12/07/18 15:48:02.35 PyQpuxAz0
結局のところ、世界の仕組み云々はどんなもんでもあんまり関係なくて、
「正しい人間としての在り方」ってのが曖昧模糊としすぎてるのがすべてのオカルトに言えるんだよな
どの話も世界についてとか、人間の役割についてとか、そういうの語ってるけど、
具体的にじゃあどうすれば正しい循環を作れるのって話になると途端に先へ進まなくなる
助け合い社会とか、光合成とか、幸せで地球を満たせとか、どれでもいいけどその基準が分からない
自分が幸せを感じている状態だったり、自分が助け合いを意識してる状態だったら、
たとえそのせいで他の見知らぬ誰かが割を食ってても、それが健全な状態となるのか
突き詰めれば現代社会の在り方そのものの否定に繋がってくるし、だからと言って原始生活に戻るのは不可能
どれだけ互助社会に近づけたとしても、やっぱり一定の割合で不便を強いられる人が出てくるだろう
じゃあ地球上の何割が正しい人間になったら良いのか、それがまったくと言っていいほど語られない
個人個人が自分の世界を意識して努力すればいいって話だと、
下手すると人同士の繋がりって思っている以上に細くてただの通路でしかないのかもしれないな
俺たちが認識している世界なんてなくて、個々人の世界だけがあり、
目に映ってるのはその繋がりによって生まれた共有幻想なのかもしれない
それなら個々人が自分の世界(木)を育てるのに一生懸命になることが、結果相互間の繋がりを強化することになるのも頷ける
それが共有幻想にどんな影響を及ぼすかは分からないけど、今の人間はその幻想を必死に取り繕うとしてるだけなのかもな
いやー、妄想が捗るわー