12/09/20 00:44:37.02 ZxNMS/Yf0
最近世間をみていると、中国のデモに象徴されるように、なにかをネタにかまして、
遠回しに自分の欲求を実現してゆくという、ステルス戦略がどこでも繰り広げられている。
しかも、それが読まれているという点が新しい。
例えば、中国デモは反日が表向きの目的だが、実際は格差反対デモであろうし、
日本における原発デモでも、同様だろう。
今、私の疑問は本当に金を稼がねければ生きていけないのだろうか?という素朴な疑問だ。
アセンションが起こるとして、私が思う事のキーワードは、「解る」という事ではないかと思っている。
いろいろな事が解ってくる。最もわかりたい事は、自分は何で生まれ、これから何処に行くのか?だ。
この問いは、全てに当てはまる。
政治は何で生まれ、どのように成るのか?
金は何で生まれ、その結末はどうなるのか?
そしてアセンションのような予言はどうして生まれ、その謎は解かれるのか?
こうしたことが解ってくるのかもしれない。このような理解は、起こると同時に知るという
共時性を帯びた知恵であり本当の知識であり、身体知であるから、断片化された様々な
日頃の個人の出来事も、ああ、この時の事なんだなぁ~と歓喜をもって向ければと思う。