12/10/16 19:56:57.26 6hi4IPvR0
江戸幕府による鶴岡八幡宮の再建と、観光地としての知名度。
明治期の横須賀線の開通による、東京との交通の便の確保と、
大正期の電化。温暖な気候による通年型の別荘地としての活用。
明治、大正、昭和と続く鎌倉在住の作家などによる、古都のイメージ
の定着あたりが原因では?
比較すると、気候の温暖さなら千葉の安房鴨川などの外房の方が
遙かに良い条件だったけど、南房総は地形が峻険だったから鉄道の
開通が遅れて人の行き来がなかったから、明治大正昭和初期と通勤圏
に組み込まれなかったし、移動時間も長すぎた。
それらが重なって、作家や陶工などの芸術家も居付かなかった。
同様に、静岡も、茨城も距離が有りすぎるのと、作家などによるイメージ戦略が
弱かったので、高級住宅街のイメージが育っていない。