12/04/22 23:42:31.05 qMGgR+j7
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 1
すべては わらぶき屋根の家から始まった
大祖父のふるさと・和歌山県清水町は人口6千人の静かな山村。
紀子さま誕生までの足跡と、新ロイヤル・ファミリーの知られざるプロフィール。
昨年12月、紀子さまが家族とともに訪ねられてから、和歌山県清水町は
“紀子さまの里”として、すっかり有名になってしまった。
「せんだっても大阪から団体の観光客がバスをつらねてきましたわ。紀子さんの実家を
教えてほしいいう人が、あんまり多いんで、松浦さんも家のことは教えないでくれというてますわ」
そう地元の人は苦笑いする。
“松浦さん”とは、紀子さまが泊まられたわらぶき屋根の家のご主人・松浦朗さん(55歳)。
紀子さまの大祖父。川嶋庄一郎さんの生家の現在の当主である。
川嶋家はもともと和歌山市内の大庄屋であったが、庄一郎さんは清水町の農家松浦家から
婿養子に入った人だったー。
和歌山県有田郡清水町は有田川の上流の深い山々に囲まれた小さな町。人口は6000人。
町の9割が山林で、一昨年、町内に初めてたったひとつの信号機が設置されたときは、
珍しさから、子供たちの見学がしばらく続いたというところーそこが、紀子さまの
ルーツの地であった。
「(紀子さまは)小学校6年の冬休みに1度、来ましたので、去年は、かなりなつかしがって
いました。とても喜んでいましたね…」
紀子さまを迎えた松浦朗さんは農作業の手を休めて、そうつぶやいた。だが、それ以上は
語ろうとしなかった。水田が6反、ほかに、大根、キャベツ、ほうれん草なども栽培。
出荷しているのはお茶だけだという。川嶋辰彦さん(50歳)のまたイトコにあたる朗さんの
母・良子さん(74歳)が話してくれたひと言が、松浦さん一家のすべての思いなのかもしれない。
44:朝まで名無しさん
12/04/22 23:42:57.03 qMGgR+j7
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 2
「神さまのように思っていた天皇家は身内のものが嫁ぐなんて夢みたいです。辰彦さんは
小さいころと、東大に合格したあとは2~3回いらした程度で、ふだんは年賀状のやりとりが
あるくらいです。でも、去年みえたときは、裏のお墓をお参りしていただいたり、こんなに
遠縁でも親しくしてもらってありがたいことです。遠い人になってしまうんだなあ、もう
会うことはありえんわなあと思うと寂しい。だからこそ、紀子さんのことは大事に大事に
胸の中にしまってあるんです」
紀子さまの大祖父・庄一郎さんは明治3年4月、松浦平吉さんの次男として生まれた。
幼名は力松。寺子屋では1度教わったことは忘れなかったことから“袋耳の力松”と
呼ばれていたという。父の平吉さんは若くして亡くなり、母・かつのさんの手で育てられたが、
その秀才ぶりは村誌に、
《天資英明、遠く衆童に勝れしは人口の膾炙する所にして、母に事ふること至って厚く、
常に近隣の人をして驚嘆せしめし程なり…》
と、記載されているほどだ。
庄一郎さんは、やがて東京高等師範学校を卒業した明治27年、川嶋志まさんと結婚、
川嶋家の婿養子となる。
「農地改革で土地をとられるまでは、それは広い田畑を持つ大地主やったね」
紀の川のほとり、和歌山市府中の古老はかつての川嶋家をそう振り返る。いまは府中地区に
「川嶋山」という地名は残っているのがわずかな面影だが、教育者としての庄一郎さんの
足跡は輝かしいものだった。
京都、富山、滋賀の師範学校で教べんをとり、やがて、学習院教授、学習院初等科長、
奈良市版学校長をつとめた。
晩年は和歌山に戻って隠居生活。近所の人の話によれば「いつも頭巾をかぶり袴に前だれ
という水戸黄門のようないでたちで庭の畑を耕していた」という。
45:朝まで名無しさん
12/04/22 23:43:20.66 qMGgR+j7
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 3
紀子さまの祖父・川嶋孝彦さんも和歌山市の出身。旧制一高から東京帝大法学部に進み、
旧内務省入りしたエリート官僚であった。
内閣統計局長、参議院人事委員会専門員などを歴任したが、昭和33年、国会図書館
専門調査員の仕事についていたとき亡くなった。61歳であったという。
妻の紀子(いとこ)さん(83歳)とは見合い結婚。紀子さんは大正2年から10年間、
大阪市長を務めた池上四郎さんが父であり、9人きょうだいのいちばん末娘(六女)だった。
池上家は元会津藩士というお家柄だという。
孝彦さんとの間には3男2女が誕生。だが長男の啓一さんは1歳で亡くなった。
長女が小菅宮子さん(61歳)、次女が佐藤豊子さん(58歳)、次男が紀子さまの父・辰彦さん、
三男が川嶋行彦さんである。
紀子さまの母方の祖父・杉本嘉助さん(75歳)は、脊椎矯正器具の開発で特許を持ち、
昨年まで整体治療院を開いていたが、もともとは旧南満州鉄道の技術者であった。
静岡で家具製造業を営んでいた杉本吉太郎さんは、嘉助さんを木工職人にし、家業を
継いでほしいと考えていたといわれるが、
「成績が優秀で、学校の先生のすすめもあり、地元の工業高校から、横浜工業専門学校
(現在の横浜国立大学工学部)へ進んだんですよ」
と、嘉助さん宅の近所の人は話す。
紀子さまの祖母・栄子さん(74歳)の父・服部俊太郎さんは旧満鉄の副参事で、嘉助さんの
上司であった人であるという。嘉助さんとの間には2女が誕生。長女が紀子さんの母・和代さん
(48歳)だった。
「ご両親が物静かでとても礼儀正しい方なんです。そのせいか和代さんもおとなしい人で、
道で会うといつも会釈してくれました」
と小さいころの和代さんを知る地元の人は話す。また、杉本家は教育熱心な一家としても
評判であり、和代さんと、3歳違いの妹・育代さん(45歳)もともに静岡の名門女子高・
静岡英和女学院で中学・高校を過ごした。
46:朝まで名無しさん
12/04/22 23:43:47.05 qMGgR+j7
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 4
「学校までは4キロほどあったんですが、和代さんは毎日1時間かけて歩いて通学していました。
頑張り屋さんで、成績はトップクラス。英語はなかでも得意だったと思います」
静岡英和女学院での同級生はそう話していた。
その後、東京の昭和女子短期大学英文科に学んだが、そのとき知り合ったのが、
東大経済学部に在学していた辰彦さんだった。
「道を歩いていて石をけとばしたら女房に当たった」
と。ふたりのなれそめを聞く友人に、辰彦さんはこんなふうに話したことがあるという。
ときには和代さんは研究室を訪れ、辰彦さんの論文の整理などのお手伝いもした恋愛時代をへて、
ふたりは昭和39年10月、結婚。
「辰彦さんはまだ大学院の学生で、和代さんが近所の子供たちの家庭教師をして生活を支えて
いらしたんですよ」
そう、和代さんの同級生は振り返る。
辰彦さんは東京都立戸山高校から東大経済学部、東大大学院を経て米国のペンシルバニア大
大学院に留学、博士号を得った。ペンシルバニア大大学院で助教授をつとめたが、昭和48年に帰国、
学習院大経済学部の助教授に迎えられ、昭和51年、36歳の若さで教授となった。
専門は「交通経済学」で『道路交通需要の将来予測』『都市化現象と都市分析』などをはじめ、
50をこえる著書や論文がある第一人者である。
また、環境問題や人口問題などを研究している国際応用システム分析研究所にも所属し、
昭和52年から54年まではオーストリアのウィーン郊外にある研究所の主任研究員として赴任もした。
学習院大での辰彦さんは「やさしい」と評判の教授。
「授業より大切だと思うことがあれば、そちらを優先してください」
そう、ニコニコしながら話し、
「笑っていれればみんな幸せですから、笑っていられるようにみなさんにAを差し上げましょう」
ということがしばしば。
47:朝まで名無しさん
12/04/22 23:44:09.62 qMGgR+j7
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 5
辰彦さんの弟・川嶋行彦さんも学習院大経済学部の助教授を経て、東京国際大学商学部教授。
現在は同大のアメリカ校(米国オレゴン州)に赴任しているが、講義は辰彦さん同様、学生たちの評判のマト。
「黒ぶちメガネに髪は坂本竜馬のようなオールバック。いつも風呂敷包みに袴をはいて教室に来ますので、
学内で知らない人はいないという名物教授です」
と、東京国際大の卒業生は話す。出席は「あまり重視しません」ということだが、学生で
教室はいつも満員。それだけ人気もあったという。
また、辰彦さんもふたりの姉も、そろって学者に嫁いでいる、
長姉の宮子さんの夫は、東京・小平市にある白梅学園短期大学保育課教授の小菅茂雄さん。
すぐ上の姉・豊子さんは、元専修大学文学部教授の佐藤英一郎さんと結婚、教育学を専門とした
佐藤教授だったが、昭和58年9月に亡くなった。
紀子さまの祖母・紀子さんのオイには京都大学掲載が国教授の池上惇さん(57歳)もいて、
まさに川嶋家は学者一族である。
48:朝まで名無しさん
12/04/22 23:45:33.20 qMGgR+j7
2012/03/03(土) 20:06:57.94
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 6
昨年7月末、紀子さまはご家族、祖父母の杉本嘉助さん・栄子さん夫妻、親戚一家と旅行なさっている。
お出かけになったのは静岡県伊豆の湯ヶ島の吉奈温泉・東府屋旅館。ここもまた、紀子さまのご親戚だった。
「紀子さんとはそのとき会うのが初めてでした。おじさん(杉本嘉助さん)から“おてんばで活発”と
聞いていたんですが、まったく印象は違いました」
そう話すのは東府屋旅館の“若奥さま”城所由佳さん(23歳)。由佳さんは昨年3月“若主人”の城所達也さん(29歳)
と結婚したが、由佳さんの父親が嘉助さんのイトコで、紀子さまとは“またイトコ”にあたる。
「うちには“子宝の湯”という露天風呂があって紀子さんも入られました。お風呂に入るときも
浴衣姿でお辞儀をされたのを覚えていますが、その浴衣姿がとても可愛らしくお似合いでした」
と由佳さんはいう。
名物のキジ鍋とシシ鍋を召し上がり、親戚そろっての楽しい一夜を過ごした翌日、達也さんは、
直営のキジの飼育園へ紀子さまのご一家を案内された。現在約6千羽が育てられている。
「私が“ときおり突然変異で白いキジが生まれることがあるんですよ”と説明し、お見せしたところ、
紀子さんと、弟の舟くんが、むずかしい遺伝学の話を始めたんです。やはり、学者一家だなあと、
そのとき思いました」
と、達也さん。
由佳さんが礼宮さまと紀子さまのご婚約を知ったのは、実家の母親からの「新聞をみてごらん」
という電話でだった。
「もうびっくり。でも、ここへいらしたとき紀子さんは“おじいさまを今後ともよろしくお願いします”
と、私にごあいさつされたんです。いま思えば、これからはおじいさんともなかなか会えなくなるので、
そんなふうにおっしゃったのではないでしょうか。
私は紀子さんとは同じ年の同じ月の生まれなんです。でも、私よりとても落ち着いていて、笑顔も
本当に素敵でした。でも、私もいわれるんですよ。笑ってるときがいちばんいいって…」
由佳さんはさわやかな笑顔をみせた。どことなく、紀子さまに似た笑顔だった。
49:朝まで名無しさん
12/04/23 08:28:03.65 8dy9Ead7
神一行 改訂新版『閨閥』(角川文庫)
URLリンク(megalodon.jp)
さて、その雅子さまの実家の小和田家であるが、そのルーツは現在の
新潟県村上市を治めていた村上藩内藤家五万石の下級武士の出身だ
ったようだ。代々、下横目(目付)、奥方付きお庭番などの役職につき、柔
術「制剛流」の達人の家柄だったというが、はっきりした系譜は曽祖父に
あたる金吉からしかわかっていない。
>はっきりした系譜は曽祖父にあたる金吉からしかわかっていない。
50:朝まで名無しさん
12/04/23 08:31:52.76 8dy9Ead7
川口素生『小和田家の歴史』
さて、江頭豊氏の祖父・嘉蔵氏は明治維新までは肥前佐賀藩主・鍋島家の家臣
であったといわれる。ところが、明治初年の二種類の佐賀藩 侍着到(註=現代の
出勤簿に相当)には嘉蔵氏の名が見えない。これについて、豊氏の甥(優美子さん
のいとこ)にあたる作家の江藤淳(本名江頭淳夫)氏は、嘉蔵氏は佐賀藩の「手明
鑓」と呼ばれるクラスの藩士ではなかったかと推測している。「手明槍」は平時は無
役だが、戦時には槍や具足を携えて戦場に赴く者たちを指す。江戸時代中期以降
は無役だった「手明鑓」も藩の役職に採用されたし、幕末維新期には多くが鉄砲を
担当して活躍したといわれる。ただ、嘉蔵氏以前の系図や史料が現存していないた
め、嘉蔵氏が「手明鑓」か否かを含めて、ルーツや俸禄などはまったくわからない。
明治維新前後、嘉蔵氏は家族とともに肥前佐賀郡北川副村木原(現=佐賀市北川
副町木原)に移り住んだ。
( 中 略 )
範貞少年、安太郎少年が学齢期を迎えた頃、父・嘉蔵氏は旧制県立佐賀中学校
(現=佐賀県立佐賀西高等学校)に小使として勤務していた。
嘉蔵氏の生年はわからないが、安太郎少年が生まれた頃、すでに四十数歳であっ
たといわれる。
>嘉蔵氏が「手明鑓」か否かを含めて、ルーツや俸禄などはまったくわからない。
>嘉蔵氏は旧制県立佐賀中学校(現=佐賀県立佐賀西高等学校)に小使として勤務していた。
51:朝まで名無しさん
12/04/23 11:23:48.04 da+IEGmt
ここは紀子妃殿下のスレ
雅子の話はこちらでそうぞ
【雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★57
スレリンク(news2板)
52:朝まで名無しさん
12/04/23 12:17:07.15 vp7PRi4x
話題逸らしが来たのでもう一度
>>43-48
週刊女性 1990年7月?日増刊ムック 礼宮さま紀子さま青春華燭
<紀子さまのルーツとその人々>
URLリンク(www.yuko2ch.net)
URLリンク(www.yuko2ch.net)
53:朝まで名無しさん
12/04/23 14:45:23.20 UCrFogpT
>>2
◆秋篠宮ご夫妻、ダンゴ虫帝王学と「多忙な秋」 (サンデー毎日 2011/09/18)
URLリンク(www.yuko2ch.net)
