13/12/24 21:15:28.91 hFCHKfYW
ちょっと前にどの曲が論理的かみたいな話題があったけど、バンプの曲で最も論理的なのは天体観測だと思う
歌詞全体が論理的な構造をしてるから、この曲の意味を知るために解釈はほとんどいらない
解釈が要るのは「イマ」が何を表しているかということくらい
まずポイントとなるのが、イマというほうき星を「追いかけている」の部分
「今も」追いかけているのだから、未だにイマというほうき星に追いつけていないということを表している
そして、同じくカタカナの「フミキリ」や「モノ」という単語もポイント
これらは時間が経つにつれて変化するという共通点がある
踏切を囲む景色は10年も経てば変わるし、踏切を通る人間や電車は1分後には変わる
今見ている物や知っている物も同じように変わる
「今」に至っては、1秒経つだけで別の今になっている
逆に、「君」は常に過去の君を指しているから漢字で表記されている
要するに、常に移り変わっていてアキレスと亀のように追いかけても追いかけても一生追いつけない今のことを「イマ」と表記しているのだと思う
イマが何を表しているかさえわかれば、それに関連する語を順に見ていけばいい
「イマというほうき星」なんてのはしつこく4回も繰り返されているのだから、ほうき星は明らかに刻々と変化していく今を表している
ほうき星を探すために行うのが天体観測なのだから、天体観測とはイマを探す行為のこと
天体観測をするために望遠鏡を覗きこむのだから、望遠鏡を覗きこんだというのもイマを探す行為のこと
望遠鏡を覗きこんで見えないモノ見ようとしたり知らないモノ知ろうとするのだから、この2つもイマを探す行為のこと
見えないモノを見ようとしてイマを精一杯探しているうちに、見えたのが「君の震える手」
見えてる「君の震える手」を見落すのは、見えないモノを見ようとする行為とは真逆であるから、この瞬間にイマを探すことを放棄してしまったということ
そうして知った痛みなのだから、「痛み」とはイマを探せなかったために生じた後悔
そしてその痛みを糧に、同じ時間同じ場所で改めてイマを追いかけようということ