12/02/19 10:12:19.13 lzWbN0bl
ちゅうか、定跡の本を読むのは自由にしておいてやるが、
将棋は見るほう、観戦するほうの立場も考えてくれよと言いたくなる。
いつも石田流、振り飛車と居飛車の対抗形、穴熊ばかりで、そればかり見せられちゃイヤ気がする。
本来、将棋というものは対局の数だけ戦形がある、というものだ。
10000局あれば10000がそれぞれ違った序盤の形であるべきだ。
それなのに現代は、いや過去もそうだったが、ごく少数(せいぜい30)の戦形が現れるくらいだ。
将棋の可能性を著しく狭めている。