54:朝まで名無しさん
12/04/23 21:42:53.89 WKuG+6LI
ダンゴ虫?帝王学?なんじゃそりゃ~
55:朝まで名無しさん
12/04/24 23:33:36.52 MADg5VuI
URLリンク(jisin.jp)
女性宮家へ激震!雅子さま「砕かれる母の希望」、紀子さま「膨らむ未来」
◆ 学習院初等科、雅子妃、愛子内親王、皇室典範、宮内庁
女性自身(2012/05/15), 頁:49
56:朝まで名無しさん
12/04/28 10:56:28.86 p32TaZPp
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
■テレビが好きだった父・辰彦さんが自戒を込めて一大決心
川嶋家にはテレビがないー。
これはあまりにも有名な話。かつて、テレビの有無が家庭の裕福さを示すバロメーター
になっていたが、今日では、あえてテレビを置かないところに、主体性とともに優雅ささえも感じられる。
「うちは教育面を考えて、テレビは置いてないのよ」
紀子さまは学習院の同級生や友人によくそう話されていたが、弟の舟さんにいわせると、
多少ニュアンスが違ってくる。
「うちのテレビは押入れの中に置いてあるんだ」
と、友人にもらしていたという。
母・和代さんは、その理由を、やはり「教育的配慮から」と熱弁されていたが、本当の
“テレビ追放”の理由は、意外にも父・辰彦さんにあったようだ。
「私はテレビが大好きなんです。だから、テレビを見始めたら途中ではやめられない。
時間がとってももったいない。短い人生なのだから、テレビに大事な時間をとられず、
また、テレビに自分を縛られることなく、主体性を持って行動したい。本をたくさん読んだり、
音楽を聴く時間を失いたくない。もちろん、子供たちにもたくさんの本を読ませたい…」
辰彦さんの一大決心だったが、紀子さまも舟さんも、その“テレビのない生活”に、
不満をもらされることはなかった。
その紀子さまが、新聞が<ご婚約固まる>という報道をした昨年8月26日以降、報道陣に囲まれ、
自宅を容易に出られなくなったことから、初めて、
「テレビが見たいわ」
と口にされた。友人に電話で話した言葉で、自分がどのように取り沙汰されているのか
お知りになりたかったようである。
ともあれ、辰彦さんの一大決心はしっかりとした教育方針を形づくっていった。
「私どもは精神の自由、主体性、創造性を重きを置く教育をしてまいりました。しかし、
帰結に対しては自らの責任で甘受できる器となるような教育をしてまいりました」
57:朝まで名無しさん
12/04/28 10:57:20.97 p32TaZPp
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
「肌の色の違いや国境を超える人間に育ってほしい」
紀子さまとテレビの最初のかかわりは6歳のとき。静岡に住む母方の祖母・杉本栄子さん(74)は、当時のことを次のように語ってくれた。
「紀子が両親とともにアメリカへ渡ったのは1歳のときで、戻ってきた6歳のときに、ここで3ヶ月ばかり一緒に暮らしました。
そのころの紀子は、日本語を十分に理解できませんでしたからテレビにはほとんど興味を示しませんでした。
ただ、英語番組のセサミーストリートは喜んで見ていましたね。
弟の舟はテレビの前でそりゃ大騒ぎ。大喜びしてテレビを見てるんです。あまりに喜ぶんで、
和代に聞きましたら、テレビを見せてない、というんです。それであの喜びようが納得できました」
紀子さまのアメリカ生活は1歳から6歳までの5年間。すでに、川嶋家の教育方針は打ち出されていた。
「うちは学者ですから、なんの財産もありません。唯一あるとしたら、アメリカやオーストリアでの貴重な海外生活が財産だと思っています」
と、和代さん。アメリカでは、「肌の色の違いや国境を超える人間に育ってほしい」という思いを込めて、
さまざまな国籍の子供たちが学ぶ公立学校へ、あえて紀子さまを入学させた。アメリカ、オーストリアといった
2度にわたる海外生活で、紀子さまは語学力とともに国際感覚をしっかりと身につけられたようだ。
多方面に積極的に出ていかれる行動力も、ご両親の教育方針によるといって間違いない。
辰彦さんの姉・佐藤豊子さんが語る。
「弟夫婦は、それはそれは紀子と舟を可愛がっておりました。弟は学者で、お金はすべて本に変わってしまいます。
だから、子供に残せるものはないからと、テニス、スキー、乗馬と、いろんなことをやらせていました。
紀子が積極的にいろんなサークルに参加するのを心強く思っていたようです」
テレビだけではなく、塾には通わせず、マンガや雑誌もおかない主義。“まじめで”“礼儀正しく”“温かく”
をモットーに紀子さまを育てたご両親。そこには教育者の家系・川嶋家の血が脈々と流れている。
58:朝まで名無しさん
12/04/28 10:58:06.11 p32TaZPp
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
父・辰彦さんの生活ぶりにも、それははっきりとあわられていた。
「子供のころから人付き合いがよく、人の気をはずさない子でした。外交官になればよかった、と
よくいっていたものです」(佐藤豊子さん)
だれに対しても物腰が極めて丁重で、学生にも人気がある。タバコは吸わず、昨年9月、婚約発表直前に
剃り落した頬ヒゲは個性的なうえに穏やかな雰囲気を漂わせていた。
「紀子には皇族としての責務をしかと自覚し、自覚のもとに自重し、自覚にてらしあわせ両陛下に対して
尊敬申し上げ、礼宮さまのご指導のもとに新しい家庭、宮家の中で、気負うことなく人間性を結実してくれれば
と願っています」
皇室会議でご婚約が正式に決定したその日、辰彦さんの嫁ぐ娘に贈る言葉も、川嶋家の教育方針に
しっかりと裏づけられていた。
59:朝まで名無しさん
12/04/28 10:58:51.67 p32TaZPp
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
■生活は質素に。川嶋家の財産は“家族”そのもの
一方、母・和代さんについて、古くからの友人は、
「とにかく本当に家庭的なんです。布地なんか買って来て、自分のものや紀子さんの洋服を仕立ててますよ。
学生時代から地味で堅実な生き方をする方です」
と、そっと教えてくれた。
まだ、紀子さまと礼宮さまのさわやかな交際が始まって間もなくのころ、
「とんでもない。家柄も格式も全く違います。そんなことあるわけありませんよ」
和代さんは、質素でごくふつうの家庭を強調していた。
学習院大学経済学部教授という社会的地位に比べ、収入は「国家公務員の給与水準よりやや高いぐらい」で、
約800万円ー。
「家族がみんな健康で仲よく暮らしているというのが、環が家庭最大の財産です」
辰彦さんは大学の講義で笑っていたというが、このご両親だからこそ、主体性のある子育てが実行できたのだろう。
和代さんはもちろん“母”としての教育も決して忘れなかった。
「根本的には夫の考え方に賛成ですが、あまりに自由すぎるのもどうかと存じます。私はある程度は規制を持って、
ときどき厳しく娘と接してきました。自分を主張することも大事ですが、人の和も大事であることを理解できる
ような子供にしたいと願ってきました」
その言葉どおり、紀子さまは健やかに成長されていった。
帰国後、日本語にはかなり苦労したが、いつも明るく振る舞い、ハンディキャップを克服。
あのゆっくりと落ち着いたていねいな話し方でもわかるように、かつて紀子さまに
インドネシア語を教えた先生は、「ほかの学生じゃ敬語もろくに話せない」と、留学生の世話を紀子さまに頼んだという。
「学業も優秀でした。心理学の学生はカリキュラムでいろいろな実験をしたり、構内でインタビューしたりするんですが、
そういうことにも実に熱心で積極的でした。とにかく一生懸命している、そういう面が目立つ存在でした」(学習院大学文学部教授)
テニスでは、サーブ1球を打ちこむごとに相手に会釈なさるなど、謙虚な奥ゆかしさも忘れなかった。
60:朝まで名無しさん
12/04/28 10:59:45.41 p32TaZPp
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
■母・和代さんが自ら実践した行動力と頑張りを目標に
礼儀正しく、しとやかで、成績優秀ばかりではない。紀子さまは無類の頑張り屋。このあたりは
母・和代さんに似たのだろうかー。
「礼宮さまとのご婚約が内定してからも、早朝、学習院大学の構内をジョギングする紀子さんの姿が見かけられました。
Tシャツにスウェットパンツ。髪を後ろで束ね、右手に白いタオルを握りしめて黙々と構内を4~5周するんです。
このジョギングは高校時代からずっと続けてるんですからすごいですよね」(女子高等科時代の同級生)
さらに、行動的。母・和代さんは紀子さまの英会話再教育で、次のような一面を見せた。
「帰国後の紀子さんは英会話のチャンスが少なく、それを心配した和代さんは、いい英会話の相手を探そうと
目白駅前へ毎日出かけたんです。そこで、“私は怪しい者ではありません”と前置きして“娘の家庭教師になって
くださいませんか”と話しかけたんです。結局、聖心インターナショナルスクールの方を見つけられて…。
控えめと思われていますけど、いざとなると行動力があるんですね」
と和代さんの高校時代からの知人。
その母を見習って、紀子さまも行動範囲を広げ、ボランティア活動に参加された。高等科時代は、
ハンセン病患者のための募金活動に走り回り、大学時代には、手話を学び、国文学で習った沖縄の『琉歌』を
自分でも詠むようになった。そして、東南アジア青年の船では、琉球舞踊の『貫花』を踊り、周囲の人々を感心させた。
「彼女が福祉関係の話をよくしていたのを覚えています。人助けになるようなことを将来していきたいっていってました。
“青年の船”の写真を見せてくれて、“苦しんでる人を助けてあげたいなあ”って、真剣な表情で話していましたね」(大学時代の友人)
父・辰彦さんとともにヨーロッパへ旅行されたときは、アムステルダムでアンネ・フランクの家を見学して
カルチャーショックを受けられたようだ。
「もっともっと、私たちは世界で起きたことを知らなくっちゃね」
紀子さまの社会への関心は限りなくふくらんでいった。
61:朝まで名無しさん
12/04/28 11:00:35.13 p32TaZPp
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
「大学院では老人の生きがいについて心理的なアプローチをしていました。紀子さんは研究をムダにせず、
しっかり生かしてボランティア的仕事につこうとしていたようです」(大学院の仲間)
音楽でいえば、チターの演奏の腕は素晴らしい。チターとはドイツ南部やオーストリアの民族楽器で
約30本の伴奏用の弦を弾いて奏でる楽器。
演奏歴は和代さん、辰彦さん、紀子さまの順だが、ここでも、
「お母さまが目標よ」と、母親ゆすりの頑張りでめきめきと上達された。
■「動物でも人間でも、手をあげなくても教育はできます」
川嶋家の子育ては、紀子さま同様、弟の舟さんを見てもわかる。
「わからないことがあったら
舟に聞けっていうほどです。全学科の成績が優秀でクラスで1,2番。成績だけではなく、性格もいい。
いつもニコニコしていてとても穏やか。今回のことだって、うちのクラスからも皇族が出るかなあ、なんて
冷やかしたんだけど、ニコニコ笑ってました」
舟さんの学友がそういうように、川嶋家の教育方針は徹底している。
「彼は、中学時代は古武道部にいてマネージャーをしてました。ちゃらちゃらしたり、ふざけたり、
そんな面は全くなく、実に誠実。流行を追うタイプでもありません。たとえば彼の筆箱。青色のカンの
ケースなんですが、たしか小学校のときから使っている物だと思います。実に質素で、ムダ遣いをしませんね」
舟さんもやはり、健やかに育っている。頭脳明晰のみならず、のびのびと明るい性格。
しつけは厳しいが、こうして成長された紀子さまも舟さんも、両親から1度として叩かれたことがない。
「動物でも人間でも、手をあげなくても教育はできます」
という辰彦さんの信念からだ。だからといって甘やかすのではない。紀子さまは一見おっとりしているように見えても
実は頑張り屋で、芯が強い。ここに、川嶋家の独特の教育があるのだろう。
ご両親は、家族同士のふれあいをとても大切にされてきた。お互いを思いやる心を育ててきたともいえる。
“テレビのない家庭”の本当の意義は実はそこにあるのではないだろうか…。川嶋家のご両親の
教育方針には学ぶことばかりである。
62:朝まで名無しさん
12/04/28 11:02:22.58 p32TaZPp
週刊女性 1990年7月?日増刊ムック 礼宮さま紀子さま青春華燭
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
URLリンク(www.yuko2ch.net)
URLリンク(www.yuko2ch.net)
63:朝まで名無しさん
12/04/29 02:36:28.39 O461/MsY
NHKの受信料払うのが嫌で押入れにTV御隠しにしていたことと存じます。
64:朝まで名無しさん
12/04/30 15:30:12.23 GQ4aCM3E
汚我堕ぢゃあるまいし
65:朝まで名無しさん
12/05/04 18:01:25.04 idJYAh8Z
>>63
ちゃんと読め>>56
66:朝まで名無しさん
12/05/05 02:48:39.32 05aMkI+M
次期天皇皇后両陛下
URLリンク(cache.daylife.com)
URLリンク(cache.daylife.com)
URLリンク(cache.daylife.com)
URLリンク(cache.daylife.com)
URLリンク(cache.daylife.com)
URLリンク(cache.daylife.com)
URLリンク(www.yuko2ch.net)
URLリンク(www.yuko2ch.net)
67:朝まで名無しさん
12/05/11 12:43:19.11 /fOaIFOb
age
68:朝まで名無しさん
12/05/12 02:14:30.98 mKpLiF4W
青春華燭物は言いようだ。美辞麗句
69:朝まで名無しさん
12/05/12 08:58:29.28 mKpLiF4W
紀子さま
70:弖十=TEN10(teto)=優多野手頭=野慈蚕=帝跿(徒)=繪痾陋 衛鴉朧
12/05/12 14:01:09.72 wnAaU3KB
φ(゜゜)ノ゜文春!?
