12/05/19 23:08:57.34
>>495
こんばんは。早速評価していただいて、ありがとうございます。
説明の省略センスが無かった為か、話の筋がかなり、独りよがりになってしまったようで、無念であります。
話としては、
第一子を失った夫婦は失意の数年を過し、特に父親は少し壊れてしまって、社会的には働けず亡き息子を想って
仏を彫るばかりの毎日。同時に才能が開花していって「ホトケ・アーティスト(パーソナルな仏師みたいなもの)」
というこの世界の架空の職業の道を歩み始める。一方母親は第二子の懐妊により生きる活力を取り戻しつつある。
父親はまだ気付かない。という状況です。
「僕」は亡くなった第一子の幽霊です。「僧侶」は仏像のバイヤーで有りながらも除霊みたいな事もする人で、
なんらかの縁あって夫婦に目をかけている。今回は母親に依頼されて来たのかもしれない、という曖昧なところです。
手紙は父親の妄想である「中学生になった僕」に宛てて出されていますが、「僕」は小学生で亡くなっています。
問題だったのは先ず「ホトケ・アーティスト」が架空な為、詳細が伝わらない
「粉」は除霊的な力を持ったアイテムなのだが、これも架空なので伝わるわけが無い
ログハウスを建てる期間、妊娠期間等のスケジュール設定がきつい
等等、問題が多かったです…。
話が伝わらない、という決定的事実を受け止めて、反省してゆこうと想います。
>お父さんは外の景色と僕の顔を一秒間づつ見つめたあと~
三人称というか、「僕」というフィルターを通さずに読者に甘えた感じで書いた覚えがありました。
指摘してもらうとフッと思い出します。書いている時に私が陥りやすい思考の1つだと反省します。
あと、反論はないのですが、どうしても理解できなかったご指摘があるのですが、
冒頭の三行の語尾が『いる』になっていた!
>遠くで雷鳴が響いている。
(遠くで雷鳴が響いた、としてもよい!)
ここです。「いる」ではなぜだめなのか教えていただけたら幸いです。暑苦しい長文しました。