【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】 5at ARMY
【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】 5 - 暇つぶし2ch650:名無し三等兵
14/03/16 23:41:35.53
>>644
あるいは、最初の攻撃は次回以降に内応させる事が目的だったかも
元の武威を示して、抵抗したらひどい目にあう→2回目は動員に消極的になる
→2回目で圧勝、あたりを狙ったとか。

結果は、壱岐対馬などで小兵力の部隊は粉砕できたけど、そんなのは当然のこと。
九州で勝利できなければ武威を示すにならんかったということかな。

651:名無し三等兵
14/03/17 05:05:23.92
九州で勝利できなければ武威を示すにならない。
九州で勝利できるなら最初の攻撃で征服すればいいだけ。
結局、最初から最低でも九州ぐらいは征服する目的だったとしか考えられない。

652:名無し三等兵
14/03/17 14:45:45.36 98OZvmkB
いつの時代も兵站の確保は難しい。
兵隊というのは人間だから、当然、飯を食わないと死ぬし
また、糞も小便もするし、衣食住が必要なんだよ。
そういうものを数十万単位で、何か月間も遠征させるとなると
いかに大変か。

653:名無し三等兵
14/03/17 16:49:08.93
三十年戦争のヴァレンシュタインは、兵数が多ければ多いほど兵站の確保は
楽だと言ってる。
九州地方はかなり豊かな地域だから、戦闘に勝ちさえすれば現地調達で十分
やっていけるだろ。

654:名無し三等兵
14/03/17 18:26:10.30
土鍋がこっちに来たか

655:名無し三等兵
14/03/17 19:15:14.51
>>566
兵站で海運が利用できるためには積み込み地と荷降ろし地確保しなければならないわけで
元寇ではか言うんだから兵站楽だなんてとてもじゃないが言えないぞ
元寇は海軍+上陸部隊+補給物資だから兵站の負担は陸上よりきつい

656:名無し三等兵
14/03/17 19:52:41.95 98OZvmkB
>>653
旧日本軍のアホな軍部みたいなこと言うなw

現地調査の難しさを知らんのかw?

657:名無し三等兵
14/03/17 20:11:35.95
対馬とか平戸とか長崎側の島じゃ積み替え無理なん?

658:名無し三等兵
14/03/17 20:14:26.30
逆に元軍で現地調達できない消耗品となると
矢毒とかてつはうとかそのぐらいだろ?

659:名無し三等兵
14/03/17 20:16:22.74
>>658
お前は何を言ってるんだ

660:名無し三等兵
14/03/17 20:24:09.91
というか、皆殺しにして根こそぎ略奪という手段以外で
数万の軍隊に行き渡る食料が有るとなると、数万以上の人口を持つ
中世としては結構な都市に限定されるんじゃないか?

人口千人の町を根こそぎにしても、得られる食料は最大で千人の1年分程度
⇒4万人なら40分の1年=9日分くらいにしかならない。

人数が多い方が現地調達が容易って……畑作るとかの話なのかな?

661:名無し三等兵
14/03/17 21:45:20.79 98OZvmkB
中世の町って、博多でも10万人だけど、
それらの街の住人が、平穏に食料を渡すわけないし
100歩ゆずって、おとなしく外国の侵略軍に食料を渡すとしても
その街は自給自足しているのではなく、
広範囲の農村などから食料を調達するわけだから
侵略された街へは、食糧調達網が崩壊するのに、
どうやって食料を入れるのか?

戦争では兵站の確保が常識中の常識。
大軍になればなるほど、現地調達は不可能になる。
日本国内戦争である関ヶ原や大坂の陣などでも、現地調査に限界があるんだよ。

たとえば、大坂の陣なんて、ほぼ徳川幕府が全国制覇していて、
65万石の豊臣家を攻めたんだけど、豊臣家が大坂城に立てこもって
意外に頑張ったので、20万の幕府方が兵站の確保に苦労して
徳川家康は焦ったんだよ。
国内ですら、20万の大軍の食糧補給を確保するのに、大慌てするのに。

662:名無し三等兵
14/03/18 12:29:51.99
>>661
>それらの街の住人が、平穏に食料を渡すわけないし

おいおい何のための武力だよ・・・
モンゴル軍に平穏に食料を渡さなかった街の住人は皆殺しにされるだけ。
モンゴル軍が去った後で侵略された街への食糧調達網が崩壊しようが知ったこっちゃない。
占領した街で食糧を現地調達して、その食料が尽きる前に次の街を攻略する。
モンゴル軍はそうやっていくつもの国を滅ぼしたんだよ。

663:名無し三等兵
14/03/18 12:44:50.30
>>661
元軍14万人がみんな博多に駐屯してたらたしかに現地調達は成り立たないだろうな
実際は広範囲に分散して、南宋人は農業すら始めるだろうけど

664:名無し三等兵
14/03/18 14:22:46.34 sOVOePW9
>>663
どうやって、短期間で農業ではじめて、生産を上げるんだよw

その間、戦い続けないといけないんだぞw
土地勘ないところで、自分たちよりも大軍と戦わないといけない。

665:名無し三等兵
14/03/18 14:25:00.43 sOVOePW9
日本国内戦争ですら
豊臣秀吉とか徳川家康が、20万以上の大軍で遠征するのに
兵站の確保のために、ちゃんと食料を用意していくのに。
現地調達はそんなに簡単ではない。

666:名無し三等兵
14/03/18 14:36:18.12
モンゴル軍って大平原では強いけど
実は市街戦は、そんなに強くない。
日本なんて、山ばっかで大平原ないしな。

667:名無し三等兵
14/03/18 14:45:06.62
>>665
いや、モンゴル軍は基本現地調達だよ。
そもそも兵站の確保って、どこを根源地にして、どの程度の物量が必要で、
どんな輸送手段使ってたと考えてるの?
ちょっと計算すれば、モンゴル軍の軍事行動を支える手段は、物理的に
現地調達しかありえないって分かるから。

668:名無し三等兵
14/03/18 14:50:36.73
モンゴル軍は何のために馬やら羊を軍隊に同行させてんだよw
その意味でも海上進攻はモンゴルの兵站に大きな負担なんだよな

669:名無し三等兵
14/03/18 15:03:08.22
>>668
羊って動物は1日の行動範囲が6キロ程度でしかなく、そんなもの連れて戦闘
なんて不可能なの。
モンゴル軍は草原地帯なら遊牧生活しながら移動できるけど、農耕民族の国を
征服するためには草原地帯を出なくちゃいけないじゃん。
足手まといになる羊などの家畜は草原地帯に残して行かなくちゃいけないし、
そこから先は現地調達しか食糧確保の手段は無い。

670:名無し三等兵
14/03/18 15:26:04.88
>>669
行動範囲について根本的に間違えてるぞ。ユーラシアの草原地帯はおろか
イベリア半島やギリシャ半島でも普通に羊の大移動してますがな

671:名無し三等兵
14/03/18 15:31:00.80
URLリンク(ja.wikipedia.org)
羊の移動速度は一日20~30キロか。十分軍隊についていけるな。水も草も騎兵が行ける所なら十分ついていけるし

