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新しい部落史の視点 -差別があるから部落がある-
愛媛県北条市でおこなった同和教育講座で講演したテープを修正していて、改めて
【部落があるから差別があるのではなく、差別があるから部落があるのだ】という視点の重要性を感じました。
特に、近代の部落問題を教材化するとき絶対に見落としてはいけないのがこの視点であると考えます。
従来は、江戸時代から続く「かわた村」「えた村」の系譜が明治以後(解放令以後)も
そのままに「特殊部落」になり、「同和地区」になったと単純に考えてきたと思います。
また、江戸時代からの貧困で悲惨な生活状態のままに現在まできたのだとも考えられてきました。
あるいは、部落から部落への人口の移動が、たとえば農村部落から都市部落への単純な移動として
認識されていただけではなかったでしょうか。ここでも、部落自体しか見ていない「歴史観」があります。
…江戸時代には何もなかった峠や港などに忽然と「特殊部落」ができる場合もある。
前提となるのは、人に移動であり、産業構造の変化です。
「つくられた部落」という場合がありますが、そこに住む人達は、部落の失業者が農村から都市や
炭坑に入って来た可能性もありますけども、一般の人だって紛れ込んで入って来たと思います。
しかし、人が誰かを差別する時には、差別したい相手の戸籍謄本まで取り寄せて差別はしないですね。
つまり、噂が噂を呼んで「部落」にされてしまうことだってあり得たでしょう。
明治以後の「部落固有の伝統産業の解体」と「周辺住民と職業(会社など)からの就職差別」によって
近代の部落産業は、いわゆる「雑業」でしかなくなっていった。
つまり、力仕事、雑業、季節労働といった臨時的で重労働な仕事が部落に定着していく。
都市における屠場労働者、塵芥作業員などであり、農村における土木作業員や出稼ぎ者などの種々の雑業労働である。
季節的・臨時的な就労は周辺から孤立した独自の労働・生活空間や生活習慣を作り出す。
これらが、周囲の人々のこれらの労働自体に対する賤視や蔑視とともに部落に対する差別意識を助長していったのです。