12/11/15 05:03:57.41 VOSSz5cP
現在のいわゆる旧皇族、伏見宮系が、終戦時に大勢いたのは、
皇室の長い伝統ではなく、明治維新後の特殊事情である。
宮家の男子で、宮家を継げなかったものは、親王(や王)の尊称を維持して僧籍に入っていた。
明治維新により伏見宮系の僧籍に入っていた親王が大勢還俗した。
いわば、明治維新のドサクサでの、宮家の大インフレーションである。
全員が皇族にはなっていなかったが、兄弟の中で皇族になれないものがいてはカワイソウ
ということで、伏見宮(当主)が明治天皇に直訴して、兄弟全員が皇族になった。
伝統的な世襲親王家とは別格と考えられ、一代限りの皇族とされていた。
しかし、明治天皇の娘(内親王)の嫁ぎ先となった。
皇族と臣民という二分論のもとに、明治天皇の女系の男子孫も臣籍降下させたくないということ、
明治天皇の娘を妃に迎えられたかどうかで、皇族に残るか臣籍降下するかの区別は
伏見宮系のファミリーとしては不公平感がある、
また伏見宮系の皇族の人数が増えたので、それなりの勢力を形成した、
ということなどから、当初の一代限りはなし崩しになくなり、全員が永世皇族として残った。
五摂家は近衛文麿を除けば、歴史に残る政権での役割を果たしたものはいないが、
皇族は軍人となり、戦前の体制での存在感はあった。
この歴史に照らせば、結婚するまでは女性皇族の子も皇族、という現在の宮内庁の案は、
それを是とするか非とするかは別として、客観的に予想されることとしては、
皇族として残ってさえいれば、将来の制度(皇室典範)改正により、皇位継承権者となりうる。
当初は一代限りとされていたので、その子は皇位継承とは無関係だったはずの伏見宮系の皇族と同じように、である。
伏見宮系の皇族が皇位を継ぐことも、女系皇族が皇位を継ぐことも、
江戸時代以前の皇室制度からすれば、無かったことが起こる、ということでは同じである。
なお、明治天皇や大正天皇の娘が嫁いでいる宮家から系統からの
皇族復活との案も語られるが、その5家は、伏見宮家(本家)ではない。
つまり、江戸時代以前までその伝統をさかのぼることのできる世襲親王家ではない。
もっとも世襲親王家という概念自体、伏見宮系の皇族の永世皇族化により断絶している。