672:名無し三等兵
14/03/18 15:48:54.25
モンゴルは遊牧民だから、生活基盤事
戦地へ遠征するんだよ。
彼らは定住生活ではなくて、移動しながら生活しているわけだから。
常に兵站を確保している。

でも、日本みたいな島国へ攻め込むとき
こういったモンゴルの戦略が破たんするだろうw?
海を越えないといけないから。

673:名無し三等兵
14/03/18 15:52:36.45
モンゴルが強かったのは、少ない人口の割には動員兵力が多かったのと
移動生活している遊牧民だから、生活基盤事、戦地へ遠征できるし、
また、敵に攻撃されると、生活基盤事、モンゴルの大平原に
逃げ込むことが出来た。
そういう意味で、モンゴルは兵站の確保が容易だった。

でも、こういったモンゴル得意の戦術は
日本などの島国に攻め込む場合、困難になるんだよ。

674:名無し三等兵
14/03/18 15:53:40.29
実際の所、元軍は何ヶ月分くらい食料持ち込んでたんだ?
補給と言うより初っぱなに持ち込める量が圧倒的に多いのが海路の強みだが

675:名無し三等兵
14/03/18 16:11:04.26
モンゴル・遊牧による草地の持続可能な利用・管理
URLリンク(www.env.go.jp)

P4にヒツジ 行動半径は一日6kmって書いてあるよ

676:名無し三等兵
14/03/18 16:17:23.58
行動半径って表現が気になるな

677:名無し三等兵
14/03/18 16:30:45.68
>>675
行動半径6キロなら移動牧畜してない状況でも一日12キロ以上普通にうろついてることになるんだが大丈夫か?

678:名無し三等兵
14/03/18 16:38:41.22
>>673
生活基盤事、戦地へ遠征なんてしないよ。
戦地でのモンゴル軍の編成についての記録には家族や家畜なんて含まれてないじゃん。
生活基盤事は後方の草原地帯に残して、戦闘員だけが戦地へ遠征する。
したがって兵站は現地調達に頼るしかない。

679:名無し三等兵
14/03/18 16:42:57.96
>>678
トルコ・モンゴル系の遊牧民が遠征行くとき一切合財連れて行くのは常識だぞ……
だからこそバトゥなんかも戻らずにそのままキプチャクに定着したわけで

680:名無し三等兵
14/03/18 16:45:41.20
アウルクについて全く知らない方がモンゴルの兵站について一生懸命語ってたとはw回線切って吊ってこいよ

681:名無し三等兵
14/03/18 16:56:37.99
>>678
読め
URLリンク(iyokan.lib.ehime-u.ac.jp)

682:名無し三等兵
14/03/18 17:01:17.65
URLリンク(iyokan.lib.ehime-u.ac.jp)
元についてはこっちの方がはっきりしてるか。どこが兵站は現地調達に頼るしかないんだ?

683:名無し三等兵
14/03/18 17:15:53.40
現地調達?
何も行動しないでターンエンドすると5%くらい回復するんだろ?

684:名無し三等兵
14/03/18 17:21:17.29
>>678-679
後方・戦地の定義がずれてそう

685:名無し三等兵
14/03/18 17:37:47.17
南宋攻略時みたいな非モンゴル人特盛りの混成部隊だと思うんで上の議論とは余り関係ないと思うけど、
一応モンゴル軍も第一次ベトナム遠征では焦土作戦やられて撤退、第二次では焦土作戦の上に補給部隊も撃破されて撤退中に敗北してる

別に現地調達っつっても、都市を降伏させれば備蓄を供出させてもいいし、諸侯が降伏or協力すればより大規模な補給にも資する
ちょっと特殊な形式だが、ブランデンブルク公とかにタカりまくってフェルディナントに抗議されたヴァレンシュタインみたいなんもいるし
焦土作戦の怖いところは、これが機能しなくなる点な訳で
大北方戦争で、ピョートルの焦土作戦と補給部隊の遅れ(後に物資喪失)で現地調達の為にウクライナに転進したカール12世とか
智将は敵に食むっつーし、大概の軍隊は後方からの補給と現地調達、両方やってたんちゃう?
どっちに比重を置いてたかはケースバイケースやろうけど
元寇のときに後続の補給船団が来たのかどうかは知らない

686:名無し三等兵
14/03/18 17:50:35.82
どっちにしろ都市の制圧すらままならないなら海路も陸路も関係ない
むしろ初回に持っていける荷物が多いから海路のが有利

687:名無し三等兵
14/03/18 18:17:23.31
家畜どれくらい持ち込んでたの?

688:名無し三等兵
14/03/18 18:21:12.64
元寇が現地調達できなかったのは事実だけど、
それは「海路だったから」じゃない
単純に「戦闘に負けたから」
そんだけ

689:名無し三等兵
14/03/18 18:34:46.08
壱岐対馬での残暴が返って日本側の結束を強くしてしまったね
ユーラシア中央の民は押し並べて恐怖を撒き散らすと逃げ去ってしまう習性があったんじゃないかな
それが日本にも通用すると同じ調子で殺戮すれば恭順又は内部分裂すると勘違いした

690:名無し三等兵
14/03/18 18:45:21.90
>>689
君は一体何を言ってるんだ?妄想ならチラシの裏に書いとけ

691:名無し三等兵
14/03/18 20:03:51.46
>>606
ヤギを与えよう(植物を根こそぎ食う

692:名無し三等兵
14/03/18 22:04:20.45
>>691
普通にヤギ飼ってるわな。ヤギが問題なのは野生化や過放牧したときであって
個体数しっかり管理して飼う分には特に問題にならない

693:名無し三等兵
14/03/18 23:44:50.76
第二次世界大戦の大日本帝国の軍部も
現地調達して来いと言って、軍隊を送り出したんだよなw
そして、戦う前に大量餓死w
もう、あほかとw

日本では、今も昔も、兵站の確保への認識が甘すぎる。
それだけ、数万の大軍を遠征させるには、
衣食住の確保が必要なんだよ。
兵隊は人間なんだから。

694:名無し三等兵
14/03/19 01:33:32.79
羊ってグレイザーだから意外と食えるものが限られるんだよな

695:名無し三等兵
14/03/19 03:36:49.71
1918年に人口65万人だったモンゴル遊牧民の生活を支えていた家畜の数は、
ラクダ22万9000頭、馬115万1000頭、牛107万8000頭、羊570万頭、山羊148万8000頭。
仮に弘安の役の兵数14万人の兵站を遊牧で支えようとしたら、その約5分の1で
ラクダ4万5800頭、馬23万200頭、牛21万5600頭、羊114万頭、山羊29万7600頭が必要。
こんな数の家畜伴って軍事作戦なんて現実には不可能だけどね。

696:名無し三等兵
14/03/19 04:30:06.70
羊って1500頭前後まで牧童一人で管理するから114万頭でも1000人もいれば管理できるな
どこが不可能なんだ?

