11/10/19 20:57:09.56 gET2L58R0
松帆浦の淡路島の神様の表玄関口、岩屋恵美須神社「分神」。
「岩屋恵美須神社」の後背の岩山が国生みの舞台?「三対山」。
神社裏側の洞窟は伊弉諾大神の隠れたもうた原初の「幽宮」(墓)の伝承地で岩楠神社が鎮座し「伊弉諾神宮の摂社」。
名勝、「大和島」、「絵島」は三対山の天然の鳥居。夫婦島。
石屋神社は何やら色々と三位一体の御事。
いにしえ、天地大明神と天皇より御名を奉られました。
神功皇后はここ三対山山頂の石屋神社で何やら色々と御祈祷なさりました。
ここはまた、原初の「太陽之道」(淡路島×伊勢国では三本以上が現存)。
東の対岸は住吉大社、信貴山、石上神宮(いそ→いせ)。
石清水八幡宮の冬至の日没方向。
南東遥かには玉置山。
250:本当にあった怖い名無し
11/10/19 20:57:47.88 gET2L58R0
「松帆神社」
御神体は、楠木正成の守護神、八幡大菩薩が出自の八幡宮(公より託された家臣たちが流転の末に1399年創建)。
明治以前は「旗山八幡宮」と号し、爾来、近在一円の総氏神社。
また、ここが本当の三輪山の真西。北緯34度32分。
真南の伊勢久留麻神社は元来はこちらに御鎮座と拝察。
6世紀の敏達年間の創建当時は久留麻神社の現在地は間違いなく海中か波洗う渚。
旗山八幡宮/松帆神社と伊勢久留麻神社はニコイチのような関係かも知れません。
江戸時代後期の淡路島名所図絵に画かれた様は、鄙には稀なる規模や長い松並木の参道、要件、造りが酷似していて、
本殿が丘の中腹(八幡宮)か平地(来馬神社)の違いだけのようにも見えます。
どちらも昭和40年代までの国道や県道の敷設に伴って境内や参道が何ヶ所も寸断されたり、
名所名勝であった根上がり松やクネクネ這い回る松の大木の並木の奇観は松食い虫被害で消え失せて往時の森厳とした
面影は全く有りません(特に伊勢久留麻神社の逼塞ぶりは酷い有り様。境内のど真ん中を新旧国道が分断)。
因みに、久留麻明神さまは楠木正成一党の氏神。
ワケは、富田林鎮座の式内社。
美具久留御魂神社が多分総本社。
楠木正成公ら御一党が崇敬した氏神の一つ。
死地をやっとの事で落ち延びた淡路島で奇しくも久留麻神社(久留御魂神)を見た御一党の感慨と無念いかばかりか・・・。
久留麻神社の楠木正成公の駒止め松の伝説もこの辺りが出自か。
251:本当にあった怖い名無し
11/10/19 20:58:33.36 gET2L58R0
久留麻(来馬)神社の創建理由は史書のB面を読み解けば、欽明、敏達、用明年間は天然痘で度々大疫し、
あまつさえ敏達天皇が罹患により玉体平癒と天下安寧を企図して、
大和朝廷成立より軍事と祭儀を取り仕切っていた物部守屋さま麾下の朝廷の手により奉祭されたものと
愚考し拝察致します(当然ながら名前は異なれども物部氏が信奉する威力あるあの神祇(皇祖神)であるはず)。
「布留部」由良由良、「布留部」。 ひふみゆらゆら・・・ひふみよいむなやここのたり・・・。
伊勢久留麻神社の南北線が原初(六世紀、敏達天皇年間)の近畿の西の結界の模様。
・・・神社仏閣などが海を越えて直列に整列。
「潮鳴山」が南北線のランドマークの模様(石屋神社の西)、子午線はこの南北線の近傍(若干東側)に位置します。
久留麻神社の祭神はいつの頃からか大日霊女貴命(大卑弥呼女王)ですが、
勧請元の久留真神社が大己貴命、須世理姫命ですから改竄や伊勢国からの勧請と言う事で勘違いが生じたものか、
しかしながら個人的には様々なお印から別な神様(皇祖神♂)ではないかと愚考いたしております。
境内社に弁天社、愛宕神社、猿田彦神社、伊弉諾神社、稲荷明神が鎮座坐す。
弁財天こと、市杵嶋姫命は伊弉諾大神の御孫姫神様にて、共に一伝天照大神とも。
市杵嶋姫命は別名を「狭依姫命」と奉り、
その御名からは日巫女(日霊女貴)さまで在らせられたご様子。
また、天鈿女命さまであらせられます。
神奈備、ランドマークは西南西後背の小高い山。
通称、「愛宕山」(山頂に愛宕神社/久留麻神社境内社の愛宕神社は浜宮の遥拝所)。
愛宕山と久留麻神社は伊弉諾神宮の夏至の日の出方向。
この愛宕山はまた京都愛宕山/愛宕神社の裏鬼門。
三輪山よりも二上山のラインに近いかも・・・。
252:本当にあった怖い名無し
11/10/20 22:38:19.81 q1yuVpLO0
蛭子エビスさま有縁の三社詣りはいかが?
