、
ドア設置による鋼体強度の低下を避けるため、221系と同様の分散クーラーに変更された。
なお、旧クーラー・ベンチレータ部分には鋼板が張られたが、屋根の未施行部分よりも
隆起していて非常に目立っている。
115系3000番台でも同様の改造を行う計画であったが、
コストがかかりすぎることから、本番代5編成で打ち止めとなった。
2000年代に入ってから、福知山線内で踏切事故に遭遇したさい、
車体中央部の損壊が際立ってひどいことから117系の未改造車よりも
早期に廃車が決定、現存しない。

34:ムーンライト
11/05/02 17:49:02.61 23+T3Ecb0
JR東海 119系300番台
1999年にJR東海が飯田線と身延線の更新用にキハ11-300番台と同時に導入した形式。
車体がステンレス製になり、車内のスキームもキハ11-300番台に準じている。


35:ムーンライト
11/05/02 17:57:12.76 23+T3Ecb0
>>25,>>16,>>33は文が長すぎるよ。


36:ムーンライト
11/05/02 18:20:05.94 23+T3Ecb0
583系500番台
国鉄が1971年から製造した583系の北海道対応版。
耐寒強化のため出入り口が引き戸に変更されている。


37:ムーンライト
11/05/02 18:28:47.41 23+T3Ecb0
>>35
×>>16
>>26


38:ムーンライト
11/05/02 18:41:30.84 23+T3Ecb0
583系1500番台
国鉄が1974年から製造した583系1000番台(>>19)の北海道対応版。
>>36の500番台同様耐寒強化のため出入り口が引き戸に変更されている。


39:名無し野電車区
11/05/02 18:56:12.99 P3GOBjDB0
201系500番台
国鉄が1985年から製造した201系の最終形態で「超軽装車」と呼ばれる。
台車がボルスタレスのDT50/TR235に変更されている。
戸袋窓と妻窓が廃止された。
本来ならば中野電車区廃止に伴い6+4の201系をを10両貫通に変更して101系を置き換えるためだけに製造したため中間車しか存在しないはずだったが、1988年に東中野事故が起きクハ200-4が廃車となったため翌年急遽クハ200-501が製造され、唯一の先頭車となった。

40:名無し野電車区
11/05/02 20:46:42.02 V2eSsku30
DE10-5000

信越本線豊野~直江津間が第3セクターに移行されたことに伴い、
新潟車両センター所属の電車を飯山線経由で長野総合車両センターへ回送するため、
長岡車両センターに所属するDE10を改造したもの。
SGが置かれていたスペースに電気指令式ブレーキ装置の読み替え装置を搭載し、
新系列車両の牽引にも対応している。
また、双頭連結器を装備している。

41:名無し野電車区
11/05/03 06:21:52.03 eezW3aNrO
東武70000系・会津・野岩60000系
2012年、東上線のATC化によって8000系を駆逐することに成功したが、
1.野田線沿線民の苦情
2.6050系の去就問題
に喘いでいた

そこで、東武鉄道が導入したのが「東武70000系」である。
数十年ぶりの取引となる日本車両が手掛けており、車体は日本車両式ブロック工法を採用。
エクステリアは白い塗装でフェイスは「魔法少女まどか☆マギカ」の※キュゥべえをモチーフにした。
また、日立製作所との取引が続いていることから制御装置や計器類はすべて日立製を使用する。
車内には9050系、20050/20070系以来となる液晶パネル1基を千鳥配置し、サービス向上を図る。

また、東武鉄道は同時に野岩鉄道と会津鉄道の6050系の車籍を東武に戻した上で、60000系を登場させた。
ベースはJR313系のベースだが、各車端部に水洗式のトイレと自動販売機を設置し、また6050系にあった方向幕のシステムを応用し、液晶パネルを2基導入してサービス向上を図る。
こちらもフェイスは※「キュゥべえ」仕様となっている。

※新幹線と同じ前照灯・尾灯を設けており、出庫時には半分にすることが可能

42:ムーンライト
11/05/03 09:46:50.04 8hVFtj++0
>>28
185系ではなく165系で新特急化
1986年11月以後は485系に置き換え
以後は優等列車に関しては史実道り


43:名無し野電車区
11/05/03 09:48:53.86 aboavn790
>>36 >>38
上部前照灯を2灯化するのを忘れてるぞ。
ついでに尾灯も「出目金」に改造しましょう。

44:ムーンライト
11/05/03 13:07:10.89 8hVFtj++0
>>36,>>38,>>43
583系500番台、583系1500番台

クハネ581-500番台、クハネ581-1500番台
正面非貫通、機械室あり、引き戸式出入り口、上部前照灯を2灯化

クハネ583-500番台、クハネ583-1500番台
正面貫通型、機械室なし(MG床下搭載)、引き戸式出入り口、上部前照灯を2灯化


45:ムーンライト
11/05/03 13:13:41.89 8hVFtj++0
クハ210-2500番台
JR東日本がクハ211-2000番台を方転改造

クモハ211-2000番台
JR東日本がモハ211-2000番台を先頭車化改造


46:anorak?
11/05/03 14:27:48.41 jc6bBZiZ0
俺の平行世界での
◎国鉄167系1000番台
製造 1977 車種 Tc Mc M' Tsc
○1978年の紀勢本線部分電化向けの急行形電車捻出を目的に、房総地区に総武東京トンネル(錦糸町~東京~品川)が
走行可能な新車として167系1000番台が投入された。
走行システムは165系を踏襲するが、優等料金を徴収する列車種を特急に統一するという国鉄の長期経営戦略に基づき、
車両の想定寿命中、急行使用は短期で、急行運用消滅後に普通車は普通列車用格下げ且つグリーン車は特急形編入の
前提で以下設計された。
Tc、Mc、M'の意匠はキハ66・67系に類似し、両開き扉を車体中央寄りに二カ所設置、デッキ無し、
全て固定クロスシートだが583系の普通車水準。
クロハことTscは183系への編入前提故にTs183の車体にTc165の運転台を取り付けたものになる。
製造費削減の為、便所はTcとTscに集約、洗面所はTscのみ、Tcに洗面所の代わりに小便所。
全車、集中型冷房装置、東京トンネル走行の為にA-A基準仕様でTcとTscにATCを搭載。
DD54で始まった労働組合の新型車拒否対策として、本車両に新形式は付与されず、無理矢理167系にされた。
本来の修学旅行用0番台との異質さは、鉄道で頭が一杯で規則性に異常に拘る発達障害者
いわゆる鉄道ヲタに忌み嫌われ、車掌等の現場職員に「何で167系なの!これは171系のはず!」云々と詰寄って
業務妨害する者も出現。
77年に東京駅発着の房総急行として就役したが、急行としての活躍はわずか五年程に過ぎず、
82年のダイヤ改正で房総急行全廃・全部特急格上げに伴い、Tscは183系に編入され、普通車はATCを外されよそへ転属。
86年の国鉄最後の全国ダイヤ改正―福知山線と山陰線福知山・城崎間電化開業―で全車が北近畿地域に集結し、普通に就役。
87年に普通車がJR西日本に承継後、中国地方のローカル運用に現役。Tscは既に廃車。

47:名無し野電車区
11/05/03 19:10:44.54 wq/68v+P0
国鉄 北海道総局 キハ56-1000 キロ56

昭和47年、北海道はSLブームと知床ブームで空前の観光ブームに沸いていた。
そのほとんどが周遊券を手に歩き回るいわゆる「カニ族」ではあったが、客は客なので無下にもできず
また、用務客からも混雑に苦情が出て来たため、総局は国鉄本社へ新車の増備による列車の増強計画を提出した。

それによると、急行用中間気動車キハ56-1000を増備し、既存の定期急行の中間に連結されている通常のキハ56・27を
ねん出するとともに、当該急行列車の座席定員の増強を同時に計る。ねん出したキハ56・27で地方定期急行に使用されている
キハ22をねん出し、地方線区の普通列車の増発又は増結を行う、という至極まっとうな計画であった。
しかしながら、計画書の末尾には小さく「キハ56-1000の座席は回転クロスシート」という指定がなされていたが、本社は
それに気がつかないで計画実行を許可してしまった。

かくして、キハ80系同様のシートを搭載したキハ56-1000が量産され、北海道に渡るとそのうちの6両が苗穂工場入りし
キハ82-900の改造で余剰となっていたリクライニングシートと交換され「キロ56」になり、余った回転クロスシートは同時期に
入場したキハ56に取りつけられ、都合10連×3の全車非冷房ながらも豪華仕様の急行編成が出来上がった。

当局は、そもそもこの新型車を玉突きで普通列車の増発に使う意図はなく、はなから特急列車の増発に使う腹であった。

かくして、2ドア非冷房ながらも特急列車とそん色ない座席で、しかも走行関係は最高速度がキハ80系と5キロしかわからず、車体が
軽く全車2エンジンのためかえってキハ80系特急列車より遅れ回復などが容易な使い勝手のよいこの編成で、繁忙期の特急増発を行い
好評を得るとともに、増収することができた。

その後、昭和53年には全車冷房化され先頭のキハ56と中間のキハ56-1000の1両に発電ユニットが据え付けられそれぞれ2000番台と1100番台を名乗るようになった。

JR化後も、その豪華装備により急行「宗谷」に使用されたりしたが、急行運用がなくなったのち波動輸送用に1編成が残ったが平成10年に廃車となった。

48:名無し野電車区
11/05/03 19:14:29.77 5HuWF3vh0
AB-E900
JR東日本が開発した原子力気動車。
床下に小型の原子炉を搭載し、そこから発電したエネルギーで駆動する。
在来線用であるが将来的には新幹線への採用も検討されているらしい。

49:.
11/05/03 23:33:52.33 Un2rCEO+O
東武60000系:
東武鉄道の日比谷線直通車両の東急東横線・東急多摩川線・蒲蒲連絡線経由羽田空港行きの新設に伴う増発と、20000系のVVVF改造の為の車両不足による投入。
11480Fで試験されたPMSMを導入しており、メトロ13000系と肩を並べる。
奇数編成が日立製VVVF・偶数編成が東洋製VVVF。
鴨居上には液晶による案内、ドアチャイムは東急5000/6000/7000系列やY500系に準じた物。

東武70000系:
東武8000系の完全淘汰を目標に日立製作所で大量生産の伊勢崎日光本線向けの汎用車両。
自動幌装置を採用して増解結の短縮を図る。

東武90000系:
副都心線及び有楽町線の増発向け90000系及び半蔵門線増発向けの90050系及び、6ドア連結の90070系で、PMSMを導入。液晶とドアチャイムは60000系同様。

東武600系:
快速用新型車両。

50:.
11/05/03 23:37:56.54 Un2rCEO+O
国鉄437系電車:
国鉄417系の北陸仕様。但し国鉄の財政事情で数本に止まり、583系改造の419系にシフトしたのは言うまでもない。

