12/07/30 04:41:49.72 djERMefa0
>>60
現場は見たことなく、私も知り合いの開教師(海外で布教する僧)に聞いた話なので断定はできませんが、
普通に考えて、失明はするでしょうね。
苦行は自らやるとこまでやるので、終わりがありません。
それこそ死ぬか悟るかです。恐ろしいですね。
62:本当にあった怖い名無し
12/07/30 05:12:38.76 73jikxPK0
>>61
>それこそ死ぬか悟るかです。恐ろしいですね。
そういえば、日蓮宗の大荒行も昔は死者が普通に出たらしいですね。
今は死にそうになったら、ドクターストップで退場させるようになったそうですが。
比叡山の回峰行も、途中で歩けなくなったら僧侶を辞めるか首を吊って死ななければならないとか・・・
苦行の精神は、「近代文明」の価値観が染み付いた現代人にはとても理解し難いことですが、
「道を求める」ということは、本来は恐ろしく厳しいことなんでしょうね。
63:本当にあった怖い名無し
12/07/30 05:21:59.63 djERMefa0
>>62
そうですね、
私は僧侶ですが、僧侶はただの職業ではないと思うのです。
僧侶とは求道する生き方だと思っています。
「道を求める」そのやり方は様々ですが、
その方法の実践こそ仏教であり、生き方だと考えています。
64:本当にあった怖い名無し
12/07/30 08:12:43.61 3ecuHxP+0
苦行やら荒行やら言ってるけどさ
仏陀(ゴータマ・シッダールタ)は
「難行苦行なんて全然意味ねーじゃん! 止めた止めた」
と言った途端に悟るんだよな。
65:本当にあった怖い名無し
12/07/30 08:46:57.66 TMiQdYE10
多神教なんておかしくない?
アラーだけが唯一神なのに
66:本当にあった怖い名無し
12/07/30 13:23:41.87 73jikxPK0
>>64
でも、仏陀がその境地に至るまでには、想像を絶する苦行を行っていたわけで。
苦行を極めて苦行を意味が無いと悟るのと、最初から苦行も何もせずに意味ねー!というのでは全然違うと思う。
67:本当にあった怖い名無し
12/07/30 15:14:13.98 djERMefa0
>>64
確かに釈尊は禅定により悟ったといわれていますね。
68:本当にあった怖い名無し
12/07/30 15:22:15.30 djERMefa0
>>65
そのような混乱は確かにありますねww
ヤファウェイやアッラーを「神」と翻訳した人がいけないんですよ。
「神」ではなく「God」、諸宗教の「神」と「God」は全く別ものです。
69:本当にあった怖い名無し
12/07/30 22:20:59.83 dONQaufI0
>>59
ヨガの元って苦行だったの?
>>67
その禅定とヨガってどう違うの?
70:本当にあった怖い名無し
12/07/31 00:28:40.75 PqxDT5TZ0
やっぱ食事は午前中しか食べれないの?
71:本当にあった怖い名無し
12/07/31 03:58:25.26 g3qRZ+VJ0
社会的に何の役にも立たない行動をとり続けることに対して、良心の呵責はありますかしね?
72:本当にあった怖い名無し
12/07/31 04:25:11.83 gSIEOtng0
坊さんは宗教なのに何故金儲けにばかり走るの?
何故世襲するの?
73:本当にあった怖い名無し
12/07/31 06:34:34.25 wvCBNxgU0
>>69
ヨガのもとは苦行ですよ。
禅とヨガ(苦行)の違いは、禅は心統一の方法心を静める方法、苦行は肉体を追いつめ衰弱させる方法
74:本当にあった怖い名無し
12/07/31 06:36:55.37 wvCBNxgU0
>>70
部派仏教の人たちは午前中にしか食事をとりません。
日本仏教にも、そういう宗派があるようです。
75:本当にあった怖い名無し
12/07/31 06:38:31.81 1Xvp8SLB0
>>73
心しずめてどうするの?
