12/12/26 00:55:35.37 UeXrYbTy0
>>776,>>777
あんまり意識してない記憶は残ってないから曖昧だけど病気はなかったと思う。
でも寿命コントロールされてるってことは無い。延命治療とかもなし。
皆老衰か何かだったんじゃないかな。
なんか生と死で区別されがちだけどそこでは生きていることすべてのものに幸福感を感じる。
死ぬことも生きていることの一つだから他と同じように感じる。死は別に特別なことじゃない。
この幸福感っていうのも幸せ~とかそういう感情じゃなくて満たされてる感じ。
意識して何かを感じることがないから、こう、ほんとに、ただ満たされてる。
日本にはすべてのものに感謝しましょうって文化があるけどあれがすごくしっくりくる。
ほんとに感謝してたらなんか嬉しい気持ちになる。常にそんな感じ。
人口(と言っていいのかわからないけど)はすごく少なかったと思う。他人と会ったっていう記憶がない。
体感1000~2000人とかそんなだったと思う。常に意識が共有されてるから会う必要もないし、そもそも
会いたいとか、他人と区別するとか、そういうことを意識するということ自体しない。精神構造が全く違うと思う。
科学の知識とかもそこにあるのが当然というか空気みたいなもの。必要になれば使うけど意識することはない。
小さい頃ひとりひとり人口管理されてないって知って驚いたから、たぶん一人一人管理されていたと思う。
監視とかは必要ない世界だったから、たぶんただ単純に生命維持のためのデータ管理に必要だったんだと思う。
他人と区別する必要もないし互いに通じ合っていたので物事に名前はなかった。
その記憶のせいか、なんか名前は大切なものって認識が受け入れがたい。ただの記号でしかないように感じる。
社会構造というか構造がいらない。生きるために必要なことは機械がやってくれる。何の憂いもない。
人間からするとすごくつまらないんだろうけど、ほんとに生きてるだけ。
生きて動いてる木みたいな感じなのかな。