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PSYCHE感想
主人公・ナオは妄想の家族や少女などの幻覚を見ている精神病者である。
ナオは周囲とのズレや自己の存在に不安を抱えている絵描きである。
なぜ彼が絵を描くのかというと、ともすれば消えてしまいそうになる自己の存在を絵画の上に確認するために、絵を描くのだ。
本来、存在確認とは他者によって成されるものである。家族が航空機の墜落事故で死ぬまでは、ある程度の存在確認は家族によって行われていた。
家族を失ったナオは妄想の家族に、自己の確認確認を仮託しようとする。駿兄の科白に象徴されるように、「自身の内臓の中にいるような我が家」を構築しようとするのだ。
しかしナオ自身このカラクリは見破っており、十分な他者とは言えない彼らを自覚する他なく、やがて唯一の実在者であるはずの少女も駿兄に看破されてしまうのである。
ここから主人公の病理はますます昂進して行き、偽りの他者である家族に、自己の存在確認のための絵画に、生活のほとんどを捧げるようになる。
これが話の大筋であるが、俺が思うに、これはエロゲライター瀬戸口廉也からの警鐘なのではないかと思っている。
エロゲーは現在何百万人というユーザーを抱える巨大市場であり、作品の多くは架空のキャラクターとの疑似恋愛を通じて、プレイヤーに快楽を提供する。
そののめり込み具合は小説やドラマの比ではなく、キャラクターを「俺の嫁」と宣言したり、美少女キャラの表示されたモニターを背景にケーキなどを並べXmasを祝うユーザーもいる程だ。
しかしプログラム存在である彼女らキャラクターの実在を支えているものはプレイヤーの想像力でしかなく、自己の存在を承認されるものではない。先に述べたナオのような自己矛盾性に陥らざるを得ないのである。
なぜ瀬戸口氏がエロゲ業界を撤退し、唐辺葉介でなければならないのか。PSYCHEの文意を正確にくみ取った時、察せられることかと思う。
という結びでとりあえず感想を終えることにする。