51:名無し野電車区
11/05/03 23:43:58.55 4dNzHr+PO
帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)5000系 5049~
昭和57年に作られた5000系シリーズの最終型である。
車体がセミステンレスからオールステンレス車体となった他、車内が千代田線
6000系に準じた暖色系に変更された。また千代田線6000系の冷房準備車に準じた
冷房準備車構造で初めからラインファンを装着している。
当初半蔵門線8000系同一の台車が装着される予定だったが、快速運転のある
関係上5000系と同じものとなり、また5000系で唯一側面に方向幕が付いた。
10両編成3本が東西線に配備された。平成元年に冷房改造が行われて5000系唯一の
集中式冷房車となった。ただしこの際は車内のリニューアルや制御方式の
添加励磁式は行わずに改造した。
平成15年から5000系唯一のC特修が綾瀬(深川では行えないため)で行われた。
この際制御方式はVVVF式に改造され、補助電源がSIV式されるなど
ほぼ05系並みのレベルに改造された。
平成20年に東葉高速鉄道2000系に取り替えられるまで東西線で使われた後は
当初はインドネシアに渡る予定だったが、一部電動車が渡った以外
8両編成で副都心線専用として使われている。
しかし10000系配備後取り替えられる予定で、千代田線北綾瀬支線の
6000系及び5000系取り替えが濃厚である。

52:anorak?
11/05/04 00:39:33.72 91TMgD9A0
>>46の訂正 >クロハ → クロ
◎国鉄711系2000番台
1978年 Tc M Tsc
○1976年に長崎本線と佐世保線が交流電化されたが、旅客列車は特急以外気動車いわゆる架線下DCが顕著。
国鉄の財政悪化の影響で高価な交直流用電車の新造自体が、特急料金で償還出来る特急専用車以外は、見送られたが、
会計検査院に電化の必要性を問われ、そこで交直流よりも安い交流電車で普通から急行の汎用運用可能なのを新造投入。
急行の特急への統合という長期経営戦略に基づき急行形では無く近郊形711系の新派生番台である。
車両製造費削減追求により枯れた技術を採用したので、0番台と異なり、サイリスタ位相制御ではなく、
0系新幹線やED76と同様の低圧タップ制御、
また最高速度はキハ58等のDC並に割り切って歯車比を103系等の通勤形と同じにし加速度を上げた。
1M2Tが基本編成。台車はTscが空気バネ、TcとMがコイル。対応周波数は60Hz。
車両の意匠は0番台を暖地向けにしたもので、外観は457系に準じ、内装は50系客車に。
Tscは急行運用消滅後485系への編入前提とし、Ts485の車体にTc417の運転台を取り付けたものに。
全車集中式冷房、トイレと洗面所はTcとTscに。
0番台とは異質過ぎるので新形式を付与すべきではあるが、新型車不信の労働組合対策として711系にされ、
暖地向けだから115系に倣って2000番台に。
落成後、博多と長崎・佐世保を結ぶ急行出島・弓張の一部に就役し、普通運用にも。
結局、増備されることはなく、架線下急行・普通DCは残存。
82年急行の特急への吸収統合に伴い急行運用は終了し、Tscは485系に編入改造され、
先頭車が不足したのでM 車の一部がMcへと改造。
87年にJR九州承継後、性能上、高速列車高密度路線での運用には不適切で、閑散路線で専ら使用される。

53:名無し野電車区
11/05/04 01:13:37.74 FAOcaT3f0
国鉄技術革新労働組合(技労)
昭和40年代、国労や動労の執拗な新技術導入妨害に愛想を尽かした国鉄職員が結成した労働組合。
支持政党は時期や場所により異なるが、概して自民党佐藤派・田中派よりであった。
設立経緯からDE50やキハ391などの高性能試作車で実験された技術の実用化、自動改札機・直行貨物などの合理化、海外企業や私鉄各社との技術交流を訴えていた。
国鉄民営化後はJR連合系に所属するが技術者が多かったせいもあって概して穏健派である。
また、民営化を機に関連メーカーに転職した組合員も多い。
なお、鉄道ファンの民主党某氏並びに自民党某某氏を勉強会に招くなど友好的だが両氏の選挙区には組合員がほぼいないのであまり選挙で役立たないという皮肉な状況がある。

54:没有名字的電聯車基地
11/05/04 04:37:01.58 HFInynlS0
台灣高速鐵路公司N700T電聯車

好景気に沸く台湾で乗客が伸び続ける台湾新幹線こと台灣高鐵。
ついに2012年に台北駅の引込線駅の役目を担う南港延伸が完成。
元々2008年と2010年に計16編成ずつ増備予定で延期されていた
車輌増強が実行される事に。当初は700Tも検討されたがN700i
Bullet輸出実績を(フロリダ輸出構想の頓挫もあり)是が非でも
作りたいJR東海&日本車輌と、最新型を購入したい台灣高鐵の
思惑が一致し、N700iBulletの台湾仕様たるN700T型が実現した。

サプライズは営業最高速度を台灣高鐵の軌道設計最高速350km/h
にした点。このほか12連化や先頭車運転席側ドアの1箇所化、
先頭形状スリム化、前照灯位置およびデザインの変更など高鐵
公司側のリクエストが盛り込まれ精悍さが増し、デビュー早々
から人気車輌となったのは言うまでもない。台北~左營を最速
1時間20分で結んでいる。

55:名無し野電車区
11/05/04 20:10:12.58 T4ckCYrpO
413系1000番台
717系1000・1200番台

地方都市圏の輸送改善を目的に1986年に導入された413・717系だが、
1987の国鉄最末期に導入された車両からは新会社へのイメージアップを兼ねて大幅なマイナーチェンジが行われ、新区分番台となった。
車体は当時最新型の213系をベースにステップがついたものとなり、
車内も中央部は転換クロスシート、車端部はロングシートといった
115系3000番台と同様のレイアウトとなっている。

ただし廃車発生品の流用はしっかり行われており、転換クロスシートは0系新幹線から、
ロングシートは近郊型電車から、下回りやクーラー、屋上機器などは急行型、485系、581系、401、421系の発生品から等、
使えるものは何でも使うと言わんばかりに流用され、大幅なコスト削減が図られている。
尚、車体の設計が新しいためJR化後しばらくまで改造が続けられており、機器流用車ながらもまとまった両数が在籍する。
413系1000番台
北陸本線用。登場時の帯色は赤色だったが1989年に今の青帯に変更された。JR化後に増備された車両は登場時から青帯。
1992年からは419系の機器を流用した改造が始まり、1995年に全車が完了した。

717系1000番台
東北本線、常磐線用。登場時の帯色は緑一色だったが719系登場後は同車と同じ帯色となった。
国鉄型が一気に置き換えられた2007年以降も残存しており、仙台地区を中心に活躍中。
最近は更新改造が行われている。

717系1200番台
九州地区用。帯色は同社の415系と同じく青色。
ワンマン化改造された以外はほぼ登場時の姿であり、日豊本線を中心に活躍中。

56:名無し野電車区
11/05/04 22:39:18.05 bmXumMl80
JR東海313系1700番台(史実とは異なる)

飯田線で使用している119系&115系の老朽置換用として製作。
ワンマン運転対応&閑散・勾配区間用ということで、2350番台(発電ブレーキ&パンタグラフ2基搭載、半自動扉)をベースに
しているが、以下のような相違点がある。
 ・急曲線区間の走行安定性向上の為、新設計のボルスタ付台車(動力台車:C-DT67、付随台車:C-TR255)を履く。
 ・2両編成が基本であるが、一部編成は3両編成にて製作。
  この中間電動車の搭載機器はモハ313形2600番台をベースに、容量80KVAのSIVを追設したもの。
  従って、Mc車&Tc車は2連用と3連用とで完全に同一仕様となった。
 ・車内は1000番台シリーズの転換クロスシート(扉横シート固定、車端部ロングシート)。
 ・前面にスノープラウを、動力台車脇にはセラミック噴射装置を搭載。
豊橋方より、クモハ313形1700番台(+モハ313系1700番台)+クハ312形1700番台にて組成。
2両編成28本、3両編成4本が大垣車両区に配置され、豊橋運輸区&伊那松島運輸区常駐にて使用されている。
飯田線全線&中央線辰野~茅野間を中心に使用され、長野乗入れ運用も健在。
他の313系との混結も勿論可能なため、119系時代の大垣~豊橋間の検査回送は営業列車を利用したものに置き換えられ、
大垣~米原・美濃赤坂間の間合運用も生まれる程である。(本車両導入にて、美濃赤坂支線のワンマン化も実施された。)

57:名無し野電車区
11/05/04 23:03:08.70 +Hg3Mw3lO
阿武隈急行A7200系
8100系及びJR東日本より譲渡された417系の老朽化が進んだことから、
当初719系や701系をリース購入する案もあったが結局E721系のOEMを作ってもらう
形で落ち着いた。
帯色が異なる以外はE721系と同一で低床車体も生かされた。
検査も郡山車両センターに委託する形を取るため検査時の合理化も図られた。
なお検査時は代車に701系又は719系が借り入れる約束となっている。
東日本大震災で7202と7204Fが直通運転の長町にいたために仙台空港などで
起きた大津波を間一髪免れている。
長らく仙台に留め置かれ、東北線の一部運転再開時に東日本の車両供給上で
阿武隈急行側と協議の上で東北線全面復旧までの暫定使用と復旧時に検査の上で
返却を条件で貸し出されている。
東北線復旧後郡山に返送されて検査の上で復帰している。
なお717系1000番台(>>55)も417系に代わって譲渡された。

58:anorak?
11/05/05 03:05:19.58 LhAcQrla0
>>52に続く平行世界もの
◎国鉄EF62形1000番台 
製造年 1973
○1960年代末期、蒸気機関車全廃を目指す動力近代化計画に基づき関西本線の全線電化が計画されたが、
関~柘植の加太峠区間と島ヶ原~加茂間は明治開業時の狭小断面トンネルが連続し、
直流1.5KVの架空電車線方式でさえも新線建設を必要とし、費用対効果上大きな障害となった。
そこで当該区間を直流600V第三軌条方式で克服する事になった。
建築限界に起因するアプト式時代の碓氷峠での第三軌条の経験と、ロンドン郊外南部の地上路線網の事例が決め手に。
架線と第三軌条両対応の電気機関車としてEF62形1000番台が新造投入される事になった。
本番代は、EF64に第三軌条集電装置及び600V/1500V複電圧対応回路並びに旅客・荷物列車用の蒸気暖房装置(SG)を
追加したものであり、これらの重量増に対する軸重制限から0番台と同様の三軸ボギー台車によるC-C軸配置を採用。
集電靴を台車に取り付け、第三軌条区間ではパンタを畳む。重連運転対応の貫通型運転台。
0番台とは異質過ぎてEF67と新形式を付与すべきであるが、新形式車両の導入を忌避する労働組合対策として、
軸配置と特殊路線専用の共通項で以てEF62となった。
73年の秋に関西本線全線電化、アプト式時代の碓氷峠以来、地上線でサードレール区間が出現し、
当機は当路線を主に貨物牽引から荷物や旅客まで幅広く就役開始。D51に代わって加太峠越えし、合理化に貢献。
80年には草津線でも運用開始。83年にSGを電暖(EG)に交換。
84年から86年まで名古屋圏でEF58の後継機として東海道山陽線も走行するようになった0番台と会う。
87年JR貨物に承継。亀山・奈良間の客車列車や貨物の減少に伴い稼働率は減少し、現在までに車両数はかなり減った。
関~柘植と島ヶ原~加茂が第三軌条なので関西線は個性的な車両が集い趣味的に面白。