76:本当にあった怖い名無し
12/07/31 06:41:00.09 wvCBNxgU0
>>71
はは、厳しいことをいいますね。
しかし、仏教の僧ほど社会的に役に立ってる職業はないと思いますよ。
あなたももう少し、理解しようとすればいいんですけどね。
まあ、現代の感覚からいって仕方のないことですが。
77:本当にあった怖い名無し
12/07/31 06:44:01.31 wvCBNxgU0
>>72
金儲けに走っている僧も確かにいます。
わたしはそれについて批判てきな意見を持っていますが、どうすることもできません。
世襲していけないとは思いません。跡取りがいないという問題もありますからね。
78:本当にあった怖い名無し
12/07/31 06:48:34.36 1Xvp8SLB0
禅って何のためにやるんですか?
心をしずめ統一してどうするんですか?
あと、心を統一って言いますけど・・・心っていくつかにわかれているんですか?
もしかして意識の集中のこと?
79:本当にあった怖い名無し
12/07/31 06:48:51.48 wvCBNxgU0
>>75
最終目的は悟ることです。
釈尊も禅行により悟ったと言われていますから、
現在いかなる時代であっても、
悟りという真理は不滅という思想です。
80:本当にあった怖い名無し
12/07/31 06:50:22.05 1Xvp8SLB0
>>79
なるほど!
では、ぼーっと座っていれば悟れるのですか?何か具体的な
ほうほうとかあるんですか?
81:本当にあった怖い名無し
12/07/31 06:58:51.63 wvCBNxgU0
>>80
ごめんなさい。禅僧ではないのでわかりませんが、
前述してますが、例えば一休サンのお寺では問答を行ったりしています。
その答えを禅による精神を静める方法により、探ります。
82:本当にあった怖い名無し
12/07/31 07:04:13.82 3e5z6H2C0
密教では阿字観から始まり、システマチックに悟りに向かう
カリキュラムがありますが、>>1さんの教派は如何ですか?
83:本当にあった怖い名無し
12/07/31 07:09:02.60 wvCBNxgU0
>>82
そうなんですか。
派を特定してしまうとそれに関する質問しかこなくなるので、
あくまで仏教全般ってことで。
84:本当にあった怖い名無し
12/07/31 07:50:55.20 3e5z6H2C0
失礼しました。
仏教全般ですね、了解しました。
85:本当にあった怖い名無し
12/07/31 08:07:37.23 tirSfLgnO
戒名ってぶっちゃけ意味あるの?
86:本当にあった怖い名無し
12/07/31 08:26:20.65 wvCBNxgU0
>>85
まあ、意味はあります。
キリスト教に洗礼をうけるってありますよね。
イエスーキリストが川に入って洗礼を受けたので、
現代でも水なんかをかけてもらって洗礼としてもらうなどが多いようです。
これの意味は生まれ変わりです。
戒名もそれに似た意味です。
戒名をうけた方の考え方次第ですけどね。
87:本当にあった怖い名無し
12/07/31 09:02:32.96 jiDK/Gj80
戒名をつけるのって、死後に仏教徒として弟子入りする為のものですよね?
その際のお布施の額が(現実的に)文字数で変わるってどういう解釈なんだろう?
長い法名つけておくと、何か良いことあるのかな?
あと、なんで戒名つけるのは死んだ後なんでしょう?
キリスト教(洗礼)みたいに、生まれた時につけたらまずい理由があるんでしょうか?
88:本当にあった怖い名無し
12/07/31 09:05:13.88 VocjkrU/0
なんだか回答が不適当なような気がする箇所が目についたので、
間違ってるかもしれないが幾つか指摘します。
>>8に対して
浄土宗的には霊魂は存在しないって言っているが、霊魂は存在しないと明言するのは浄土真宗、
浄土宗においては霊魂については明言はしていなく、他宗派同様にあやふやな対応を示している。
>>13に対して
往生の主体は何かというのは古来から議論されるテーマであるが、
その回答だと霊魂が行くって言っているのと変わらない事ない?
>>27
閻魔大王は輪廻の限りない世界のいつかで人間で有ったことはあるかもしれないが、
一般的によく言われるヤマの兄弟うんぬんは六道で言うと類は天だよ。
>>42
デカルトの言っていることは否定できないと思います。
唯識などでは外界は非実在であり唯、識による転変によって世界は形成されていると考えている。
たしかに西哲においてはその根底をキリスト教的価値観に基づくものだけれども、
それだけで仏教とは完全に違うスタンスだっていうのは無理があると思う。
>>73
ヨーガの原型はあくまでヨーガでしかないだろう。同じように苦行の原型も苦行でしかないだろう。
これらはただ解脱か昇天のための方法として用い要られてきただけで相互の関係性はあまりないんじゃねえの?