697:名無し三等兵
14/03/19 04:34:57.19
>>696
こんな数の家畜が集中したら、その周辺地域の草原をあっという間に
食い尽くしちゃうじゃん

698:名無し三等兵
14/03/19 04:50:59.01
>>697
いや、まったく。一度に全部随伴させる必要ないしその都度屠畜していくから

699:名無し三等兵
14/03/19 05:17:05.14
>>698
これってモンゴル人が毎日ギリギリの生活を営むのに必要な数だぜ。
一度に全部随伴させないなら、足りない分は当然現地調達で補うしかないよな。

700:名無し三等兵
14/03/19 05:23:08.83
>>699
牧畜の家畜の数は繁殖用と毛が少なからぬ量を占めてんだがそれまで食うのかよ
言ってる意味がさっぱり分からんぞw

701:名無し三等兵
14/03/19 05:29:47.59
>>695
おまえ、>>667だよな。>>681読んだ?読んでその主張続けんなら文盲だし
読まずに続けんなら電波だからいい加減にしとけ

702:名無し三等兵
14/03/19 05:31:04.95
>>700
生活基盤事、戦地へ遠征してたんだろ?
繁殖用と毛のための家畜も必要じゃん。

703:名無し三等兵
14/03/19 05:34:21.11
>>702
いいから>>681に目を通してこい

704:名無し三等兵
14/03/19 06:20:30.51
>>681-682
面白いなこれ

705:名無し三等兵
14/03/19 07:40:57.08
でも解答にはなってないな

706:名無し三等兵
14/03/19 07:53:16.92
>>681はコピーした奴持ってるんだけど、モンゴル軍が現地調達に頼らず、
自立して軍事行動できたという証明には一切なってないんだよね。
現地調達に頼ってたヨーロッパの軍隊にも輜重部隊は居たわけで。
>>682に至っては、平時の自国内の統治制度である屯田やイクターを兵站として
語ってて、正直ちょっと兵站に関する認識おかしくね?って感じ。

707:名無し三等兵
14/03/19 08:00:02.49
>>706
それはお前の認識がおかしいだけ。イクター制や屯田が平時の統治制度ってどんな冗談だ

708:名無し三等兵
14/03/19 08:08:08.52
現地調達しか(ここ重要)手段ないと言ってる相手にモンゴル軍(少なくとも中核の遊牧民)は生活基盤
連れて行軍してるから兵站は同時代の中では卓越してるよって話じゃないの?
でもって生活基盤連れて移動してる根拠に>>681,682あげてるんじゃ

709:名無し三等兵
14/03/19 08:09:44.89
元寇の話と一般論と混在してる

710:名無し三等兵
14/03/19 08:19:10.21
軍隊ってのは、何にも生産しない、ただ破壊するだけの
非効率的な集団なんだよ、本来は。
そんなのが、数万規模、動くんだよ。

そいつらを破壊集団として機能させようと思ったら
そいつらを生かす衣食住が必要になってくる。
なぜなら、そいつらの一つ一つは、ただの人間なんだから。
飯を食わないと死ぬし、寝ないと死ぬし、小便や糞もする。
働き続けると過労で倒れるから、適度に休まないといけない。

よって、兵站の確保は重要になってくる。
とくに大軍になればなるほど、そうなってくる。

711:ハンニバル
14/03/19 08:26:18.67
「兵站より相手が決戦に出てきてくれないことが困ります」

712:名無し三等兵
14/03/19 08:33:41.12
どこの軍でも戦闘以外の業務担当の方が人数多い

713:名無し三等兵
14/03/19 09:22:44.67
>>708
でも、史料にはチンギスのホラズム遠征やオゴデイの金国遠征の際、
生活基盤を残して出陣したと書いてあるわけだろ

714:名無し三等兵
14/03/19 09:31:09.00
>>709
元寇に関して言えば兵站続かなくて負けたってわけじゃないからな
敵地に2ヵ月もいて、何の戦果も上がってなけりゃ
兵站しっかりしてても撤退せざるを得ないだろう

715:名無し三等兵
14/03/19 12:14:08.25
弘安だと江南軍と合流する前の高麗方面軍が、兵糧あと1ヶ月分だよ!とか言ってたような
まぁ江南軍のが数多いから物資分けて貰えば問題なさそうだが
あと文永はともかく、弘安は台風来なきゃまだ粘ろうとしてなかった?

716:名無し三等兵
14/03/19 13:48:11.59
ここまで真水調達の話題なし

717:名無し三等兵
14/03/19 20:34:08.90 U0zK++C2
豊臣秀吉も15万の大軍を遠征して
3カ月経過したあたりから、兵站の確保が難しくなったな。
元寇も2カ月で兵站の確保が難しくて撤退。

718:名無し三等兵
14/03/20 00:39:20.38 itR24a1o
元寇で兵站の問題は起こってない

719:名無し三等兵
14/03/20 11:09:38.63 7xpJISpK
2ヶ月近く戦ってたのは東路軍だけっしょ
江南軍は遅れて来たから、出航からの日数でも1ヶ月半ぐらいじゃね

兵糧については、台風の後に張禧が因粮於敵以進戰って発言してるね(元史)
東路軍は江南軍と合流する前に、奉聖旨齎三月糧、今一月糧尚在、俟南軍来って発言が高麗史にある

720:名無し三等兵
14/03/20 19:29:34.05 ViejEQhf
>>716
その件は正直、どうやったのか想像もつかない。

721:813
14/03/20 20:07:30.28 G0HIVL+Z
『大乗院寺社雑事記』文明五年六月十七日条「渡唐船巡風[木尓]」
言い回し、漢字は現代風に改めた。
--引用
日本国より大唐国は未申(西南)の方に相(あい)当たる。
春は肥前国大島小豆浦(現・的山大島。的山=「あづち」)より船を出し、五十里北なり。
秋は同国五島ノ島(奈留浦)より船を出し、五十里南なり。
その故は、八月より二月までは北風(西北季節風)、三月より七月までは南風なり(東南季節風)。
秋風をば野分ともカリワタシとも云うなり。
--ここまで
※大陸-日本間の往来には、季節風を利用する。
 春の季節風は北寄りで、秋の季節風は南寄りである。
 春は北寄りの風に押され、南下させられてしまうので、出発地をあらかじめ北にずらす。
 五島列島まで南下せず、鷹島の西北にある的山大島で順風を待ったのである

--引用
帰朝は五月以後、未酉風(西風)船を出すなり。この風をば「マセ」といふなり。
此の「マセ」は、南風になることあり。また「左回り」とて辰巳(南東風)になることあり。
そのときは高麗島に着くことあり。
春の帰朝は大いに然るべからず云々とて此を嫌うべし(春に日本へ帰国するのはよろしくない)、風が北より吹くゆえなり。
--ここまで

※大陸→日本列島は、到着目標への「命中率」が下がる。
 本州や九州は、大陸より小さいので。

722:813
14/03/20 21:35:42.63 G0HIVL+Z
『松浦党研究』に元寇特集のある号があって、
「日本~大陸間は5~15日で渡洋できる」と書いてあったので、元ネタ探しをしていました。
所要日数の話です。