71:朝まで名無しさん
12/05/13 18:46:33.99 Am3ufscW
きっこってブロガーが紀子さまdisりしてたよな
妊娠中絶だとか 親父が宮内庁に怒鳴り込んだとか
72:朝まで名無しさん
12/05/13 19:35:05.81 vjgquDS2
本当の事だだから( ´,_ゝ`)プッ
73:朝まで名無しさん
12/05/19 22:51:31.67 czh4Mecq
誰それ
74:朝まで名無しさん
12/05/21 13:11:19.69 +6UNHSyF
う~ん紀子さまかー
あまり女性受けしないのは最初からだね~
皇族になりたくて狙ってたってあの頃皆言ってた(特に女友達)
普通に可愛い子だったけどね。
TVで男性キャスターやらゲストがいつも(^^)ニコニコして可愛い
って言ってたが別の女性ゲスト2人がな~んか嫌われる女のタイプ
って言って、ソレからその2人TVに一切出なくなったの覚えてる。
結構お馴染みのコメンテーターだったけど・・・・・
75:朝まで名無しさん
12/05/21 13:32:07.10 1Rb/ULHS
名前出しなよ。
76:朝まで名無しさん
12/05/21 15:21:38.81 hFMIVBAE
嫌われるんじゃなくて、
性格悪い女から妬まれる。
77:朝まで名無しさん
12/05/21 21:52:43.23 lO1VOoz9
既婚女性板と女性板で紀子様大人気だよ
むしろ皇太子妃の方が嫌われてる
78:朝まで名無しさん
12/05/21 22:03:24.79 +6UNHSyF
名前忘れちゃったんだよ言った人の・・・・
紀子さまは2ちゃんのアイドルです。
79:朝まで名無しさん
12/05/23 17:23:11.86 ViFsHhDH
>>77
既婚女性板と女性板探したけど、紀子さんが大人気のスレなんて1つも無かったよ。
80:朝まで名無しさん
12/05/23 19:40:25.68 s8LvErQT
明日>>1に女性セブンも仲間入りしそうな悪寒
伊勢神宮臨時祭主を巡り美智子さま戸惑わせた紀子さまの「それなら私が!」
◆ 天皇、美智子皇后、エリザベス英女王即位60年記念式典
女性セブン(2012/06/07), 頁:24
81:朝まで名無しさん
12/05/23 21:58:07.38 l8Lyg2er
>>79
皇室御一行様★part2349
スレリンク(ms板)
秋篠宮様・紀子様と親王様・内親王様大好きスレ32章
スレリンク(ms板)
【比較】紀子様vs雅子様90【アンチ雅子様集合】
スレリンク(wom板)
82:朝まで名無しさん
12/05/23 23:56:06.72 nwV8+aPD
>>81
スレリンク(ms板)
スレリンク(wom板)
↑
これ、ほとんどが雅子さまの話題で紀子さまのことなんてほとんど語られてないじゃん。
スレリンク(wom板)
↑
個人ブログの転載ばっかり。
ファン同志の会話とか全然ないし、全く活気のないスレッドですね。
83:朝まで名無しさん
12/05/24 00:20:38.26 UYb+vYoB
いちばん上のは皇室全体のスレだから。
あそこでちょっとでも紀子様の批判めいたこと言ったらフルボッコにされるw
>>80の記事も宮内庁にメールするってさ。
紀子様には鬼女がついてるから怒らせたら怖い怖いw
590 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2012/05/23(水) 20:35:54.62 ID:rsnr9b8P0 [2/3]
>>561>>566>>570>>580
奥様、素晴らしいレポを有難うございます。
今回の新潮は〆まですてきですね。(「対照的なご兄弟の~」)
また祖母達に届けなければ。
紀子さま、本当にお忙しいのに
全てにおいて着実に成果をあげていらっしゃる。
秋篠宮家を東宮体制でバックアップするよう、宮内庁にメールします。
595 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2012/05/23(水) 20:42:49.00 ID:3eB1Bzmq0 [11/13]
三人のお子様を育てながら、公務に、ご自身の研究にと活躍され、
その上、エレガントで美しい外見もキープされている文仁親王妃紀子殿下こそ、働く女性の憧れで鑑。
親王妃で、研究を続けられているのは、紀子さまがはじめてですよね。
まさに「新しい皇室」ですわ。
712 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2012/05/23(水) 23:01:07.50 ID:hu6+8Wex0 [7/8]
あの多忙な紀子さまが「それなら私が!」とおっしゃったなら
私なら泣けるわ。アナタ、働きすぎだわ。ご立派すぎる。
ちょっと休みなさいと。有りがたい人ね。
84:朝まで名無しさん
12/05/25 10:00:33.85 EO56iBJa
>>83
御一行様スレと女性板の比較スレは皇太子一家叩きの道具として秋篠宮家を利用してるだけ。
秋篠宮家には何の関心も愛情もない。
大好きスレに、紀子妃の幼少時のエピや写真が貼られたとき、住民が捏造や加工だと騒いでいたのには呆れた。
噂板のアンチスレ住民の方が秋篠宮家について上記スレの住民よりも数千倍は詳しいな。
85:朝まで名無しさん
12/05/25 11:19:40.30 mWTsmzk0
黒田清子さん務めた伊勢神宮臨時祭主に紀子さま名乗り挙げた
2012.05.25 07:00
URLリンク(www.news-postseven.com)
86:朝まで名無しさん
12/05/26 03:56:53.51 kJ8yO2Np
>>81
二つめのスレ、一般人ブログの転載の上にURLも貼りまくってるけど
許可とってんの?
87:朝まで名無しさん
12/05/26 06:23:25.04 wNY9BK1y
キコの顔が嫌いだ
微笑んでるつもりだろうが口を横に引きすぎてて唇がないじゃん
みんなも鏡に向かってやってみろよ
あまりにも滑稽な顔になって恥ずかしくなるからさ
88:朝まで名無しさん
12/05/26 12:38:32.88 kbBOJfrA
>>87
雅子サマの下品な笑顔がお好きなんですね。わかりますw
89:朝まで名無しさん
12/05/27 22:39:47.79 9lCBTC5J
>>17
> 何しろ異例の出来事なのだという。秋篠宮文仁殿下(31)が誕生日に際しての記者会見で、
>自らの「女性問題」を報じた記事に直接反論されたことが、である。
動画
URLリンク(www.musicasenlinea.com)
90:朝まで名無しさん
12/05/30 23:02:25.89 V5mm2OJr
URLリンク(shukan.bunshun.jp)
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
■紀子さまと雅子さまは本当に仲が悪い?
■悠仁さまはなぜ学習院に通わない?
■美智子さまが目を細める紀子さまの気配り術
■殿下「こだわりファッション」の秘密 ほか
91:朝まで名無しさん
12/05/31 11:32:06.11 qDCyDpM7
>>90
方向転換したのかな。
92:朝まで名無しさん
12/05/31 17:15:14.10 HjxsPYEC
女性自身 2012年6月5日号
雅子さま、紀子さまと<和解の談笑>生んだ美智子さま「愛の呼びかけ」!
URLリンク(www.yuko2ch.net)
93:朝まで名無しさん
12/06/01 09:13:08.68 2RGkIzCK
東宮家の謎は何?ないよね?
94:朝まで名無しさん
12/06/01 10:29:37.33 nUPdSosg
天皇家が只の私人に戻れば問題ない。
公人として、政治が介入するから可笑しな話しになる。
今の天皇は基本的人権も否定された、政治的傀儡。
95:朝まで名無しさん
12/06/01 15:02:57.83 cGZMiO0e
女性自身(2011/09/20)
悠仁さま、紀子さまが励むマスコミ取材への<秘>特訓!
取材1週間前に予行演習も… “未来の天皇”の帝王教育が始まったー
URLリンク(www.yuko2ch.net)
96:朝まで名無しさん
12/06/01 16:49:10.43 cP/bfck/
川嶋辰彦氏のライフワークとなってる
同和問題についての研究はタブーすぎて
さすがの文春も書けないかw
六本木ヒルズの理事にもなってるんだよね
川嶋家は謎が多すぎ
97:朝まで名無しさん
12/06/01 16:58:40.07 OOP8pqde
URLリンク(rnavi.ndl.go.jp)
小和田恒、部落解放同盟系の同和団体で講演。
98:朝まで名無しさん
12/06/01 17:18:33.02 f3AlGEoY
>>90
見出しにない5つめの謎は、
<紀子さまのご実家「川嶋家の人々」はいま?>
だった。
99:朝まで名無しさん
12/06/03 07:13:00.18 Af2EF1sF
友納って元カンキリの愛人?
100:朝まで名無しさん
12/06/03 07:57:42.81 KWEC8tVR
女性自身 2012年6月5日号
■雅子さま、紀子さまと<和解の談笑>生んだ美智子さま「愛の呼びかけ」!
皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは語る。
「天皇陛下のご退院後は、4月10日に御所で両陛下のご成婚記念日をお祝いする夕食会、
4月28日に東宮御所で天皇陛下の喜寿をお祝いする昼食会など、ご家族がそろわれる機会も多かったのです。
特にご成婚記念日夕食会は、通常は東宮御所で行われているのですが、今年は御所で開催されました。
それは、ホステス役を務められる雅子さまのご体調不良も理由の一つだったようです。
しかし、御所に集まるように呼びかけることで、ごきょうだいに絆を想い出させようとする
美智子さまのご配慮もあったのではないでしょうか。
また、美智子さまが両家の関係を心配されていることを知って、雅子さまと紀子さまも“わだかまり解消”を選ばれたようです」
美智子さまのご家族融和を願うお気持ちが、ごきょうだいたちを動かしたのだ。
また5月18日、東宮御所で雅子さまは、皇太子さまとご一緒に、イギリスの名門・オックスフォード大学の
総長夫妻と懇談された。
雅子さまが、対外的なご公務で懇談されたのは実に半年ぶりのこと。両陛下のご訪英中に、
国内でイギリス関係のご公務をされたことになる。
美智子さまのかの地での真摯なお姿が、雅子さまの奮起をうながしたのだろうか。
URLリンク(www.yuko2ch.net)
URLリンク(www.yuko2ch.net)
101:朝まで名無しさん
12/06/04 19:40:28.02 cl0oC1Zh
週刊現代 2012/06/16日号
【スクープレポート】
〈「長男の嫁」と、「お世継ぎの母」―何があったのか〉
雅子妃と紀子妃の「確執」、あるいは力関係の微妙な変化について
表紙
URLリンク(www.zassi.net)
目次
URLリンク(www.zassi.net)
中吊り
URLリンク(www.zassi.net)
102:朝まで名無しさん
12/06/05 17:47:36.16 izkHguOf
紀子さまのルーツは藁葺き屋根の家かどうかより雅子さまのルーツ、特に父方のルーツを探ってみたほうがいいんじゃないの?
皇太子妃の実家なのに3代前が遡れないっておかしいでしょ?
103:朝まで名無しさん
12/06/07 19:49:53.78 f4MR6IA7
さっき喪服の雅子さまTVでみました。なんだ少しお痩せになった?
104:朝まで名無しさん
12/06/10 23:45:18.84 JZ+8Ht9w
テレビ、新聞が報じない! ご懐妊秘話
紀子さま 「第3子決断」と「男の子生み分け」
雅子さま 報われなかった「辛苦」の歳月
(週刊女性 06/2/28)
URLリンク(cdn.theroyalforums.com)
紀子さま・準備されていた男の子のベビーカー-ご出産秘話公開!
(女性セブン 06/9/21)
URLリンク(img341.imageshack.us)
105:朝まで名無しさん
12/06/11 11:58:58.17 YgWT6wjE
皇室って秘話が多いんですね?W
106:朝まで名無しさん
12/06/13 10:28:55.86 K74MQISn
秘話、秘話 秘話 悲話 卑話
テレビ・週刊誌・新聞が報じない喪中の海外行き
107:朝まで名無しさん
12/06/13 18:20:01.76 8tlJcG7N
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる
「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
108:朝まで名無しさん
12/06/14 20:10:43.43 kt89VKHe
紀子とその母親の性格ばれて、うれしい。
109:朝まで名無しさん
12/06/14 23:01:26.74 QjIZ0IZT
雅子さまは層化の方?
神道儀式はすべてボイコット?
