12/02/29 13:57:42.62
これ、A、B、どちらも自分は正しい、と思っているんですね。
この状態のことを「羅生門」と呼びます。
デーブ・スペクターさんもある番組で、アメリカでもこんな状態のことを「Rashomonと言います」と言っていたけど、ホンマかな?
黒澤明監督の名作『羅生門』は、芥川龍之介の『藪の中』に原作を借りて製作されました。
ここに出てくる人物たち、それは真砂という女が強姦された上に、その夫は殺された、という事件に何かの形で関わっています。
彼らは検非違使の官人の前で、事件の真相を問われ、真相を語ります。
そして真砂本人を含む5人がその事件を語り、5通りの供述が語られます。
それは5人ともそれが真実であると思い込み、正当化しているわけです。
自分は間違っている、とは微塵も思っていません。
事件は「藪の中」に入り込みます。
「こんなに恐ろしい話しは聞いたことがない」と、話を聞いていた旅法師は耳を塞ぎます。
コレ、真実とは、それを受け入れる人間たちによって違う、ということです。
芥川龍之介は、こんな言葉を残しています。
「私は不幸にも知っている。時には嘘によるほかは語られぬ真実もあるということを」
最近、親に叱られたことが無い、という若者が増えていますが、彼らに共通するものがあります。
それは、自分の意にそぐわないことがあると、それは他人、あるいは周りの責任だと嘆くこと。甘やかされて、
欲しいものは親に与えられてきたことから、自分の意は自分だけではなく周囲の者が与えてくれる、と思っています。
だから意にそぐわない結果になったら、それは他人、世間のせい。自分に責任があるとは微塵も思っていないわけです。
困ったことに、そんな自分勝手な言い訳や泣き言、他人の悪口をツイッターなどというもので世の中にばら撒き、
何も知らない第三者の同情を買って、励ましや賛同のコメントをもらって喜び、またまた自分を正当化し、悲劇のヒーロー、ヒロインを演じる。
なんなんでしょうねえ、これ。
(続く