『日本考』李言恭ほか著,四庫全書収録。中華書局出版,1983
明代万暦年間の史料だが、順風を得た帆船による、大陸~日本間の所要日数の目安として。

--引用
もし東北順風を得れば、五日五夜で普陀山(舟山群島、上海の西南)に至る。
……中略……
たとひ風不便なるも、半月有余を過ぎず、已(すで)に中国に至る。
--
これは日本→大陸行きではないか、逆はどうなのか?と聞かれると、
『策彦和上入明記』では5/24に風待ち開始~6/20出発~6/26五島列島に到着
この場合は7日間で渡洋していますね。

723:813
14/03/20 22:02:05.51 G0HIVL+Z
すみません。>>722は「普陀山(舟山群島、上海の東南)」でした。

で、真水調達の話。
『日本図纂』鄭若曽。1561年。
胡宗憲の配下として倭寇対策に当たっていた人が書いたもの。

『船』(須藤利一,法政大学出版局,1968)
--引用
冬の寒いときは、まあよろしいが、
五、六月ごろなどは、水を桶の中に入れておくと、二・三日で腐り、
きわめて清冽なものでも数日も持たせておくことが出来ない。
……中略……
日本人には一つの秘法がある。
泉の水を煮ること一、二沸、これを瓶(かめ)のなかに入れておけば、
よくもって腐らないという。しかし、これも半月以上長くはもたない。
--ここまで

現代に生きている私としては、「真夏は水が二三日で腐る」というのが驚きで。
※軍事板では常識だ、というなら申し訳ない。

弘安の役の江南軍は、水が腐りやすい時期を避けたかったと思うんですが。
6/18出発(一部だけかも)というのは、書類上だけの話なのか、
それとも江南軍秘伝の方法があったのか(あるような気がする)。

724:名無し三等兵
14/03/20 22:22:06.33 ViejEQhf
>>723
真水の話、感謝です。
木の桶を使用すると、水が腐りやすいというか雑菌が繁殖しやすいのでしょうね。
沸騰させて陶器の瓶に入れるというのは、煮沸滅菌しているのでしょう。
密封が完全ではないので、長期保存までは出来ないと。

細菌対策としては、湧かして飲めば腐った水でも一応飲めます。船の上で何万人に
お茶を出せるだけの燃料があるのかは疑問ですが。

水に関してはもう一つ、単純な量の問題もあります。
一人1日1リットルの水を配給(現代の感覚からすると不十分な量ですが)したとしても
1万人に配れば1日10トンの水が必要です。東路軍は4万人が2ヶ月粘ったとして
10トン×4×60日=2400トンの水が必要です。どこかの島で給水してたのでしょうか…

725:813
14/03/20 23:48:54.25 G0HIVL+Z
>>724
ご教示ありがとうございました。
当時の木造船では、火の取り扱いに注意していたでしょうから、
「沸かして飲む」にせよ、何回も出来る方法ではなさそう。

で、追加。
水の分量。日本人の場合ですが、体格的には蒙古・高麗も同様かと思いますので。
出典は『日本図纂』鄭若曽。>>723に同じ。p.90。

--引用開始
およそ、日本船(倭寇)が来るときは、人1人について水三、四百斤、約七、八百碗を携帯する。
毎日五、六碗ずつ用い、非常に大切にして欠乏に備えている。水味は海水とは違う。
--ここまで

『日欧文化比較』ルイス・フロイス,岩波書店『大航海叢書』に収録(以下は>>723『船』の孫引き)
第十二章 船とその慣習、道具について
--引用
我々の船には長期に堪える水をいつも積んでいる。日本の船はほとんど二日毎に水を積む。
我々の船は、昼も夜も航行する。日本の船は港にとどまり、昼間航行する。
--ここまで

上にある日本船は、おそらく沿岸航法用だと思います。

726:名無し三等兵
14/03/21 07:59:49.37 GLTDAW8u
飲用水って酒じゃないのか

727:名無し三等兵
14/03/21 16:39:47.21 1GIThs+y
そういえば備前焼の甕に溜めておいた水は腐りにくいらしいな

728:名無し三等兵
14/03/21 20:03:51.88 6CJ9+rey
そういえば気泡が多く入ってて風通しがいいとか聞いたことあるな

729:名無し三等兵
14/03/22 19:34:26.61 +Vr6kumN
(あえてセンセーショナルに言えば)相撲界は現代の元寇?

730:名無し三等兵
14/03/22 21:49:40.26 uh7FSh/V
交流でしかないから違う

731:名無し三等兵
14/03/24 09:51:07.44 XkNW1k5t
そういえば英国海軍なんかは樽内に青藻とか生えてても飲んでたとか何とか

732:軍事板強制ID制式採用選挙4/19-25
14/03/30 23:19:18.73 SOCYWX1M
強制ID制仮導入ノ是非ヲ問フ投票ヲ4.19ヨリ決行セリ!総員参加セヨ!自ラノ意思ヲ示ス戦ヒニ!

【4/19~4/25までの期間、強制ID表示の是非を問う再投票を行います】

議論中失礼いたします。
皆様お気付きのように3/19に、軍事板では任意ID制から強制ID制への変更が行われました。
今回の導入は飽くまで仮導入のため、実施一ヶ月後に是非を問う投票を行います。

投票当日に向けての議論は現行自治スレにて、自治スレ他で指摘された強制ID制導入
に伴うメリット・デメリットのまとめはまとめウィキにて行っています。

自治スレッド53(ID強制表示本採用投票4/19予定)
スレリンク(army板)

軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
URLリンク(idtroops.wiki.fc2.com)

これらを参考に、強制IDに賛成の方も反対の方も共に、投票による意思表示をお願いします。

733:名無し三等兵
14/03/31 09:19:45.83 SMz3iAqV
腐る原因は水の中に混入してる有機物と細菌だから
木桶で輸送&保存だとあっという間だろうな

734:名無し三等兵
14/04/01 09:53:14.73 Oiy4ZQ5N
当時はまだ甕だと思われ

735:名無し三等兵
14/04/02 16:29:11.56 PY/uYyT9
しっかし、なんで元は日本、ベトナム、ジャワなんてところに手を出したんだろう?
最大最強の敵カイドゥとの決着がついていないどころか、カイドゥ側に寝返る皇族
が出たりしていた、この時期むしろ劣勢なんだけど。

736:名無し三等兵
14/04/03 00:21:18.48 u2l7SZEJ
日本は元々南宋と並ぶ攻撃目標だった。
ベトナムは一度は属国にしたのに反乱を起こしたから。
ジャワは知らん

737:名無し三等兵
14/04/03 02:21:11.83 IGaViQ1x
一つずつ勝ちきってから次ぎ行けよって思うけど
各方面への侵攻を提案する派閥があっていろいろ面倒だったりするんだろうね

738:名無し三等兵
14/04/04 16:00:10.24 PZz+1+eh
元にとって最大最強の敵は日本だよ。
例えば、文永の役と南宋侵攻作戦は同時に開始されてるけど、クビライは
そのタイミングに合わせて自分の娘を高麗王に嫁がせてる。
明らかに日本遠征の方を重視してるという意思表示。

