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武田家四名臣の一人。春日弾正忠虎綱。高坂弾正忠昌信。
本名の春日姓で出仕し、改名して一時(香坂)高坂姓、後日また春日の姓も名乗っているため春日と高坂名が混在しています。
甲斐、石和の農家春日家に生まれ16歳で武田信玄の奥近習となり、使い番、侍大将を経て川中島の合戦時には信濃海津城の城代。
地下人(農民)出身でありながら譜代の家臣を抜いて一代で9千貫を領する重臣にまで取り立てられた武田家家臣中一の出世頭です。
春日源五郎は初め信玄の近習として仕え、格別に寵愛されました。 信玄が近習の弥七郎に手を付けたとして源五郎が腹を立てたのに対し、
「弥七郎には言い寄ったが腹痛持ちなので断られた。今までも弥七郎を伽に寝させたことは無い。これからも無い。そのように疑わないでくれ」 となだめたり言い訳している信玄の誓詞が現存しています。