12/04/13 03:23:43.09 JqiB2bEZ
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ところが、発達障害の子なんて、
ゆりかごを出てベビーカーを使わなくなった後にも、
自分と母親の区別もつかないまま、あちこち、スタスタうろうろ世間を歩き回る。
したがって世界が物理空間的には拡大しながらも
境界がなくて母親と自分の区別がない。それだけでなく母親と自宅の部屋や家具とを区別しない。
言語を使っていても、相手と自分、むこうとこっちが判らないままで、使っている。
反抗期なんかは何時来るのか判らない。
母親が自己肯定感を与えたくても、就学前には、
肯定された感覚・肯定された感覚は、本人の感じる能力の未熟のせいで持てないままだと思う。
これは子を育ててる実感としてそう思ったことである。
小学生低学年でもようやく、母親と赤の他人の違い、母親と戸棚や柱との違いに、
おぼろげながらやっとなんとなく気づく程度だったりするわけで、
母親と自分の境界に気づいているかどうか怪しいわけで、
そこで
母親が他者として我が子を受容するという働きかけをしてみたところで、手ごたえは希薄。
赤の他人が、赤の他人として関わろうとしても、母親代理として関わろうとしても
、区別できてるのか不明。
同年齢の子たちと一緒にさせると、
「(本人と同じ大きさの子を見て、本人は)なんだか小さいモノが騒いでる」と考えたりするくらい。
公園に行っても、集団に入れても、なにがあっても、
森羅万象の風がそよいだくらいにしか思ってなくて、モンシロチョウと同級生が同じレベルで世界に存在してる。
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