弘安の役の際には中央アジア戦線から兵力引き抜いて江南軍に投入してるし。
カイドゥとの決着より日本遠征が大事ってのがクビライの判断なのね。

739:名無し三等兵
14/04/04 16:43:35.95 W9yZFCQv
>>735
対カイドゥ戦はモンゴル騎馬軍団
日本やベトナムやジャワへの遠征は中国人歩兵
これは陸軍と海軍のように別の兵種だから
地形や気候などの制約でどちらかを援軍
とする事が極めて困難だった
中国人歩兵は北方平原の寒さに耐えられないし
モンゴル騎兵を下馬させて歩兵戦に使うのは無駄

740:名無し三等兵
14/04/04 20:02:00.11 XzOpCdWZ
>>738
いや、どっからどう見てもカイドゥのほうがたちが悪いでしょ。
巧みな外交と謀略でもって、キプチャク汗国と同盟を結び、チャガダイ家を
支配下に置き、元朝内部まで調略の手を伸ばして、シリギの反乱を
引き起こしたりとクビライをきりきり舞いさせているし、
戦上手でもあって元軍は連戦連敗で一時はカラコルムまで迫っている。

それに大体、最強の切り札バヤンは対カイドゥに使っているし。

741:名無し三等兵
14/04/05 06:56:18.97 +yEGpv7I
>>739
ナヤンの乱では中国人歩兵が北方平原の対モンゴル騎兵戦で大活躍してるし、
クビライは弘安の役にモンゴル騎馬軍団を大量投入すると高麗王に約束してる。

>>740
バヤンなんて最強の切り札じゃないぞ。
クビライの中では文永の役よりランクが下の南宋戦を指揮しただけで、
それ以前の戦歴はゼロ。
二線級の武将場バヤンが二線級の戦線である対カイドゥ戦に回されただけ。
バヤンの南宋戦と同時期の文永の役に投入された劉復亨とかはモンケ・クビライの
2代続けて皇帝親衛隊に所属し、アリクブケの乱ではカラコルム占領を任されてる。
バヤンより明らかに格上じゃん。

742:名無し三等兵
14/04/05 12:48:16.57 x8bHTYjl
バヤンをフビライの切り札とか言う人はコーエーゲーのやりすぎですよっと。

743:名無し三等兵
14/04/05 17:09:31.62 AUhPgeEh
>>741
>クビライは弘安の役にモンゴル騎馬軍団を大量投入すると高麗王に約束してる。

ソース希望
大量の騎馬軍団なんて船で運べるの?

744:名無し三等兵
14/04/05 19:59:31.69 0rDdopBC
>>741
おいおい、二線級の将を筆頭宰相兼親衛隊司令官兼首都駐留軍司令官に
任じたりはしないでしょ普通。

745:名無し三等兵
14/04/06 02:00:56.10 jOqy/516
元寇は歴史的な戦争だよ。
当時の海戦としては、動員兵力が桁違い。

746:名無し三等兵
14/04/06 02:39:59.55 JllgJ5PQ
日本は強敵ではあるが、放置してもあんまり害無いよな

747:名無し三等兵
14/04/06 10:26:01.21 YnoDTnph
>>744
残念ながら対日機関である征東行中書省トップと兼任の高麗国王の地位は、
「諸王・駙馬の第七位」(集史テムル・カアン記)、「位は親王と同等」
(高麗史)、「席次は元朝帝室の筆頭姻族ウンギラトの次位」(益斎乱藁)
とクビライ自身の親族にほぼ匹敵し、元の朝臣なんかより高いんよ。
元にとって高麗の戦略的価値は対日本の最前線に位置してるってのが唯一で、
それがこれ程優遇されてるってのは、日本こそ最大最強の敵ってこと。

748:名無し三等兵
14/04/06 17:08:28.91 KAlUQ9hv
>>747
そういう格式が問題になるのなら対カイドゥ戦には皇子のノムガンやカマラそれから、
皇太孫テムルまで投入してるし、カイドゥと連携したナヤンの反乱の時にはクビライ自身が
親征している。

どちらを重視しているかは自ずから明らかだね。

749:名無し三等兵
14/04/06 17:37:33.09 YnoDTnph
>>748
ナヤンの反乱なんて東アジアの対日戦の利権を巡る反乱じゃん。
だから鎮圧軍には高麗軍をはじめ元寇の参加部隊が勢ぞろい。
カイドゥに対しては牽制だけにとどめる一方で、クビライ自身が親征してるんだから
完全に日本>>>>カイドゥだろ。

750:名無し三等兵
14/04/06 17:48:25.98 KAlUQ9hv
>>749
本当に日本をそこまで重視しているならナヤンの反乱もバヤンに任せて、
第三次遠征を強行しているでしょうが。

だけど、実際には第三次遠征は中止され、高麗に集結していた精鋭部隊を
全て引き抜いてナヤンにあてているし、鎮圧後も激化する一方のカイドゥの
攻勢に対応すべく皇太孫テムルとその配下の精鋭部隊をカイドゥに対して
投入し、日本遠征は計画すらされなくなっている。

751:名無し三等兵
14/04/06 17:55:11.06 YnoDTnph
>>746
モンゴル帝国側はそう考えてなかったよ。

「小邦は日本に隣接する極辺の要地であり、中原から4000里もはなれている。
国王がながらく不在では、もしも不測の事変がおこった際に報告できず、
その得失は軽微ではない。これについて某等は日夜危惧し、安心できずにいる。」
(1324年)

「高麗は倭境に隣接しています。いまその国王はながらく都下に滞在しているので、
(すみやかに)帰国させるように願います。」
(1330年)

「(高麗は)いまだに服属しない海中の倭に隣接しているため、事変の発生を
危惧しないわけにはいかない」
(1339年)

「本国は日本というまつろわぬ国に隣接しており、1日として国主なしではいられません。」
(1348年)

752:名無し三等兵
14/04/06 17:59:21.38 YnoDTnph
>>750
第三次遠征なんてやったら今度こそ元朝は滅びちまうって朝臣から大反対
されたんだが。
元の日本重視は征服対象としてではなく、モンゴル帝国を上回る軍事力を
持った脅威としての重視だから。

753:名無し三等兵
14/04/06 18:02:34.52 KAlUQ9hv
>>751
元朝というより、高麗が危機感を持っているだけじゃん。
元にとってはクビライの皇子カマラを散々に打ち破り
カラコルムにまで迫る勢いのカイドゥのほうがはるかに危険な相手。

754:名無し三等兵
14/04/06 18:07:47.15 KAlUQ9hv
>>752
日本の軍事力が元のそれを上回るというより、ただ単純に財政上の問題でしょうが
勝手に話を作らないでくれ。
それに何度も言っているけどカイドゥをいつまでも放って置くわけにも行かなんだし。

755:813
14/04/06 18:13:32.73 ehpzoF6I
『八幡大菩薩愚童訓』筑紫本について、
文永の役の部分までup(および『八幡蒙古記』・菊大路本との比較)完了しました。

URLリンク(hyperhamster.blog.fc2.com)

次は弘安の役ですね。

756:名無し三等兵
14/04/07 01:44:29.72 jsgRt274
モンゴル自体は動員兵力は少ない。
だって、モンゴル人の人口は少ないわけだし。

757:名無し三等兵
14/04/07 08:31:45.34 gsh4BgPu
モンゴルとひとくくりにしてるがチンギスハンのクリルタイの時点でさえ異民族の集団だから
純粋のモンゴル人の動員兵力なんて考えるだけ無駄じゃない?