あと、ヨガって言ったら一般的に体操とかのヨガが指され、ヨーガと言ったら修行としてのヨーガを指すものとして区別されるもんじゃない?
また、禅とヨーガを区別することはその内容的にはほとんど無理、つまりは称える人と場所が違うだけで内容はほとんど一緒。
そしてまた、禅とヨーガとその方法に違いがあるのはどちらかと言えば釈尊の菩提樹下の禅定や部派仏教における禅定。
89:本当にあった怖い名無し
12/07/31 09:05:44.32 VocjkrU/0
>>74
八斉戒を守る人が昼以降の食事ができないわけで、日本の古来よりある宗派においては八斉戒の厳守が掲げられる宗派は存在しない。
唯、授戒作法を執り行う期間だとかで、特別の状態を保持しなければならない時においてのみ守るってケースがほとんど。
ちなみに今の日本だと上座部(テーラワーダ)の人々は厳守されている方が多い。
>>78-79
禅は何のために行うのか、最終的に悟るためです。って仏道修行はそのほとんどの目的を悟りとする点で意味がないだろう。
日本における禅は空性(今認識している「有る」と見えるものは仮に「有る」という状態になっているに過ぎず「有る」のでは無いって考え)を理解することを目的として禅を行う。
禅宗の人が居たら怒るかもしれないが、釈尊が菩提樹下の成道の際に用いた禅定は心のなかで論理的に色々な事物を考えるって禅定、
禅僧のやっている禅はココロの中をからっぽにすることによる禅定。
この禅僧の禅は釈尊の禅定より、当時のヨ-ガ行者のアーラーラ・カーラーマ等のヨーガに似ているもの。
気がついた箇所のみだけど、勉強になれば幸いです。
これだけだったらアレだし、質問を一つ。
今の日本の僧侶が受けている戒は一部の宗派を除いて戒壇院からの血脈が保たれているものだけれども、
実質的には形骸化し、その効力を持っていないように思え、また律にいたっては無いところも多い。
出家と在家を明確に区別するのが戒律の奉持であると自分は思うんだけど、今後、戒律ってのはどうしていくべきだと思う?
90:本当にあった怖い名無し
12/07/31 09:25:20.98 wvCBNxgU0
>>87
別に戒名は死後でなくともつけてもらえますよ(宗派の僧侶次第ですが)。
お布施の額が文字数に比例するのは確かにおかしいことですね。
しかし、お布施はお布施ですので好きな金額でいいんですよ。
それを強制する僧侶はおかしいことです。
91:本当にあった怖い名無し
12/07/31 09:34:00.85 wvCBNxgU0
>>88
>>89
うーん、指摘に再指摘するのはやめておきます。
なるほどと納得する指摘は参考にさせていただきます。
戒律の問題ですね、私は仏教の主体は個人だと思いますので戒律は受けるものというより、
自戒という形に変わっていくべきと思ってます。戒律という基本は残して、
戒の主体を個が意識すれば、形骸化もなくないますしね。
92:本当にあった怖い名無し
12/07/31 14:44:31.93 gSIEOtng0
>>77
世襲なんてしたら、志があり住職さんになりたいという人はなかなかなれず、志がなく親がやっているから流れでって人が住職になってしまうじゃないですか。
だから腐敗するんじゃないですか?
そんな寺、坊さんはいないほうがマシではないですか?
93:本当にあった怖い名無し
12/07/31 14:57:29.58 4dNxzJWr0
天部、や仏との霊験話は現代にもありますか?
94:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:04:00.38 OmAH6gPz0
「両極を知って、中道を生きる」 仏陀が残した言葉であります
自分の知識を正しいとすることがこの世のおかしさ(洗脳)だと
思いますが、中道を生きるということこそ悟り、自身の存在が
元々相対性であることのいわれではないかと
仏教徒の方は上記の考えをどれくらい重要視しているのか是非
お伺いしたく
95:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:15:13.25 wvCBNxgU0
>>92
あなたはお坊さんになってくれますか?