110:朝まで名無しさん
12/06/17 01:48:14.33 JwPFc0al
■ 東宮家と秋篠宮家両夫妻 確執報道渦中に笑顔で公の場に登場
URLリンク(www.news-postseven.com)
URLリンク(www.news-postseven.com)
URLリンク(megalodon.jp)
URLリンク(megalodon.jp)
111:朝まで名無しさん
12/06/18 15:49:38.97 WvKORlZx
週刊文春 2012年4月5日号
雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤
URLリンク(www.yuko2ch.net)
112:朝まで名無しさん
12/06/21 22:59:36.55 9bdWL3Vb
ウガンダで「ティラピア」に舌鼓打たれた「秋篠宮」ご夫妻
◆ 秋篠宮文仁親王、紀子妃、ウガンダ訪問、ティラピア
週刊新潮(2012/06/28), 頁:138
113:朝まで名無しさん
12/06/25 16:18:56.27 fZHa+1h8
>舌鼓打たれた「秋篠宮」ご夫妻
舌鼓 って単語きいたことあるよね。
愛子ちゃんが深夜の六本木のレストランで「イタリアンに舌鼓」ってすぐ思い出した。
私ら普段舌鼓って単語を使うか?
私は愛子ちゃんのあの記事以来数年間みたことも聞いたこともない。
このグルメ満載時代に この 舌鼓って単語を使った記事を読んだことがない。
数年ぶりに目にした、と思えば秋家の記事だ。
語彙の豊富なプロのライターなら今はもっと別な単語を使うよ。
舌鼓って下品風味ただよう単語だし 行為そのものはもっと下品。
皇族が人前で舌を打つなぞありえない。下町の八つあんならとにかくね。
つーことで この記事を書いてる奴は
愛子ちゃんを書いた奴と同じ奴だと思う。
舌鼓を打つということが下品風味が漂うと知らずに書いて、
当時ご一行で叩かれた、日本語感が狂った人間=ノンネィティブ?
新潮だけは皇室記事に硬派な立場を貫いてるとおもっていたけど
どうやらここも篭絡された模様。
(記事をちゃんと読まないとなんともいえないが 題だけだとチョイとね)
114:朝まで名無しさん
12/06/27 20:16:02.71 XxXlAd9F
週刊文春 2012年7月5日号
URLリンク(shukan.ismedia-deliver.jp)
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
115:朝まで名無しさん
12/06/27 20:30:53.36 JoACWVLR
>>113
ハァ……………?
116:朝まで名無しさん
12/06/27 21:11:29.89 eatTllqq
>>115
皇太子とお忍びで寿司屋に行ったマサコ妃は、
2人前をペロリとたいらげた。好物はサーモン。
こんな記事が最近あったけど、妃がペロリとたいらげたり、
好物のサーモンがあるってどんな安物店? ヒョッとして回転?
117:朝まで名無しさん
12/06/28 15:50:37.84 Z8CUB8od
>>113
>普段舌鼓って単語を使うか?
舌鼓は普段食べるような物に対して使わないのでは
それにそのまま音を意味する言葉ではありませんよ
118:朝まで名無しさん
12/06/28 20:47:41.12 yBdgLi5p
週刊新潮 2012年6月28日号
ウガンダで「ティラピア」に舌鼓を打たれた「秋篠宮」ご夫妻
「ご訪問は成功だったようです。中国が幅を利かせるアフリカに皇族が行かれたというのは、誠に意義深い」
と宮内庁担当記者が話す、秋篠宮ご夫妻のウガンダ訪問。同国との国交樹立50周年を記念して招かれたのだが、
ご夫妻は長旅の疲れを一切見せることなく、赤道直下の国での4日間の日程を精力的にこなされた。
6月12日に首都カンパラに到着されたご夫妻は夕刻、現地で活動する青年海外協力隊やシニア海外ボランティア、
技術協力の専門家など日本人約50名と、2時間に亘り懇談された。
翌13日は、稲研究・研修センター、エイズ遺児の施設「あしながウガンダ」を視察された後、ムセベニ大統領と会見。
夜は大統領主催の晩餐会に出席された。
「メインディッシュはナイルの淡水魚”ティラピア”のソテー。付け合せに当地の主食”マトケ”(食用の甘くないバナナ)が供されました。」
(JICAウガンダ事務所長の関徹男さん)
殿下はスピーチで、ウガンダの国鳥”カンムリヅル”について言及。日本もツルは縁起の良い鳥とし、両国の共通点を強調された。
「殿下はそのカンムリヅルをどうしてもご覧になりたかったようです。」(同)
14日はカンパラから東へ80キロの町ジンジャへ。円借款でナイル川に建設される斜張橋の定礎式に出席された(写真)ご夫妻は、
ボートでナイル源流も視察される。「野鳥に強い関心をお持ちで、”カワセミを見ることができた”と」(同)
最終日は野生生物教育センターをご訪問。体長3メートルのニシキヘビを抱えたりと、予定の時間を押して熱心に見学された殿下だったが、
「カンムリヅルを間近にご覧になったのです。”関さん、思いが叶いました”とおっしゃいました。」(同)
友好親善はもちろん、”生物好き”のご夫妻にとって有意義だったご訪問を終え、17日に無事帰国されたのだった――。
119:朝まで名無しさん
12/06/28 20:50:11.83 yBdgLi5p
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
■紀子さまと雅子さまは本当に仲が悪い?
「いま、紀子さまと雅子さまが直接、連絡を取り合うようなことはありません。
それは皇室として嘆かわしいことで、両親のお立場として、天皇皇后両陛下もお悩みだと思います。
東宮ご一家と秋篠宮ご一家には、ぜひ協力して次世代の皇室を担っていってほしいという思いがあるのです。
でも空港でのお見送りには雅子さまが出られてよかった。短い時間でもタラップの下で、
皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻が四人並んで笑顔でお話しされていたのは素晴らしい光景だと思いました」(千代田関係者)
二月の心臓手術など心配のタネが尽きない平成皇室にあって、天皇を支え、存在感を増している秋篠宮家。
注目されるのは東宮家とのご交流であり、二人の妃殿下の仲だ。
「皇太子同妃両殿下のところとの交流については、残念ながらそれほど多くはありません」
昨年の誕生日会見で、秋篠宮はこう述べられたが、その状態は今でもあまり変わりないようだ。
それには雅子さまのご病状が深く関係している。
「今年三月、眞子さまの成人を祝う夕食会が開かれ、天皇皇后両陛下、常陸宮ご夫妻らが
出席されましたが、雅子さまは欠席されました。雅子さまご自身の“ご体調の波”もあり、
なかなか積極的にご親交の場に顔を出すのも難しいようなのです」(宮内庁関係者)
心臓手術を受けられた天皇を真っ先に出迎えられたのも秋篠宮ご夫妻と悠仁さま、黒田清子さんご夫妻だった。
皇太子ご夫妻は合流されなかった。
「皇太子ご夫妻が参内される予定もあったのですが、その頃の雅子さまのご体調は“最悪”でした。
リズムを崩され、昼夜逆転の生活をなさっていた中で断念されたのかもしれません」(東宮職関係者)
そんな中で起きたのが、三月二十六日の「三の丸尚蔵館ニアミス事件」だった。
「皇太子ご夫妻はその日、リハビリ中の両陛下をお見舞いされ、両陛下とご昼餐をご一緒されました。
退院後の陛下を雅子さまがお見舞いされたのは、それが初めてです。その中でお話が出たのでしょうか、
ご昼餐後にご夫妻は皇居内の三の丸尚蔵館にいらしたのです」(宮内庁担当記者)
120:朝まで名無しさん
12/06/28 20:50:49.91 yBdgLi5p
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
当時、三の丸尚蔵館では『皇后陛下喜寿記念特別展』という、皇后の「ご養蚕」に関する展覧会が開催されていた。
しかし、その日はもともと、秋篠宮ご一家がこの展覧会にいらっしゃる予定だったのだ。
「ひょっとして両家が合流され、特別展を鑑賞することもあるのでは、とも囁かれましたが、結局、
秋篠宮家がいらっしゃる二十分前に皇太子ご夫妻は帰ってしまわれた。
やはり雅子さまにとっては、そういったご交流もおご負担なのかもしれません」(同前)
その後も、四月の天皇皇后の葉山ご静養に、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは合流されたが、
皇太子ご一家はその間、東京に残られた。
別の宮内庁関係者はこう解説する。
「紀子さまと雅子さまの仲は決して悪いということではありません。
紀子さまは兄宮を立てないといけないという強い思いをお持ちです。ただ、ご病気の雅子さまとの接し方は
なかなか難しいものがあるようです。
一方で、手術を終えたばかりの陛下と皇后さまを自分がお支えしなければならないという思いも一層強くされている。
陛下のお見舞いも目立たぬようにされています」
そのご努力には並々ならぬものがあるという。
■悠仁さまはなぜ学習院に通わない?
四月のある土曜日、千葉県の鴨川シーワールドに秋篠宮ご夫妻といらっしゃった悠仁さま。
「目の前まで水しぶきがかかる迫力あるシャチのショーに少し驚いた様子を見せていたのが、
とてもかわいらしかったです」(その場に居合わせた客)
悠仁さまは現在、東京都文京区のお茶ノ水女子大学付属幼稚園の年長さん。砂場遊びがお好きで
他の園児からは「ひさひとくん」と呼ばれているという。
来年には小学校に進学される悠仁さまだが、愛子さまが通われている学習院初等科という選択もあるのだろうか。
宮内庁担当記者が話す。
「皇族といえば学習院、という周囲の予想を裏切って、お茶の水へ入園されたので、現在でも
初等科関係者は『なぜお茶の水なのか』と思っているようです」
121:朝まで名無しさん
12/06/28 20:51:19.96 yBdgLi5p
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
初等科では来年の入学試験の準備が始まったところだが、
「お茶の水女子大付属小学校でほぼ決定のようです。内部試験を経て進学される。
ただ、どのみちお茶ノ水は高校からは女子高ですから、その時点で学習院を選ばれる可能性が
高いのではないでしょうか。
そもそも秋篠宮ご夫妻がお茶の水幼稚園をお選びになったのは、早い時期から同年代の子どもたちとの
社会生活を体験させるために三年保育を希望されたから。また、殿下ご自身が大学に進学された際、
学びたいと考えていた生物の研究をする学部が当時はなかったということもあって、悠仁さまの選択の幅を
狭めないという配慮をされたのかもしれません」(同前)
子供たちの教育方針について、かつて秋篠宮はこう述べられたことがある。
〈自分の今いる立場の認識をしていってもらいたい。それ以外については自分の関心のあることを深めていってもらえればよい〉
そして将来、天皇になられる悠仁さまには、帝王教育の問題が付いて回る。
所功氏(モラロジー研究所教授)が解説する。
「悠仁さまも中学ご入学前後になられたら、皇位を担う立場と役割のお心得を学ばれることが必要でしょう。
それは、皇室が国家・国民のために公的な存在としてあることを自覚し、常に私よりも公を優先される心構えです」
皇太子は初等科一年生から「論語」の修養を積まれたが、何より帝王教育の“生きた教科書”は、
天皇の日常的な言動。秋篠宮はそれを実践されている。
「秋篠宮殿下は、図書館で学べる知識より実際に両陛下のお姿を見せることが大事だとお考えです。
そのため機会を見つけては参内し、両陛下とご一緒に食事など召し上がるのです」(前出・宮内庁関係者)
■美智子さまが目を細める紀子さまの気配り術
「最近の秋篠宮妃殿下を見ていると、美智子皇后が力を入れてらっしゃるお仕事について、
よく勉強されているなと感じることが増えました」(宮内庁関係者)
122:朝まで名無しさん
12/06/28 20:51:55.01 yBdgLi5p
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
ベテラン皇室ンジャーナリストは、その原点についてこんな指摘をする。
「紀子さまは、ご婚約当初から皇室になじもうと懸命に努力されていました。
例えば、婚約後に宮内庁を通じて『皇室アルバム』のビデオを取寄せてご覧になっていたそうです。
そのビデオから、美智子さまのひと言ずつを大事にゆっくり話されるお話しの仕方や、
国民との対話のご様子を学ばれていったのでしょう」
美智子さまを範として歩まれる紀子さまの思いは、娘の眞子さま、佳子さまにも受け継がれている。
その一つが養蚕である。
千代田関係者が明かす。
「養蚕は、皇后さまが熱心に取り組まれている重要な行事の一つで、昭憲皇太后以来、
歴代の皇后に継承されています。皇后さまもお忙しいご公務の間を縫って皇居内の紅葉山御養蚕所にお通いになって、
日本古来の『小石丸』という品種をお育てになっています。秋篠宮家のお子さまは、給桑という桑を蚕に与える作業を
お手伝いになるなど、養蚕の技術を熱心に学ばれています」
その様子が、初等科時代の眞子さまに美智子さまが送られた手紙から窺える。
「手紙の中で美智子さまは『おととし眞子ちゃんは、このまゆかきの仕事をずいぶん長い時間てつだって下さり、
ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました』、『また、今年もできましたらお母様と佳子ちゃんと
おてつだいにいらして下さい』と書かれています。養蚕のお手伝いをされる眞子さまを見て、目を細めてらっしゃる
美智子さまの様子が伝わってきます」(同前)
紀子さまは、美智子さまのご公務も支えている。
「日本赤十字社の役職として、美智子さまは名誉総裁、紀子さまは名誉副総裁でいらっしゃいます。
つい先日も紀子さまは、美智子さま、常陸宮妃華子さま、高円宮妃久子さまと共に全国赤十字大会に出席されました。
有功章を授与される美智子さまのお隣で、紀子さまは終始にこやかにされていました。雅子さまも名誉副総裁なのですが、
ご病気になられてからは赤十字の活動から遠ざかっています」(宮内庁担当記者)
紀子さまはその他にも児童書への関心や、手話への取組み、戦争被害を受けた沖縄への思いなど、
多くの分野で美智子さまに学ぼうとされている。
123:朝まで名無しさん
12/06/28 20:52:33.17 yBdgLi5p
週刊文春 2012年6月7日号
■殿下の「こだわりファッション」の秘密
「秋篠宮殿下のスーツのスタイルは独特なんです。十年前からそのスタイルにお変りはありません」
こう話すのは、スーツを仕立てて二十五年余りになるという萬里小路和久氏。主に秋篠宮が
公務でお召しになるスーツのオーダーメイドをしている。萬里小路和久氏によると、
秋篠宮のお好みのスタイルは、
「お召しになっていてストレスのないもの。体にぴったりしたものや窮屈なもの、重い素材は避けられます。
一日中公務で座っていらしても、しわになりにくいものをお求めになります」
たまに流行のデザインやファッション誌に載るような仕立てを提案しても、
「これは僕のスタイルではないから」
とお断りになるという。悠門の内容も、あるスーツが一着傷むと、同じような素材・色のスーツをオーダーなさるという。
独身時代は黄色いフォルクスワーゲンにサングラス、口ひげにブレスレットといった派手なファッションが
話題にもなったが、最近は筆頭宮家の当主として、華美に見えないファッションを心掛けていらっしゃるようだ。
質素なスタイルは紀子さまも同じ。
「宮邸の中では、Gパンで悠仁さまを追っかけまわしています」(宮内庁関係者)
ある皇室関係者もこう補足する。
「妃殿下は特別な日でも自分でお化粧をなさいます。マスカラなどほとんど使わないナチュラルメイクなのですが、
それは秋篠宮殿下が『なるべく自然のままで』というお考えだからだそうです」
ファッションと言えば、髪型も気になるところ。秋篠宮は一昨年から白髪を黒く染められている。
自然体がお好みの秋篠宮からすると、意外にも思えるが、
「悠仁さまが『どうしてお父様の髪だけ白いの』とおっしゃったのがきっかけだという話もあります」(宮内庁担当記者)
紀子さまのショートヘアについても、秋篠宮家の関係者が話す。
「ご結婚の頃のロングヘアもとてもお似合いでしたが、ご公務と三人のお子さまの子育てを両立なさるという
多忙な日々ですので、ショートになさったのでしょう。お手入れもしやすいですし、お着物をお召しになる際にも
セットが楽なのがよいのでしょう」
秋篠宮ご夫妻のファッションやヘアスタイルには、公務や子育てに対するご姿勢が表れているのだ。
124:朝まで名無しさん
12/06/28 20:53:32.61 yBdgLi5p
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
■紀子さまのご実家「川嶋家の人々」はいま?