758:名無し三等兵
14/04/07 09:09:52.94 RN6TvsXX
【歴史ミステリー】元寇はなかった!? - YouTube
URLリンク(www.youtube.com)

759:名無し三等兵
14/04/07 10:09:35.48 A7E8SKwm
>>754
元の首都は大都だよ
地図見れば日本とカイドゥのどちらが脅威か一目瞭然
実際、クビライはカイドゥより日本の方を重視してたし

760:名無し三等兵
14/04/07 10:28:26.23 gsh4BgPu
あの時代、海路で日本から寧波目指すことは可能でも北京を目指すのはめちゃくちゃ難しいぞ

761:名無し三等兵
14/04/07 11:16:36.43 A7E8SKwm
>>760
元朝って江南地方で収穫された穀物を全部海路で北京に輸送してたんだよ

762:名無し三等兵
14/04/07 11:25:09.30 gsh4BgPu
沿岸航海と外洋をなぜ同視してるの?あの時代に日本から軍で北京目指したら一旦、
広州に軍送ってそこから北上するか、秀吉のように朝鮮半島通るかどっちかしかできんぞ

763:名無し三等兵
14/04/07 11:57:53.23 A7E8SKwm
>>762
世界の海戦史見れば、あの時代に海運と軍事遠征の違いなんてないよ。
航路があればどこにでも軍を船に乗せて送れる。

764:名無し三等兵
14/04/07 12:03:17.79 gsh4BgPu
>>763
だからどうやって軍を送るのよ。元寇のように中国南方から九州北部、対馬目指すという風、海流ともに
恵まれてる状況でも上手くいかなかったものがどうやって、日本から北京まで軍送れるの?
高麗が元側だから朝鮮半島に沿って航海することもできない

765:名無し三等兵
14/04/07 12:08:58.05 A7E8SKwm
>>764
だから普通に船に乗せて送るんだよ。
倭寇は簡単に高麗沿岸の制海権獲ってるじゃん。
元寇が上手くいかなかったのは日本が軍事的にモンゴル帝国より強かったからだろ。

766:名無し三等兵
14/04/07 12:22:13.28 gsh4BgPu
>>765
高麗沿岸の制海権を倭寇が取ってる?前期倭寇においてもそのような記述はないな。倭寇の始まりを
14世紀前半としても中半には高麗は沿岸防衛に成功し後半には当時の倭寇の拠点であった対馬に
遠征してる。まあその結果、武官がまた権力もって高麗が終わったんだけど。このことは元の朝貢国である
高麗ですら倭寇を抑えられたことを示し、軍事的に日本がモンゴルより強いとの主張の反証になる

767:名無し三等兵
14/04/07 12:40:10.10 A7E8SKwm
>>766
沿岸防衛に成功しなかったから高麗は滅んだんだよ

768:名無し三等兵
14/04/07 15:45:22.98 gsh4BgPu
うん?高麗は統治能力失って滅びたわけでないぞ。クーデタによる政権の交代と
領域国家の崩壊は全く別のもんだぞ。倭寇なんかよりはるかに高麗に大きな打撃を
与えた紅巾軍も撃退できてるように軍制は立派に機能してたわけで

769:名無し三等兵
14/04/07 15:48:08.47 jsgRt274
>>757
モンゴル軍って、言うほど兵力は多くない。
3万前後の兵力で戦うことが多い。
基本、奇襲と撤退を繰り返し。

動員兵力では、農耕民の中国や日本のほうが多くて当たり前。

770:名無し三等兵
14/04/07 19:31:01.02 wnBm+DcO
なんで話がこじれてんのかわかんないけど
日本は南宋と並んで重要な攻撃目標で一大プロジェクトだったけど
ハイドゥがかき回したりナヤンが反乱起こしたりベトナムが独立したりで
もはや遠征どころじゃなくなったってだけのことでしょ。
国内の兵力と金バカスカつぎ込む必要がある計画なら尚更のこと。

771:名無し三等兵
14/04/07 20:05:41.80 F5imNcSo
というか、元が他国を攻めまくる目的って、世界征服で良いの?
もしそうだとしたら、日本が強かろうが弱かろうが、あるいは
征服することに利があろうがなかろうが攻めてくるんだろう、

772:名無し三等兵
14/04/08 07:23:18.53 jciaEcIJ
モンゴルは征服したと言っても、モンゴル人の人口が少ないので
征服地の要所を抑えているだけで
征服地の大部分は、これまでどおり、現地人は暮していたんだろう?

773:名無し三等兵
14/04/08 12:28:02.79 QCQtsOm8
紅巾軍って盗賊と流民中心だよねw
そんなのに首都占拠されちゃう程度だよ
高麗軍って

774:名無し三等兵
14/04/08 18:06:34.45 lqptON0H
>>772
現地(旧)政府機構に強要すれば領域支配は可能

775:名無し三等兵
14/04/08 19:21:22.21 SScrFQ+s
>>773
流民が一体どれだけの王朝、帝国を滅ぼしてきたのか知らないのか?
中国の黄巾の乱とか、東地中海の前十二世紀のカタストロフ、
それから、ゲルマン民族の大移動なんかも一種の流民みたいなものだし。

776:名無し三等兵
14/04/08 19:23:16.37 VuI/yYNN
本拠地を捨ててそのまま移り住む気で乗り込んでくる連中はそりゃ強いわ

777:名無し三等兵
14/04/09 07:03:06.11 jL2lqmog
>>768
紅巾軍の与えたダメージなんて倭寇に比べたら屁みたいなもんだよ。
朝鮮半島での穀物の流通ってほぼ全てを海運に頼ってるん。
倭寇はこれを集中的に狙ったため高麗は国家機能が完全にマヒしちまったんだよな。
モンゴル軍が陸地を30年間暴れまわっても滅びなかった高麗が倭寇によって衰退して
滅亡したのはそういう理由。

778:名無し三等兵
14/04/09 08:33:55.04 /G+2GTyl
第一次東征のすこし前、高麗の役人が「財宝が欲しいならやるから、とにかく
人を殺さないでくれ」という説諭を倭寇に対して出そう、という提案をして、
弱腰過ぎるという理由で採用されなかった、という記事があったように思う。

高麗軍の壱岐対馬の暴挙は倭寇に対する報復、あるいは恫喝の目的があったのでないか?

779:名無し三等兵
14/04/09 11:24:18.09 v+EF7vcf
>>778
高麗史にそんな話書いてあるね

780:名無し三等兵
14/04/09 18:58:25.32 9uukD4jP
>>777
国家機能がマヒした国が軍隊動員できるの?奇妙なこと言ってるなー

781:名無し三等兵
14/04/09 22:02:23.34 jL2lqmog
>>780
倭寇によって府兵制度は崩壊したから高麗は国家として軍隊動員できなくなってたよ。
だから将軍たちが現地で招集した農民とかを私兵化して対応してた。

782:名無し三等兵
14/04/09 22:12:02.74 8cGXuxP8
結局、なんで元は勝てずに退却したの?

