12/04/13 03:34:42.31 JqiB2bEZ
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自己肯定感だの、基本的信頼感だののニーズはとほうもなく、思いがけなく遅れてやってくる。
健常児が新生児期や乳幼児期に持つような、自己肯定感、基本的信頼感の獲得、という課題に、
うちの子なんかは低学年すぎた辺りになって初めて、そのニーズが立ち上がるってな具合に見える。
母親の不徳にいたすところというのは「否定しながら育てたところ」なんかではぜんぜん違う。
至らないところがあるとすると
(普通の子育てのつもりで)我が子の微かなニーズが何年も後から遅れてやってきたときに「まさか?」と思って見過ごすくらいの落ち度ならあるだろう。
だって他の子は、赤ん坊から幼児期にかけて、母親とのベタベタや反抗を済ませてるのよ
まさか高学年で、そんなニーズがあるなんて、まさかと思うわ。
でも、意識を高めようとしながら我が子を見ていると、
あの子ったら、やっと母と境界の切り分けがはじまって、やっと私たち二者となり
やっと今、「受け入れられたい」「肯定されたい」「受容されたい」と思ってるんじゃないか!あらま!と・・・・思う
でも母親は、定型子育ての例にならって乳幼児期に、じkっくり思い切りの肯定と受容を与えてきたと思うに、そこに通うものを味わなくて
「えっ?」「えっ?」と思いながら、はからずも療育に突入してる。
否定したり拒絶したりしてきたわけでは決してないのである。