1990年のご結婚当時、「3LDKのプリンセス」として世間の話題をさらった紀子さま。世間の関心は
紀子さまの家族にも及んだが、最近はどのように過ごされているのだろうか。
紀子さまの父親である川嶋辰彦氏は当時、学習院大学経済学部だった。
「経済学部の教授としては、昨年三月に七十歳の定年を迎えて退職されています。今は同大学の名誉教授です」(学習院大学関係者)
辰彦氏はGONGOVA(草の根国際協力研修プログラム)の責任者でもある。
「日本とタイの大学生を中心にした、ボランティアの教育と実践をするプログラムで、川嶋氏は何度もタイの僻地を訪問し、
学生からタツと呼ばれて親しまれています。教授退陣後、大学内の団体から任意団体のNGOになりましたが、
お変わりなく活動は続けていらっしゃいます」(同前)
日本タイクラブ関係者が語る。
「今年の二月、日本タイクラブのフォーラムで基調講演をされました。非常にお元気そうで、
タイのことをにこにこしながら語ってらした。音がテーマのフォーラムだったのですが、パネリストとして
お話しいただいた際も、タイの村の中で聞こえてくる音や、動物の鳴き声について独特の表現で話されていました」
紀子さまの弟の川嶋舟さんは現在、東京農業大学バイオセラピー学科の講師を務めており、
2006年に福島県相馬市出身の女性と結婚している。
「東日本大震災の発生時には、常磐線に乗って相馬市に向かっていて、津波から間一髪で逃げられたそうです。
震災後は物資を運ぶボランティアに取り組まれ、奥さんの実家でもある相馬中村神社にも協力を仰いだと聞いています。
被災者の心のケアにも取り組まれていて、被災した子供たちをキャンプに連れていき野外活動をしています。
そこでは、専門の動物介在療法を活用されているそうです」(相馬市関係者)
母の和代さんは、陰で紀子さまを支えている。
「紀子さまにご公務があるときなど、悠仁さまの幼稚園の送り迎えをなさっているようです」(知人)
125:朝まで名無しさん
12/07/02 12:41:48.47 bP77JakY
週刊新潮 2012.5.31号
お魚にもご挨拶する「悠仁親王」-未来のお世継ぎ候補!
女王の即位60年を祝う昼食会に招かれた世界各国の王族のうち、59年前の戴冠式にも列席していた
のは、天皇陛下とベルギー国王の2人だけである。
それだけに陛下は、今回の訪英には格別な感慨をお持ちだったという。
「到着された日の陛下は、時差もあって幾分お疲れの様子でしたが、随行員がご体調を気遣って
移動の折々でお声掛けすると『ありがとう、大丈夫です』と仰り、きびきびと動かれていました。
18日の午餐会ではシャンパンを飲まれ、円卓では女王の隣の席で、羊肉やアスパラガスのお料理、
デザートにチーズをお召し上がりました。会では、大震災のため皇太子さまが結婚式への参列を見送った、
ウィリアム王子とキャサリン妃が陛下に近づいて、歓談する場面もあったようです」(同行した記者)
両陛下は20日昼、羽田空港に到着。お留守の間、国事行為を代行された皇太子さまをはじめ雅子妃、
そして秋篠宮ご夫妻らが出迎えられた。
本誌は先週号で、雅子妃と紀子妃との間に横たわる深い”溝”、すなわち2月に入院された陛下の
お見舞いの「順序」をめぐる小さな衝突が、その後、確執へと転じていった経緯について報じた。
訪英を果たされ、健康面の不安は払拭されたものの、両陛下にとっては新たなご心痛の芽が生じて
しまった格好である。
そして実は、その“火種”となった雅子妃が、両陛下ご出発時、従来の「問題」を再認識せざるを得ない
状況に陥っていたというのだ。宮内庁担当記者が言う。
「ご出発の16日午前、最後に滑走路でお見送りされた際には、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻は並んで
手を振られていました。この時は雅子さまも柔和な表情で、満面に笑みを湛えられていたのですが…」
問題は、この少し前に空港で催されていた「出発行事」であった。
「専用機が出発する滑走路の前には、戸建ての貴賓室が設えられています。こちらのホールでは、
皇族方や衆参両院議長ら列席の中、君が代の演奏に続いて野田総理がお見送りの言葉を述べ、
陛下が出発のご挨拶をなさるセレモニーが行われていました。ですが、およそ30人が臨んだこの行事に、
雅子さまのお姿はありませんでした。
126:朝まで名無しさん
12/07/02 12:45:14.59 bP77JakY
週刊新潮 2012.5.31号
お魚にもご挨拶する「悠仁親王」-未来のお世継ぎ候補!
行事には、あらかじめ出席の意向を示されていたのですが、前日の夕刻になって宮内庁記者会に
『予定変更』との発表文が配られたのです」(同)
これまで行事の際に度々みられた“ドタキャン”が、今回もまた繰り返されたというのだ。
さる宮内庁関係者によれば、
「妃殿下はその行事の間、ホールの横にある控室で待機なさっており、ご搭乗の直前に皇族方と合流され、
離陸を見守ったのです」
その2日後、18日には来日したオックスフォード大学の総長夫妻と懇談。雅子妃の対外的な公務での懇談は、
昨年11月のベトナム駐日大使夫妻との面会以来、実に半年振りのことである。
「これを受け、妃殿下のご体調に好転の兆しと捉える向きもありますが、早計に過ぎます。過去のケースに
照らしても一目瞭然で、07年に両陛下が欧州を歴訪された際、また09年にカナダと米国を訪問された際も、
妃殿下は最後のお見送りはなさったものの、貴賓室での行事にはいずれも欠席されています」(同)
皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、こう言うのだ、
「歌会始の儀のように、大勢に対面され、また限られた空間でカメラを正面から向けられるような形は、
いまだ妃殿下におかれてはご負担の度合いが強過ぎるのでしょう」
その雅子妃との間で、今回思わぬ軋轢が明るみに出たのが秋篠宮紀子妃である。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、
「現在、陛下を中心にして22人の皇族全体が協力して皇室を成立させています。その中で陛下のご公務を軽減し、
他の皇族に分担して頂こうというのが宮内庁の考え方です」
と前置きしながら、秋篠宮家のご負担について、こう指摘する。
「公務を分けるといっても、高齢や病気などの事情もあり、各宮家には限度がある。特に東宮の場合、皇太子さまは
国事行為を代行せねばならず、また現状ではご夫妻が揃って海外のお客様をお迎えするなどは難しい状況です。
ご夫妻で日本を訪れた公賓や国賓をお一人で迎えるのは、公平を旨とする接遇という観点からも具合が悪い。
そうした場では、ご夫妻がともに若くて健康な秋篠宮家の比重が、どうしても増していくのです」
127:朝まで名無しさん
12/07/02 12:47:39.48 bP77JakY
週刊新潮 2012.5.31号
「日常のご公務をこなしつつ、皇位継承順位が高いとはいえまだ5歳の悠仁さまを抱えて
おられるわけです。現在の仕事量から察するに、紀子さまにとっては心理的な面からも、
さぞ大変であろうことは容易に想像できます」
そのお暮しについて、皇室ジャーナリストの高清水有子氏は、次のように明かすのだ。
「ご多忙を極める中、紀子さまは近頃、手話のほか点字の勉強もなさっています。また、
ご公務に差し障りのない限り、悠仁さまの幼稚園の送り迎えや行事にも参加されているのです」
寸暇を惜しむ母を、時には眞子さまと佳子さまが手助けされることもあるという。
「お二人とも幼い頃から、忙しいご両親の姿を見ておられます。成長された今、例えば
紀子さまがお疲れの様子の時に、肩を揉んで気遣われることもあります。
また両殿下のご不在時には、ご両親に代わって悠仁さまの面倒を見たりなさっています」
さらに続けて、
「こうした眞子さまと佳子さまの内親王としての心構えは、実は黒田清子さんから色々と
学ばれたことなのです。お二人が幼い頃、両殿下がお留守の時に寂しい思いをしないようにと、
“叔母様”として清子さんが宮邸にいらっしゃって一緒に過ごされたことが度々あったといいます。
かつて受けた心配りを、今度はお二人が、弟君に対してなさっているわけなのです」
秋篠宮家の創設以来、取材を重ねている高清水氏は、そうした環境で育まれた悠仁さまの
ご成長を目の当たりにしてきたという。
「秋篠宮家では、人に会ったり何かして貰ったりした時には、きちんと『ごきげんよう』
『ありがとう』とご挨拶することが、日頃からごく当たり前になっているので、
悠仁さまは家の外の人にも、屈託なくご挨拶なさいます」
また周りのご家族と同じく、悠仁さまもまた、生き物が大層お好きであり、こうしたことから、
おのずと慈しみの心が涵養されていったという。
「宮邸の水槽では珍しい魚や、アズマニシキやオランダシシガシラといった
立派な金魚まで飼育されていて、それらの魚や庭の草花にまで、3人のお子様方が
小さい頃には『おはよう』『おやすみなさい』と話しかけてらしたのです。
悠仁さまは動物園や水族館でも、生き物を見れば『こんにちは』と挨拶されているくらいです」
128:朝まで名無しさん
12/07/02 12:49:50.73 bP77JakY
週刊新潮 2012.5.31号
お魚にもご挨拶する「悠仁親王」-未来のお世継ぎ候補!
