12/04/29 08:41:56.96 R4ZOAdoY
>>361
「人を車で轢いてもすかっとしない
血のつまった袋がやぶれるだけだ」
前の行とつなげて読むと、こう、とるのが自然かなと思ったのです。
自分の解釈です。
はい、ぼくも最初そのとおり(ただの)「血のつまった袋」を想像しました。
しかし、それでは解釈不十分と思ったのです。
血のつまった袋? 血のつまった袋ってなんだろう?と考えていったところ、
先に述べた解釈を思いついたのです。
血のつまった袋、血のつまった袋、それだけではぼくの脳は満足できなかったのです。
血のつまった袋を血のつまった袋ととるだけでは解釈にはなっていない。
それってどういうことなんだろう?何が起こっているんだろう?どういう現象なんだろう?と、
考えて結果を出すのが国語には大事なことなんだと思っています。
文字を文字のままの意味で捕らえていてたのしいですか?
表面には現れていないけど、たしかにそこにある作者の心情なり意図なりを読み取るのが
解釈の醍醐味ではないでしょうか。
表面に出ているものがすべてと思って、自分で答えを出そうとしていないのは怠惰です。
ぼくにこんなことをいわせるあなたも怠惰です。
自分で考えなさい。
あなたたちはまるなげにしている。
問題が起こったとき自分で解決の糸口をみつけることを。
だから表面にあることをすべてと思ってそれ以上を読み解こうとしない。
そしてあなたのコメントも。
そこに自分の意見はなく、ただぼくに答えを求めてくるだけ。
あなたたちは答えを求めているばっかりだ。(要求してるばっかりだ)
答えは自分で出すもの、ということを心得てください。