お坊さんを志す人なんて仏縁に会う機会の多い人だけです。
志のある人が住職になれば、それはすばらしいことです。
しかし、現状は世襲する他ないお寺がほとんどです。
私は別に世襲はいけないこととは思いません。
96:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:19:01.86 wvCBNxgU0
>>93
現代で私は聞いたことはありませんね。
観念仏など行っている仏教派ならば、あるのかもしれません。
97:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:20:22.07 OmAH6gPz0
>>92
世襲を善悪で判断するということは右極を否定しているということ
でしょうか、私はすべてのものが太極図のようなもので統合してこそ
悟りがあると考えています。片方を否定し続ける限り世界はおかしく
なる
98:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:27:51.48 OmAH6gPz0
悟りは自分の知識、価値観を相対的に見ること(ドグマを客観視する)
だと私は考えています。すると自身の存在がもともと"空"なのだと
いうことが認識でき外部のエネルギーに左右されない不動心という
ものが身につくと考えています。相対的に見ればみるほど感情的に
なることがどんどん少なくなります
99:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:37:33.82 OmAH6gPz0
自身の自我がすべて自身の価値観から来るものであり、客観視する
ことにより自我(エネルギー)のコントロールができるようになり、
解脱できていない自我をみずからの逆の(+-反転)自我によって浄化
する、決して価値観によって抑圧することではなく。自己の確立
ともいうべきでしょうか
100:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:42:03.20 wvCBNxgU0
>>94
中道を生きる道としるのが仏教でありますので、教義内においても影響を受けている宗派はほとんど全てだと思います。
かといって、重要視しているかと聞かれると宗派によって異なるところです。
少なからず全ての仏教徒の生活の意識に組み込まれて入ることは間違いないと思います。
101:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:49:45.30 wvCBNxgU0
>>98
>>99
確かにそれが実践できればすばらしいです。
しかし「空」は完全な悟りではないと私は思います。
確かに空の思想を理解することは悟りに必要であります。
自ら悟るには、
悟り=空+etc
です。
102:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:51:34.19 OmAH6gPz0
>>100
有難うございます。仏教も多様な宗派がありますよね
私自身一神教(絶対的なドグマ)が世界の混乱の元であると
考えており(イスラム、キリストの対立等)、自我を自身で相殺
できることが次世代の新人類?になるのではないかと本気で考えて
います
そのことを知る上ではドグマは必要なものともいうべきでしょうか
103:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:53:50.46 OmAH6gPz0
>>101
仰るとおりです。空を判断するための材料というべきものでしょうか
104:本当にあった怖い名無し
12/07/31 15:59:07.83 wvCBNxgU0
>>102
それができれば新人類は間違いないです。
そのような新人類さんが増えれば争いはなくなるでしょうね。
新人類でない私がお答えするのは恐縮ですが、
ドグマは必要だと思います。
絶対的なものとの相対という点においての意見ですが。
105:本当にあった怖い名無し
12/07/31 16:03:25.79 wvCBNxgU0
>>103
そうですね。
「空」を理解、実践することは、どのような自力の修行段階でも最終段階に近いものだと思います。
それに至るための材料ですね。
106:本当にあった怖い名無し
12/07/31 16:09:10.30 OmAH6gPz0
>>105
有難うございます。私は"悟り"の概念を持つ仏教がこれからの世界の
架け橋になると思ってます
二項対立は進化に欠かせないものと認識しておりますが、地球が有限
であると考える限り、上記の結論に達っさざるを得ない状況です
107:本当にあった怖い名無し
12/07/31 16:53:29.17 cTIAR99c0
毘盧遮那仏と大日如来のいずれを神道で表される天之御中主神な存在と解釈して宜しいか?
もしくはいずれとも高御産巣日神と神産巣日神みたいな存在と考えた方がいいのですか?
そうなると最高仏神はどなたなんだろう・・・
108:本当にあった怖い名無し
12/07/31 17:12:33.86 wvCBNxgU0
>>107
創造の仏ということですか??
