12/12/09 13:44:08.03 Y+Uxe+xD
>>213
>小沢や橋下どころかやまんばの大嫌いな石原も同じ主張だよ。
石原は維新の会の公約で「中央官僚支配を壊す」と言っている。
しかし、もしその石原の公約が実現したら、従来の「中央官僚支配」よりももっと悪い事態になるだろう。
石原が東京都でやった事は、行政の官僚支配そのものの手法だが、石原と従来の「中央官僚支配」の違いをあえて言えば、
法治主義に対して人治主義をとった事だろう。
そのやり口は、石原が恣意的に選抜した少数の行政委員にやらせたトップダウン方式の教育行政に象徴的だ。
議会でのきちんとした政策的議論も、法律上の厳密な精査もなく、いきなり行政権力の強権的な命令方式で
それは行われた。この結果、都内の公立学校への上意下達の官僚統制はより強まり、学校は教育の現場というよりは、
もはや単なる行政の下請け機関になり果てた。
石原は日本国憲法などアメリカ進駐軍の払い下げで守る必要など全く無いと明言している位だから、日本を法治主義の国に
する気などはさらさらない事がわかる。行政の強権力(ついでに暴力装置)を使って物事を進めれば、それは確かに政策決定は
早いだろう。議会でのまどろっこしい政策的議論や裁判所の長たらしい手続きを飛び越えて、行政が一元的に、すべてを取り
仕切れば、話ははやい。
しかし、これは、中国の一党独裁権力の統治の様なやり方と同じである。(かってのソ連邦も同じ様なシステムだった。)
中国にも形だけの人民議会や裁判所はあるが、まさかあの国で三権分立がまともに機能しているなどと誰も思わないだろう。
私は先に日本の現状は官僚独裁国家だと言ったが、それでも、法治主義と国民議会の存在がその官僚独裁の暴走を
防いでいるわけである。政策的決定は、霞ヶ関の官僚が仕切っている事は間違いないが、それは議会の承認というハードルを
くぐらなければならない。(このハードルもしばしば「○○施行規則」のように、官僚の作文ですり抜けられる事が多い。)
御用メディアを使っての、議会や政党政治の無力化のキャンペーンが展開されているが(その中で小沢氏への大弾圧も
行われた)、それで利する政治勢力が誰なのか、きちんと見極める事が必要だ。