12/08/02 17:39:51.47 wvxAcP8K0
>>141
頭を洗わなくていいとかシラミが湧かないとか言う現実問題だったら笑えます
144:本当にあった怖い名無し
12/08/02 18:04:47.77 WSpFaQzi0
>>142
釈尊は出家した当時髪を剃りました。
真理を悟り、仏となった後は螺髪(パンチ)となりました。
よって、出家したら髪を剃るという規則がある宗派もありますが、
そのような、規則がなく個人の意志に任せる宗派もあります。
145:本当にあった怖い名無し
12/08/02 18:06:22.26 WSpFaQzi0
>>143
髪がない方が楽ではありますので、そのような理由で髪を剃る僧侶もいらっしゃいますよ。
146:本当にあった怖い名無し
12/08/02 19:37:32.28 sxiyzM0s0
無知ゆえの質問なので根本から間違ってたらごめんなさい
般若心経で有名な一説に「色即是空」というのがありますが、これは「自我を捨てて無になる」と自分は解釈してます
そこで質問なんですがこの「自我」というものが「無」生まれたそもそもの原因なんかは教典なんかで解説されてるんですかね?
まあ「自我」というものがなんなのかすら自覚できないからそれを知ったところでどうしょうもないんですけどね
147:本当にあった怖い名無し
12/08/02 20:10:54.46 WSpFaQzi0
>>146
「我」というものを「虚空(「無」と近い意味)」「縁起」によって否定解説した経典はあります。
仏教でよく言われる「我」はバラモン教などで言われる、アートマン、ブラフマンの「我」であります。
一般的な意味での「我」は仏教ではあまり用いませんね。
148:本当にあった怖い名無し
12/08/02 20:18:34.33 T0dMXU+Y0
>>146
そこまで興味あるなら「スッタニパータ」を読んでみなよ。
ただ業に流される主体として、「自我」を見る限り
何の答えも出ては来ないよ。
仏教なんだから。
149:本当にあった怖い名無し
12/08/02 20:48:07.20 LH2ennX50
>>146 仏法は唯識という心理学で解釈したほうがいいです。
150:本当にあった怖い名無し
12/08/03 06:17:27.91 bAmR01qzO
>>148
あとダンマパダとウダーナヴァルガ。
あれは名典だと思うし、法句経として大乗仏典でも翻訳されてるし。
律蔵的で教えの哲学的な部分には迫りにくいけど、タメになるとは思う。
仏教を知るにはダンマパダから読むと良いと思った。