13/03/13 12:46:16.04
産業もロクに育成しないまま軍備にばかりカネかけてな…
15:吾輩は名無しである
13/03/13 21:33:33.86
小林が日中戦争開始後に中国に出かけたついでに火野葦平に
芥川賞の授与したこの有名な『麦と兵隊』は凄いな。
一応、作者は人道的精神を失ってはいないが捕虜取扱いにつ
いての国際協定はすでに忘れ去られてる。
16:吾輩は名無しである
13/03/13 21:44:41.86
あら、受賞は『糞尿譚』だわ…
戦後は戦犯扱いされながらも返り咲き、60年安保の頃に「漠然と
した不安」という動機を遺書を残して睡眠薬自殺。
17:吾輩は名無しである
13/03/13 21:56:30.00
百人斬り競争が南京攻略戦の時だから、『麦と兵隊』はその
翌年だな。気の強いシナ兵が三人、首を切り落とされるのを
主人公が目を背ける場面で終わってる。
残酷の極みだが、百人斬りに対するアンチテーゼとも取れなく
もない。だから支持されて小林も取り上げたのか知らん。
どーしようもねえ時代ではある。
18:吾輩は名無しである
13/03/13 22:05:01.61
60年安保の頃は南京事件の「まぼろし化工作」は既に盛んに
やってるはず。火野も居場所に困ったのか知らん…
19:吾輩は名無しである
13/03/13 22:10:56.96
で、自らまぼろし化してこの世から消えた。
20:吾輩は名無しである
13/03/13 22:28:42.46
南京虐殺が論争になり始めたのは70年安保後に日中国交正常化
されたのが契機か。
手元の資料は1990年の奴だ。俺は20代前半のフリーターやって
た頃だ。俺って糞真面目な奴…
21:吾輩は名無しである
13/03/13 23:31:47.33
家業は沖仲仕で作家の傍ら二代目組長もやった。男らしくなきゃ
務まらない仕事だからな。
自殺が公表されたのは正に南京虐殺が議論になり始めた頃。
60年安保の頃は小林も意気消沈してる風だし。
22:吾輩は名無しである
13/03/13 23:45:50.06
日ソ共同宣言が56年、国連復帰したと胸をなで下ろしたら60年に
岸内閣が安保改正。戦後日本の行く末がぼんやりと姿を現した。
そんな感じか。
安倍は岸の孫だったなw
23:吾輩は名無しである
13/03/14 00:12:15.36
時に2010年代、せめてもの慰めは世界中ひとしなみにバカ化
してしまったことくらいか…
24:吾輩は名無しである
13/03/14 09:33:44.69
火野が河童の話書くのが好きだったのは芥川ファンだったからだな。
で遺書にわざわざ「芥川とは違うが」と断りを入れてる。
25:吾輩は名無しである
13/03/14 10:22:56.38
『糞尿譚』で火野に芥川賞授与に出向いた小林は芥川に冷たかった
からなw
小林も複雑だったとは思うが。
26:吾輩は名無しである
13/03/14 10:47:21.75
『麦と兵隊』への小林の評価の仕方は「心理的に複雑化し過ぎて、
異常な男女しか登場しなくなった近代小説に対する大衆の不満の
現れ」とかって、見ようによっちゃ自分のドストエフスキーの
仕事を全否定しちまってる。
『糞尿譚』で汲み取り会社設立に奮闘してるのは日本人のこと
らしいw
27:吾輩は名無しである
13/03/14 11:42:49.14
『糞尿譚』は河童と蛙と狐憑きの話から始まってんな。
やっぱり芥川の『河童』を意識してんのか知らん。
28:吾輩は名無しである
13/03/14 19:36:46.03
火野は若い頃から文学青年だが時代風潮に従って左翼思想に
かぶれたが、家業を継ぐために文学を断念した代わりに24歳で
港湾労組なんか立ち上げてんな。翌年、特高に引っ張られて
転向、再度文学に復帰。
こういう人物は複雑だな。右でも左でもなく、人生は糞。
29:吾輩は名無しである
13/03/14 19:45:03.61
気弱な糞汲み屋が逆境の果てに糞を撒き散らしながら己に目覚めて
仁王立ちなるラストは、当時の日本を風刺してると言えなくもない(笑
30:吾輩は名無しである
13/03/14 20:02:01.45
臥薪嘗胆の思いで必死に守って来た事業を市に高く買い取って
貰えるところで、それまでの世話人に二割五分の権利と言わ
れて愕然とするくだりは、国連の常任理事国就任や海軍軍縮
条約になぞらえてんでないかな?
31:吾輩は名無しである
13/03/14 20:07:49.04
1930年のロンドン海軍軍縮条約を民政党が押し切る過程で統帥権
問題が議論になって、以後軍部が暴走することになった。
『糞尿譚』も民政党が数で権勢を振るう権力として登場する。
32:吾輩は名無しである
13/03/14 20:13:51.38
政友会は今で言う自民党だな。二大政党制の時代だったが、32年に
軍部の建てた満州国を政府が承認するか否かという時に起きた
5.15事件で「憲政の常道」は終わりを告げた。
33:吾輩は名無しである
13/03/14 22:35:37.83
新潮社 日本文学全集 52 火野葦平集
昭和三十五年六月初版
死んで半年も経ってねえ。60年安保の頃は皆、こういうものに
手を出したがった。
34:吾輩は名無しである
13/03/14 22:38:05.70
布張り函製定価280円、今なら三千円てとこか。
こんな丁寧な装丁もなくなったが。