実際に4月7日、ご両親とともに鴨川シーワールドを訪問された悠仁さまは、
ウミガメを前に「どのくらいの大きさですか」などとご質問。秋篠宮さまが「ゆうゆう(ご家庭での愛称)
より大きいよ」とお応えになる一幕もあり、この時もやはり手渡された子ガメに「こんにちは」と
話しかけられたという。
魚や草花にまでとなれば、ご挨拶がいささか丁寧に過ぎる感がなきにしもあらずだが、
ともかくも妃の長期療養という“宿題”を10年近くも抱えている東宮家に比して、来年は小学校に
入学される「お世継ぎ候補」を擁する筆頭宮家は、目下のところ順風満帆のようである。
そんな折も折、羽毛田信吾長官と金澤一郎皇室医務主管という、いずれも70歳の宮内庁最高幹部が
揃って退任することになった。
前出の山下氏が言う。
「特別職には正式な定年がありわけではありませんが、職務遂行の継続性という観点から、
70歳で職を退くというのがこれまでの慣例とされてきました。退任が6月1日付であるのは、
陛下の心臓バイパス手術後の経過を見届け、訪英も無事終えられたからだと考えられます」
また、先の神田氏は、
「7年前の就任直後から、羽毛田長官は官公庁を回って、陛下に対するお出ましの要望を
減らしてほしいと働きかけるなど『ご公務軽減』に積極的に取り組んできましたが、
実際には外国関連のものを含め、その数自体は増加するばかりでした。されに、懸案となっている
女性宮家の問題も、自ら旗振り役を担いながら道半ばで退任するわけですから、その胸中には
さまざまな思いが去来していることでしょう」
仕える側は古希をもってお役御免になるというのに、78歳の陛下と1歳下の皇后さまには、
依然ご公務が目白押しである。
ともに次世代を担いつつも対照的に映るご兄弟の一家は、将来の皇室にどのような模様を
織りなしていくのだろうか。
129:朝まで名無しさん
12/07/03 16:55:51.43 HS8FpXlE
週刊文春 2012年4月5日号<雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤>
このところ医療界の一部では穏やかではない推測が出回っている。
「天皇陛下の術後のご様子が思わしくない。胸水があれほど溜まるというのはどうか。
心膜切開後症候群も疑われるのではないか」
たしかに天皇のご快復が芳しくないことは、金沢一郎皇室医務主管も、退院直後の
レクでこう述べていた。
「食欲も十分でありませんし、低蛋白血症、胸水貯留は満足できる段階ではない。
術後の経過は順調である、と単純には言えない」
胸水貯留については、震災追悼式の前に、穿刺治療により右胸から約一リットルを
抜いたが、左胸には約八百ミリリットルもの胸水が残っていたという。
「ようやく二十日に穿刺治療が行われ、胸水を抜かれたのですが、今回は両胸から
約一千四百ミリリットルも抜かれたと聞き、驚くと共に本当にお辛かったのだろうと
非常に心配になりました」(宮内庁関係者)
この医療界の“噂”について、亀田メディカルセンターの外山雅章心臓血管外科部長は
こう説明する。
「今回のようなオフポンプ冠動脈バイパス術の術中術後に胸水が貯留することは極めて稀で
特別な状況がなければ、まずあり得ないことです。しかし、陛下のご病状を今まで間近で見て
きたわけではないので一般論でしか言えませんが、宮内庁の発表からは心膜切開後症候群を
疑うような情報はない。ただ一定の安静度を保って経過観察が必要でしょう」
小誌では、他にも複数を高名な専門医に聞いたが、発表内容の限りでは、「予後に強い
不安があるとはいえない」という。
そして天皇はいまリハビリに精を出されている。前出の宮内庁関係者によれば、
「胸水を抜いたのが良かったのか、いまでは日に三回もリハビリの運動をなさっています。
その一部には、東大病院からリハビリトレーニングの専門家が付き添っているそうです。
公務復帰に向けて、必死に努力されている陛下を支えるもの皆が、また必死でお支え
しているという状況です」
130:朝まで名無しさん
12/07/03 16:56:36.22 HS8FpXlE
週刊文春 2012年4月5日号<雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤>
三月中は皇太子が国事行為の臨時代行を務められるが、四月には園遊会、五月には宮城
での国際会議ご臨席、植樹祭、英国ご訪問などが控える。
そんな中、雅子さまの天皇お見舞いがようやく実現した。天皇のご退院から約二十日後の
三月二十六日のことだ。天皇が退院された当日、秋篠宮ご夫妻は皇居・御所でお迎えし、
翌日にもお見舞いをされた。だが、一方の皇太子ご夫妻の、退院後のお見舞いはなかなか
叶わなかった。
宮内庁担当記者が話す。
「今回も当日まで、参内されるかどうかは微妙でした。ふだんは雅子さまのご体調について、
ほとんど公表しない東宮大夫が、この二週の定例会見では『ご体調の波がおあり』とか、
『かなりすぐれない時がある』と述べていた。これは明らかに予防線。万が一お見舞いに
行くことが出来なくても『ご体調が悪いせいですよ』という言い訳が立つように、事前に
わざわざ公表したのでしょう」
ただし、雅子さまのご体調が芳しくないのは事実のようだ。小誌でも前号、前々号で報じて
きたが、現在でもその“ドン底”の状態は続いているという。
東宮職関係者が話す。
「妃殿下の“昼夜逆転”の生活は相変わらずです。深夜まで起きていらっしゃるからか、
朝食を召し上がらない日もある。ただ、それでもお見舞いの直前には少しよくなられたようです。
妃殿下は心理的なプレッシャーからか、予定を決めるとその日、その時間が近づくにつれ、
ご体調を崩されるという傾向がおありです。それでも今回お見舞いにいらっしゃることが
出来たのは、妃殿下が慎重に体調管理に務められたからでしょう。直前のご予定も取り止め
られましたし」
お見舞いの二日前には、眞子さまの「成年のお祝」の行事が赤坂御用地の東邸で行われたが、
雅子様は欠席されている。眞子さまは昨年十月に二十歳になられたが、東日本大震災への配慮もあり、
この内宴は延期されていたという。
「当初は雅子さまも出席される方向で検討されていました。手術後の天皇陛下、皇后陛下に加え、
翌日にはトンガを訪問されるお忙しい常陸宮ご夫妻も出席されるということでしたから、
できるだけ行きたいとお考えになられていらはずです。
131:朝まで名無しさん
12/07/03 16:57:09.97 HS8FpXlE
週刊文春 2012年4月5日号<雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤>
しかし、もし出られたらお疲れが溜まり、お見舞いにはいらっしゃれないということも起こりうる。
“万全”を期すために欠席されたのです」(同前)
当日、半蔵門を通られた際の雅子さまは、朗らかな笑顔を見せられていた。車の窓を開け、
少し強張った表情ではあるものの、沿道の国民に対し、にこやかにお手を振り続けられた。
その日、皇太子ご夫妻は天皇皇后と昼餐をご一緒された後、皇居内にある三の丸尚蔵館を訪れられ、
「皇后陛下喜寿記念特別展 紅葉山後養蚕所と正倉院裂復元のその後」をご覧になった。皇后の
御養蚕に関する展覧会だ。前出・宮内庁担当記者が話す。
「おそらく両陛下とのご昼餐のなかで、見に行かれることになったのでしょう。ただ、この日はもともと、
秋篠宮ご一家がこの展覧会にいらっしゃる予定だったので、一時は両家が合流されるのではないかとも
思われました。ですが、結局、秋篠宮ご一家がいらっしゃる二十分前に皇太子ご夫妻は帰られました」
皇室における御養蚕の歴史は古い。一度途絶えていたものを明治になって昭憲皇太后が復活させて以来、
歴代の皇后に継承されている。千代田関係者が話す。
「皇后さまは、御養蚕にそれは熱心に取り組んでおられます。毎年の御養蚕は、皇后さまが養蚕の神に
拝礼される『御養蚕の儀』という儀式に始まって、お忙しいご公務の合間に、皇后さまは何度も御養蚕所に
足を運ばれ、作務衣姿で作業をなさっています。そして、とれた絹糸と真綿を神様にお供えし、
『御養蚕納の儀』を執り行われ、その年の御養蚕が終わるのです」
御養蚕は皇后がなさる重要な行事のひとつなのだ。
「この伝統を、もちろん雅子さまにも受け継いでいってもらいたい、というお気持ちは強いでしょう。
しかし、実際に御養蚕の伝統をより熱心に学ばれているのは、将来皇后になられる雅子さまではなく、
紀子さまとお子様たちです。給桑などの作業を手伝われたりもされています。
今回の展覧会でも、紀子さまはそのお取組みを眞子さまや佳子さまにも積極的に学ばせていました。
去年も、皇后さまからいただいた『ヤママユ』という種の蚕を、虫の好きな悠仁さまがマテバシイという
木の葉を与えて育てられたそうです」(同前)
132:朝まで名無しさん
12/07/03 16:57:42.11 HS8FpXlE
週刊文春 2012年4月5日号<雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤>
この展覧会の図録には、皇后が初等科三年生だった眞子さまに宛てられた、御養蚕について綴られた
こんな手紙が掲載されている。
<おととし眞子ちゃんはこのまゆかきの仕事をずいぶん長い時間手伝って下さり、ばあばは眞子ちゃんは
たいそうはたらき者だと思いました>
千代田関係者が続ける。
「その図録を、紀子さまは悠仁さまに見せながらご説明されていました。悠仁さまは様々な種類の繭を見て
『これは何て名前なの?』とか、皇后さまが作られた絹糸で復元された正倉院の“地獄絵”を見て、『なんで
火をつけてるの?』と可愛らしい質問をされていました。御養蚕の素晴らしさをお子様たちが知ることを、
皇后さまも喜ばれているに違いありません。紀子さまは皇后さまのなさりようを本当によく学ばれています」
三月九日、皇后は板橋区立美術館で開催された「安野光雅の絵本展」を観覧されたが、じつは紀子さまも
その六日後に“非公式”においでになっている。
板橋区立美術館長の安村敏信氏が語る。
「皇后さまのご著書『橋をかける』『バーゼルより』などの装画として描かれた原画三点などが展示されました。
皇后さまにとって、思い出深い画ばかりですから、行きつ戻りつしながら、数十分かけてご覧になっていました」
後日いらした紀子さまも一つひとつを見入るようにご覧になったという。
だが、別の千代田関係者は、“非公式”というところに秋篠宮ご夫妻の「葛藤」を感じ、心配する。
「秋篠宮ご夫妻は、両陛下を陰で支えようとされている。さまざまな問題を抱える皇太子ご一家に比して、
秋篠宮ご一家の存在感は、特に被災者のお見舞いをされた昨春ごろから増すばかりです。しかし、やはり
弟宮は兄である皇太子を立てなければならない。一宮家の立場で突出したことをしてはいけない、という
お考えは、秋篠宮ご夫妻も強くお持ちなのです。ただ、術後のリハビリに熱心に取り組む父を、今こそ
支えなければいけない。その気持ちも非常にお強い。雅子さまのこともあり、お見舞いのタイミングなど、
紀子さまも葛藤されたことと思います」
皇太子ご一家の春休みはご静養の予定もなく、雅子さまは今でも東宮御所で静かにお過ごしだという。
133:朝まで名無しさん
12/07/03 20:24:07.91 96OWBnOH
働いた人が10年で10人もやめたそうだね
134:朝まで名無しさん
12/07/03 20:28:53.01 dzN2t4OM
2年で5人やめた東宮家に比べれば、驚くほど少ない。
135:朝まで名無しさん
12/07/04 14:27:59.70 dkdgth0R
>>125-128
週刊新潮 2012.5.31号
お魚にもご挨拶する「悠仁親王」-未来のお世継ぎ候補!
URLリンク(www.yuko2ch.net)
>>119-124
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
URLリンク(www.yuko2ch.net)
URLリンク(www.yuko2ch.net)
>>129-132
週刊文春 2012年4月5日号
雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤
URLリンク(www.yuko2ch.net)
136:朝まで名無しさん
12/07/08 13:42:02.86 nZWUugh/
週刊文春(2012/07/05)
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
「あなた自己中ね!」。宮邸での妃殿下は、優雅な会見からは想像もできないほど厳しいという。
退嬰的な宮内庁にあって、なぜ秋篠宮家で次々と人事異動が行われるのか。
揺れる平成皇室の中で重責を担う秋篠宮家。
そのストレスに悲鳴を上げる職員の声を取材した。
お濠の内、皇居・坂下門を入り、すぐ右手奥に見える三階建ての重厚な建物が宮内庁庁舎である。
宮中の伝統と権威の象徴とも言えるこの洋風建築は、昭和十年に建てられ、現在でもその中はまるで
タイムスリップしたかのような歴史を感じさせる空間となっている。
「あれほど嫌だって言ったじゃないですか!」
普段から静けさに」包まれているこの庁舎の中で、ある職員の怒号が響き渡った。定期異動の直前、
昨年春の出来事である。
宮内庁関係者が話す。
「皆が驚くほどの大きな声でしたから噂になりました。この職員は、以前にも秋篠宮家で勤務した