59:名無し野電車区
11/05/05 09:20:45.11 xBkAJ9Ic0
JR四国 オハフ50-5000 オハ50-5000 オハ50-5500 オハフ50-5500

平成元年、新幹線連絡夜行快速用に50系客車から改造された車輛
使用列車についてはスレリンク(train板:602番)を参照

オハフ50-5000
1号車指定席用車輛で、座席はリクライニングシート 便所前のロングシート部分は線路と平行に洗面所が2か所
設置されている

オハ50-5000
2号車指定席用車輛で、基本スペックはオハフ50-5000と同じだが、1号車側ロングシート部分にカウンターが設置され
簡単な供食施設がつく。夜行運用では非営業だが、イベント運用などで使用できるようになっている。

オハ50-5500
3号車自由席用車輛で、車内は転換クロスシート 車端部に飲料の自販機がついている。

オハフ50-5500
4号車自由席用車輛で、車内は転換クロスシート 便所横のロングシート部分に洗面所が2か所ついている。
床下にディーゼル発電機をもち、全車に電源を供給しているため、口の悪い鉄道ファンにはキハフ50とあだ名されている。

岡山終着・始発ののぞみに接続し好評であったが、平成20年に電車化され置き換え廃車となった。

60:名無し野電車区
11/05/05 13:22:03.12 NSFDPhKX0
EF31
国鉄が常磐線に投入した交直両用EL。車体は鋼製でローピン塗色。
EF30とは逆に直流区間側の出力が抑えられているが、
その性能故運用範囲が常磐線取手以北・水戸線小山以東に限定され、
EF80の投入により旅客仕業からは数年で撤退してしまった。
1986年までに全機が廃車となったが、
EF80と重連を組んださよなら運転で生涯只一度の上野乗り入れを果たした。

61:名無し野電車区
11/05/05 16:46:20.25 O1n8cagh0
JR西日本キハ171系(七尾線が電化されていない想定)

「ゆぅトピア和倉」で使用されていたキロ65形の置換え用として登場した特急型気動車。
電車特急と協調運転できる走行性能を持つ高性能気動車として登場した。

走行装置はJR四国2000系をベースとしているが、走行線区を考慮して振り子機構を省略している。
車体および客室設備は当時試験走行中だった681系(量産先行車)をベースとしており、
識別のため車体に金色の帯が描かれている。
その他の部品についても可能な限り電車との共通品を採用し、検修の便を図っている。

当初は485系「雷鳥」との併結運用であったが、681系量産車の登場に向け
エンジンおよび変速機の換装、制御回路の一部変更、電気連結器の取り付けなどの改造を行い、
130km/h走行と分割・併合作業の迅速化が可能となった。


62:名無し野電車区
11/05/05 21:38:12.90 FFKQ1svD0
キハ35系JR北海道仕様
JR北海道が札沼線の輸送改善用にJR他社からキハ35を購入。
半自動ドアスイッチを取り付けた以外は原型のままである。
しかし隙間風が入るために夏季は札幌、冬季は函館と使い分けており、運用に入らない側にはキハ22が代走していたという。
1995年に廃車された。

63:名無し野電車区
11/05/05 23:24:46.15 xBkAJ9Ic0
>>62に触発されて。

国鉄 北海道総局 キハ101

昭和57年、荷物輸送廃止に伴い大量の荷物車が余剰となった。
多くの荷物車は老朽化していたため廃車となったが、中にはマニ50やスユニ50のように
製造されて5年程度しかたっていないものもあり、財政逼迫下の国鉄としてはなんとか有効活用
できないものか模索していた。

そこで、荷物の積み下ろし用に大きく作られた側面ドアに着目し、札幌圏での通勤輸送混雑緩和に
使用することにし、特に混雑著しい札沼線石狩当別以南での運用を目的に、気動車化改造された形式である。

新系列の番号が付与されているが、一般型車輛との併結を前提としており、制御機器は持たない中間車として整備され
キハ40などに前後を挟まれ、ラッシュ時限定で運用された。

0番台はマニ50から、200番台はスユニ50から改造され、200番台は片側ドアが種車の影響により片開きドアとなっている。
また、車内は一部ロングシートがついているが基本的に「椅子なし」で整備され、窓も種車のままであるため見晴らしは悪かった。

あまりいい環境の車輛ではなかったが、ラッシュ時の遅延が激減し、乗車時間も30分以内と比較的短いところから通勤客には
好評を持って迎えられた。

JR化後は、電動で椅子をあげおろしできる装置を入れて座席を増やしたり、ドア部分にエアカーテンと半自動ドアボタンを設置したり
窓を増やす改造などがなされ、居住性を向上させるとともに、沿線人口の増加に伴い昼間運用にも入るようになっていった。

2011年の札沼線電化時に撤退し、全車廃車になる予定である。

64:名無し野電車区
11/05/06 02:10:45.35 AcY7yf500
キハ52 200番台
キハ52の北海道仕様、というかキハ22の2エンジン仕様。
ドア割はキハ22をベースにし、窓を1枚増やした形である。
急行にも使用された。
引退と思われた矢先にキハ130の思わぬ廃車が起きたため、現在でも2両が日高本線で使用されている。

65:名無し野電車区
11/05/06 10:54:03.22 uIW8izvD0
>>64
なぜか、実際にはそういうのが出来なかったのですよね
現場からも要望が上がらなかったという話もありますし・・・

国鉄 北海道総局 キハ53

昭和55年、キハ52-200の置き換え用にキハ40の2エンジンバージョンが登場した。
うち20両は急行仕様として窓側にも肘掛が装備され、便所・洗面所も急行形のように
設置、ロングシートも3人掛けにされた。塗装も急行形と同じツートンで登場した。

JR化後、エンジンを強力なものに換装され、シートを簡易リクライニングに取り換えキハ530
として運用されたが、急行列車廃止に伴いそのままの形でワンマン装備を施されキハ53-1700
に変更され、主に函館本線山線と石北本線などの、急こう配・長距離列車に投入され、現在でも
元気に運用中である。

66:名無し野電車区
11/05/06 18:17:17.83 10gboq3iO
国鉄 キロハ52
キハ55系キロハ25の2エンジン型であるが、両運転台であるためキハ52系として
編入したもの。
キハ52型に準じた0番台とキハ22型に準じた100番台とがあるが、
東北と北海道しか使われなかった。
座席数は普通20 グリーン8で普通の数を多くした。製造数は共に7両のみであった。
東北では主に急行「なつどまり」「いなわしろ」などに使われ、単独で使われることもあった。
北海道ては急行「はぼろ」「るもい」「いぶり」などに使われていた。
東北にいた車両は承継されずに昭和60年に廃車され、北海道にいた車両は
3両が承継されたものの機関と変速機をキハ54型に拠出するため廃車された。
島原鉄道キロハ25
国鉄直通用キハ55 26型と並行して製造されたグリーン 普通合造車で3両のみ製造された。
国鉄キロハ25型に準じた構造だが車内はキハ58型レベルになっている。
両運転台のため単独でも使われることもあった。
冷房も搭載されるなどしたが、国鉄直通廃止後は島原外港~加津佐間の
南線でグリーン車も普通に開放して使われていた。
雲仙普賢岳の災害で1両が被災して廃車されたが廃止まで使われていた。
南線廃止に伴って廃車される予定だったが、茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)に譲渡された。
茨城交通ではキハ25型と変えて使われ、2011年に1両がいすみ鉄道に無償譲渡された。
いすみ鉄道は先にJR西日本より購入したキハ52との2両体制で運転する予定で、
旧国鉄急行色に2等の青帯で使われる予定。

67:名無し野電車区
11/05/06 22:41:29.17 AcY7yf500
>>65
北海道こそ2エンジン仕様ほしがりそうな気もしたが、なんでだろうな?

サハシ165 オートビュッフェ
人員不足でビュッフェの営業休止が相次いだ1970年代、増収も兼ねて自販機をカウンターに設置したもの、
ジュース・酒とタバコ、菓子、食品(初期はパンとハンバーガー、のちにおにぎりやサンドイッチも)の4種類が置かれた。
好評でサハシ451・455も同様に改造された。
間合いで普通運用中でも営業できるのも評価が高い理由で、特に常磐線などでは本来の運用であるときわなどより売上が高い月があるほどであった。
某労組が解雇の口実にしていると破壊しょうとしたところ利用中の客に逆襲され、ワンカップ大関を浴びせられてつまみ出された逸話も。
1986年、老朽化や急行運用の急減で廃車となったが、自販機はその後ジョイフルトレインなどに転用された。
また、石神井公園近くの某病院でも近年まで使用されていた。

68:名無し野電車区
11/05/07 01:17:51.81 Dor7m+lmO
国鉄 DD51-2000番台

昭和37年に登場したDD51は亜幹線用機関車としては多大稀なる成功機となり、各種のバリエーションが作成された。
ただ、幹線重量貨物列車には若干役不足な点も見受けられ、それを解決する為「DF51」という幹線用ディーゼル機関車が計画された。
しかしながら、国鉄の経営悪化と労使環境の悪化というダブルパンチによって計画のみで終わる事になった・・・・。


ではなくて。
ここでDE10・DE15で使われているDML61ZBに機関換装された「だけ」の新番台。DD51-2000が登場した。
新形式でない事から、組合側の反発を躱し早速、昭和47年に鷲別機関区に改造による試作車が配置され、試験が行われた。
結果は、比較的良好でこれ以降SG非搭載の貨物型を中心に機関換装が進められた、。

国鉄の分割民営化の荒波を乗り越えて、改造された全車がJRに継承されたが、現在ではJR貨物が製造しているDF200にその座を追われつつある。


69:名無し野電車区
11/05/07 09:10:13.20 c0HsYzA70
>>67に触発されて

国鉄 北海道総局 キロハ80 キハシ80

昭和48年、北海道観光ブームとなり人気特急筋の混雑が激しくなったが、増車はしばらくの間望めない状況であった。
そこで、一部北斗系とオホーツク系の不人気列車から普通車を減車し、それらの列車に回す方策を取るとこにし、ここに
「北海道標準編成」制度が崩れ、「標準A編成」と「標準B編成」の2種類になった。
「A編成」は、食堂車・グリーン車込みの8連となり、「B編成」は、標記半室ビュッフェ・半室グリーン車込みの5連となった。

