12/02/06 17:30:11.76 HMcRbFPn
>>377
これの終わりの部分かな。当スレpart12、前後にも記事が載っています。
>>341なども書き起こしておくと後の検索に便利ですね。
893 : 朝まで名無しさん: 2011/02/11(金) 08:15:26 ID:VqKUsNyk [7/20回発言] 「外国報道に見るご成婚」文芸春秋[編]1993年7月25日第1刷
・アメリカ ヴァニティ・フェア 1993年6月号(2)
皇后はこの件を自分の手で処理しようと決心した。
二、三日後のある早朝、アカサカ・パレスのゲートを出た一台のリムジンがあった。
後部座席のリネン・カーテンに身を隠し、皇后は小和田雅子との「秘密のランデブー」に向かった。(略)
皇后のリムジンはお屋敷町へと入っていった。
鎌田勇はしばしば、両陛下のクラシック・コンサートに同伴する元実業家で、アマチュアの作曲家だが、
リムジンはその家の前でとまった(鎌田は私の電話には出てこないし、この記事のニュースソースでもない)。
来客用の部屋には小和田雅子が待っていた。
マサコはその日、目の下にクマができていて、何日も眠らなかったように見えた、という。
この何週間か、コンクリートとガラス製の実家にこもり、
失恋した皇太子からの物狂おしいほどの電話攻勢に応対していたのだ。
皇后の話題は、いつしか英王室のことになった。
かつて日本の皇室がお手本にした王室が、ミセス・モリの説く「義務・奉仕・自己犠牲」の基本を忘れたように
見える、と二人の女性は話し合った。
皇后はこうも語ったと伝えられる。
「私たちはこの日本で、そのようなことを許してはなりませんね」
マサコは疑問を声に出して訊いた。
皇太子と結婚すれば、皇后さまを苦しめたのと同じ恐ろしい宿命に悩まされなければならないのでしょうか。
皇后はこう答えた。
「あなたが自分の感情に正直になり、自分の判断に従っているかぎり、いかなる問題も決して起こさせません」
その意味するものは明白だった。
皇后は、息子と結婚する者には個人的な庇護を与えると約束したのだ。