12/09/16 18:02:26.41 BTMwpq4v
長年ウツで、若い頃は未遂もしたので
このごろ思うんだけど
死にたいのと、死ぬのとは別だった。
死にたいの思いは自分に許可するといい。
死にたいの思いを抑圧すると、ほんとうに何かのはずみで簡単に死んでしまう。
死にたいなと思う想いはどれほどかシミジミとかみ締めて味わって堪能したらいい。
たいていは、休みたい、逃げたい、疲れた、方法がわからない、程の意味なんだ
けれどそれは堪能した後にわかるんだ。
投薬でいろいろ抑え込んでいると、自分が判る、という
このことが難しいから医者ぎらい薬ぎらいになった。
只、トシとって、もっとラクしたい気がしてきた。
側湾は中学時代からあったけど、毎日怒っていたせいか背骨が捩れてるのか
五十肩の痛みがひどい。骨盤内臓器もどっかおかしい(更年期だからかも)。
痛いの飽きたとか思うんだけど。すっかり疲れ切ってて
子にはとりあえず、ACとして成人してもらって、
回復について子を信頼してみる、って方向でも
まあ良いんじゃない、と思えてきた。
人に期待したり、人を操作しようとしたり、人を救おうとしたり
ずいぶんしてきたけど、それって人への信頼が欠けていただけなんだな。
母も自閉症連続体で自分もそうで、
当時支援なぞなかったんだから「学童期における愛着形成」なんか無理だった。
今は学童期における愛着形成を念頭にしてる。私が人を真に信頼するというのは
「かのようにふるまう」以上のことは何も努力できない。