13/09/27 16:14:14.83 9Pc0UZCx0
織田信長・桶狭間の戦い:永禄3年。1560年5月、織田信長のいる尾張に侵攻する今川義元。
その大軍を前に織田信長は、明確な作戦も指示せぬまま、イビキをかいて寝ていたといいます。
その様を見た重臣たちは「もはや、これまで」と口々に嘆きました。
5月19日。今川が織田の丸根砦、鷲津砦に攻めかかったという報告を受けた織田信長。
今までイビキをかいて寝ていた彼は、突如立ち上がり出陣の号令を出すのです。
そして、今川軍は見事、信長の戦術にはまることになります。狭間に差し掛かった今川軍の元に
農民たちが酒や餅をもってやってきました。農民たちは、今川軍にゴマをすりすり・・・。
「ちょうど、腹もすいたし、ここらで昼食でもとるか」と今川軍は、狭間で小休止をとることにします。
・・・しかし、この農民たちは信長が仕向けたスパイ。蜂須賀小六や前野長康らです。
必死に作り上げたチャンス。この期を逃してはならぬ、と信長はいち早く狭間に到達することを考え軍を進めます。
そこに天も信長に味方します。突如、豪雨が降りしきり、今川軍の足を更に止めてくれたのです。
さらに、この雨により視界が悪くなったのに乗じて織田信長の軍は敵の目をかわしつつ兵を進めていきます。
「皆、かかれ!」織田信長の大声をかわきりに、軍は今川義元の本軍めがけて突進します。
突如現れた、織田の軍に今川軍は逃げ惑います。そんな中でも必死に円陣を作り義元を守る忠誠心の高い兵たち。
しかし、それが逆に信長の軍に義元の居場所を知らせることとなり、ついに毛利新助により義元は首を落とされるのでした。
599:名無CCDさん@画素いっぱい
13/09/27 23:17:30.97 wD9lBUcW0
>>598
雑談をしただけで帰したという話はあるけど、寝てはいなかったんじゃない?
また、義元は、追い落とされて谷で討ち取られたかもしれないけど、陣取ったのは、
あくまで戦国の定石通り、狭間ではない桶狭間山(丘)の上だったはず。
戦国の定石通りに行動していたからこそ、本陣の所在を推定して、集中攻撃
することができたともいえる。
600:名無CCDさん@画素いっぱい
13/09/28 10:24:11.01 uhm0iu0H0
あのパンフに書いてあった変なフォーサーズ理論
全てインチキに見えるw
601:名無CCDさん@画素いっぱい
13/09/30 00:13:23.85 MjhN7tPk0
フォーサーズレンズは800万画素の解像にも耐え得る、とか。
たったそれだけかよ、みたいなのも有るね。
602:名無CCDさん@画素いっぱい
13/10/08 16:38:48.81 4oOLw/a+P
どっちもゴミでした
603:名無CCDさん@画素いっぱい
13/11/23 22:13:27.50 UNP0smGW0
>>600
今は鼻で笑えるくらいだけど、あと5年もすると大笑いになるかもね。
604:名無CCDさん@画素いっぱい
14/02/11 21:54:44.08 h+BRu4DC0
結構、今でも笑われ気味みたいな・・
605:名無CCDさん@画素いっぱい
14/02/11 23:28:43.19 u56gG4+q0
ァ ∧_∧ ァ,、
,、'` 。゚( ゚^∀^゚)゚。,、'`
'` ( ⊃ ⊂) '`
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( ;;;;;;)
. ∪ ;;;i. ふぅ~、今日の仕事終わり。
i ;;oi.
(ノ''''''ヽノ, , , , ,