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ボランティアも、前に述べたように、「荷物の重さ」がかかわってくる。
もしその人が、「とてつもない労力」でボランティアに取り組むなら、
それは相当の価値がある。しかし、「生活に余裕があり、余暇程度の
認識」でボランティアをするとしたら、霊界では、さしたる評価を受けない
場合もあるからね。
「貧乏人の一万円と、金持ちの一万円」では、価値がまるで違うと
繰り返しているのだが、なかなか理解が難しいみたいだね。
「飢餓難民の木の実一個と、大金持ちの1000万円寄付」では、
飢餓難民の木の実一つを分けた方が、霊界での評価が高い場合が
あると、言い続けなければならないね。
「かけた労力」や、「達成するための困難さ」なども、霊界での評価の対象になる。
「難しければ、難しいほど、達成した後の評価が高い」し、「自分の時間を、
より多く犠牲にする」ほど、霊界での評価に結びつくのだよ。
もし、「助けてやっているんだ。俺を敬え」というようなボランティアだったら、
それは偽善だよ。可能な限り、「一方的に、与えつくす」行動が尊いのだから。
3000年の人間も、4000年以降のインスピレーションでは、半ば怒られることもある。
3000年過ぎ頃は、自分のためだけに金を使う人間は、皆から軽蔑される程度で
すんでいるが、4000年以降では、「罪になり、処罰される」んだって。厳しいね。
時代が進むに連れて、人間に要求される内容は、より高度になるようだ。
まあ、それだけ良くなるのも事実なのだけど。2000年当時では、贅沢するのも
やむを得ないだろうが、霊的成熟度に応じて、霊界で反省を求められる場合もある。