12/01/12 12:54:02.22 ER35uvBY0
>>918続き
では、猫含めた肯定派は何をもって「意識」と呼んでいるのか?
その答えは古代言語学に隠されている。哲学でもその片鱗があるが。
意識と魂は同義として現在では思われている。科学的という用語につられ皆で「意識」という言葉を使っていたがどうやら意識も一般的には抽象概念であることがわかってきた。
ここは以前同様に魂に戻していこう。
この魂という言葉が「タマ」と「シイ」の合成語であり、ドスケベッチの言う意識に値する部分が「シイ」に掛かることは以前から解説している。つまり、猫含めた肯定派は「タマ」を以って「魂」「意識」と呼んでいる可能性が高い。
この「タマ」というものは古代語で長い歳月の神道や仏教による文化洗脳により、今ではそれを解説する語を失った言葉となっている。
人中心の古代移行のクニづくりにはより使いやすい「魂」が便宜上都合がいいという理由だろう。
仏教も「世界を示す」宗教ではない。「人の有りよう」を示す宗教に魂以上の上位概念は不要だ。
かくしてタマは魂に隠れ、本質を問う時に戸惑いや拒否という形で姿を現すのみとなった。