12/05/12 21:40:10.26 TR/2ppl9O
よく知らないけど>>111は大丈夫なんじゃないかな。書いている内容から、知性は十分あるように見受けられるし。
瞑想とかして、心の中を沈降していくと、無垢で無力だった頃の自分自身に必ず出会う。
傷だらけで泣いている幼子だったり。気丈に口を結んで耐えている自分だったり。
心の中で、そんな過去の自分と出会った時、往々にして人は何か「してあげなくちゃ」、と思う。答えを提示してあげなくちゃならない、と思う。
そしてそれが出来ない今の自分に、二度傷つくんだ。
慈悲を誤解してはいけない。慈悲のコツは「傍ら、即ち“横”」に座ること。
対象(他人であれ自分自身であれ)と“向き合う”のではない。対象が見ているのと、同じ方向を向くのがコツなんだ。
慈悲は、対象の痛みを自分の痛みとして感じようとする行為。
与える愛ではなく、その痛みを共に引き受けようとする行為。
彼は自分が嫌いだと言った。
泣いている過去の幼子の元へ、何度でも通う事だ。
泣き止むまで、今の知性を蓄えた自分の話を聞いてもらえるようになるまで、何度でも、足しげく過去の自分の元へ通って話を聞いてやる事だ。
そしてその子が微笑む時、本当に自分自身との信頼関係を結べた、ということになるのだろう。
時間をかけていい。三年でこれだけ出来なきゃ落第だ、って学校じゃないんだから。