12/05/20 20:03:55.04 /rLYDJF/
>>581
違う
もしも、楽だけれど、見下されたり、不名誉な評価を受ける待遇の人と
人として恥じないよう努力して、たたえられたり、名誉の評価を受ける人
がいた場合
人はどちらの存在になりたいでしょうか?
普通は「評価されるけれど、苦労も伴う側」の待遇
の人が殆どでしょう
何故ならば、人は人から評価される事が一番生きるうえで必要だから
だから多少の苦労してでも評価欲しさに素晴らしい人になろうとする
では何で楽な側が良いと言う人が多いのでしょうか?
それは、楽して生きる側が、人として評価される側でもあるからです
そして、逆に恥じないよう努力しちゃ側がもしも不名誉で馬鹿にされるのなら
両方とも持っている、楽をして評価も受ける側になりたいと思う人ばかりになります
(これは、実際の待遇と言うより、そう思い込んだイメージに依存するものです)
極端な話、ずるしている側と正当な行動をしている側でずるした側がずるまで素晴らしいと評価されていたら
ずるしてる側にみんななろうとするでしょう
みんながずるを含めて悪いと考えず、例えば反則を素晴らしがっていれば
みんなが認めた行為が正義なのですから、自分のルールはただの自己満足に過ぎないとなるでしょう
いっておきますがこれは発達心理学の分野において専門家の部類に入るものの意見です