ということでしたら、そのような仏はいないと思います。
仏教に最高仏神という思想はありませんね。
109:本当にあった怖い名無し
12/07/31 17:29:02.52 GNfCu8ZN0
目の前に答えを転がしても理解する気が無いんだから無理なんだろうなぁ
110:本当にあった怖い名無し
12/07/31 17:48:18.75 g3qRZ+VJ0
仏教徒はなんで匿名なんですか?何宗の誰なんですか?
111:本当にあった怖い名無し
12/07/31 18:07:14.16 4dNxzJWr0
俺は仏教徒だが、験しか信用しないな。
修業して験を出せる人しか信用しない。
112:本当にあった怖い名無し
12/07/31 20:06:03.12 hONWan1r0
日本の仏教とインドの仏教は全然別物になってしまってるよね
先祖供養ひとつとっても何でこんなに違うの
113:本当にあった怖い名無し
12/07/31 20:53:35.06 GdbXAsKm0
>>112
仏陀釈尊の基本姿勢が対機説法だからじゃないかな。
114:本当にあった怖い名無し
12/07/31 21:14:44.68 GdbXAsKm0
>>111
加持祈祷を行ったことが、仏教の普及に大いに役立ったことは確かだな。
思想や哲学を語っているだけでは、現実に苦悩する大衆を救うことは出来ないからね。
ただ、更に進んで仏法の思想も学んで欲しい。
115:本当にあった怖い名無し
12/07/31 21:44:13.27 VocjkrU/0
>>91
回答ありがとう。
指摘が少しでも参考になれば幸いです。
けれどもちょっとよくわからないんだけど、
戒律の戒はもともと戒の条項を自身によって自戒する事だよね。律は教団によって守れと強制されるものだよね。
>戒律は受けるものというより、自戒という形に変わっていくべきとおもいます。
ってのは
律を自身で決めて守っていくってこと?
それとも戒の条項を自分で決めるって事?
それと戒の主体というものはどういうものでしょうか?
戒の形骸化は抑えられても、律の形骸化はどうやって食い止めればいいのでしょうか?
116:本当にあった怖い名無し
12/07/31 21:52:55.50 g3qRZ+VJ0
>>1はニートなんですか?
117:本当にあった怖い名無し
12/07/31 22:01:06.96 Uv7Qu+MF0
聖☆おにいさんってあるじゃん? それって実際宗教を信仰してる側だとどう思う?
118:本当にあった怖い名無し
12/07/31 22:05:02.69 3e5z6H2C0
仏教での最高仏と云うのは語弊があるだろうけど、中心となる
仏さまは大日如来さまでしょ?
その周囲を菩薩や諸天が囲んで、所謂曼荼羅が出来上がって
居る訳で。
119:本当にあった怖い名無し
12/07/31 22:16:54.41 wvCBNxgU0
>>115
すみません。言葉不足でしたね。
第一に戒や律が形骸化すること自体がおかしいわけですので、
自らが戒律の中に生活をしているという意識が必要ということです。
自らの意識のもと戒や律を守らないと形骸化は防げません。
120:本当にあった怖い名無し
12/07/31 22:18:11.23 wvCBNxgU0
>>116
なぜわかったし。
121:本当にあった怖い名無し
12/07/31 22:19:38.47 wvCBNxgU0
>>117
あれ、おもしろいよね。
しかし、たまに間違っていることが書かれているので要注意です。
読む分には、とてもおもしろい。
122:本当にあった怖い名無し
12/07/31 22:22:47.89 wvCBNxgU0
曼荼羅やシュミ山の思想の上ではそのように成ることが多いですね。
しかし、大日如来を中心と考えるのはどうかと思います。
123:本当にあった怖い名無し
12/07/31 23:22:13.40 VocjkrU/0
>>119
> >>115
> 自らが戒律の中に生活をしているという意識が必要ということです。
でも、現在の各宗派においては授戒はあっても受律が無く、
すでに律が名称のみを残して実態の無い藻屑と化してしまっていますよね?
> 自らの意識のもと戒や律を守らないと形骸化は防げません。
そこで守るべき律とは何ですか?
