11/10/09 01:30:20.46 RpnuN1ax
>>321
私自身がそういう子だったように思います。
保育園叩きしたいわけじゃなく、ただ親のそばにいられなくて不安定、気づいてらっしゃるように、
親に甘えてたんだと思います。
大人になって、母が介護、私も実家に仕事がなくいた時期があって、母とのんびり二人で家事をこなし、
優雅にテレビを見て、怒られるわけでもなく「晩御飯何にしようかー」なんてのんびりできたとき、
自分の中の虚無感が無くなっていったんです。
自分でも驚きました。成人した大人がですよ?情緒の安定ってこういうことか、と。
思うに、子供って愛情の容器を持って生まれてくる。
親は、その容器を満たそうとがんばるけど、子供によって大きさがマチマチ。
マグカップの子もいれば、たらいの子もいる。
マグカップの子はほんの些細なことでもパアアとうれしくなる。
たらいの子は、もっともっととなる。
私はたらいを持って生まれてきました。
それでもまだましなほうだったようで、バスタブを持って生まれてくる子もいると思う。
そこで、私自身思いついたのは、いくら怒ってしまっても(理不尽な虐待とは別で)、
それをカバーする愛情表現があれば、満たされるのでは?ということです。
「ママだってそんなことずっとずっと言われたら辛いんだよ!ワーン!」→(「辛い」=
ママも僕のために我慢してくれてたんだ!とわかる)
と、我慢じゃなく、自分の気持ちを正直にいうのも大事じゃないかなと。
大人同士だって片方が我慢するのが正しい付き合いと思えないし、むしろ本音を言ってくれる友人のほうが
付き合いやすい気がします。
そういう関係になるには、大喧嘩しながら「これで本当にいいのか」「むしろ悪化してるんじゃ」という
時期を乗り越えないといけないと思うけど…
うまくいえないけど、怒らないでいいときは、好き好き~とか、小さい子だと思って抱っこや高い高い、
おどけて抱きつく、ふざけてじゃれあうっていうことも有効なのかも。
そうじゃないお子さんもいると思う。まちがってたり、変なことだったらごめんなさい。