783:名無し三等兵
14/04/09 22:17:21.78 w26ttJwd
戦場で弱かったから

784:名無し三等兵
14/04/10 08:56:00.82 WKdJCipt
>>781
うん?軍閥の成立は倭寇の気がするが?倭寇が朝鮮半島に積極的に略奪来た時期って
軍閥が配下の兵を納哈出相手に北方に動員かけてる時だぞ。だから北方が一段落すると対馬まで
遠征かけて前期倭寇を終息させたんじゃないか

785:名無し三等兵
14/04/10 13:08:05.91 i55UaG9s
李氏朝鮮の成立原因が倭寇なんだから
倭寇によって高麗が蹂躙されて国が崩壊したので
北方出身の李家の私兵で倭寇退治に成功したから李氏朝鮮が起こった

786:名無し三等兵
14/04/10 14:42:28.69 WKdJCipt
いや、李家の武臣としての権力基盤成立は倭寇が来るより前だぞ。
他の武臣との権力抗争の中でクーデタで高麗王朝まで倒したってだけで

787:名無し三等兵
14/04/10 15:45:35.54 DN0ItPde
>>784
高麗は前期倭寇を終息させてなんかないよ。
南北朝の内乱が九州でも平定され、朝鮮半島で食糧強奪してた南朝勢力が掃討
されたから終息しただけ。
高麗は軍事的には全く無能だった。
半島南部の安全保障のため今川了俊の派遣した日本軍に駐屯してもらってた
ような状態で、高麗が倭寇を終息させたとか厚かまし過ぎ。

788:名無し三等兵
14/04/10 15:52:11.63 p8wsSf0B
応永の外寇のおかげで倭寇が一端収束したとか誰の説だよ?

789:名無し三等兵
14/04/10 16:24:19.96 WKdJCipt
>>788
そっちより朴?の対馬攻撃の方。終息は言い過ぎだがその成果が
なければクーデタ起こす威信にならないでしょ。

790:名無し三等兵
14/04/10 18:42:35.71 R+duLIwq
1389年 高麗の対馬侵攻   3000隻で対馬焼き討ち 倭寇の捕虜など無し 留守狙い?
1396年 李成桂の壱岐対馬討伐 日本側記録無し 詳細不明
1419年 応永の外寇   227隻17285名で倭寇討伐 対馬で民家2000戸を焼くも軍事衝突では良いとこ無く敗退

791:名無し三等兵
14/04/10 20:09:41.01 m7t6e5fR
>>782
モンゴル軍って最強ではあっても無敵ではないんだよね。
日本遠征に限らず、例えば対南宋戦でも1235年のオゴデイによる攻撃は
皇太子クチュを戦病死させた挙句、南宋軍の大規模な反撃をうけて
逆に襄陽を奪還されるという悲惨な結果に終わっているし、
モンケによる侵攻も襄陽を落とせずじまいでモンケの戦病死という
結末を迎えている。

792:名無し三等兵
14/04/10 20:47:37.32 m7t6e5fR
>>759
本当に日本の方を重視しているならヒンドゥみたいな
三別抄の鎮圧以外はこれといった武功を挙げていない上、祖先
も生没年すらよくわからない人物ではなくもうちょっと
格上の人間を現場指揮官にあてるでしょうが。

対してカイドゥ戦には嫡子中の末子で後継者有力候補だったノムガン
皇太子チンキムの長子カマラに、その弟で皇太孫のテムルといった直系皇族やら
知枢密院事のバヤンといってそうそうたる面々を投入している。

793:名無し三等兵
14/04/10 21:08:08.17 cBXJa8Gg
モンゴルからみて日本が強いか弱いかは解りませんが、
海の向こうで攻め取るのが大変&日本の方から攻めてくる確率は低い
という条件なら、日本攻撃は後回しにするのが普通じゃないでしょうか?

794:名無し三等兵
14/04/10 21:53:43.02 DN0ItPde
>>791
確かにオゴデイやモンケの時代のモンゴル軍は南宋に勝てなかった。
でもクビライの時代には勝ったわけで、つまりモンゴル軍は進化したんだな。
そのモンゴル軍の進化の頂点でボロ負けしたのが日本。

795:名無し三等兵
14/04/10 21:57:59.09 WKdJCipt
>>793
自国が攻められた直後からお寺作るお金がないから
貿易してと交易せがんでくる相手を差し迫った脅威とは
認識しないと思うよ。商売にやってきたくせに正月に都市焼く迷惑な連中だけど

796:名無し三等兵
14/04/10 22:06:16.11 DN0ItPde
>>792
ヒンドゥは日本戦の敗北がモンゴル帝国にとって致命傷だったため粛清された上、
記録抹消されたんだろうな。
当時のクビライにとって日本戦は最重要作戦だったし。
カイドゥに対する中央アジア戦線からも兵力引き抜いて弘安の役に投入てるわけで
カイドゥ戦が日本戦より優先順位の低い戦いだってのは明白。

797:名無し三等兵
14/04/10 22:14:49.62 m7t6e5fR
>>794
というか南宋軍が弱体化しただけでしょ。
オゴデイの侵攻の時には名将、孟きょうが頑張っていたし、
モンケの遠征の時にも彼が作り上げた長江防衛線が機能していた。

対してクビライの遠征の時には賈似道の無策で長江防衛戦は骨抜きに
なっていた。しかも、それでもなお襄陽は五年間も孤立無援の中で奮戦を
続けている。

798:名無し三等兵
14/04/10 22:23:32.25 m7t6e5fR
>>796
ヒンドゥが責任を問われて粛清されたなんて話はどんな史書にも載っていないぞ。
もし違うと言うなら、ソースを示してほしい。

あと高麗に集結した戦力もナヤンの反乱後は結局、モンゴル高原での対カイドゥ戦に
投入されていて高麗には戻ってきていないんだが。

799:名無し三等兵
14/04/10 22:34:00.60 DN0ItPde
>>798
元史には記録が無いけど、当時元朝に滞在していたマルコポーロは元寇敗北の
責任を問われて将軍2人が処刑されたと書いてる。
元史では事実が隠ぺいされてるってことだし、その最有力候補はヒンドゥだろ。

800:名無し三等兵
14/04/10 22:39:11.87 WKdJCipt
ID:DN0ItPdeは相変わらずソースなしの思いこみか。倭寇についても「高麗史」に載ってる高麗の損害は
無批判に取り上げるけれど、高麗の倭寇に対する戦果は一切見えない人だし

