11/11/19 22:56:06.36 HrLE5Cat0
今の多くの女性は、靴や携帯を預ける程度の気持ちで身を任せるのだろうし、
男の方も、それが気楽だと思っている。命を預かることが出来る強い本物の
男は滅多にいない。
古いだろうが、女は、命を預けられる男を見つけ、男は、素晴らしい女の命を
預かることが出来るようになって欲しいものである。
これは、恋愛や結婚に限らない。
大物が、自分の立場をぐらつかせる危険もあるような貴重なものを、配下の
若い者に預けるということをすることがある。自分の信頼を無言で表している
のであり、それをされた者は、この親分のために命を捨てる覚悟をするだろう。
さて、神や仏に命を預けるなら、天下無敵であり、大安心の境地に至る。
およそ、いかなる聖者も聖典も、教えているのは、ただその一点だ。
ラマナ・マハルシも、黒住宗忠も、釈迦も、イエスも、法然も、親鸞も、
バガヴァッド・ギーターも、聖書も、観無量寿経も、老子も、荘子も、全て
そうだ。
聖書の詩篇91は、神様に命を預けたということだし、南無阿弥陀仏の念仏は、
阿弥陀仏に命を預けたという意味だ。
神仏は、その期待に応える。だが、命を預けてしまえる者は少ない。