12/04/08 15:57:03.71 swa5dLFn
ある日あることで努力したくなったとしても、その「努力したい」という欲求の発生は
勝手に起こってしまう(「努力したくない」も同様)。この欲求の発生を自分ではコント
ロール出来ない。いかなる欲求がいつ発生するかは支配不能だ。
だから結局全ては運の上に乗っかっているのだが、そもそも自分の全てがそんな
風にコントロール不能なので、「自分」という存在そのものが幻想と言える。自分の
体も心も自然や世界と切り離して独自に動かせるようなものではない。世界と連動
してしか動かない。宇宙全体が大きな生き物のようなもので、その細胞の一つが
自分の体と考えて良い。だから宇宙の動きに逆らおうとして独自に動こうとしても無駄だ。
いくらやろうとしてもそういう動きは出来ない。
「そんなことないよほらこんな突飛なことも出来るじゃないか」と突飛なことをやりながら
主張するかも知れないが、それはこの書き込みを読んだ結果やりたくなったことであり、
読まずに独自にやっているわけではないから相変わらず世界と連動した動きだ。
「自分」の行為ではない。刺激に対する反応だ。刺激がないならその後の反応もない。
こういう具合に「自分」が存在すること自体が幻想なので結局運の善し悪しを受け取る
主体も実は存在していないことになる。体はある。しかしその体はどうやっても世界と
連動した形でしか動かない。この世界の中にあるものは全てそういう風にしか動かない。
誰一人として独自に動いている者はいない。全てが関係性の中で発生して動かされて
いるだけだ。このことを仏教だと「諸法無我」と呼ぶ。