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<広島 男 31歳(被爆時)入市被爆>
8月7日か8日の朝、水道補修作業に出かける途中、2メートルばかりの道路の曲がり角のすみに立っている
水道の蛇口の下で、タラタラとほんの少しずつこぼれおちる水を、顔をあおむけにして受けている子供がいた。
シマの着物を着、三尺おびをしめた姿は、どこも焼けただれてはいなかったが、顔の色はうす黒くまんまるに
どうぶくれた様子は、もう生きているものとは思えなかった。私は連れに行った兵隊に「もうダメだ。片つけてしまえ」
といいながら、焼却場へ運ぶよう指さした。と突然「ダイジョウブダヨー」と弱い声だが、必死で呼んでいる子供をみた。
その時は、ああそうかと行き過ぎてしまったが、復員後、年が経つにつれ「ダイジョウブダヨー」の声が
耳についてはなれなくなってしまった。
必死で生きようとしている子供に、面とむかって、片つけてしまえ、焼いてしまえと言ってしまった俺、
どうしたらいいのだろうか。
「あの日・・・ ヒロシマ・ナガサキ死と生の証言より」 日本原水爆被害者団体協議会 新日本出版社 P100