また、戒も円頓戒や梵網戒のようなものが一般化されてしまって
それにともなって極めて抽象化が行われてしまっていますよね。
元来、律蔵に基づく厳格な戒と律の厳守がなくなってしまった現在。
律のみを再び再構築するべきなのか、それとも戒律を再構築すべきなのか、
けれども再構築となったら伝統はどうなるのか、
現在日本では在家と出家の区別は授戒と宗脈の有無のみになってしまっているのが現状です。
これらの現在における戒と律の有様についての>>1の考えを拝聴したい次第です。
それと法華経等の大日如来を想定する宗派、経典論典においては大日如来が中心になり、
その法華経等の大日如来を想定する経典を踏襲しない立場にある宗派経典論典においては大日如来を中心と捉えないように思います。
曼陀羅や須弥山の思想に限定するのは如何なものかと。
また、須弥山の思想というものはヒマラヤを中心と捉えるインド古来の宇宙観に基づくものであり、仏教における導入も倶舎論などを見てもわかるようにインド思想の踏襲ですので、
その点からも
>シュミ山の思想の上ではそのように成ることが多いですね。
というのは誤謬を伴った理解に思えます。
124:本当にあった怖い名無し
12/08/01 02:09:59.36 eNhntpwk0
>>101
確かにetcは色んな解釈ができますね、相対性の世界で何を
これから掴むのかは自分次第なのでしょうね
125:本当にあった怖い名無し
12/08/01 02:19:38.38 eNhntpwk0
そして"空"と"進化"はイコールで結べますね、なるほど
126:本当にあった怖い名無し
12/08/01 03:47:31.02 EZcUv0TX0
>>114
そうか?
確かに加治祈祷のような現世利追求が、大衆に仏教を広めるのに役立ったのは事実だが、仏教思想自体でも十分人を救えるだけのものはあると思うんだけど。
127:本当にあった怖い名無し
12/08/01 04:44:55.33 N4rlT2Ae0
なんだニートか。じゃあ全部許す
128:本当にあった怖い名無し
12/08/01 05:23:32.56 T3AN1w0i0
>>126
うん、そうなんだけど、世俗の価値観以外にも見るべき世界があるということを知らしめるためには、
世俗の価値観に竿を指す形から入っていかないとキツイと思うんだよね。
そして徐々に、仏法の本質に導くというやり方が一番効率がいい。
129:本当にあった怖い名無し
12/08/01 08:10:20.79 azSBN1dQ0
>>127
今はニートなのかもしれないが、一応浄土系の僧侶として出家得度を済ませた人らしい。
つまりは坊主。
5 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2012/07/28(土) 18:21:09.95 ID:99tgORSa0 [1/15]
スレ主です。俺自体は南無阿弥陀仏の方の僧侶だが、一般仏教僧侶として答えたい。
130:本当にあった怖い名無し
12/08/01 17:56:33.17 QCh72k9d0
仏教徒の人は聖天様やダキニ天様を財運福徳で信仰してる一般大衆の人をどう思われますか?
131:本当にあった怖い名無し
12/08/01 20:30:50.07 99xQshXI0
仏教的な観点において戒律に反した場合はやはりユダヤ・イスラム両教のように罰を持って制する必要がありますか?
あくまで原則論ですけど因果応報により生じた罪という概念に罰という行為は必要無いような気もします
仏教にも原始キリスト教のベースでもある懺悔と許しを基本とした理念ってあるんですかね?
もちろん後世には阿弥陀信仰という許しをベースとした思想も現れていますが、この点お釈迦様はどうとらえていたんだろう?
132:本当にあった怖い名無し
12/08/01 21:02:09.81 5sHPHYDhO
餓死は自殺に含まれますか?
仏教的に自殺の定義ってあるんですか?
133:本当にあった怖い名無し
12/08/01 21:27:34.87 017wSPKuO
仏教なんて、キチガイ以外誰も信仰してないし、いらないでしょ。
寺も潰し、何も産み出さない僧侶は食えないようにしろ。
134:本当にあった怖い名無し
12/08/02 09:02:40.35 UxsMoMXa0
なんで坊主はハゲなの?