経験のあるものなのですが、再び秋篠宮家への異動の内示を受けたのです。彼に聞いた職員によれば、
『事前に打診があった際にはキッパリと断った』のに、内示を受けて、『話が違う』と上司に食って
かかったそうです。でも結局、辞令は覆らなかった。ただ、気持ちはわからないでもありません。
過酷だというのは、みんな何となく知っていますから」
六月二十九日、秋篠宮ご夫妻は、二十二回目の結婚記念日を迎えられる。ご家庭は円満そのもの
といったご様子で、長女の眞子さまはスコットランドへの短期留学が決まり、来年から佳子さまは
大学生に、悠仁さまも小学生になられる。
「悠仁さまは二十一日、幼稚園の恒例行事である親子でのジャガイモ掘りに、紀子さまとご一緒に
参加されました。紀子さまは登山用の大きなリュックを背負われ、ジャガイモをいっぱい持ち帰られた
そうです」(皇室担当記者)
137:朝まで名無しさん
12/07/08 13:43:21.13 nZWUugh/
紀子さま秋篠宮家「過酷すぎる職場」-10年間で職員10人以上が交代
■女子職員を強い口調でお説教
いまだ“途絶状態”の皇太子ご夫妻に比して、秋篠宮ご夫妻は天皇皇后とも非常に密にコミュニケーション
を取られている。
「陛下は今月中旬に検査を受けられました。心臓手術の経過が非常に良い、という診断結果に皆ホッと
しています。しょっちゅう参内されて両陛下を支えられている秋篠宮ご夫妻は、結婚記念日の直前の
週末にも、悠仁さまを連れて参内され、ご昼餐をご一緒されました」(千代田関係者)
だが、順風満帆に見える秋篠宮家にあって“心配のタネ”は、職員の不安定人事である。
秋篠宮家の職員の定員は、現在十六名。それに加えて他部署との兼任職員が三名いるが、この小さな
所帯にも拘らず、十年の間に十人以上の職員が交代しているのである。
かつて宮家に務めたある職員が、当時を振り返る。
「宮内庁の中でも、特に大変な職場だと思います。もう勘弁ですね。半ばノイローゼのようになって
退かせて頂いた職員もいましたよ。
秋篠宮家では、両殿下と職員の距離が近く、直接お叱りを受けることも多い。以前、妃殿下が
女子職員に向かって『あなた、自己中ね!』と強い口調でお説教されたことがあり、庁内でも
話題になった。ある人は『ご会見では、あんなに優雅に微笑みを浮かべてゆったり振る舞われて
いるけど、ところがどっこい家の中ではニコニコなんてない』と洩らしていました」
また、かつて秋篠宮家に事務職として仕えていた職員の一人はこう言う。
「秋篠宮家は職員の間では“ご難場”とも言われています。できることなら避けたい職場だというのが
正直なところ。辞める職員が多いのは、仕事量が多くて大変だからでしょう。
同じ宮家でも、例えば陛下の弟宮であられる常陸宮家は、お子様がいらっしゃらないため人数も少なく、
両殿下のお人柄も含めて、お務めしやすいと評判です」
実は、つい最近も、あるベテラン職員が秋篠宮家を去った。秋篠宮家の事情に詳しい関係者が語る。
「四月末に、秋篠宮家に十年ほど仕えていた料理人が退職してしまったのです。定年までしばらく
間があって、中学生くらいのお子さんもいらっしゃたはずです。もともと殿下のご友人の紹介で、
務めるようになったそうですが…」
138:朝まで名無しさん
12/07/08 13:44:18.02 nZWUugh/
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われているスタッフである。
「大膳課は両陛下と皇太子ご夫妻のためのお料理を担当する部署ですが、秋篠宮家の担当の大膳課職員
というのはいません」(別の宮内庁関係者)
大膳課は五つに分かれている。一係が和食、二係が洋食、三係が和菓子、四係がパンと洋菓子。
ここまでが天皇皇后のお食事を担当し、五係が東宮の担当だ。
「秋篠宮家の場合、一人の料理人が和洋中に限らず、何でもできなければいけないのです」(同前)
かつてはこんな事もあった。子供たちの食事に気を遣う紀子さまは、食材に関しても吟味なさるというが、
「ある日、『(普段の業者から)安くて新年な魚が手に入らないのであれば、築地で買えばよいのでは
ないですか』と仰り、実際に当番の料理人が築地市場まで出向いたそうです。こうして毎日、五人家族の
三食分を用意するわけですから、かなりのハードワークであったことは想像に難くありません」(同前)
小誌では、退職した料理人に取材を試みたが、頑なに口を閉ざすばかりだった。
庁内でも、”過酷すぎる職場”と囁かれる秋篠宮家。「それは昔からのこと」だと千代田関係者は話す。
「紀子さまは一生懸命になさりすぎ…なんて言ったらいけないが、そういtった妃殿下の熱意が、
職員にとって負担になっている部分はあるでしょう。紀子さまは『人使いが荒い』という話も聞こえてきます。
ただ、環境が整っていないという側面も大きいのです。例えば、本庁で両陛下のための急な買い物の
必要があったら、官車がすぐに手配されて、職員がそれに乗って皇居近くのデパートにサッと行くことが
できますが、秋篠さまのところは、女性職員が自転車をこいで買い物に行く。紀子さまのご所望ならば、
夜の真っ暗な中でも行かなければいけませんが、赤坂御用地の周辺にはちょっとした買い物を済ませられる
スーパーもありませんから」
139:朝まで名無しさん
12/07/08 13:45:02.03 nZWUugh/
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
■「もう精神的に限界だ」
そして、この千代田関係者はこう続けるのだ。
「ただ…紀子さまが少しお厳しいということもあるのでしょうが、飯島さんのこともあった。あっちもこっちも
ぐちゃぐちゃだった」
飯島さんとは、〇八年頃まで宮家の切り盛りを長いこと任された飯島蘭子元侍女長のこと。
侍女長は“オク”と呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る。飯島氏は秋篠宮ご夫妻からの信任も厚く、
「たいへんな貫禄の女性で、アメリカ初の女性国務長官だったマデレーン・オルブライト氏と雰囲気がそっくり。
予算管理が厳しく、職員たちは再三再四、『あるもので済ませて下さい』とお説教されていた」(前出・元宮家職員)
なんでも頭ごなしに命じる飯島氏には、話しかけるのも憚られるようなオーラが漂っていたという。
「本庁の優秀な女性職員が、秋篠宮家に引き抜かれたことがありましたが、周囲はよく分っているから、
『本当に良いのか』と慎重に確認したそうです。それでもご本人が『是非あの可愛らしい眞子さまと佳子さまの
お側でお仕えしたい』という強い意向で、結局、秋篠宮家の侍女長補というポストに収まった。
ただ、宮家では飯島さんにだいぶ厳しくやられたらしい。結局、『もう精神的に限界だ』ということで、
やめてしまわれたそうです。
ところがその飯島さんも心身のバランスを崩して、十年以上務めた侍女長を辞められたのです」(前出・千代田関係者)
その後の侍女長人事は混迷を極めた。〇九年に就任した前侍女長は、首相官邸の古川貞二郎官房副長官(当時)のもとで
働いた経験もあり、「参事官室に長くいらっしゃり、非常に真面目な方だった」(古川氏)が、体調を崩し
就任直後から勤務ができず、秋篠宮家を去った。その後、しばらく侍女長のポストは実質的に空席だったという。
「誰もやりたがりませんよ。現在の侍女長の山崎敦子さんも、就任に際しては『二年間なら』という異例の期限付きでの
人事だったそうです。今年の年末には約束の二年が経つ。後任の人選は難航するかもしれません」(宮内庁担当記者)
140:朝まで名無しさん
12/07/08 13:46:11.93 nZWUugh/
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
秋篠宮家の不安定な人事について、元宮内庁職員の山下晋司氏が解説する。
「秋篠宮家は、法律上は一宮家ですが、“事実上の内廷皇族”と言えます。三方をお支えする東宮職に五十名以上の職員が
いるのに対し、ご家族が五方いらっしゃる秋篠宮家に二十人弱では、職員一人あたりの仕事量は膨大になる。さらに、
秋篠宮家に支払われる皇族費は年間六千万円。ここから私的使用人の人件費や食費に加えて、洋服や教育費も捻出される
わけですから、予算的にも厳しい状況にあります」
職員たちが低予算と激務に身を粉にする一方、まったく異なる肩書きで宮家に出入りする“キャリア官僚組”もいる。
その一人が宮内庁御用掛である近藤茂夫氏だ。
近藤氏は旧建設省出身。国土庁事務次官、初代内閣広報官、フィンランド大使などを歴任し、〇七年から御用掛に
就任している。先日も、秋篠宮ご夫妻のウガンダご訪問(六月十一日~十七日)に随行した。
「近藤氏は、中曽根康弘政権時代の副総理だった金丸信氏の秘書官。金丸氏の懐刀のような存在でした。
ただ、上司に忠義を尽くし過ぎるきらいがあり、記者連中からは“白ゴマ”というあだ名をつけられていました。
理由は、白髪で“ゴマすり”がうまいから。内閣広報官当時は森政権の末期で、官邸サイドとメディアの関係が
険悪になっていましたが、官房長官の会見場に陣取って、報道陣に『そんな質問はおかしい!』と野次っていたことも
あり、唖然としました」(政治部記者)
また、旧自治省で官僚人生をスタートして、消防庁長官、長野県副知事などの華々しい経歴をもつ板倉敏和氏も昨年末、
宮内庁御用掛に就任している。入省同期だった元官僚が語る。
「板倉さんは、もともと福島藩主だった板倉家に婿入りしたんだ。真面目な人ですよ。昨年の暮れあたりから御用掛として
秋篠宮家に出入りしていると本人から聞きました」
141:朝まで名無しさん
12/07/08 13:46:48.36 nZWUugh/
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代
さらには、小誌が「秋篠宮家に雇われた東大卒経産省スーパーキャリアウーマン」(二月二日号)と報じた谷みどり氏も、
経産省に籍を置きながら〇九年から内閣府事務官(宮家主管付)として、秋篠宮家に仕えている。昨年は秋篠宮ご夫妻の
被災地訪問に随行し、眞子さまの伊勢神宮参拝の随行員も務めた。
官僚として超一流のキャリアを積んだ彼らが、なぜ揃いも揃って秋篠宮家に集まっているのだろうか。
皇室ジャーナリストが解説する。
「実務上の必要性というより、両殿下は筆頭宮家としての“格”に見合った陣容を求めておられるのではないでしょうか。
たとえば、秋篠宮家には宮務官と侍女長という二人の特別職の国家公務員が置かれていますが、東宮職には東宮大夫を
筆頭に十名以上の特別職がいます。しかも、宮務官が課長補佐から課長クラスであるのに対して、東宮大夫は在外公館の
大使経験者などが就く、事務次官に近い役職。どうしても重みが違ってくる」
ただ、そうした優秀な“ブレーン”が多く集まっても、日常の実務を任されるのは宮家の職員たちである。兼任などの
“裏ワザ”で人員を増やすのにも限界がある。将来の天皇である悠仁さまをお育てになる宮家として、相応の組織作りが
必要なのではないだろうか。
142:朝まで名無しさん
12/07/12 11:49:25.91 eAWF9TBP
【皇室】百点お妃を演じる紀子さまの過剰適応【秋篠宮】
スレリンク(news2板)
143:朝まで名無しさん
12/07/16 23:26:05.92 YqqVaVcz
【雅子妃】どうしてこんなに差がついた?【紀子妃】
スレリンク(news2板)
144:朝まで名無しさん
12/07/19 13:37:28.55 4nNUe+9z
【天皇陛下 心臓にメスがいる日】
“心臓冠動脈に9割の狭窄。ステント不可能で 東大病院に緊迫“
葉山でご静養された天皇陛下は2月11日東大病院に向かわれる。表向きは昨年同様の検査入院だが、
実は天皇陛下の心臓は予断を許さない症状が見られた。東大病院に入院しカテーテルによる心臓の精密検査を受けられる、
と2月1日宮内庁は発表した。冠動脈検査といわれるもので、陛下は昨年2月にも同じ検査を受けられた、
「左手首から細いカテーテルをいれ、冠動脈に状態を調べました。
冠動脈全体にある程度の動脈硬化がみられ、血管の1部が狭くなる狭窄も認められた。
冠動脈が詰まった際の施療には、薬による治療、カテーテルによるステント治療、つまった血管に迂回路をつくるバイパス手術の3種類がある。
陛下の冠動脈には3本のうち、2本に狭窄が見られる。一番端の左冠動脈左回旋枝はほぼ9割がたふさがっているのです。
もう1本も相当程度狭窄が進んでいる。しかも場所が悪いためステントを入れるのが不可能なのです。」
と東大病院関係者はかたっている。
■葉山での異変
2010年9月陛下は秋篠宮家の紀子さん、お孫さんと1時間ほど 葉山の一色海岸で舟遊びを1時間ほどされた。
陸に上がり、海岸でお待ちになっていた美智子妃皇后と葉山御用邸に歩き始めたとき異変が起きた。陛下が突然 座り込まれ、全く動けなくなってしまった。
「前かがみになり とてもお苦しいそうでした。20分ほどその場から立てませんでした。どう見ても狭心症を疑うような症状でした」
それ以来、陛下は「24時間心電図」をつけていただき、定期検査をされている。
普段は自覚症状がないという。
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
145:朝まで名無しさん
12/07/23 15:13:03.24 mNXu9CeY
これだけ働けない皇太子肥はいりません
負担しか感じない皇室には早くさり、
ご優秀なキャリアウーマンぷりをみせろ!