801:名無し三等兵
14/04/10 22:44:50.73 DN0ItPde
>>800
ちゃんとソース挙げてるじゃん。
東方見聞録だよ。

あと、損害の記録は信用できるけど、戦果の記録は敵側史料と突き合せないと
信用できないってのは、戦争に関する数字の扱いとしては常識レベルだろ。

802:名無し三等兵
14/04/10 22:47:06.17 WKdJCipt
うわあ……脳内の常識ですか

803:名無し三等兵
14/04/10 22:51:14.66 m7t6e5fR
>>799
マルコ・ポーロの記述がそこまでアテになるかねえ。
元軍が平安京にまで信仰したなんて作り話を書き記しているくらいだしさあ。

804:名無し三等兵
14/04/10 22:56:05.93 WKdJCipt
それ以前に「東方見聞録」では
「将軍の一人はアバタン(阿剌罕(アラカン))、もう一人はジョンサインチン(ファン・ウェン・フー、范文虎)といい、
二人とも賢く勇敢であった。彼らはサルコン(泉州)とキンセー(杭州)の港から大洋に乗り出し、長い航海の
末にこの島に至った。上陸するとすぐに平野と村落を占領したが、城や町は奪うことができなかった」
と処刑されたと書いてる将軍二人の名前出してるじゃん(ペディアより)w
ちなみに1268年に起きたことだそうですw

805:名無し三等兵
14/04/10 22:56:46.55 DN0ItPde
>>802
本当に軍事板の住人?
例えば、1944年10月の台湾航空戦は日本の記録だと損失312機で、
戦果は空母11隻撃沈、8隻撃破、戦艦4隻を含む45隻撃沈だよ。
この内、損害に関する記録は史実として扱われてるけど、戦果に関する記録は
アメリカ側の記録と突き合わせて信用されてない。
これが常識レベルの戦争に関する数字の扱い方な。

806:名無し三等兵
14/04/10 22:59:42.09 WKdJCipt
>>805
それは史料を突き合わせた結果、アメリカの史料により高い信憑性の判断を下したもので

>あと、損害の記録は信用できるけど、戦果の記録は敵側史料と突き合せないと
>信用できないってのは、戦争に関する数字の扱いとしては常識レベルだろ。

なんていうのとは全く違うもんだぞ

807:名無し三等兵
14/04/10 23:05:43.90 m7t6e5fR
>>805
ヒンドゥが粛清されたという話のソースは?
まさか東方見聞録だけとかいうことはないと思うけど。

808:名無し三等兵
14/04/10 23:05:52.17 DN0ItPde
>>806
アメリカの史料だって戦果に関する数字は日本側史料と突き合わせると
かなり誇張されてるよ。
戦争において正確に把握できる数字は自軍にかんするものだけで、
敵の兵力や戦果は大抵の場合信用できない。

809:名無し三等兵
14/04/10 23:24:39.63 DN0ItPde
>>803
マルコポーロは元寇から逃げ帰った指揮官が奴児干の流刑地送りになったと書いてる。
で、実際元寇に参加した張百戸が元文類の記録で奴児干の流刑地送りになってるんだな。
つまり、全くのデタラメではなく実際に処刑された将軍がいた可能性は高いんだよ。

810:名無し三等兵
14/04/10 23:35:36.01 WKdJCipt
>>809
>>804

811:名無し三等兵
14/04/10 23:44:43.31 DPDBb/qq
高麗が30年間、モンゴルと戦わなかったら、日本はあっという間に征服されてただろう

812:名無し三等兵
14/04/11 06:29:02.59 Vwrwk2G5
されるかボケ

813:名無し三等兵
14/04/11 09:05:49.09 NozZgdd8
>>794
>でもクビライの時代には勝ったわけで、つまりモンゴル軍は進化した

進化したというより、クビライはモンゴル軍を中国化させた。
本来のモンゴル軍では南宋との戦いに適合しなかったからだ。

日本軍が戦ったのは、その中国化したモンゴル軍だった。

814:名無し三等兵
14/04/11 10:10:00.67 mNQjlWUN
現代と違って、あの当時の技術で
日本を攻略するのは至難の業だけどな、
兵站の確保などを考えても。
あの当時の日本は、湿地帯が多くて、今みたいにアスファルトの道路もないいしな。
国土の8割が山岳地で、大陸のような広大な平野部もないし。
そんな国の20万人以上の大軍がいるんだし。

渡海して十数万の大軍を運用するのは難しいのに、
どうやって攻略するんだ。

815:名無し三等兵
14/04/11 11:46:59.28 1I9Bx53e
どういうプランだったのかは気になるな
仮に戦場で元軍の方が強くて博多制圧成功したとしても、その後どうするつもりだったのか

816:名無し三等兵
14/04/11 16:13:58.45 mNQjlWUN
博多湾を制圧したとしても、そこから、
どうやって、日本全土まで制圧するのか?
大陸本国からの継続的な補給の確保も難しいし。

瀬戸内海沿岸をこえて、畿内、中部、関東まで制圧するプランに限界がある。
何年もかけて、山間の湿地帯の敵地を攻めのぼらないといけない。
その山間を形成する山々には、砦があちこちある。
日本って、国土の起伏が激しくて、天然の要塞。

また、本土からの日本の援軍は20万を超えるし。

817:名無し三等兵
14/04/11 17:15:53.11 oJiJcPl0
どうあっても元の日本侵攻は本気じゃなかったことにしたい奴がいるみたいだな。

818:名無し三等兵
14/04/12 02:14:36.18 gELbdtQZ
戦場で一撫でしてやればははーって頭下げてくるって思い込んでたんかね
現地勢力取り込みとか工作ほとんどやらずに来たのは

819:名無し三等兵
14/04/12 02:26:58.76 YYu4+7wP
九州沿岸を襲撃してこれでビビッて服属すると思ったから元軍は撤退した!的な事を戦国の軍隊って本で書いてて笑ったw
フビライに処刑されるだろwそんな事したら

820:名無し三等兵
14/04/12 13:34:48.61 4N8uUlUB
元史読むと、弘安の役終わってからもメッチャ日本侵攻に拘ってるなフビライ。
国内の反乱やハイドゥがちょっかい出してきたからやむなく断念したって感じ。
上で優先順位がどうたら言ってる奴がいるが、そりゃ
一族の反乱を裏で糸引いてた奴や属国の反乱を優先的に潰すのは当たり前やろ。
属国だったベトナムの反乱やナヤンやハイドゥへの対処を優先したからといって
イコールそれが日本遠征はどうでも良かったことにはならんよ。
むしろ、それらを鎮圧した途端にフビライはまたいそいそと日本侵攻の準備始めてるし。

821:名無し三等兵
14/04/12 17:04:15.66 AtBeXNu9
>>819
その本、他にも弘安の役では日本軍が防塁での防衛戦に徹したから勝てたとか書いてあるんだよねw
主題である戦国期の合戦についての記述は参考になるけど
著者は元寇についてはまんが日本の歴史レベルの知識しかないと思われる

822:名無し三等兵
14/04/12 17:39:06.71 xzPR9tyY
>>818
戦争で勝って占領地作ってから内応・誘引てモンゴルに
限らない侵略者の王道が初手で二回とも躓いたからね

823:名無し三等兵
14/04/12 17:43:41.90 eq16W9e2
>>815そりゃ今から見ればそうなるけど当時の元側からなので
我が元軍に不可能などあるはずないのでノープラン!


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