11/12/20 19:57:08.02 Qq7vCvqI0
カラダは霊の依る所であり快を求める所ではない、って考え方は正しい
と思うが、そのことに拘ると却って罠に落ち込むのも人間だ。
オレ自身は欲望を否定せず欲望に振り回されず、という空海のスケールに
魅力を感じる。或いはカラダと見せて実際は脳の創り出す無限の欲望の
拡大再生産を姿勢と呼吸というカラダの要素に意識を向けることで自ずと
心理的無を達成してしまう道元禅の合理性に惹かれれる。東洋、とくに
日本で発達してきた道<タオでなドウ>という心身一如の実践的システム
に日本人なら目を向けるべきと思う。カラダという宇宙が何重にもなって
真我の拠り所となっているなら他に何を求める必要があろうか。スピリッチャ
ルというなら神智学の基礎知識で充分であろう。 宗教という感覚は自分
には余計なものでありカラダを通して学んでおれば又その自覚もない。