キロハ80:全室グリーン車の2エンド側1/3を仕切り、普通席にしたもの。

キハシ80:キシ80の食堂部分を普通席にし、調理室を撤去し本州で好評であった>>67のオートビュッフェを設置した。
       種車の関係で、乗客用の乗降ドアは設置されていないが、元レジ台部分に非常用ドアが設置されている。
       オートビュッフェは、飲料関係のほか、そばの自販機が設けられ、元通路側窓部分に設置された長手方向の
       テーブルで食べることができる。
       車内販売が乗務していて弁当を販売していたが、温かい食事が食べられるということで好評であった。
       のちに、カップラーメンや調理パン、冷凍食品の自販機も設置されるようになった。

昭和55年、キハ183系が投入され活躍の場が狭くなっていったが、「おおとり」と「オホーツク」1往復に充当されるキシ80
以外の車輛は全車キハシ80タイプに改造され、一部は一般型気動車と併結できるようにして急行「宗谷」「天北」に投入、
一部は客車化され道内夜行急行に投入され、JR化後も全車引き継がれて運用された。

しかし、道内夜行列車、急行列車の衰退と車輛自体の老朽化が進み、代替車輛が登場するなどして平成5年までに全車廃車となった。

現在、小樽の鉄道博物館にキハシ80-1と2が、その他地方の公民館や公園などで休憩施設として数両使用されている。

70:名無し野電車区
11/05/07 12:22:44.49 c0HsYzA70
国鉄 北海道総局 711系500番台

昭和60年、増収のためいろいろな施策を実施していたが、その中で長大編成の列車を走らせるより、短編成でも頻繁に
走らせたほうがいい、というフリクエンシーサービスが好評だったため、札幌圏では6連の711系を3連にして運行するようになっていた。

その流れの中で、ラッシュ時限定とはいいながらも8連で運用されていた50系客車列車は、昼間の時間帯に寝ている状態になり
かといって4連で走らせるにしても機関車の数が不足し、それ用に機関車を投入するのも無駄であるので思案していた。

それならいっそ、電車化してしまえばいいじゃん、ということで改造されたのが本形式である。
車内設備は711系とほぼ同等だったためそのまま使用し、ラッシュ時輸送のための8連運用を温存するために4連固定となった。

クハ711-500:オハフ51から改造された、便所つき制御車 便所と反対側の車掌室を運転台に改造された。
モハ711-500:オハ51から改造された、中間電動車 オリジナルのモハ711同様雪切室が車内に設置された。
サハ711:オハ51から改造された、便所つき中間付随車 デッキ外側に711系と同じ便所・洗面所がブロック工法により作られ、ドア位置は
       内側に変更されている。
クモハ711-500:オハフ51から改造された、電動制御車 便所および運転台と反対エンドの車掌室が雪切室になった。

これらは、形式が示すとおり711系との連結が可能であり、ラッシュ時にはおのおので連結した8連から、分割してオリジナルと連結された7連
はては急行かむいに3+3+4の10連で運用されたりと、乗車状況により、よりフレキシブルな運用が可能になり乗客・運用サイドの双方から
好評をもって迎えられた。

また、平日昼間などでも学生の下校時間帯にあたる列車などでは3連では足りないけど6連では過剰という列車に優先的に投入され、列車の遅延防止に
役だっていた。

JR化後も全車引き継がれ、函館本線・千歳線といった札幌圏内で後輩の721系とともに運用され、のちに冷房化され0番台や100番台が廃車になる中でも
電化末端区間で活躍している。

なお、一部が函館へ転属になり、江差線での通勤通学輸送用に使用されている。

71:.
11/05/07 13:16:33.79 OsTMY9aaO
JR東日本E235系1000番台:
埼京線に当初はE233系6000番台の投入が検討されていたが、山手線E235系の落成に伴い、E233系からE235系への方針変更となった。
埼京線独特の設備として、全車両に防犯カメラを設置し、女性客のマナー悪化と位置的に不便な女性専用車の段階的廃止。
防犯カメラ画像はUQ WiMAX回線を通して新宿本社管理センターに送られ、警視庁と埼玉県警の立ち会いの元痴漢対策がされる。
また、2・3号車は6ドア車両である。

同2000番台:
横浜線に投入。2号車に6ドア車を連結する。

同3000番台:
宇都宮線・高崎線・東海道線に投入。
211系の置き換えで、東海道線分が田町車両センター及び国府津車両センターに、
宇都宮線・高崎線分が大宮総合車両センター及び熊谷車両センター(旧:高崎車両センター籠原支所から格上げ)及び小山車両センター及び尾久車両センターに配置。
グリーン車の扉窓及び内側化粧版はE259/E657系同様の物を使用する。

72:名無し野電車区
11/05/07 21:46:51.60 t1UxAUN20
クモハ380形

1989年、スーパーくろしおの運転開始に伴いモハ381形をベースに改造された。
先頭部はクロ380形と同様のパノラマタイプのものとなっている。
当時のスーパーくろしお編成は両端の先頭車がパノラマタイプの6両編成となっており、
そのスマートな外見と軽快な塗色により、国鉄形車両のイメージは完全に払拭された。
しかし多客期における増結に手間がかかるため、1993年に編成組み換えが実施され、
3両+6両の編成となり、この車両は増結編成の京都方先頭車となった。
この編成のまま1999年にリニューアル改造が施行され、現在もスーパーくろしお、
くろしおで活躍しているが、車体の老朽化のため他の381系同様287系への置き換えが決定している。
尚、287系置き換え時に一部の編成がやくも用に転属するのではないかと噂されている。


73:名無し野電車区
11/05/08 00:42:35.86 2om/arwV0
小田急7000形2代目/名鉄7000系2代目
スピードアップのため、強制振り子式のイタリア・ペンドリーノを導入した。
車体幅や車体長は小田急・名鉄の限界に合わせてあるがデザインはETR600そのものである。
現段階では最高時速130kmだが、カーブ通過速度が大幅にアップしているため、表定速度が向上している。
イベント運転として名鉄岐阜~名鉄豊橋~新松田~小田急新宿を往復したことがある。

74:名無し野電車区
11/05/08 07:28:07.27 ZvGMHWDLO
289系
未だに381系で運転されている「やくも」の後継車である。
基本的には「きのさき」「こうのとり」及び「くろしお」後継の287系に準じたもの
であるが、パノラマ型グリーン車が全て出雲市方に向きが変わっている。
6両編成と3両編成が投入され、3両編成が6両編成よりも3編成多いのは
江津まで高速化と電化延伸を計画しているからで、江津まで延伸された
場合、陰陽連絡線の使命を失う三江線が廃止へ止めを刺される可能性が
俄然高くなると思われる。
また「やくも」と「スーパーやくも」とに再び分けて「スーパーやくも」に
相当する列車名を急行から復活となる「スーパーだいせん」にする案や
「やくも」そのものを「だいせん」にする案も浮上している。
現に「北近畿」が287系投入時に「こうのとり」と改称されており、「やくも」から
「だいせん」になる可能性は非常に高い。

75:.
11/05/08 08:54:32.52 +v347xMDO
JR貨物・JR東日本・JR西日本・JR九州・JR総研EF590形交直流電気機関車試験車・東西九691系試験電車:
交直流電気機関車の誕生の経緯に、常磐線の地磁気観測所対策の藤代セクションがあり、鹿児島本線交流電化に伴う関門トンネルの門司セクションがある。
また、北陸本線・湖西線では北陸本線田村での地上切替試験実績と、信越本線直流電化による交直流セクションを敦賀・糸魚川・村上に抱える。

現状、交直流機関車の構造は直流回路の上に特高圧変圧器と整流器を搭載する構造で回路の一体化が出来ない為にコスト高となってしまう。

そこで、半導体技術を多用して、変電所での周波数変換や青函トンネル内共同溝直流送電で用いられる光トリガーサイリスタを応用した、トラクションモジュールの試作である。

交流特高圧回路を直接直流に変換して、光トリガーサイリスタによるチョッパ制御により1500Vに落とし、そこに直流回路を挿入してVVVF駆動とする。
回生ブレーキは光トリガーサイリスタで交流50/60Hz20kVに変換。

76:名無し野電車区
11/05/08 09:47:31.81 T1DrxL8e0
札幌市交通局 麦形(麦1~麦3)

昭和21年、占領軍がキャンプクロフォード(現陸上自衛隊真駒内駐屯地)に進駐した。
国鉄との連絡輸送は定鉄線を利用したが、市内への交通が不便とのことで、GHQからの命令により
札幌市交通局は石山通沿いに市電を建設させられた。

その際、駐屯地で大量に消費されるビールの輸送のために作られたのが、本形式である。

外観は、散水車のようなタンク車となり、札幌麦酒苗穂工場で積み込まれ、駐屯地内にあるビールタンクまで
大量一括輸送する形態をとった。

昭和25年からキャンプクロフォードの返還が始まり、米軍用のビール輸送は減っていったが、昭和30年代に入る頃になると
高度経済成長のため、すすきのの日本人向けの歓楽街の活気がよみがえってきたためビール特に生ビールの需要が大幅に
増えていった。

そのため、すすきの飲食店組合は、小口のビールサーバーを各店が個別に備えていくより、地区で集中して生ビールを供給する
ほうが有利ではないかと考え、南4西6(現ジャンボ2000)地下に、生ビールタンクを設置し、米軍撤退により使われなくなっていた
標記ビールタンク車を使用しての、生ビール搬入が開始された。

当時、生ビールは全国的には普及しておらず、「工場のビアホールのビールはうまい」程度の認識しかなされていない中、工場直送の
生ビールを普通に飲める店がたくさんあることで、台頭してきた「札チョン族」や道外観光客から好評得るとともに、世界的にも珍しい
ビール輸送電車の姿もあいまって、全国的にも有名になった。

その後、ビール消費量が増大したため地下パイプライン化され、市電によるビール輸送は昭和43年に廃止となり、特殊用途だった同形式は
同時に用途廃止となった。

しかしながら、ビール市電は世界的に有名となり観光資源として活用できると考えた札幌市は、本来の用途ではなくイベント用として同車を
活用することを考え、タンク側面下にサーバのような蛇口を取りつけ、更に大通公園内への引き込み線を新設し、ビアガーデン開催時に
電車を乗り入れて、巨大なビールサーバとして使用するようになった。

現在でも、夏の風物詩として、3両の麦形電車が大通公園でがんばってる姿はテレビなどでもご覧になった方は多いはずである。

77:名無し野電車区
11/05/08 09:52:40.11 BmtSYeQlO
>>76 さん、よくできてるのでアンサイクロペディアにでも転載きぼ~ん

78:名無し野電車区
11/05/08 10:14:44.40 T1DrxL8e0
>>77
どうもですw

・・・どなたか転載していただければ幸いです・・・

79:名無し野電車区
11/05/08 10:18:36.25 2om/arwV0
>>76
米兵がビールを散水して浴びてる姿想像したじゃねえかw

80:名無し野電車区
11/05/08 20:07:32.59 1+ZPl34mO
N700系5000番台
これはJR九州が九州新幹線PRと九州への観光を誘致する為に東海道新幹線に乗り入れられるように導入した車両。
外観はS・R編成の塗装(ただし先端の九州・西日本のロゴは無い)で内部はZ・N編成に基づいている。もちろん車内チャイムはR編成仕様。
16両編成だが九州新幹線へ乗り入れは可能になっている。
九州新幹線駅では1~8号車のドアしか開かないようになる。

