12/04/01 19:51:43.16
走行している電車の中で、歩いていた。季節は春なのだろう。柔らかい陽射しが車内に射し込んできていて、心地よかった。
時おり足を止め、車窓越しに、流れてゆく雲の形や、高架の下に広がっている街の様子を眺める。家々のベランダには洗濯物が干され、
商店街に立てられたのぼりは、風にはためいているというのに、街に人影は見当たらない。
車内は空いている。年寄りが多い。
端の席に、ミニスカートをはいた、痩身の若い娘が座っていることに気付いた。両手で顔を覆い、背を丸めているその姿は、物思いに耽っているようには見えない。
何かに酷く打ちのめされたかのような、異様な雰囲気を漂わせている。彼女の白いシャツのお腹のあたりに、
血を連想させる赤い染みが付いているのも気にかかる。私は、彼女の様子を見続けることに苦痛を覚え、目を逸らす。
この電車に乗って、自分はどこへ行こうとしているのかを、どうしても思い出すことができなかった。それで、どこか所在ない気分で、さ迷うように車内を歩き続けていた。
ふと気がつくと、車掌が遠くから私のことを見つめている。彼はそっと近づいてきて、小さな声で私に訊いた。そろそろ降りたくなりましたか、と。
「なんのことですか」と私は聞き返す。
「降りたければ、降りることができるのです。この電車は環状線ですから、走り続けることもできますが、いずれは、降りることになるのですから」
「駅に着くのですか」
「ええ。すでに皆さんが、お待ちになられていますよ」
「誰が」
「ご自分の目で確かめてごらんなさい」
ホームが近づいてきた。多くの人が、私のことを迎えに来てくれているようだ。
いつの間にか、空がどんよりと曇っている。空があまりにも暗いせいで、人々の表情を窺うことができないが、泣いている人もいるようだ。
電車の速度が、ゆっくりと落ちていく。
安堵のような、虚脱のような気分が、心に拡がっていった。
そして私は、静かに目を閉じた。
訃報
山浦 隆さん(やまうら・たかし=鷺宮大学名誉教授・近代日本文学)が15日、脳梗塞(こうそく)で死去、82歳。
葬儀は近親者でおこなった。喪主は妻朋子(ともこ)さん。