10/10/18 00:47:20 cv4e59+4
とか書いた後、なんとなく子供の頃を思い返した。
幼稚園から、小学校低学年の頃。
自転車で車や歩道の段差に真正面から突っ込んで素っ転んだ。
怪我は無かった。楽しかった。
階段を下りる時、5段くらい上からジャンプしていた。
どれだけ高い所からジャンプできるか挑戦する事に、ひたすらワクワクし、楽しかった。
県営住宅の壁にひたすらサッカーボールを蹴りまくっていた。楽しかった。
理性とか理屈、他人の事を考えれば、どれも褒められた行動ではないだろうと思う。
車の人は迷惑だったろうし、階段の下に誰か居たら相手に怪我させているだろうし、
ボールを蹴っていた壁の部屋では、実は生まれたばかりの赤ちゃんが寝ていたという事を
後から聞いた。
でも、それらの行動をしていた時は、確かに楽しかった。幸せだった。
自分の感覚で、したい事をする。それが一番幸せな事なんだという事を思い出した。
いちいち「迷惑」と指摘される事を繰り返して、やっと「迷惑」を理解し、大人になってからやっと、
余りにもその理解が必要な事が多過ぎ、そして理解したつもりが理屈だけで、感覚として分からない事も
多過ぎる事に気付いた。だから、自分の感覚を信じない事に決めた。
多分それが、自分にとっても、自分の周りの他人にとっても、余裕の無い状態を作ってしまう原因になっていたんだろうと思う。
>>183で書いた「めんどくさい」の封印もその一部だったと気付いた。
でもそれは、自分にとって必要な過程だったんだろうと思う。
なるべく社会の中で無難に、かつ自分のペースを守って生きる事を目指してきたから。
この頃、どうやらそれができてきたと思う。蓄積したデータやパターンを適用し、破綻しなくなってきたと思う。
その範囲で、感覚の封印を解いていこうと思う。理性や理屈だけで行動するのではなく、
感覚を信じて任せてみる事を徐々にやっていこうと思う。
子供の頃、感覚に任せて遊んでいた時は、本当に楽しかった。
あの感覚を、周りとの破綻無く味わう事を目指したい。