12/02/28 01:00:08.77 subr4DAG
「ピュアな水」がおかしいなら「エスケープする」とかはその10倍ぐらいおかしいんですがね。
自分の表現したいイメージに適する語が母国語に存在しない場合、外来語を使うのは何もおかしいことではない。
みんな日常的にやっていることでしょう。
たとえば滝の水を見て、普通の人は「綺麗な水だ」とか「おいしそうな水だ」とか思うでしょう。
でも感受性の高い人というのは、もっと観念的・抽象的に色々なことを感じているんです。
だから「綺麗」とか「おいしそう」とか、そういう意味の限定された言葉では表現しきれないんです。
「ピュア」なんていうと色々な意味が内包されているように感じるでしょう?
外来語は「母国語に直して理解する」より「観念的に理解する」ものだからです。
翻訳という行為には一定の限界があるので、言葉のイメージで抽象的に理解するんです。
だから幅広い意味に感じられるんですね。
頭のいい人とか感性の豊かな人って外来語を多用する傾向があると思いませんか。