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" この世でただひとりの存在である自分
人間は必ずどこかで、生きていることの不安定さ、生命のもろさというものを感
じています。こころで感じなくても、あるいは頭でそれを理解しなくても、肉体で
感じている。その感覚を覚えている。そういう感覚に耳を澄ませることが大事なの
ではないか、という気がしてしかたがありません。
これは当然のことながら、病気ということとも結びついてくるわけです。
体の発する声に耳を傾けよう、というのは、ぼくのもう三十年来の長いテーマで
す。体は必ず自分に向けて語りかけてきます。睡眠不足でこれ以上は保もちませんと
か、気圧が下がってきて血管が拡張しかけているので要注意ですとか、いろいろな
声が聞こえてくる。
ぼくらは、その語りかけてくる内面の声なき声のようなものに、もっと耳を澄ま
せるべきなのです。それを聞く耳を持たないということは大きな問題だろう、という
気がずっとしていました。ぼく自身、病院のお世話にならずに健康を維持するた
めに、体の発する声に耳を傾けるということを大事にしてきたのです。
体は、人間の生命が有限であるという感覚を得ると、何かパルスを発してその人
に語りかけてくる。それに真摯しんしに耳を傾ける必要があるのです。
『こころ・と・からだ』のなかでも何度も書きましたが、ぼくらは死と隣り合わせ
の生というものを生きています。そして、自分が健康でなくなるのではないかとい
う不安、病気への不安を強く持っています。
そのため、ガン保険とか、積み立て式でない保険にはいるとか、みんないろいろ
なことをしています。ぼくの周りでも、たいていの人がそういう保険にはいってい
る。それは、やはり健康に対する不安があるからです。万一、ガンで闘病すること
になったら、健康保険ではとても足りない、と不安を感じるからでしょう。
けれども、人間がかかる病気はじつに多岐多様たきたようです。
名無しさん:2011/11/16(水) 01:29:17.79 ID:M4rfhBkj
この世でただひとりの存在である自分
人間は必ずどこかで、生きていることの不安定さ、生命のもろさというものを感
じています。こころで感じなくても、あるいは頭でそれを理解しなくても、肉体で
感じている。その感覚を覚えている。そういう感覚に耳を澄ませることが大事なの
ではないか、という気がしてしかたがありません。
これは当然のことながら、病気ということとも結びついてくるわけです。
体の発する声に耳を傾けよう、というのは、ぼくのもう三十年来の長いテーマで
す。体は必ず自分に向けて語りかけてきます。睡眠不足でこれ以上は保もちませんと
か、気圧が下がってきて血管が拡張しかけているので要注意ですとか、いろいろな
声が聞こえてくる。
ぼくらは、その語りかけてくる内面の声なき声のようなものに、もっと耳を澄ま
せるべきなのです。それを聞く耳を持たないということは大きな問題だろう、という
気がずっとしていました。ぼく自身、病院のお世話にならずに健康を維持するた
めに、体の発する声に耳を傾けるということを大事にしてきたのです。
体は、人間の生命が有限であるという感覚を得ると、何かパルスを発してその人
に語りかけてくる。それに真摯しんしに耳を傾ける必要があるのです。
>>853のスレッドの184からの抜粋です。