12/06/20 13:06:52.95 J5Mv3Zax0
>>856
原罪意識を持っている自我は確かに救いの対象じゃないよ。それ自体がないものなのだから。
ないものをあるように思わせるには、常に自分以外の誰かを敵にしてジャッジしたり、罪や
おそれが本当であるように自分に思わせなきゃいけない。
自分の命を救おうとする者はこれを失い、自分の命を捨てるものはこれを得る。
これも自分というものを何にアイデンティファイしているか、だね。
神は決して裁かないから。無条件の愛とはそういうこと。一つながり、ありのまま、を
これは善、悪、高い、低い、醜い、美しい、と判断して分断したような夢を見ているのが
個々別々の自分。それは必ず罪悪感や苦しみを生む。
そして夢の中で罪やおそれを克服、向上しようとしたり、または誰かになすりつけたり。
自我が差し出す救いは決して、ゴールがない。それが輪廻。
後者の自分は神とひとつながりの自分。ほんとうの自分は一人しかいない。