81:.
11/05/08 21:27:19.94 +v347xMDO
ATC-11/12及び対応車両:
神奈川東部方面線の開通による東急CS-ATC-P(ATC-11)、東武東上ATC(ATC-12)の伊勢崎・日光線導入計画により、JR東日本での規格化及び対応車両の投入及び改造をする。
なお、東武伊勢崎・日光線では東急・メトロ型CS-ATC(ATC-10/11)にする可能性もある。

ATC-11:
E235系2000番台(横浜線)
E235系5000番台(武蔵野南線)
E235系6000番台(南武線)

ATC-12(ATC-10/11への変更あり):
日光・きぬがわ用車両

82:.
11/05/08 21:34:47.80 +v347xMDO
E5系5000番台・N700系10000番台:
北陸新幹線向けの車両で、東日本はE5系の北陸新幹線向け、西日本はN700系の耐寒耐雪仕様の北陸新幹線向け。
長野新幹線あさまにはE2系の代走を除き運用に入らない。
東京口のはくさん及び大阪口のらいちょうの運用につく。

83:名無し野電車区
11/05/08 22:01:24.19 dlMfarrnO
JR西日本 129系・289系
山陰本線出雲市~益田、および山口線の電化開業用として登場した。

289系
「まつかぜ」「おき」用の特急型電車。
車体は287系をベースとしているが、
下回りは1M制御を採用しているため2両編成での運用が可能となっており、
クモハ1両のみでも自走することが可能。
129系
キハ127系ベースの近郊型電車。
低床ホームに対応するためステップが付く。
下回りは223系5000番台と可能な限り共通化されており、大幅なコスト削減を実現している。

この電化により従来からのキハ126・121は浜坂~米子間の運用となり、
キハ187は「スーパーいなば」の増結用に転用。
キハ120は三江線用の4両を残し益田~下関および美祢線、仙崎支線に転用される。
また、この転配により相当数のキハ40系列が置き換えられる。


84:.
11/05/09 09:46:03.30 iXDj1V2EO
E721系5000番台:
山形新幹線の新庄~大曲延伸・秋田新幹線大曲~秋田直通に伴う標準軌化による投入。
福島~山形、山形~大曲、大曲~盛岡、福島~新庄、新庄~盛岡の運用が中心となる。

E721系100番台:
山形新幹線延伸工事と重ねて陸羽東線・陸羽西線の電化に伴う投入。

青い森721系、IGR7200系→IGR青い森721系:
IGR岩手銀河鉄道と青い森鉄道の車両取替に伴う物。IGRの財政難で青い森鉄道と合併の為、合併後は青い森所有が0番台・IGR所有が100番台に区別。
陸羽東線・陸羽西線向け100番台をベース。
JR東日本盛岡支社よりのリースバックによる。

85:名無し野電車区
11/05/09 19:01:05.38 +/wIDwGh0
205系4000番台
中部電力浜岡原発の全面停止に伴い電力不足が予想される事からJR東日本が急遽205系の長野地区転用を決定。
ケヨの205系を種車に4両編成化した上で、トイレ設置や半自動ドアスイッチ取り付けなどの改造を施工。
工期短縮のため先頭車化改造は行われておらず、クハの顔はオリジナルとメルヘンである。

86:名無し野電車区
11/05/09 22:56:05.68 07DV649n0
小田急2620(2630)形
準特急廃止後も臨時列車や箱根湯本・江ノ島直通の急行にはクロスシートやトイレ付き車両の要望が強く、2600形をベースに製造された。
ドア間普通窓の箇所にボックスシートを、戸袋と車端部にロングシートを配置した形状となっている。
また新宿より先頭車にタンク式トイレが設置されている。
当初は2600形の車番に20をプラスした車台番号だったが、2600形増備に伴い30をプラスした車番になった。
また2620形というのは便宜上の形式で、届出上は2600形のままである。
6両編成4本が製造、冷房化などが行われ、2005年まで在籍していた。
現在は2本がインドネシアで使用され、先頭車1両が箱根の某旅館で保存されている。

87:ムーンライト
11/05/10 01:23:14.59 UzHiTxOo0
>>83
>129系
>キハ127系ベースの近郊型電車。
>低床ホームに対応するためステップが付く。
これは523系交直流電車。
北陸本線の475・413系の置き換えと、山陰本線出雲市~益田、および山口線の電化開業の両方に対応する。


88:ムーンライト
11/05/10 01:50:43.33 UzHiTxOo0
>>75
×糸魚川
○梶屋敷

>>84
>E721系5000番台
正しくは、山形新幹線の新庄~大曲延伸・秋田新幹線大曲~秋田直通および標準軌線区の低床ホーム化に伴う標準軌化による投入


89:名無し野電車区
11/05/10 12:25:35.72 fTQWYE9K0
人様の作品を土足で踏みにじりやがって、消え失せろ! むらせ(moonlight )。
顔が醜いじゃないんだよ、psychoだから、嫌われるんだよ!

90:ムーンライト
11/05/10 18:17:35.67 UzHiTxOo0
>>46-47,>>76
文が長すぎるよ。


91: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
11/05/10 18:28:33.09 zeYCQgxp0
                           ∧_∧
◎               へ          (´<_` )
  \    ≫ ̄ ̄ ̄ ̄彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒    \
      彡____人  )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       )
 ◎-●一( * *    ヽミ          |.      |
      ((_ _ (( ( ;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ〉     | |
 ‘,'.∴・,‘・(ε ((  ヽ-=_二__ ̄    \     | |
  ,'.・∵  ヽ_____ ノ       ̄\     / /
       (__))     ヽ        .\__/_丿
       |  |         ヽ         .|  |
       |  |______)          |  |
       |  〉三三三[□]三)        |  |

92:名無し野電車区
11/05/11 16:15:04.78 2MyFM347O
>>86
小田急5030(5130)形
昭和45年に2630形(>>86)の追加増備として5000形をベースとした同型が作られた。
なお届け出上は5000形となっている。
5000形となっているが実際上は4000形と5000形を合わせたような車で、
吊り掛け式の4000形とは違ってカルダンであったものの、2200 2300形の
部品を一部再利用している。
特に付随車の台車は2200形のを改造して再利用し、電動車の台車も
4000形同様パイオニアを採用している。
6両編成3本が作られ>>86と同様に使われた。
オールロングシート化及び冷房改造も行われたものの2200形や2300形と
ブレーキ系が同じだったために異形式併結が出来ず、優等から撤退すると
専ら単独で多摩線各停運用が主体であった。
後に対応出来るようブレーキ系を改造したことで解決したが、連結相手は
4000形と5000 5200形及び9000形のみであった。
(8000形初期の抵抗型も連結可能だったが連結される事はなかった)
運用上に難があるために3000形8連に置き換えられる形で4000及び5000形の
中でもいち早く2004年に引退となった。
なお引退運転では1編成ずつ旧塗装 フラワー お買い物電車塗装を纏い
引退の華を飾った。
後に全て4両編成化の上で秩父鉄道に譲渡されたものの輸送力過剰で羽生~熊谷
のみしか使えず、また保守部品枯渇もあって東急電鉄からの譲渡車両と
入れ替えに2010年に廃車された。
なお5131先頭車が海老名車両基地に返還されて保存されており、相方の5181は
開成駅前に保存されている。
また電動車の1両が松田町の採石場の事務所に活用されている。

93:.
11/05/11 19:10:51.81 wZxGPOIYO
モハ205/204-901~902:
205系の主電動機MT61は直巻配線だが、713系/719系で分巻配線可能な設計から、営団独自の4象限チョッパの試作に適していた事から試作。
901ユニットは103系の騒音問題より埼京線に大量導入された編成のうちのMM'ユニットに組み込み。
902ユニットは京葉線メルヘンに組み込み。

実用化すれば東西線103/301系置き換えに採用されたものの、JR東日本の技術スタッフがメンテナンスに戸惑い、結局採用されず、その後電装解除されたが、武蔵野線VVVF導入の量産先行向けにモハ205/204-5001/5002に改造された。

94:名無し野電車区
11/05/11 21:15:26.99 R0lnuQXM0
◆モハ103
103系モハ103のPS23搭載車
武蔵小金井電車区に新製配置され、101系の分割7+3編成を置き換えた。
なお◆クモハ103は既存車のPS23換装で対応した。
相模湖行きの臨時列車や特快「おくたま」「みたけ」「あきがわ」などで活躍したが
ダイヤが乱れた影響で高尾発着の特快に使われたこともある。
201系投入により1985年限りで中央快速線から撤退しその後は各線区に散っていったが、
JR西日本に譲渡された1両を最後に全廃された。

95:名無し野電車区
11/05/11 23:00:02.00 iOn6hUsi0
JR北海道 723系

平成4年、721系が逐次増備され札幌圏の輸送能力に余裕が出るとともに、711系との速度差や
ラッシュ時2ドアのために遅延が発生することが問題となってきた。
一部を3ドアに改造したりしたがやはり使いづらいことには変わりなく、その対策に頭を痛めていた。

しかし、どうしても対策が思いつかず、室蘭本線や函館本線の末端区間に追いやるくらいしか方法が
ないということで、対処したのだがなにぶん3両編成ではオーバースペックであり無駄であった。

そこで、下回りを利用して改造し、線区の特性にあった車輛にしてしまおう、ということになって登場したのが本形式である。

改造ポイントとしては
1 2両1ユニットにすること。
2 ワンマン化できること。
3 721系なみの車内にすること。
の3点であった。

そこで、モハ711とクハ711の車体を新造した721系の車体と取り替え、一見すると721系の
2両編成風な形になった。

冷房付き3ドア転換クロスシート車は、胆振地方と空知地方の乗客たちに好評をもって迎えられた。

その後、当初0番台からの改造だったが、731系の増備で札幌圏から追い出された100番台も
続々と723系に改造され、一部は津軽海峡線の快速「海峡」用として、座席を簡易リクライニングシート化
された1000番台も登場した。

しかしながら、当然種車である711系は登場から30年以上たっていたので機器の老朽化は隠せず、また
当局もそれを見越していたため、下周りを721系ベースで新造してついに完全な新車化改造をされたうえで
現在でも元気に運用されている。
ただし、快速「海峡」用に配置された編成については、ドア付近の座席を撤去されたうえで江差線の通勤通学輸送に
活躍している。

