13/10/10 20:37:17.44 3a1gXyIz
世界で一番の演劇とも言われる記紀の中心になるのは、スサノオを恐れて天岩戸に閉じこもる話とも言います
高天原はアマテラスが納めていましたが、スサノオの気性が荒すぎるのでイザナギがスサノオを追放したそうです
アマテラスもスサノオを恐れて天の岩屋に隠れてしまったそうです、天も地も真っ暗になりあらゆる災いが起こったそうです
そこで困った神々はお祭り踊り祝詞を読み、アマテラスを天の岩屋から招きだしました。
するとついに光がよみがえれました、スサノオは追放されました(自ら高天原を去ったという説もあります)
しかし、スサノオはその当時、豊葦原瑞穂の出雲で暴れていたヤマタノオロチを退治!
スサノオノミコトは、高天原を揺るがすほどの荒ぶる風の神でしたが、アマテラスが天の岩屋にスサノオを恐れ隠れた時
他の神々が、祭りや踊り等"笑い"でアマテラスを天の岩屋から誘いだしたことろこそが
どんなに苦境があっても、笑う門には福が来る、という日本人の考え方の原点という気もします。
日本神話というものはそれ自体が、日本民族の文化遺産であると思うのです
スサノオが多く残した子孫のうち、オオクニヌシノミコトが国作りをします
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これが本来あった出雲大社なんと大きなことか、今では当時の大きな柱があった事が科学的に確認されたそうです
URLリンク(ja.wikipedia.org)
アマテラスは自分の孫のニニギノミコト(稲の神様)を地上に天降せます
URLリンク(ja.wikipedia.org)
他国の神話に詳しくはありませんけれど、戦いではなく(話し合いにより国譲りがなされた)のです。
47:('A`)風の勘太郎 ◆/3LZLGDsxY
13/10/10 20:42:17.99 3a1gXyIz
一番最初に造られた出雲大社だそうです
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これだけ大きいとは、大国主命がいかに大物であったか、そして天照大神がいかに大国主命を避けたかという事でしょう。
考えてみると天照大神は太陽神、大国主命は雲であるとしたなら、未だに太陽の光を遮る事ができるのが雲ですから。
しかし、太陽を遮る者がもう一つがあるのですけれど、実は月なんですよね。
月といえば月読命なんですけれど・・・
日食URLリンク(ja.wikipedia.org)
天照大御神が卑弥呼であったとして、卑弥呼の時代皆既日食があったそうです
あの当時太陽が月に隠されてしまうという事は相当の衝撃があったのでしょう
皆既日食イコール卑弥呼の力が弱まったそして卑弥呼は必要ない、それで卑弥呼は殺害されたとい説もあります。
倭の女王の交替と日食および岩戸隠れURLリンク(www.geocities.jp)
もう少し突っ込んで考えると、天照大御神が太陽神で大国主命が雲を支配していて、太陽がでて雲がで無いと雨が降らないと言うより降れない
雨が降らないと一番困るのは稲、稲といえば瓊瓊杵尊なんだよね。
天孫降臨URLリンク(ja.wikipedia.org)
天照大御神は雲に光を遮らて嫌な思いをするのかも知れないけれど、雲が出ないと肝心かなめの「孫の稲」が育たないんだよね。
御存知、天照大御神は高天原、月詠尊は月、素戔嗚尊は海原なんですけれど。
イザナギノミコトとイザナミノミコトURLリンク(www15.plala.or.jp)
イザナギノミコトとイザナミノミコトURLリンク(www15.plala.or.jp)
有名な事は月詠尊が活躍されないという事なんですけれど、卑弥呼殺害の最大の理由が皆既日食なのであれば
とんでもない((((((;゚Д゚))))))活躍を月詠尊は実はしていたという事です。
天照大御神=卑弥呼であるとして卑弥呼殺害の裏に月詠尊の存在があったとしたら・・・・・
これって、スペシャルな発見であると考えるのです。まぁもう誰かが論文してたりして
自分の完全オリジナルかどうかは解りません(^^;。URLリンク(www.fujisan-3776.jp)
48:('A`)風の勘太郎 ◆/3LZLGDsxY
13/10/10 20:52:57.16 3a1gXyIz
縄文時代には、狩猟をしていたので神様にこれら(熊とか猪)を食する事を感謝し供え物踊り等をします。
縄文人の祈りについてURLリンク(www5.ocn.ne.jp)
弥生時代には、農耕を始めたので稲の神様に感謝しやはり、供え物等をします
稲作は天照大御神が日本で最初に行ったので、現在ではその子孫である天皇家が新嘗祭を行っています。
新嘗祭URLリンク(ja.wikipedia.org)
天皇家系図URLリンク(www9.wind.ne.jp)
天照大御神の子孫である天皇が稲を植え、日本国の五穀豊穣を祈願し天皇家の安泰無病等を願い
日本国に災害なんかがおこらないよう、ひいては国民の安泰を祈っているという事です。
空白の3世紀 邪馬台国
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(kajipon.sakura.ne.jp)
飛鳥時代には愈々日本に仏教が伝来します、蘇我氏物部氏に分かれ仏教を受け入れるか否かで戦います
当然勝利したのは聖徳太子率いる蘇我氏です、ここで本来からの神道と仏教が存在することになります
聖徳太子は憲法十七条を定め「和をもって貴きとなし」と和の精神こそ大切であると説きます
この和の思想が今の日本人の考え方行為行動を決定づけているということです、これは大変重要は事です。
この時代にはまだ朝廷や貴族達は宗教には触れられますが、一般庶民はそれがどういったものなのか知る由も無かったでしょう
一般庶民が宗教に触れるのはもう少し先のことです、例外はありますけれど鎌倉時代といわれています。