12/04/01 19:42:31.69
シロさんは八把野駅に住んでいた。シロさんは言うまでもなくホームレスで、六把野駅は廃駅だった。都市開発とかなんとかで、近くに大きな駅を作るために潰れてしまったのだ。
もと駅の八把野と、もと人間と呼ぶにふさわしいシロさんは相性が良かったようで、ホームの淵に腰掛けて足をぶらぶらさせているシロさんはホームレスながらいい絵を作っていた。
あのひとには近づいちゃあかんよ、とお母さんから言われていたのだけれど、飄々と生きているように見えるシロさんは子供心に羨望を抱かずにはいられなかったものだ。
一度だけシロさんと話をしたことがある。その日、僕は思春期らしく受験だの友人だの親だのに悩んで、夜にこっそりと家を飛び出したのだった。
明確な理由もなく涙を流し、鼻を鳴らして歩く僕に、街灯に照らされたシロさんが、おいでおいで、と手招きしたのだった。シロさんはホームに胡坐をかいていて、なんだか格好よかった。少し怖かったけれど、僕はシロさんの隣に座った。
シロさんは、ようきた、と笑い、ワンカップをぐいと飲んだ。がたんがたん、と最終電車が僕たちの前を通り過ぎ、光と音が闇の中に薄れていった。空になったワンカップの空瓶を線路の向こうの草むらに投げて、シロさんが口を開いた。
「この駅、わしにそっくりやろ。ちゃんとした駅の形しとんのに、電車は見向きもせんで通り過ぎてく。見た目は普通の駅と変わらんのに、もう駅としての役割を失くしてしまっとる」
ふう、と前歯の欠けた口を隠そうもせず、シロさんは溜息を吐く。そうして、
「きみはあかんよ。ちゃんと電車が止まる駅にならんとあかん、ちゃんとした駅にな。なにが嫌んなったか知らんけど、駅でおったら電車は止まってくれるし、人は寄ってくれるでなあ」
とまじめな顔をして言って、恥ずかしくなったのか顔を伏せてけたけたと笑った。僕はシロさんが何を言っているのかよくわからなかったけれど、なんだか落ち込んでいるのがばからしくなって、あはは、と笑い返した。
笑いやみ、お互い無言で少しぼんやりしたあとに、ありがとう、またね、と僕が言うと、シロさんは少し寂しそうな顔をして、せやな、またな、と独り言のように呟いたのだった。
翌週に八把野駅には工事の人が来て、使われなくなった駅は一週間もしないうちに跡形もなくなってしまった。あれからシロさんの姿は見ていない。