96:名無し野電車区
11/05/12 14:06:41.36 EmLfAZzA0
R東海315系

ながら不定期化後も続いていた373系東京乗り入れであるが、
静岡地区に定員制快速「すんえんライナー」設定に伴い、373系を
捻出して同列車に回すべく、JR東海車の熱海以東乗り入れ運用が見直されることとなった。
結果、乗り入れ運用は熱海の折り返し容量の関係から継続
(同駅改良工事を機に、伊東・下田方面折り返し専用0番線が設置されだが、それでも足りないため)
となったが、その内容は大幅に変更され、大船・平塚・小田原まで東海車で一日数往復
(グリーン車は非連結のため早朝深夜に集中、列車によっては御殿場線経由というユニークな運用もある)となった。
当初は比較的勝手の近い211系5000番台で運用されていたが、
自社の211系を他地区に回して東京口を4ドアで統一したいというJR東日本側の意向に応え、
東海も自社でオリジナル4ドア車を設計することとなった。
基本的には、自社オリジナルの313系をそのまま4ドア化したものだが、
ボディがビードなしとなるなど、313系とは違った部分がある。
なお、313系と両端のドア位置を近づけるため、メトロ06系のようにドア間の長さが異なっており、
長めのドア間がセミクロス、そのほかはロングシートとなった。
また、名古屋都心で地下鉄的な役割も担う中央西線でも多治見以西の各駅停車用として投入されたが、
こちらは全てロングシートとなっている。

97:ムーンライト
11/05/15 10:44:34.82 OKTgzAqz0
JR東海 キハ24
キハ25系のトイレ付中間車

JR東海 キハ24-100番台
キハ25系のトイレなし中間車

JR東海 キハ25-200番台
キハ25系の両運転台車


98:名無し野電車区
11/05/15 11:56:49.47 0z5KghM6O
小田急電鉄60000(60040)形(USE)
ハイデッカーでバリアフリー上に問題のある「あさぎり」用20000形(RSE)の
全面取り替えとやはりハイデッカーで残存する10000形の取り替えを兼ねて
投入されるロマンスカーで、「メトロはこね」用60000形の地下鉄乗り入れ装備省略型。
「メトロはこね」用と区別するため、40番台と区分けされているが、届け出上
60000形となっている。
塗装が50000形VSEと同じであることと非常口の貫通扉がない点が特徴。
6+4両の10両となったため、小田急車使用の「あさぎり」は後ろ4両に
箱根湯本行き「はこね」又は片瀬江ノ島行き「えのしま」と一緒に運転する。
切り離しは「あさぎり・はこね」は秦野 「あさぎり・えのしま」は町田で行う。
10両編成7本が海老名及び大野に配備された。また6両編成のみの編成2本も配備される。
なお検査時は30000形EXEが代走するため、30000形2編成にJR東海用ATS-STが搭載された。
なおJR東海も小田急車がダブルデッカー グリーン車の廃止を受けて「あさぎり」
を371系から373系の6両編成に変更され、沼津行きから静岡行きに変更された。
なお検査時は60000形が代走するが、この場合沼津~静岡は運休となる。
373系化により捻出される371系は快速「ムーンライトながら」に投入される
予定で、後ろ名古屋行きが373系の10両編成となる。

99:名無し野電車区
11/05/15 14:06:11.64 N4W91VAS0
E721系2000番台
一編成5両で、そのうち一両は平屋グリーン車。
普通車の内装はE233系3000番台同様のセミクロス車。ちなみに3ドア

100:anorak?
11/05/15 14:31:15.26 uX1og+vO0
>>58に続く俺の平行世界もの
◎国鉄キコ91形
○ 1960年代、国鉄は、ローカル線での貨物輸送合理化を目的にキワ90形と称する気動貨車を試作したが、失敗。
80年代に入り、国鉄の経営は危機的状況に陥り、巨額な赤字のかなり多くを貨物部門が占めた。
貨物部門再建の一環としての競争力強化を目的に、81年にコンテナ気動車試作車キコ91形が登場した。
その意図は次の通りである。当時、貨物輸送は鉄道開業以来1984年までヤード輸送方式が主流であったので、
ローカルな貨物駅と地域拠点操車場間の小規模な集配にトラックに相当する自走出来る貨車を使えば、
駅やヤードでの入れ換え作業は大幅に時間短縮し、なお且つ定時運行が可能になる。
一方、拠点間の長距離大量輸送列車では先述の自走貨車を沢山連結して機関車で牽引する。
以上で合理化のみならず対トラックへの競争力が向上し、貨物の採算性が良くなるはずだと。
本車両は、キワ90の失敗を踏まえ、後述する荷役作業合理化の為にコンテナ車となっただけではなく出力も強化。
余剰となっていたコキ10000形を種車に台枠下にエンジンを搭載、車端片側に運転台の取り付けなど改造した。
エンジンはキハ66やキハ183系に採用されているDML30HS系(440PS)をベースとし、変速機等の他の走行システムと共に
種車の狭い台枠下に搭載出来る様に再設計。
キコ91-1+キコ91-2の一ユニット二両が試作された。
本州と九州の幾つかの路線で試運転を実施。
コンテナを搭載する際の衝撃で台枠下のエンジンが故障するなどの各種トラブルが起き、その都度改良された。
将来を期待されていたが、時、既に遅し、84年、国鉄再建の一環として貨物のリストラクチャリングが断行され、
鉄道開業以来のヤード中継輸送方式が全廃され、拠点間直行輸送方式のみに特化された。
これにより、キコ91形は休車扱いされ、87年4月のJR発足を前にして廃車された。
なお、動力分散式の貨物車両は、20年程にしてJR貨物のM250系として再登場し、その後、JR東海のキヤ97系等が登場。

101:.
11/05/16 00:12:57.32 fO1a+2l0O
モハ285/サハ285/サロハ285:
JR西日本と東海がツアーバス最大手のウィラー対策に、増結としてレガートシート車を製造。
モハ/サハ/サロハの普通車が3列独立シート(プレミアムドリーム号やドリーム号並みの座席)で、サロハのグリーン車が2列独立シート(ウィラーのコクーンシートに類似)
サロハはグリーン車が1階席と逆になっているが、静粛性を配慮したもの(通常はグリーン車が2階席)。
サハ-モハ-サロハで組成され、簡易運転台を設け、多客期に編成中間に連結する際の入換作業に利用される。

クハ285-500/クハ284-500/モハ285-500/サロハ285-500:
こちらは単行可能な編成で、クハ-モハ-サロハ-モハ-クハと組成を組み、基本編成に増結の他に、中間に前述の中間ユニットを連結して全車座席車としての運用が可能。

増結3両を片方か両方に連結すると、17両編成や20両編成になってしまう為、現状はサンライズゆめや臨時サンライズ出雲・瀬戸などに使われる。
また、併結5両と増結3両をJR東日本に貸し出し、サンライズレガートえちごとして運用する事もある。また、東海ではサンライズレガートながら(東京~大阪)として運用される事もある。

好評な為、定期運用も考えてはいるが、東海側が難色を示している(新幹線的な意味で)。

102:.
11/05/16 00:35:43.49 fO1a+2l0O
JR東日本・西日本28系客車:
北斗星・トワイライトエクスプレス・あけぼの・日本海の24系客車ときたぐにの583系の老朽化に伴う置き換え車両。
28系0番代:北斗星専用編成
28系100番台:トワイライトエクスプレス専用編成
28系200番台:あけぼの・日本海・きたぐに

JR西日本EF510-600:
トワイライト色の日本海・トワイライト・きたぐに及びあけぼのの長岡以北牽引用機関車。貨物の0番台と東日本の500番台との相違点は、JR西日本の保安装置搭載など。

JR東日本EH200-500:
長岡機関区のEF64の置き換えであけぼの牽引及び新津配給に用いられる。
上越線清水トンネル内勾配の関係で単機では空転が起こりやすい為EF210重連も考えられたが、平地ではオーバースペックになり、高崎での増解結などの効率の悪さからEH200に白羽の矢が立った。

JR貨物EH510/JR東日本EH510-500:
JR貨物では瀬野八越えにEF67の連結が必要であり、瀬野八を無補機走行対応の為に製造。下関機関区と吹田機関区に配置。
JR東日本では、郡山配給で上越線清水トンネル勾配でEF510では空転で厳しい為、EH200-500と共に投入。稀にあけぼのを機関車交換無しで青森まで牽引する場合もある。

共にEHが上野駅地上ホームでの取り扱いが難しい為、上野駅高架ホーム(5~10番線)に発着する。

103:.
11/05/16 04:05:11.36 fO1a+2l0O
JR東海・西日本600系:
東海道新幹線ではのぞみ偏重ダイヤで割高運賃でウィラーなどのツアーバスの昼便に顧客を持って行かれる問題で、ひかり・こだま専用の車両が必要になった。
車両形式はJR東日本がEx系に移行した為に欠番になった600系を勝手に頂いた。
全車2階建て(一部ハイデッカー、1階機器室)で、全席2+2シートでグリーン車は1+1シート。
格安ながら豪華な座席になったのは2階建て車両による。
なお、全車2階建てではあるが、300km/h対応となっている。

104:名無し野電車区
11/05/16 23:54:09.32 WlxpuxrBO
JR九州 801系交流通勤型電車
北九州、福岡都市圏の混雑緩和を目的に導入された
交流専用車としては初となる4扉通勤形電車。
編成は4両で、車体は815・817系などで実績のあるA-TRAINの構造を採用。
外見は813・815系と同様、扉部分が赤色に塗装されている。
室内は817系と同様白ベースとされ、座席も本革張りのセパレートタイプのものが採用された。
尚、長距離の運用も考慮されているため座面は深いものとなり、
クハには車椅子対応トイレが設置されている。
下回りは817系と極力共通化され、メンテナンスコストの削減に対応している。

全車両南福岡電車区に配置され、朝夕のラッシュ時を中心に活躍している。
一応従来の近郊型電車と連結することは可能だが、
4扉車であるが故に独自の運用が組まれているため営業運転時には見ることができない。
尚、運用によっては3本連結の12両編成を見ることができる。

また、この車両の登場により811系の一部が鹿児島総合車両所に転属しており、
そこで活躍していた415系を置き換えている。

105:名無し野電車区
11/05/17 20:33:08.17 i9jSHf2P0
国鉄 クロ103

昭和50年、首都圏の通勤事情は混雑の一途をたどっており、通勤5方面作戦と称する整備工事は
まだ完成はしていなかった。
その中でも、比較的長距離を走る京浜東北線に、多少料金を払ってでも快適に通勤したいという要望が乗客から
上がり、大宮方先頭車をグリーン車に改造することとした。

しかし、グリーン車といっても国電区間であるため、かえって特別な車輛を入れると不便になるとの考えから、片側4ドア
ロングシートの車輛の戸袋窓を埋めて都合8枚のグリーンマークを貼っただけの当形式が登場することとなった。