135:本当にあった怖い名無し
12/08/02 10:33:15.39 sxiyzM0s0
>>132
捨身や解脱自体が自殺的行為とも解釈できる
136:本当にあった怖い名無し
12/08/02 16:56:28.82 WSpFaQzi0
>>131
仏教における戒律は自らの成仏の為に必要なもの。
よって、戒律をおかした者を罰を持って制する必要はないと思われます。自分が成仏できないだけです。
しかし、教団の維持といった観点で言えば必要といえる場合もあるでしょうね。
137:本当にあった怖い名無し
12/08/02 16:59:31.47 WSpFaQzi0
続き
原始キリスト教のような懺悔と許しを基本とした思想は仏教にありません。
どちらかといえば、罪を許してもらうというより、罪の根本を除こうとするのが仏教です。
138:本当にあった怖い名無し
12/08/02 17:00:40.30 WSpFaQzi0
>>133
あなたは、何か信仰をもったことがありますか?
139:本当にあった怖い名無し
12/08/02 17:05:28.79 WSpFaQzi0
>>132
自殺は自らを殺すと書くように、自分を殺そうとする意思があるかどうかです。
よって餓死は自殺ではないと思います。
仏教的に自殺の定義があるかは、わかりません。
他者の為に自らが犠牲になるという、説話がよくあるので、
他のために死ぬことは自殺にならないと考えます。
140:本当にあった怖い名無し
12/08/02 17:08:47.83 WSpFaQzi0
>>130
加持祈祷など思想の違いですので、あまりどうこう思わないと思いますよ。
141:本当にあった怖い名無し
12/08/02 17:16:53.30 WSpFaQzi0
>>134
結構難しい問題なんですよね。
近年、剃髪している方と有髪の方が分かれていますね。
宗派の規則などで剃髪していらっしゃる方もいらっしゃいます。
なぜ坊主にするのかというと、もとをたどれば、釈尊に由来してます。
142:本当にあった怖い名無し
12/08/02 17:28:45.04 UxsMoMXa0
>>141
なんで宗派によって違うん?
釈尊に由来ってのは釈尊がボーズだったん?
でもお釈迦様パンチじゃね?
143:本当にあった怖い名無し
12/08/02 17:39:51.47 wvxAcP8K0
>>141
頭を洗わなくていいとかシラミが湧かないとか言う現実問題だったら笑えます
144:本当にあった怖い名無し
12/08/02 18:04:47.77 WSpFaQzi0
>>142
釈尊は出家した当時髪を剃りました。
真理を悟り、仏となった後は螺髪(パンチ)となりました。
よって、出家したら髪を剃るという規則がある宗派もありますが、
そのような、規則がなく個人の意志に任せる宗派もあります。
145:本当にあった怖い名無し
12/08/02 18:06:22.26 WSpFaQzi0
>>143
髪がない方が楽ではありますので、そのような理由で髪を剃る僧侶もいらっしゃいますよ。
146:本当にあった怖い名無し
12/08/02 19:37:32.28 sxiyzM0s0
無知ゆえの質問なので根本から間違ってたらごめんなさい
般若心経で有名な一説に「色即是空」というのがありますが、これは「自我を捨てて無になる」と自分は解釈してます
そこで質問なんですがこの「自我」というものが「無」生まれたそもそもの原因なんかは教典なんかで解説されてるんですかね?
まあ「自我」というものがなんなのかすら自覚できないからそれを知ったところでどうしょうもないんですけどね
147:本当にあった怖い名無し
12/08/02 20:10:54.46 WSpFaQzi0
>>146
「我」というものを「虚空(「無」と近い意味)」「縁起」によって否定解説した経典はあります。
仏教でよく言われる「我」はバラモン教などで言われる、アートマン、ブラフマンの「我」であります。
一般的な意味での「我」は仏教ではあまり用いませんね。
148:本当にあった怖い名無し
12/08/02 20:18:34.33 T0dMXU+Y0
>>146
そこまで興味あるなら「スッタニパータ」を読んでみなよ。
ただ業に流される主体として、「自我」を見る限り
何の答えも出ては来ないよ。
仏教なんだから。
149:本当にあった怖い名無し
12/08/02 20:48:07.20 LH2ennX50
>>146 仏法は唯識という心理学で解釈したほうがいいです。
150:本当にあった怖い名無し
12/08/03 06:17:27.91 bAmR01qzO
>>148
あとダンマパダとウダーナヴァルガ。
あれは名典だと思うし、法句経として大乗仏典でも翻訳されてるし。
律蔵的で教えの哲学的な部分には迫りにくいけど、タメになるとは思う。
仏教を知るにはダンマパダから読むと良いと思った。