12/11/24 00:19:49.77 rYgi+l/D
<今までの歴史において前例の無いこと>
・女系で天皇の血をひくものが天皇になったこと
・女系の天皇の血をひくものが皇族になったこと
・皇族から一般人になった者の、更にその子孫が皇族に復帰したこと。
・共通の祖先が20数世離れるものが天皇家、公家の家、大名家を継承したこと。
(一般的な認識では、別の家系に移ると考えられる)
<明治維新後の皇族体制が、それまでの伝統と異なる点>
・養子が認められなくなった。
・永世皇族制とされた(それまでの皇室・世襲親王家・大名家の家系の維持とは異質)
(なお大正9年の決定により、実質変更された)
・“世襲親王家”の制度の否定(鎌倉以後、創設にはそれなりの高いハードルのある
特別な家系としての世襲親王家が“家”として継承された)
・親王宣下の廃止(前項と同じことが根本にはある)
・“血のスペア”というべき特別の家系は、3~4家程度の特定の家として継承された。
一人の特定の“血のスペア”の家系(具体的には伏見宮家)の兄弟全員が皇族になった。
(明治維新のドサクサでの皇族の大インフレーション)
・皇后を出す家系は、五摂家でなくなる(皇族の大インフレーションのため皇族から皇后)
・例外的に皇族に叙せられても一代限りではなくなる。
(従来の伝統に従えば、僧籍還俗のインフレーション宮様は一代限りが当然であり、
そう決められて皇族になったが、なし崩しに永世皇族になる。長い皇室の伝統に
従えば、起こるはずのない異常事態。
皇族のインフレによる権威失墜と経費負担の圧迫により大正9年の決定となる)
・皇族は、時の政治権力とは無縁(藤原氏が事件を握るころより続く)
<大正(9年)以降、続いていること>
・永世皇族制は修正され、伏見宮家は皇族から順次臣籍に降下となった。
順次12方が皇族から臣籍降下する。
GHQ占領下という事情もあり、臣籍降下のタイミングは早まった。