部内では通称「ニ等グリーン車」と呼ばれたが、座席のモケットはえんじ色に変更され、貫通ドアはすりガラスに「グリーン車」
という文字が入ったものに交換されるなど、妙なところは律儀に改造されていた。

乗客からは好評をもって迎えられたが、埼京線の開通を始めとする通勤緩和施策が浸透してくると利用者も減り、209系投入に
より、廃車となった。

106:名無し野電車区
11/05/17 23:42:30.99 oh2Nbkb00
E233系9000番台
JR東日本が開発したE233系の「ピークシフト電車」。
床下に大容量のリチウムイオンバッテリを搭載している(あまりにも大型すぎてモハだけでは収まりきらずクハやサハにも積んでいる)。
列車が走行しない深夜帯に充電し、走行時に電力を消費することでピークシフトを実現。
深夜に充電するため24時間パンタグラフを上げっぱなしにしなければいけないのが欠点である。

107:名無し野電車区
11/05/17 23:55:43.13 i9jSHf2P0
>>106
JR東日本 E231-7000

ピークシフト電車の逆に発想で、ピーク時の発電に寄与するために、現行E231-1000を
全電動車化し、ラッシュ運転時に発電ブレーキを使用し東電へ返電するために改造された形式

力行時は従来どおりのMT比で電力を使い、減速時にのみ全車のモーターで発電する。

実際にそれで何世帯分の電力になるかはわからないが、一応ポーズだけでも・・・というところであろう。

108:名無し野電車区
11/05/18 06:29:56.14 a/PRs/SLO
JR東日本 E703系
東日本大震災により仙石線の本塩釜以北の被害が甚大で、車両検査を
郡山で行っている関係上石巻より石巻線を経由しなければならず、さらに
回送にディーゼル機関車が必要と不便が多かった。
そこでJR東日本は災害復旧を機に比較的被害の少ないあおば通~本塩釜を皮切りに
松島海岸までを復旧させ、さらに交流電化にすることで変電所の数の削減と
松島付近を走る東北本線からの融通も可能にした。
そこで投入されたのがE233系の車体にE721系の交流機器を組み合わせた
新型通勤電車E703系である。
災害復旧の関係上2WAYシートにはせずに通常のロングシート車のみを
配備することにした。無論全編成トイレ付きとした。
交流電化化と共に東北本線塩釜~松島間の並走区間にある旧線の敷地を
利用して連絡線と渡り線を設けることで検査時に直接東北本線へ入れる事も
可能になった他、機関車を使用せず直接自走しての回送も可能になった。
暫定的に4両編成8本が宮城野車両センターに配備され、2編成分は盛岡と
仙台より701系とE721系各2本ずつ借り受けて対応する事にした。
捻出される205系は首都圏に戻す予定だが、東名駅などをはじめとして
地震や津波で被災した車両も多く、特に津波の被災車両は海水を被っている
ために再利用は不可能に近く廃車は確実で、転用出来るのは仙台市内及び
車両センター内にいた僅かな編成のみのため、とりあえず2本は八高線に
転用して209系を取り替えて2WAYシートで残っていた2本を豊田に転出する予定。
豊田の2本は青梅線の2代目四季彩になる予定である。
当初事業用車として山形よりクモヤ743-1を転用する予定だったが、
検査時の回送が自走で可能であることや軌道や電気検測ではそれまでの
石巻線を経由して入れていたEAST-DからE491系が東北本線からダイレクトで
入れられるために必要性がないため見送られた。

109:名無し野電車区
11/05/18 13:13:24.27 mnNeWz9Z0
DD52
国鉄が製造したDD51の運転台なし仕様で「Bユニット」と呼ばれる。
DD51から運転台を取り除いたような構造である。
単独で動かせるように簡易運転台が設けられている。

110:名無し野電車区
11/05/18 13:20:32.36 mnNeWz9Z0
キハ41形0・500番台
国鉄が製造したキハ47の両運転台仕様。

キハ61
国鉄が製造したキハ66・67の両運転台仕様。
上記のキハ41と同一車体である。
山岳路線用として製造されたが製造費が高いうえにDML30系エンジンのメンテナンスに手間がかかるため30両ほどしか製造されなかった。

111:名無し野電車区
11/05/18 19:51:26.00 FUYfTQrj0
>>108
マジレスすると、地下鉄区間での高圧電流の使用に問題がないのかと・・・

112:名無し野電車区
11/05/18 20:06:56.01 FUYfTQrj0
国鉄 北海道総局 16系座席客車

昭和46年、翌年に控えた札幌冬季オリンピック観客輸送用にオハ62系客車から改造された形式

国鉄本社は、当初北海道向けに12系500番台を新製配置しようとしたが、その金で地方ローカル線列車の
気動車化を実施し、玉突きでねん出されるオハ62系を苗穂で改造して使用したほうが効率的かつ経済的との
現場からの意見が採用され、実現された。

スハフ16:発電機つき緩急車 自車を含め7両までの給電が可能で、内装は12系客車と同等に改造された。
       低屋根化し、AU12クーラーを搭載している。
オハ16:スハフ16と同様の改造をされた中間車
オハフ17:スハフ16の発電機未搭載の緩急車

外見は、当時まだまだ急行として主力だったスハ42系と同じ風であるうえに、特急車輛なみにクーラーまで
取り付けられていたため、大好評であった。

その後、長らく波動輸送用客車として活躍したが、昭和62年に廃車となった。

113:名無し野電車区
11/05/19 00:02:00.44 JPDWP8zP0
国鉄319系電車
国鉄が横軽・中央線用に製造した山用直流近郊型電車。
全車長野鉄道管理局に配置された。


114:名無し野電車区
11/05/19 13:43:00.17 WpiaHSt/0
国鉄203系200番台
東西線10両化用に製造された203系。100番台同様のボルスタレス台車(DT50A・TR235A)を装備。
千代田線用0・100番台と編成は同じだがATCや帯色(黄→青)が異なる。
西ミツに新製配置され同区の301系と103系1200番台を全て置き換え、営団から5000系との消費電力差額を分捕ることに成功した。
2009年より後継E233系800番台への置き換えが進行中。既に運用を離脱した編成が拝島駅の側線に留置されている。
また一部がインドネシアに譲渡され盟友5000系と再会を果たすとの噂がある。

東西線直通から撤退した301系・103系1200番台は7両(一部301系の10両化が検討されたが203系投入により実現せず)・
Mc'付き・103系の場合はCS40搭載であることから転用先が問題になった。
301系は西カノに転属して総武・中央緩行地上線に回った車両と、青梅・五日市線用として西トタに転出した車両とがあり、
一部のモハユニットを電装解除してサハ301-100に改造し、
西カノのカナリア10連(TcMM'TMM'TTMM'c)と西トタのオレンジ4連(TcTMM'c)に組成変更された。
なお西カノ転属車は当初黄帯塗装のままで、誤乗防止用「総武・中央線各駅停車」ステッカーを貼付していた。
地上転用後は順次AU75Eで冷房改造されて1988年までに全車が冷房化されたが、
2001年に総武・中央緩行線、2002年に青梅・五日市線から撤退し廃車、形式消滅となった。

一方、103系1200番台はCS40職人を擁する北マトへ転属し、エメグリに塗られて(当初は黄帯のままステッカー貼付)
常磐快速線に転用されることになったが、0番台や1000番台モハとの混結が日常的に見られた。
こちらは国鉄時代のAU75E冷改車とJR化後のAU712冷改車の2タイプが存在した。
1990年代中にAU712搭載車は全廃され、2006年の最終製造車(蛍光灯増設・AU75冷改)廃車を以て廃区分番台となった。
ちなみに播但線・加古川線電化の際にはクモハ102-1200を西に譲渡にするという憶測が流れていたらしい。

115:名無し野電車区
11/05/19 18:07:24.36 tqChPyS10
200系3000番台
JR東日本がJR西日本の「グランドひかり」に対抗して作った2階建て車両を4両連結した200系。
12M4Tの16両編成である。
H編成と比べてモーターの数が少ないが、限流値を上げてカバーしている。
食堂車も連結。

116:名無し野電車区
11/05/19 21:45:18.64 XOSE+Yk10
寿都鉄道 キハ10

昭和30年、利用客の減少により危機感を抱いていた同社が、国鉄函館本線乗り入れによる
魅力化及び乗り入れによる車輛利用料収入を目的に導入した気動車

国鉄のキハ02、通称レールバスを3両買い取り、こともあろうに黒松内で急行ニセコに併結し
札幌まで顔を出すというものであった。

これは、当時の道議会議員を通して地方鉄道存続への国策の一環として、車輛乗り入れによる
収入という形での補助金交付の形態として、特例で認められたものであった。

案の定というか、寿都から直通で札幌までキハ02に揺られて乗り通す客はほとんどいない状態で
珍しさから一部の鉄道ファンが乗る程度であった。
更に、昭和40年代に入るとSLブームが始まり「目ざわり」なキハ10を併結した急行ニセコは撮り鉄の
間で不評であった。

昭和43年に豪雨による鉄道休止後は、鉄道再建のための資金調達を理由に国鉄にリースされ、胆振線で
運用されたが、昭和50年に老朽化のため廃車となった。

自社線再建をあきらめた寿都鉄道であったが、同車の廃車と前後してキハ22を購入し引き続き鉄道車輛
リース会社として存続、現在ではJR東海のN700系5編成を始めとするJR各社へのリース状況については
ここで改めて説明する必要はないであろう。

117:名無し野電車区
11/05/19 22:46:37.07 reso5s4H0
JR東日本 200系新幹線「原色・青帯車」
テレビドラマ撮影のため、本来は緑帯の200系を青色にしたもの
全廃された0系の代わりである
撮影終了後は通常運用に就いて、異彩を放つ存在となった

118:名無し野電車区
11/05/19 22:51:22.08 XOSE+Yk10
>>117に触発されて

JR東日本 24系25型「白線3本車」

松本清張氏の推理小説シリーズ撮影のために、20系客車として登場
撮影終了後、北斗星に混ざってしばらくの間運用された

119:名無し野電車区
11/05/20 01:13:03.97 zX9QO4m10
GM エアロトレイン21
GMが半世紀ぶりに作った超特急。
先代の反省を生かし、8000kwのモーターを積んだハイブリッドトレインとした。
低重心振り子式でスペック上は最高時速300kmまでだせる。
シュワルツェネッガー・カリフォルニア州知事の肝いりでサンフランシスコとロサンゼルスを結ぶ超特急に導入された。
しかし、長年のGM従業員の士気低下のため、車両の品質が悪く、故障が多発するのが欠点。

120:名無し野電車区
11/05/20 15:23:07.11 1aNGxVz/0
>>104に追っかけで
JR九州305系電車

ATO対応車で統一したいという福岡市の意向に応え、
鋼製車体、抵抗制御で時代遅れの103系1500番台を
置き換えるために導入された。
基本的には801系をそのまま直流化したものだが、
長距離乗車に対応する一方、地下鉄線内の乗降性を考慮して、
車端部が東急新7000系のようなカギカッコ形のクロスシートとなっている。