146:朝まで名無しさん
12/07/23 23:57:13.25 fnDkuOcE
週刊女性 2012年7月31日号
<女性宮家創設ご意向に雅子さまの「願い」と紀子さまの「自信」
URLリンク(www.yuko2ch.net)
147:朝まで名無しさん
12/07/24 13:38:10.78 h0HXJrqq
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
一進一退しながらも、手探りの日々を送られる雅子妃。先ごろ本誌は、2月に入院された
陛下のお見舞いに際し、紀子妃との間で生じた軋轢について報じた。手術直後にお見舞いを
希望された紀子妃に対し、雅子妃が「順番が違う」と異を唱えられた一件である。或いはそれは、
ままならぬご体調への苛立ちから発せられたご心情の吐露だったのかもしれない。
図らずも、軋轢の一方の当事者となってしまった紀子妃は現在、そこから派生した「確執」と
いかに折りあいをつけているのかー。
実は、足踏みする雅子妃をよそに、行く末を見据え、ご公務から宮邸での暮らしに至るまで
「第2幕」への布陣を寸分の隙なく整えつつあるのだという。
未来のお世継ぎ候補である悠仁さまが通われる、お茶の水大付属幼稚園の関係者によれば、
「悠仁さまが年少組の頃から、紀子さまは園の行事に協力的で、秋のバザーでは髪飾りや
園児の着るスモックを作ってきて下さいました。年長組となった今年は、ますますお忙しいのに、
取りまとめる側の『バザー委員』も引き受けて下さっています。悠仁さまはとてもお元気で、
お帰りの時、園から駐車場の車までいつもお友達2,3人と一緒にワーッと走っていかれるので、
護衛の人が慌てて追いかけていくそうです」
来年、悠仁さまがそのまま付属小学校に進学されれば、学習院が“既定路線”の皇族にあって
異例の事態となろう。そんな未来の輪郭をも徐々に描きつつある紀子妃は「イメージ戦略」にも
余念がない。
「妃殿下は行事に臨まれる際、あらかじめ徹底的に資料を読み込まれます。毎年出席される
児童出版文化賞の受賞式でも、事前に対象となった作品はすべて取り寄せ、数十冊を一気に
お読みになるのです」
そう話すのは、秋篠宮家のさる関係者である。
148:朝まで名無しさん
12/07/24 13:38:42.04 h0HXJrqq
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
「こういった行事でのスピーチなどは、私どもが傍らにいても聞き取れないほど小さなお声で
なさるのですが、普段の宮邸ではトーンがぐんと上がって、よく通るお声で矢継ぎ早に侍女に
指示を出されています。妃殿下は、ご自身が民間の出自だということを重々心得ておられ、
特に殿下と同席している時には一切でしゃばらず、お静かな印象を抱かせるべく務めていらっしゃるのです」
そうした“心得”については、これまで皇后さまからも度々アドバイスを受けておられるといい、
「皇后さまと妃殿下は、日本赤十字の行事でもしばしば同席なさいます。名誉総裁である
皇后さまのもと、雅子妃や妃殿下が名誉副総裁に就かれていますが、雅子妃は出席なさらないため、
自ずと二人で過ごされる時間が増えるのです」(同)
実際に、秋篠宮家の職員の間では以下のような“標語”が共有されているというのだ。
さるOB職員が明かす。
「宮邸では、奥向きの仕事を司る侍女長が中心となって、事務を束ねる宮務官などの
男性職員らにも『皇后陛下のなさりようをお手本にしなくては』と、いつも呼びかけていました。
直接のご指示はないものの、これはすなわち妃殿下のご意向に他ならず、誰もがそれを
前提として仕事にあたっていました。例えば、出席される行事のスケジュールが先方から届くと、
その指示通りにこなすのでなく、つねに妃殿下が『ここで子どもたちに声をかけられるのでは』
『もっと近くに座ったほうがよいのでは』と、ご自分でアイデアを追加されるのです。
私たちはそれを受け、先方と毎回細かい調整をするわけです」
実地で“皇后流”を会得された紀子妃は、1994年から公益財団法人結核予防会の総裁も務めている。
同会の関係者が言う。
「紀子さまは『私はできません』とは決して口にされません。ある時、『結核に関する国民の
意識調査をしたい。どなたか、そういった研究はなさっていますか』と尋ねられ、我々も最近の
実態を把握していなかったところ、『では、ぜひ私が』と仰るのです」
149:朝まで名無しさん
12/07/24 13:39:17.15 h0HXJrqq
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
紀子妃は現在、日本学術振興会の名誉特別研究員として、お茶の水女子大で心理学を
研究されており、その一環として件の調査もなさっているという。
「昨年開かれたシンポジウムでご挨拶された時に『よろしければ今のご研究を発表されませんか』
と申し上げたら、『そうさせてください』と即決されました。紀子さまによれば、日頃から研究者で
いらっしゃる殿下に『肩書きだけでなく、あなたも研究をおやりなさい』と言われているそうです」
よもや雅子妃へのあてこすりではなかろうが、そうした紀子妃のお振る舞いはあたかも、
非の打ち所のない「百点のお妃」を演じておられるかのように見受けられる。そして、労を厭わずに
繰り広げられる“全方位作戦”に、少女期の環境が作用していると指摘するのは、
前出の秋篠宮家関係者である。
「妃殿下は、お父様の仕事の都合で1歳で渡米し、小1の時に帰国されますが、当時は
日本語が殆ど話せませんでした。その後、小5でオーストリアへ転出され、中1で帰国して
学習院女子中等科に編入学されました」
当時、学校では『話す時、日本語より先にドイツ語が浮かんでしまうの』と、級友にこぼしていた。
「ことわざや慣用句などにやや疎い面がおありで、例えば妃殿下のお話を伺ったのち、
例えば私たちが『まさに情けは人のためならずですね』などと相槌を打つと、
『その使い方は間違いですよ』と、ぴしゃりと仰るのですが、実は妃殿下が誤用されている
ということがしばしばありました。そうした時は、黙って拝聴するしかなく、職員はみな、
四字熟語やことわざを口にしないようにしていました」
150:朝まで名無しさん
12/07/24 13:39:48.92 h0HXJrqq
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
また、ある地方の工業団地を視察された際には、
「この団地にはどんな方がお住まいなのでしょう」
と尋ねられ、居合わせた幹部職員が返答に窮したこともあったという。
むろん、そうした点は自身もつとにお気づきで、不得手な分野、至らぬ箇所を払拭なさるべく、
「皇室、とりわけ皇后陛下への”過剰適応”をますます深めてしまわれたのです」(前出・OB職員)
そのお姿からは、近い将来、雅子妃に取って代わる「お覚悟」すら窺えるのだ。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。
「四半世紀ほど前、寛仁親王とお話をしていた時、『自分が皇位継承順位の1位になった夢を見るんだ。
どんな天皇になるべきか悩む夢でね、それでハッと目が覚めることがある』と仰っていた。順位に関係なく、
皇位継承権とはそれほどまでに皇族方につよいプレッシャーとなるのです。そうした候補者をお二人も
擁する秋篠宮家にかかる重圧は、並大抵のものではありません」
寸暇を惜しんで飛び回る紀子妃の姿からは、次代への覚悟とともにしたたかな戦略が仄見える。
そのご意思は、徐々に高みへと達しつつあるのだ。
151:朝まで名無しさん
12/07/27 00:32:05.48 Z8DhI7Iz
新潮のは悪質な叩きではないな
現実を記事にしただけ
だが読んでみると紀子妃に嫌悪感を感じるのは事実だ
152:朝まで名無しさん
12/07/27 01:01:51.21 fg7DOHXX
>>151
アホかwww
153:朝まで名無しさん
12/07/27 17:52:29.74 A8il3Y/y
文春さんも、つまらない「プリンセス物語」(それももう7回も連載しているのに、まだ学生時代の話)なんかやめて、「ふぶきの部屋」の連載「天皇の母」をアレンジして連載したほうがいいよ。売れるよ。
154:朝まで名無しさん
12/07/28 23:27:04.21 LXwejGwm
>>85
女性セブン 2012年6月7日号
<伊勢神宮臨時祭主を巡り美智子さま戸惑わせた紀子さまの「それなら私が!」>
URLリンク(www.yuko2ch.net)
155:朝まで名無しさん
12/07/28 23:58:19.13 OgIKEMLH
あのプリンセスなんちゃらっていつまでやるの?
まさか渡鬼もビックリの1年連載じゃないよね?
皇室に入ってからの19年のこと、何が書けるんだろうねぇ?
もう、出来の悪い皇太子妃だということが全国に知れ渡っているのにね。
さっさとフェィドアウトしても文春の読者は惜しいと思わないよ。
156:朝まで名無しさん
12/07/30 19:26:44.96 49lq4slo
週刊文春 2012年7月5日号
<ご結婚22周年 紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」 10年間で職員10人以上が交代>
URLリンク(www.yuko2ch.net)
157:朝まで名無しさん
12/07/31 03:22:26.55 uqJG1gHd
天皇やら、金正恩やら池田某を持ち上げ、崇拝して、
他人にも押し付けずにいられない人って、どういう精神構造をしているんだろ…?
158:朝まで名無しさん
12/08/03 16:55:17.98 mF3PYA+8
655 名前: ゆきんこ 投稿日: 2012/08/03(金) 11:13:36 ID:qDfK9r8A [ a2JCclvpa1HcdnAG.nptty105.jp-t.ne.jp ]
中村神社の娘さん、デヴィ夫人に目をつけられちゃったね。
去年はblogでは好印象だったのに。
あのこ相馬でも評判悪いの?
デヴィが書いてたけど。
656 名前: ゆきんこ 投稿日: 2012/08/03(金) 12:32:43 ID:Td2wjZ5g [ KD182249146099.au-net.ne.jp ]
今、あの神社はゴタゴタだからなぁ^^;
657 名前: ゆきんこ 投稿日: 2012/08/03(金) 13:46:15 ID:om3LIdvg [ 07032450516401_ek.ezweb.ne.jp.wb73proxy15.ezweb.ne.jp ]
噂だと「〇婚調停中」
wifeに小高区出身の男がいたとさ
659 名前: ゆきんこ 投稿日: 2012/08/03(金) 15:59:57 ID:qDfK9r8A [ a2JCclvpa1HcdnAG.nptty307.jp-t.ne.jp ]
>>656
夫婦の問題でゴタゴタなの?
>>657
それが本当なら残念だな~
せっかく子供もいるのにさ。
特殊な家系同士で仲違いはマズイな
159:朝まで名無しさん
12/08/04 02:09:30.98 OJcsUwbv
>>1
普段から鬼女スレで工作活動してるからウッカリ奥様限定にしてるスレ立て主
160:朝まで名無しさん
12/08/05 17:06:23.16 Dyqcpcr+
今の天皇は一見国際派リベラル開明派に見える、親の代を見ているから身の安全保身が強い。
うわべだけで、ほんとうは権威権力出自に疑いもない、プライドチキンガチカタマリ。
それはまつろわぬ嫁への排斥に出ている。ミチコやキコみたいにへりくだりペコペコしてればゴキゲン。
161:朝まで名無しさん
12/08/05 17:17:48.41 qliSewkN
>>160 日本語に変換お願いします。
162:朝まで名無しさん
12/08/07 22:29:21.05 peBsficI
週刊文春 2012年8月23日号
URLリンク(shukan.ismedia-deliver.jp)
愛子さま 10歳 と悠仁さま 5歳 「それぞれの夏休み」
愛子さまは英語セミナーにご参加
悠仁さまはアイヌ村で人形劇に大爆笑
163:朝まで名無しさん
12/08/21 12:44:03.69 B0rKY+SI
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
URLリンク(www.yuko2ch.net)
URLリンク(www.yuko2ch.net)
164:朝まで名無しさん
12/08/27 17:57:47.66 tGeEqASs
週刊文春8月16日・23日夏の特大号
愛子さま(10歳)と悠仁さま(5歳)「それぞれの夏休み」
「これはテンだ」「これはクマだ」
一方、悠仁さまもまた忘れられない夏休みを過ごしておられるようだ。七月二十日、
秋篠宮は北海道網走市内にある東京農業大学オホーツクキャンパスにて、「魚と人の多様な関係」
と題する講義を二限にわたって行われた。
「殿下の御意向もあって、職員は教室に入らず、本学の客員教授である殿下が学生と直に向き合う授業でした。
殿下には、世田谷や厚木、オホーツクの各キャンパスで講義を行っていただいており、今回もその一環です。
一昨年には、農大で秋篠宮殿下が主宰する研究会にて皇太子殿下が講演を行われたこともあります」(同大学関係者)
秋篠宮“教授”の授業が始まったのは、午前十時四十分。ちょうどその頃、悠仁さまは、
紀子さまとともに網走から百キロほど離れた釧路市動物園を訪れていた。居合わせた客が語る。
「園内には、一時間ほどいらっしゃったと思います。エゾリス、タンチョウヅル、シマフクロウ、
クマタカ、エゾクロテン、ヒグマなど北海道の動物が飼育されているゾーンを中心に回られていました。
悠仁さまは動物がお好きなようで、指をさしながら『これはテンだ』『これはクマだ』とおっしゃっていました」
昨年の誕生日会見で、秋篠宮は子育ての方針について、こう述べられていた。
(ある時期になれば自分の立場もきちんと認識しなければいけませんけれども、
それとともに自分が関心を持っていることを伸ばしていってくれたら良いと思います)
秋篠宮の講義に合わせた今回の家族旅行は、まさに悠仁さまのご関心を伸ばすものなのだろう。
165:朝まで名無しさん
12/08/27 17:58:42.83 tGeEqASs
週刊文春8月16日・23日夏の特大号②
講義を終えた秋篠宮は、阿寒湖で紀子さま、悠仁さまと合流された。そして、アイヌコタン(アイヌ村)の
劇場「イコロ」に足を運び、「ふんだりけったりクマ神さま」という人形劇をご覧になった。
アイヌのカムイ(神)「クマ神さま」を主人公とするユーモラスなストーリーだ。
「劇中に『ちんちんたまたま』という台詞があるのですが、そこで悠仁さまは大笑いされていました。
紀子さまも笑っていらっしゃいましたよ。劇が終わってからも、帰りのお時間を延長されて、
とても楽しそうに舞台に上がって人形を近くでご覧になり、実際に動かされていました」
(アイヌコタン関係者)
阿寒湖では、高級ホテル「あかん湖鶴雅リゾートスパ 鶴雅ウィングス」にご宿泊された。
ご一家が泊まった特別貴賓室「千寿」は阿寒湖が一望できる部屋で、大人二人だと一泊約十四万円(通常料金)。
居間、寝室、囲炉裏部屋から成る百平米ほどの和スイートである。
166:朝まで名無しさん
12/08/27 18:00:07.67 tGeEqASs
週刊文春8月16日・23日夏の特大号③
「お父様、カミキリムシです」
翌朝には、阿寒湖のチュウルイ島にあるマリモ展示観察センターをご視察された。阿寒湖に生息する
魚の水槽では、秋篠宮が悠仁さまに説明される場面も。
「悠仁さまは、直径三十センチほどの大きなマリモを不思議そうにご覧になっていました。
また、島へ渡った際に乗られたモーターボートでは、ハンドルや計器に興味を持たれたようです。
『触ってみたい』とおっしゃっていました。走り回って、元気なお子さまでしたよ」(センター関係者)
その後、悠仁さまは近隣のスキー場などで昆虫採集に熱中された。ご案内した担当者が振り返る。
「辺りを散策するとき、悠仁さまは草の丈ぐらいの低い視線になります。それでよく虫を見つけて捕まえていました。
ミズトンボやシオカラトンボ、オニヤンマ、チョウチョウ類、カミキリムシ類、バッタなどを採っていました。
『お父様、カミキリムシです』とか『オニヤンマです』とおっしゃるのですが、本当に虫の名前にお詳しい。
私が間違えると、『おじさん違います』と(笑)。悠仁さまは小さな網で虫を捕まえていましたが、
殿下は悠仁さまに『トンボは後ろから捕獲するんですよ』と教えていました。
採ったトンボは三角紙に入れて、東京までお持ち帰りになったようです」
普段は出会えない虫たちとの対面に、悠仁さまの感動もひとしおだったはずだ。
その間、紀子さまはアイヌコタンの民芸品店を回られ、アイヌ模様の刺繍の入った巾着袋や
子供用Tシャツ、絵本などのお土産をお買い求めになられた。木彫りのキーホルダー(約六千円)の裏側には、
ご自身のお名前を漢字で彫られた。二つの木彫りの手鏡は、眞子さま、佳子さまへのお土産だったのだろうか。
「秋篠宮ご夫妻としては、虫採りは“関心を伸ばす”だけでなく、生物学者でもある陛下との接点を作るという、
ある種の帝王学としての意味合いも込められているのでしょう。実際、皇居で両陛下が一緒に虫を探したり、
虫が採れる場所を教えてくださったりしたこともあるそうです」(前出・皇室ジャーナリスト)