12/04/01 19:39:01.03
周囲の喧騒以上に自分の息遣いが頭に響く。そう混んでいない駅の改札前で人とぶつかった。
「すみません」と謝り、改札を通った。ホームへの階段を私はゆっくりと登る。
なぜ、歩いているのか。足元がおぼつかない。なぜ会社に行くのか。守るべき家族はもういないのに。息子達も妻の元へ行った。
会社に行っても待っているのは同情と残業。私はホームに着いた。
これからどうすればいい?どうすれば人生の成功者になれる?
人より先に行けばいいのか?足元も目の前もふらふらする。人より先に。衝動的に足を踏み出す。到着のアナウンスが響く中、私は人より先に一歩を踏み出した。
死ぬのは怖くない。失うものは、もう、無い。
電車が迫ってくる。車輪の音が大きくなる。死は怖い。怖かった。
私は反対のホームに走った。しっかりとした足取りだった。
線路内からホームへ登る。上半身がホームに上がった時、私は見た。人。人。人。
驚いた表情と、その裏に混じる感情。
私は思わず、動きを止めた。
しかし、一人の青年が私の手を取り、ホームに引っ張り上げた。まだ幼さの残る、あばた面の青年だ。彼が私をホームの端に連れて行く。
そこで私は、はっと正常な意識が戻るのを自覚した。恐ろしさがこみ上げ、私は彼のまだ新しいスーツに顔をうずめ、泣いた。彼の、私をなだめる低い声がスーツを通して私の頭にじんわりと響いた。
彼は泣き止んだ私に名刺を渡し、数本遅れの特急で会社に向かった。
私が会社に着いたのは、入社時刻ギリギリだった。ほうけた様に仕事をして、昼休みに何時もの珈琲を持って、休憩室のテレビを見ていた。
緊急ニュースが入っていた。特急が横転したそうだ。次々と切り替わる、死者の名前のテロップの中に、名刺と同じ名前を見つけた。私の目の前がふらふらとおぼつかなくなった。
西野大介 享年76歳 死因:末期ガン
三十歳を過ぎて起業し、一躍人生の成功者となった。
「亡くなった者の分まで生きる」をスローガンとする、事故や事件の遺族支援の慈善事業の主催者でもあった彼の死は、再婚した妻と、二人の息子達に看取られた、穏やかなものであった。
ホスピス療法により、死までの時間を有意義に過ごし、妻と息子達にそれぞれ最後の言葉を遺した後、虚空に「すまない」と呟き、世を去った。
その死に顔に幸せの色は無かった。