121:名無し野電車区
11/05/20 23:36:36.88 wujJNTix0
JR東日本 キハE52

民営化30周年を記念して作られたキハ52の復刻版
走行装置はハイブリッド気動車のものを利用している。

また、DMH17エンジン音を床下のスピーカーから流せるようにし、同時に発煙装置により
排気ガスが出るようになっている。

これらのギミックは、マスコン操作や速度、実際の負荷状態と連携している。

3両が作られ2両が一般型塗装、1両がタラコで登場している。

122:名無し野電車区
11/05/21 00:50:00.21 YZWeDOZG0
国鉄クモハ63800 東武63000形 東急63000形
GHQが羽田飛行場~の輸送にあたり、「狭軌の国鉄・東急規格では輸送量が足りない」と言い出したため、京急本線・京浜東北線・山手貨物線・東上線・目蒲線などをアメリカ本土の鉄道規格にサイズ・軸重などを改築して輸送に使用することを命令した。
これに伴い登場したのが本形式で、単純にいえばアメリカ本土並みのサイズで作られたロクサン形である。
当初はGHQ専用車として、羽田~品川~グラントハイツや羽田~蒲田~横須賀などの軍隊輸送に用いられた。
番号がインフレ気味なのは当時のGHQ担当者が体面を気にして番号を大きめにせよと指示が出たためとされる。
のちに各社の通勤輸送に使われたが改築した路線も基地輸送終了と共に元の車両サイズに戻されたため不要となり、アメリカ本土の鉄道に譲渡された。
現在はスミソニアン博物館に1両が保存されている。

123:名無し野電車区
11/05/21 07:14:59.31 5MNmzNMXO
東武鉄道7200系
昭和28年より製造を始めた7800系と並行し、東上線の大型化を図りたい東武鉄道が、
昭和35年に国鉄より譲渡された72系である。
戦後混乱期に譲渡されたモハ63型である6300系(後に7300系)とは違い、
全金属車体型などを中心に譲渡されたために3段窓など皆無なことと
モハのほとんどがDT17又はDT20系であることなど、7300系どころか7800系とも
肩を並べられるほどであった。
7800系同様の車体に載せ替えを実施する計画もあったが、全金属車体であった
ことからこれらは生かされたためにそのままで使われた。
車内の床も78系のような木の板貼りでないのも78系らと一線を画していた。
譲渡されたのは30両だが本線に配備されたのは6連2本のみで、後は全て東上線に配備された。
主に越生線と小川町以北の運用のみだったために池袋にあまり顔を出さなかったが、
7300及び7800との連結も可能であったために、末期はそれらと連結して池袋へも顔を出していた。
昭和59年に全てが本線に移動。7300系が廃車になる中7800系や8000系と共に孤軍奮闘していた。
車体を更新してなかったことや昭和28~31年製と7800系と大差なかったために
国鉄譲渡車で唯一ボディ載せ替えの更新を行い、昭和62年に5000系の
5030系となった。なおその際に6連貫通から4+2の編成に変更された。
その際主電動機の取り替え(78系のと統一化が計画された)は行わず、
MT40系サウンドはそのまま生かされた。
平成元年まで本線で使われた後に全て野田線に集結して平成17年まで使われた。
宇都宮 小泉線に転用する計画もあったがそのまま廃車された。
モハ5533-クハ5633が東武動物公園に保存され、クハ5134が個人の手に渡った。
東武動物公園構内にシートに包まれて放置の後に西新井工場に来た
モハ5531-クハ5632も工場解体に伴い解体される可能性があったが
折しもJR東日本が唯一の旧国鉄72系である車両を提供して欲しいと言う
打診を受けて西新井より一度岩槻まで8000系牽引で回送、そこから陸送で
大宮工場に運ばれた。
国鉄当時の設計図を元にクモハ73 クハ79に復元され、鉄道博物館に屋外展示された。
先にモハ5235の台車や主電動機類が吊り掛け式の体験用として先に
鉄道博物館に提供されている。

124:名無し野電車区
11/05/21 22:58:56.90 YZWeDOZG0
京急1000形クロスシート版
快速特急のクロスシート化と開運号の京急乗り入れを睨んで製造された。
ドア間に片側2組のボックスシートを備え、またトイレも中間車に1両設置。
車両としてはEグループに属する。
長らく特急・快速特急用に使用されてきたが、2006年に廃車。

125:.
11/05/22 01:13:29.07 m2Fem7OHO
東武30000系本線暫定復帰仕様:
東上線転属の後に運転機器を撤去された半固定編成の電気連結器が生きている事から、6連は中間2両を抜いて2両固定に連結、4連はそのまま2両固定に連結。中間2両は11480Fに組み込み。
11480F組み込み車両以外の運用は太田~久喜、南栗橋~新栃木、久喜~浅草、北千住~浅草の限定運用。

31601-32601-33601-36601+11203-11203
11204-12204+31401-32401-33401-34401
11480-12480-13480-34601-35601-14480

その後津覇車両にて運転台復旧工事をして元の6連と4連に復帰。
暫定組成の際に、11203Fの運転台と11204Fの運転台には30000系解結禁止と増結禁止のラベルが貼られた。また31601Fの運転台側には2両脱車のラベル。
11480Fには30000系組込暫定6連のラベル。
11480Fは全車両復帰改造終了後に津覇車両でアルナ車両と日立製作所の出張改造でPMSM長期試験改造に転用された。

126:.
11/05/22 16:10:19.40 m2Fem7OHO
E233系9000番台/E235系9000番台:
E233系/E235系でPMSM及びDDMの試作投入。
9001編成:PMSM試作編成
9002編成:PMSM+DDM試作編成
9003編成:かご型誘導電動機+DDM試作編成

E233系試作3編成は豊田へ、E235系試作3編成は川越へ配置。

127:.
11/05/22 16:24:05.48 m2Fem7OHO
西武50000系:
西武では特急NRAに101/5000系の走行機器を流用した10000系が使われたが、完全新型としてSRA(スーパーレッドアロー)として投入。

西武40000系:
西武4000系の置き換えとして、転換クロスシートの新型車両を導入。日立A-Trainで、東武600系(東武6050系置き換え)と姉妹車両となる。

西武21000系:
副都心線~東横線増発用新型車両。スマイルトレインベースだが、有楽町・副都心線及び東横線の車両限界に合わせ、非常貫通路を設置。

西武11000系:
西武10000系を50000系導入による格下げで、デッキ撤去と2ドア化などの改造を行った物。
西武秩父線の区間運転に使われる他、40000系と共に休日快速急行や団体運用や臨時列車に使われる。
迷列車では西武版419系とか西武版キハ185系とか(ry。

128:名無し野電車区
11/05/22 17:27:04.85 aHFmL/Q00
205系4000番台
JR東日本で205系を改造して作った「ライブハウストレイン」。
先頭車の最前部にステージを設け音楽ライブを行えるようにした。
内装は防音を強化しているため壁が分厚く、側窓も固定窓に改造されている。
最前部のドアを締め切る事が出来るようになっている。

129:名無し野電車区
11/05/22 22:06:27.00 4sCHi7Ib0
>>128
ちなみに運転台には何故かDJ用の機器を搭載しており(ry

130:名無し野電車区
11/05/22 23:07:19.39 OZcmd/m80
西武420形(初代)
戦後東武や近鉄小田急が有料特急で成功しているのを見た西武が国鉄42系の戦災復旧車や事故車を購入改造して特急車にしたもの。
Tc/Mcの2両編成でTcの連結面にトイレと洗面所が設置、ドア増設車は2ドアに復元され、またデッキも新たに設けられている。
座席は2等車のボックスシートを払い下げて取り付けた。
残念なのはシートピッチを拡大したために窓割と座席が合わなくなっていることぐらいである。
まずは池袋線で飯能方面への登山特急として運転され、続けて新宿線でも行楽特急として運転された。
レッドアロー登場まで西武の看板として活躍した。

131:名無し野電車区
11/05/23 20:34:19.71 bL/TV9nR0
205系簡易お座敷車
JR東日本で205系を簡易お座敷車両に改造。
車内に畳を敷いた。
第2・第3ドアをロックできる構造になっている。

132:名無し野電車区
11/05/23 20:52:12.86 SzAHx9zf0
>>131
車端部には、カラオケ機器やビアサーバー等、
イベントに応じた機器が搭載可能なスペースが設けられ(ry


133:名無し野電車区
11/05/23 21:59:20.91 8RNsmZ2U0
>>132
た、たのむ、トイレつけてくれ・・・

134:名無し野電車区
11/05/24 22:46:01.60 hWD8gHXm0
小田急3000形・3100形改造仕様
連結運転時の往来可能・整備の簡素化・経費節減を目的として2220形類似の小田急顔に改造したもの。
ただし、3100形は運転室を2階に設置しており、前面は展望室のままとしている。
また、乗降ドアも2200形ベースの引き戸にしている。
賛否両論あったが増結しやすくなったため輸送力が拡大し、次の7000形につながった。
7000形貫通仕様
前面を9000形類似のデザインにしている。
10000形貫通仕様
前面を8000形類似のデザインにしている
20000形/30000形貫通仕様
前面を2000形類似のデザインにしている


135:名無し野電車区
11/05/25 02:25:36.93 X41u0afz0
近鉄5600系

関西私鉄でもきっての過密ダイヤで走る阪神が
過密ダイヤでの安全対策のため、ホームドア設置を決定した。
そのため、乗り入れ元の近鉄でも19m3ドア車が必要となり
設計されたシリーズ21の19m3ドア版

近鉄5220系

並行するJR関西線のダイヤ改善に対抗して、
名古屋線急行を3ドア転換クロス(+通勤型増結)に統一することとなり、
製造されたシリーズ21の21m3ドア版
捻出されたL/Cカーは大阪線に転属し、クロス車含有率アップに貢献している。


136:名無し野電車区
11/05/26 12:28:16.54 QQIVYC//0
225系9000番台
JR西日本が開発した「節電電車」。
モーターを1両あたり2個搭載から4個搭載に変更し、力行時は2個、制動時は4個使用する事で回生ブレーキ能力の大幅な向上を実現。

137:名無し野電車区
11/05/26 17:03:31.06 A/fW5LXoO
>>135
山陽電鉄6000系
阪神電鉄のホームドア設置(>>135)に伴い、乗り入れをしている近鉄以外に
直通特急を運転している山陽も車両取り換えが必要になった。
そこで山陽は3000系の淘汰を図るため、直通特急用の5000系と5030系を
線内運転専用に転用した上で阪神電鉄1000系の山陽電鉄型である6000系を
直通特急専用に投入した。
この車両投入により直通特急の大阪ライナー 姫路ライナー以外に
近鉄奈良線直通の姫路大和ライナーにも投入され、山陽車両が近鉄奈良線への
乗り入れを開始する。
将来的には鳥羽への直通特急を計画しているため、トイレの準備をあらかじめ施している。


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