14/02/03 23:42:02.36
現在、『八幡愚童大菩薩訓』筑紫本、橘守部旧蔵『八幡蒙古記』を比較しているところです。
『八幡大菩薩愚童訓』(筑紫本)は、筥崎八幡宮座主坊に伝えられてきた室町中期の
写本で、壱岐・対馬での戦況に関する記述は、ほとんどありません(住民を虐殺した記事のみ)。
両書に共通なのは、
・弘安の役において、東路軍・江南軍が合流した後で博多に攻めてきたと誤解しているところ
『八幡愚童大菩薩訓』筑紫本にのみ存在する記事
・六月六日~十三日の、海の中道での合戦を記載している
『八幡蒙古記』にのみ存在する記事
・建治元年正月二十三日、杜世忠が来日したこと
『鎌倉年代記』では「四月十四日、大元使着長門国室津浦」とあり、疑問。
この部分は、『蒙古諸軍記弁疑』所収の『八幡蒙古記』では削除されている。
嘘ばかり書いているとは思いませんが、取捨選択が難しそう。
参考:『八幡愚童訓諸本研究』(小野尚志,三弥井書店)
『筑紫本八幡大菩薩愚童訓』(福岡県文化財資料集刊行会)