蛭子エビスさまはイザナギ命とイザナミ命のハネムーンベイビーの第一子で淡路島生まれ。
淡路島北端の岩屋地区に御鎮座の岩屋恵比寿神社が元エビス。
この奥、岩壁下の洞窟には岩樟神社(エビスさまはこちらでお生まれに・・・伊弉諾大神の幽宮伝承があり同神宮摂社)。
この岩屋(松帆浦には岩屋恵比寿神社の分神が明石海峡に向かって建っています)の海岸から岩樟舟に乗せられて・・・。
次は、神戸の和田岬の和田神社(第一漂着地伝承)。
最後は、言わずもがなの西宮戎神社(和田岬~鳴尾浜に・・・)。
古来、船渡御では鳴尾浜~和田岬沖まで巡幸。
ちなみに、石屋と書いて「いわや」と呼びます。
石屋神社は「いわや」神社と呼びます。
現在、石屋神社と岩屋恵比寿神社は別々の場所に有りますが、
元は同じ岩屋恵比寿神社と同じ岩山、三対山(通称、城山の)の山上と山麓に有りました(神功皇后有縁)。
253:本当にあった怖い名無し
11/10/21 23:27:05.59 wZU4XTE80
淡路島北端の淡路市岩屋地区
石屋(いわや)神社には天地大明神として国常立尊と共に、イザナキ大神、イザナミ大神がご鎮座、奉祭されています。
元は北側一㌔?の岩山。通称、城山の三対山にご鎮座。戦国時代に池田氏により岩屋城築城の為に現在地に遷坐されました。
三対山麓には洞窟(古代祭祀の痕跡~イザナキ様の幽宮伝承)の岩楠神社。前には恵比須神社(元エビス伝承)が、
真東の対岸、同一緯度上には住吉大社~信貴山~法隆寺~石上神宮等が数珠繋ぎ。の『太陽の道』の一つ。
近隣には、オノコロ島の比定地の一つ、神代、万葉~の名勝『絵島』、大和島他、国生み神話の舞台装置が多数有ります。
この石屋神社には全国で唯一、拝殿の天井に方位を示す十二支円盤に『方位磁石』が取付られています。
由来、いわくは不明です。
254:本当にあった怖い名無し
11/10/22 23:47:52.72 M2+QLNEt0
此処が三輪山の真西。太陽の道ドンピシャ。
件の線は隣の元神宮寺との間にある模様(ケータイのGPSで計測)。
本殿から海までが本来の境内と参道です。
県道と国道が境内を三カ所も分断して現在のお姿に(伊勢久留真神社も同じく)。(怒)
明治期の神仏判然令により現在の松帆神社と社名変更。
八幡さまは、神さまで有りながら菩薩様と言う神仏混交の精華でした。
旧称は、「旗山八幡宮」
//後背の神奈備山を仰ぎ見るとなんとも言えない気持ちに成ります。
境内を振り返って東の方、三輪山やお伊勢さま他にご挨拶しています(伊勢久留真神社でも)。
本殿脇には宇治皇子社。
高良神社(武内宿禰)。
仁徳天皇社(仁徳天皇陵は東対岸やや北に)。
松尾神社。
末社に、天満宮。[疱瘡社。金毘羅社。祖霊社]。猿田彦神社。
昔の名所図絵には海浜近くに舟玉社が描かれていましたが、金毘羅さまの事?
往時には境内や周辺には枝がグニャグニャと曲がった大木の根上がり松が沢山有ってその奇観が名物、名所でしたが松食い虫により枯死。
これにまつわる民話が有ります。
・・・ある時、旧暦の10月の楽しい出雲詣でツアーにこの旗山八幡宮が淡路島の八幡さま方の集合場所になりまして、
期日にえらい早朝から三々五々、津々浦々村里から八幡さまが境内にご到着。
旧知の仲間、御同輩で近況や世間話、氏子からの祭祀に花が咲いて門前市を成すの賑わい
でも、肝心の家主の旗山八幡宮の八幡さまが何時までたっても出て来ません。
神さま方が松に腰掛けて待ってたのですが余りに待っていたため神さま方の重みで枝が次第にグニャリと曲がったとか。
そうこうしていると奥からやっと当の旗山八幡さまがばつの悪そうな呈て゛お出ましに。
皆から色々言われて・・・
取りまとめ役の八幡さまの「まあ、皆さん揃った事やし、
岩屋の八幡さんや他の神さん方も総集合場所の松帆浦のえべっさんとこ(恵比寿神社分祠。淡路島の北の玄関。
参道はなく鳥居の外は即、明石海峡)で大分お待たせしてるよってにソロソロ連れもっていきまひょか?」と鶴の一声でガヤガヤ賑わしくご出発。
・・・
また、丁度この辺りは狐狸に騙された話がイッパイ。
255:本当にあった怖い名無し
11/10/23 15:40:46.36 OPYtfyB80
先山は、イザナギノミコト、イザナミノミコトの二神が最初に創ったとところから名づけられたという。
これが鳴門の渦潮と繋がっている理由。渦目が富士。