12/04/01 18:53:54.95
電車を待つ君の横で僕は時計を気にしている。季節外れの雪が降っている。「この街で見る雪は
これが最後ね」と、淋しそうに君が呟く。
無人駅である。それは茫漠たる野原の只中にぽつねんと所在しており、周りには商店街は疎か
人煙の縁すら見られない。
山懐に抱かれた小さな街で、僕と詩織は育った。幼馴染みであり、街に同年代の子供が少なかったことから、
僕達はいつも一緒にいた。しかし、この春から詩織は東京の大学へと進学することになった。僕はこの街に残り、
家業である農家の仕事を継ぐ。
僕は何時の頃からか詩織に恋をするようになっていた。詩織が僕をどう思っていたのかは分からない。
しかし、僕から詩織に恋心を打ち明けることは終ぞなかった。
出立の日である今日の詩織は何時にも増して格別に綺麗に見えた。詩織は本当に綺麗になった。僕は最も近しい、
親しい人の成長ぶりに今改めて瞠若していた。僕達は何時までも幼いままではいられないのだ。
降りしきる雪の彼方に、こちらへ徐々に近付いて来る電車の姿が仄見えた。僕の鼓動は早鐘を打った。
この一秒一秒に、詩織は更に美しさを増すように思われた。
動き始めた電車の窓を開け車内から身を乗り出し、詩織は何か言おうとしている。僕達は互いに見つめ合ったまま何も言えなかった。
今、この瞬間にこそ、この降りしきる雪のように、二人の間に何か奇跡が結晶することを心の底から願った。
二度と会えない今生の別れではないだろう。しかし、東京には厖大な数の人間がおり、物質に富み、機会に溢れ、
その中で詩織は様々な経験をして今より更に成長し、更に美しくなるだろう。詩織の口唇が「さようなら」と動くような気がして、
僕は慌てて大声で「元気でな!」と叫んだ。
詩織が去ったホームには僕と雪だけが残された。何気なく、だが親しみを込めて、中空に向け手を差し伸べてみる。
なごり雪は僕の掌に音もなく舞い降り、何事もなく溶けては露と消えた。